第二ステージ 第四部 東大反百年祭闘争を闘う 第4章 今道デッチ上げ傷害事件、判決の批判 

見出し
今道デッチ上げ傷害事件判決の批判
控訴審判決文の「傷害」認定の不当性と その批判
控訴審判決文の「殴打行為」認定の不当性、その批判 
『控訴趣意補充書』 
弁護側が最高裁に提出した『上告趣意書』 

 今道デッチ上げ傷害事件判決の批判  

文学部長今道が、1978年11月7日、三好君による殴打により傷害を負ったとデッチ上げ告訴を行なったことによる裁判では、80年4月24日一審東京地裁、片岡裁判長は暴行傷害による懲役6か月執行猶予2年の判決を下し、控訴審でも、東京高裁、船田裁判長は、81年3月17日、弁護側の申し立てを棄却する不当判決を下した。弁護側は最高裁に上告したが、一審判決は変わらなかった。

殴打の事実はなくまた今道は傷害を負ってもいなかったが、東京地裁は、東大保健センター医師佐々木の作成したインチキな「診断書」に基づき、今道に「外傷による挫傷」(挫傷とは外力による皮下組織の損傷)があったと認め、文学部職員を含め現場にいた5人が誰一人として被告の殴打行為を目撃していないにもかかわらず、ただ今道一人の申し立てにより、その「外傷による挫傷」は殴打行為によるものだとし、三好君に有罪の判決を下したのである。

「外傷による挫傷」という診断書の記載は今道の訴えだけで記載されたものであり、客観的根拠に基づくものでは全くなかった。前鋸筋にできていたミオジローシスというしこりは、後に鑑定医の証言として外傷によっておこるのでなく不整脈によって生じるものだということもわかった。

弁護側は、今道の「外傷による挫傷」なる「傷害」も、三好君の「殴打行為」も実際には存在せず、地裁の判決は「事実誤認」に基づくものだとして、東京高裁に控訴した。

そもそも、被告の逮捕起訴・勾留の被疑事実は、12月26日の学友会メンバーによる話合い要求の行動を「現場共謀」とする「暴行事件」であったが、被告が現場にいなかったことは明らかになっており、検察は途中から逮捕容疑とは全く別な、しかもより重い犯罪である11月7日「傷害事件」について起訴を行った。これは別件逮捕と違法な勾留に基づく起訴であって、違法である(「控訴趣意書」)。

しかし、高裁は、一審に「事実誤認も法令解釈適用の誤りもない」として、弁護側の申し立てを棄却した。

控訴審判決文の「傷害」認定の不当性、その批判  

以下では、『控訴趣意書』前半「第一、事実誤認」に述べられていること、すなわち東大保健センターの医師佐々木による「外傷による挫傷」という診断は今道の「求め」に応じて書かれたもので、傷害は存在せず、今道が言う「11.7事件」の「三好の殴打」はデッチ上げであることを確かめつつ、 高裁判決は、一方的に今道及び佐々木の矛盾だらけの「証言」を採用し、弁護側の示す諸事実を全く無視・黙殺するものであること、また、証言の扱いに関する弁護側の主張には少しも反論して(できて)いない、空疎で勝手な断定ばかりで、一審判決が正しいということをまったく論証し得ていないということを明らかにする。

『控訴趣意書』の後半「第二、控訴権濫用についての事実誤認及び法令解釈の誤り」では、一審の東京地裁の判決の政治性、裁判所と検察の、また政府文部省との一体性が問題になっており、裁判所の法令解釈の不当性が示されている。この点については、他の箇所で若干ふれる程度にとどまる。

控訴趣意書の全文は「資料B2」として、また高裁判決文も全文「資料B4」として、「東大百年祭闘争関係資料」に掲載してあるので、参照してもらいたい。資料B2へ資料B4へ


以下で、控訴審東京高裁、裁判官船田三雄による不当判決に対する私の批判を述べる

なお、当時、私、あるいは、われわれ文有志が「救対」活動をどの様に行ったか記憶がほとんど全くない。2.14弾圧後、本富士警察署に勾留されていた私のところに差し入れをしてくれたのは、院生のS君で、会えはしなかったが、刑事が「お前のところに差し入れに来たがS’という名前だった」、と珍しい名前のSを読み違えて伝えたのを思い出す。
S君は今道の実名入りの掲示には載ったことがなく、警察も知らなかったらしい。 多分、その後もS君が救対活動を担い、私は学内の現場での活動が忙しく、ほとんど彼任せにしていたようで、裁判に関連したことは、『冒陳』の一部を書いたり、控訴趣意補充書にあるような「事件現場」の写真撮影の際の手伝いをするなど、わずかなことしかやらなかった。

私は、本当に失礼を事をしてしまったと後悔しているのだが、われわれ/三好君の弁護を引き受けてくれた弁護士と直接会って、公判の進め方等について打ち合わせるなどのことは一度もせず、2人の弁護士の名前も書類上で見ただけで、どんな人かも知らなかった。その上、不勉強で東大闘争関係の本を読むこともなかったせいもあり、今村俊一さんの名前もしらなかった。
今村さんは68年6.20全学集会以前に、反日共系の活動家として教養学部自治会委員長に当選し、教養学部での全共闘の闘い、七項目要求貫徹に向けた無期限スト、さらにはバリケード封鎖闘争をけん引した人物である。69年になって民青と収拾派がスト解除のための代議員大会開催を要求したときに頑として拒否し、日共=民青のゲバ部隊に拉致され危険な目にあったこと、またその後教養学部第八本館籠城戦を戦ったことが島泰三『安田講堂1968-1969』(p274ー277、中公新書、2005)から知られる。
また遠藤さんが、法学部全共闘派法闘委の一員で、法学部学生懇談会=右翼・秩序派の「スト解除」に最後まで抗して闘った人だということを、最近になって三好君の口からきいてはじめて知った。汗顔の至りである。

東大闘争裁判では、裁判所は、全共闘の提起した正当な闘いの理由には一顧だにせず、治安的観点のみから弾圧しようとする国家権力―警察の一部に成り下がってしまっていた。(その傾向は今も変わっていないはずだ。)東大闘争を闘った両弁護士はこうした裁判所の実態をよく知っていたに違いないが、それにもかかわらず、我々のために丁寧で熱心な弁護活動を行ってくださったことに心から感謝したい。

控訴審判決文の「傷害」認定の不当性、その批判  

『控訴趣意書』の「第一、事実誤認、一、傷害の不存在 (一)診断経過、(二)今道証言の信用性、(三)筋硬症のの消滅」に述べられている文と、判決文のうち、『控訴趣意書』のその箇所に言及している、「控訴趣意第一 事実誤認及び訴訟手続きの法令を主張する点について」の「一 殴打行為について」、「二 傷害について」、「結論」を比べてみる。

すると驚くことに、両者はほとんど同じ字数/行数だけ書かれていて、両者の分量はほぼ同じである。偶然だろうか。そうではないと私は思う。『控訴趣意書』が先に書かれた。『控訴趣意書』を読んでから書かれた判決文は、それと同じ分量の議論を行ない、議論を尽くして『控訴趣意書』に反論したという体裁を整えようとしたのではなかろうか。

実際には、「判決文」の中では、「反論」(らしきもの)はごくわずかしか書かれておらず、必要がないにもかかわらず、『控訴趣意書』で書いていることをほぼ、そのまま繰り返して「分量」を増やしているだけである。「反論らしきもの」を区別して取り出してみるとその少なさがはっきりする。

このことを以下示しつつ、『控訴趣意書』に対する反論がほとんどなされていないこと、散見される反論らしきものは非論理的で全く反論になっていないことを明らかにする。

診断経過

78年9月22日、座り込み闘争が闘われていた文学部長室に原因不明の火災が起こると学部長今道は「出火の直接的原因が何であれ---何らかの意味で火災の責任からのがれることはできない」と、座り込み闘争を闘っていた学生たちを露骨に名指しして「処分」を行おうとした。学生・院生有志は文学部入り口アーケードに「闘争キャンプ」を設置し、文学部長今道のこの姿勢を問い質そうとした。

同年11月7日、文学部玄関口に今道が現れたとき、被告を含む三人の学生が今道をつかまえ、話合いを要求、処分理由を問い質そうとした。今道は「自分で考えろ」などと嘲りながら通り抜けようとし、文学部事務室前ホールでもみあいになった。この時、今道は被告に殴られたと、後に告訴する。

この11月7日の事件の翌日8日に今道は東大保健センターに行き、医師佐々木の診察を受けた。公判での佐々木証言によると、今道は学生に殴られ胸が痛たいと言ったが、彼の体には出血、あざ、発赤、腫脹等は一切なく、外傷ありというような記載はカルテにはない。佐々木は薬を出さず、治療を全く行っていない。鎮痛剤はもちろん、湿布薬も出していない。

痛み止めの薬の処方を全く行わなかったことから、今道の胸の痛みは外傷性の組織の損傷によるものではないか、または、もし外傷性のものなら痛みはごく弱かったと、推測される。

他方、今道は以前から保健センターに通って心臓病の診察を受けていた。そこで、医師佐々木は胸の痛みは心臓病によるものではないかと疑い、心電図をとった。たとえば、動脈塞栓症に基づく阻血痛の可能性もありえた(佐々木の証言)。

しかし、この日の心電図で「頻発する心室性期外収縮がみられたが、閉塞冠動脈の変化はなかった。」つまり、心筋梗塞の恐れはなかったので「安静にするように」と指示しただけだった。 

以前の診察時には動脈塞栓症に基づく阻血痛を疑わせる訴えがなかったので、それを調べる検査は行なわなかった、と佐々木は証言した。

ただし、 この日のカルテには、ミオゲローシスという記載が存在する。一種のしこりであるが、判決文によると、
佐々木が「ミオゲローシスなる医学用語を使用するのは、筋肉の病のアレルギーで起こる筋肉炎、外傷性の筋肉炎、あるいは、心臓疾患に伴う動脈塞栓症などの症状として使用していること、このうち動脈塞栓症は、心臓疾患、特に不整脈もしくは、頻発する心室性期外収縮によっても起こり得るし、この場合、筋肉にしこりができて、痛み(阻血痛)を訴えることもあり得る」( 判決文 p12、下線部c参照 )という。

弁護側は、整形外科医の教科書になっている医学書に基づく、三楽病院整形外科矢野英雄医師による「鑑定補充書」により、ミオゲローシスとは 「筋肉の過労によって発生する慢性的症状を指し、直達外力による外傷性炎症を指すものではない」ことを明らかにした。実際、佐々木は過去においては、外傷性筋肉炎の場合ではなく、リュウマチ等の非外傷性の疾患の場合にこの語を使用していた。

従って11月8日のカルテに記載されているミオゲローシスという語は、今道の前鋸筋の痛みが、外傷によるものではなく、心臓病等内因性のものと、佐々木が考えていた可能性の方が強いことを示している。

ところが、佐々木は、法廷ではこの語を外傷性のしこり、筋肉炎にも使うと主張している。そして、 11月8日に投薬しなかった理由として、急性炎症でひどい圧痛があったため、薬、内服薬でさえ使用しない方がよいと考えたという、非常識な証言をした。

鑑定医は「外傷性筋肉炎について、炎症を鎮静させるために治療を必要とする場合には、炎症の慢性化を防ぐため直ちに受傷部位の清潔、安静と同時に積極的に冷湿布あるいは薬物投与を行い炎症および疼痛を鎮静させるのが通常である。そのような治療をおこなっていないということは、外傷性筋肉炎が存在してなかったか、あるいはそのような治療を必要としない程その症状が軽かったものと考えるのが常識的である。」との証言をおこなっている。

こうして、8日の診察時に、前胸部の痛みという今道の訴えにもかかわらず、外傷に通常伴う発赤、アザ、出血などは全くなく、また挫傷も含め外的な力の作用によって生じる打撲等の場合に通常行うべき治療、痛みを押さえるための湿布薬などの処方を佐々木がまったく行っていないこと、また佐々木がカルテに記したミオゲローシスという語から、何らかのしこりがあったようだが、部位は特定できなかったこと、そしてその語は、通常内因性のしこりに用いられるもので、しこりは外傷によるものでないことの可能性の方がはるかに高いこと、以上のことが明らかである。

佐々木は「触診などの方法で診察したところ、今道学部長の腋の下から腰骨部付近にかけて、かなり広範囲にわたる圧痛と一部に筋硬症が認められたので、---左腸腰筋、あるいは前鋸筋に挫傷があると診断した」(判決文、二 傷害について (一)、p9)とされるが、「挫傷」(皮下組織の損傷)が今道の言ったように殴られたことによって生じた組織の損傷だとすれば、不自然である。

というのは、なるほど特定の組織の損傷によっても広い範囲に圧痛を感じることはあるかもしれないが、組織の損傷箇所自体が「左腸腰筋、あるいは前鋸筋」つまり腹から腋の下にかけて広範に生じているということはあり得ないからである。(自動車など大きな物体に衝突されたというのなら別だか。)したがって、この日の診察における「挫傷」は、存在が確かな、部位のはっきりとした組織の損傷ではなく、漠然としたものであり、それゆえ、存在そのものが疑わしいのである。

佐々木が後に自分はミオゲローシスの語を外因性のものにも用いると(自分の過去の用例に反して)述べていることから、仮に、そのしこりが外傷によるものだと仮定しても、部位が特定できない漠然としたものであるというだけでなく、その痛みはごく小さいと彼が判断したがゆえに痛み止めは処方しなかったと推定されること、そして、佐々木が心電図をとっていることから、今道の訴え得る胸の痛み(前日には吐き気もあった)は心臓病によるものではないかと彼が当日考えたことが推定され、実際、動脈塞栓症に基づく阻血痛の可能性があったと彼自身述べていること、こうしたことからすれば、8日の時点では、「挫傷」という診断は、殴打されたという今道の言葉に基づく推測、あるいは憶測にすぎない。

ミオゲローシスという語は、佐々木の勝手な「定義」を認めて、外傷を否定するものではないとしても、外傷の存在を証明するものでは全くない。今道が訴えたという痛み、気分の悪さなどは心臓病を原因とする症状と考えられるもので、14日の澤井医師への訴えでも主要に痛む箇所は背部であった。

11月30日、佐々木は「外傷による前鋸筋第九肋骨付着部挫傷」という診断書を作成し、これが三好君の「傷害事件」の根拠となるが、8日の時点に、何らかの皮下組織の損傷があり軽い痛みがあったとしても、その痛みと損傷が3週間も続き、傷害の部位が詳しく明らかになる、などということは到底かんがえられないことである。 以上はほとんど『控訴趣意書』に述べられていることに従っている。

しかし、佐々木は軽率にも、11月30日、今道の要請に従って「外傷による前鋸筋第九肋骨付着部挫傷」という診断書を作成してしまう。

この11.30の診断が正当なものでないことは後述する。しかし法廷で弁護人から尋問を受けた際に、佐々木はこの診断が正当なものだと主張するために、11月8日の診断、カルテの記載について無理な説明を行った。

「外傷による挫傷」が本当なら、痛みを緩和するために湿布薬を出すのが常識である。( → 鑑定書を参照 )だが、佐々木は「急性炎症でひどい圧痛があったため」「様子をみるために」「薬、内服薬でさえ使用しない方がよいと考えた」 と非常識なことを言っている。

それが本当であったなら、再度受診するように指示し、数日内にでも診察するべきだっただろう。だが、当然行われるべき再度の診察はなされなかった。佐々木の次の診察は3週間後の11月30日におこなわれるが、この日の彼の診察は今道の方からの訴えで行なったのである。

佐々木のこの「診断書」についての「証言」がまったく信用できない、ということは明らかである。

さて、今道は11月10日、保健センターに行き、ふたたび「内科で、沢井医師の診察を受けている。 そもそも11月8日にも内科の佐々木医師の診察を受けているが、今道が、11月8日から保健センターに通ったのは心臓病検査のためと言えるのである。外傷の治療ならば外科に行くのが常識であり、かつ保健センターには外科もあるのである。」(『控訴趣意書』)

そして「心臓の診察の結果、期外収縮及び不整脈が起こっており、その旨の診断書が交付されている。沢井医師は聴診器を当てているが、今道が痛がったりしたこともなく、発赤や腫脹等は存在しなかった。今道も自身もそのような訴えをしていない。」( 同 )

「11月14日にも、澤井医師が診察。この日は今道は気分が悪いと言っている。明らかに期外収縮による気分の悪化である。食欲不振をも訴えたのでフェストールという消化剤を出している。これらの症状が外傷によるものではないことは常識的に考えて明白である。

また今道は、背中の部分に痛みがあると訴えた。沢井医師はこれを本人の訴えるままに図示したのであるが、それ以上詳しく検査せず、また原因についても詳しく問診していない。ましてや外形上の変化も見られなかったのである。つまり、この痛みについて沢井医師は程度の軽いものと考えたことは間違いないのである。場合によっては、心臓病に起因する痛みや、肩こりと似たような筋肉疲労に伴う痛みとも考えられるのである。それ故、沢井医師はサロンパスに似たような湿布薬のパテックスを出したにとどまったのである。鎮痛剤のような強い薬はださなかったのである。」(同)

他方、判決文は言う。今道は30日に 「同〔佐々木〕医師に対し、左側胸部全体にわたる痛みを訴えて、これについての精密な診断を求めるに至った。そこで、佐々木医師は、レントゲン検査を実施するなどして、診察した結果、中腋窩線部、左前鋸筋の第九肋骨付着部挫傷による圧痛があることを確認したので、今道学部長の求めに応じて、同日付の「外傷による前鋸筋第九肋骨付着部挫傷」という診断書を作成して交付した」と。判決文p10 

だが、「11月8日の時点では、今道の痛みについての訴えを聞いて診察してみたが、痛みは広範囲であるし、ミオゲローシスの症状もはっきりつかめず、結局、痛みについての部位や原因ははっきりしないと佐々木は証言しているのである。心臓病との因果関係も考えたりして、よく原因がわからないから、薬も出さなかったと証言しているのである。

それなのになぜ、約1か月後になって、原因が外傷であり、かつ部位が特定できることとなるのであろうか。このような診断が不合理であることは素人でもわかるのである。ましてや今道はこの日にも左胸部全体が痛むと訴えているのであり、暴行の部位が特定し得るはずはないのである。 特別にある部位が痛いということもなかったのである。肩甲骨運動をさせたところで、痛みが一か所ではないのだから、外傷の場所を特定し得るはずはないのである。」(『控訴趣意書』)

それでは、『控訴趣意書』の「経過」で述べられている以上のような諸事実と主張を、裁判所はどのようにして退けて、佐々木による11月30日の診察時に「外傷による挫傷」があったと認定したのか。

判決文のp8,p9 二「傷害について」の(一)、(二)で述べていることは、11月8日、10日、14日の佐々木、澤井両医師の今道に対する診察・診断に関する大雑把な要約である。『控訴趣意書』の「経過」に比べて大雑把にすぎるが、特に後者に対する反論、あるいは異なる事実の指摘ではない。

反論らしきものがなされているのはp10 (三)以下においてである。しかし、その最初のおよそ20行は、今道が30日の佐々木の診断を受けるまでの直前の経過、佐々木が今道の「求め」で診断書を作成・交付したという「事実」の確認であり、反論ではない。「なお今道学部長が右の診断書を求めたのは、その後に出席を予定していた学会に、出席できなくなる場合にそなえるためであって、本件を告訴するためのものではなかった。」などということも書かれていて、ウソに決まっているが、とくに「反論」ではないので無視できる。

〔 以下アルファベットa,b,---及びa',b'--- は須藤の挿入。判決文で「所論」というのは『控訴趣意書』を指す 〕

続いて判決文は、「a右の点に関して所論は、今道学部長の傷害は、外傷によるものではないと主張し、---と主張するa'。」と、17行に及ぶ長い一文で、『控訴趣意書』が、11月8日から14日までの両医師の診察に照らして今道の痛みの原因は外傷によるものでないか、あるいはその可能性は低くむしろ心臓病の症状であり、30日の診断は不合理だ、と述べていることを、繰り返している。

そして、『控訴趣意書』が、ミオゲローシスという語は通常、内因性のしこりをさす用語であるから、佐々木が8日のカルテでこの語を用いているのは、今道の訴えた症状が外傷によるものではないことの証拠になる、と主張したことに対する反論らしきものがb―b'及びc―c' である。

判決文はb-b'で、ミオゲローシスという語を佐々木が用いているのは「内科学的用例に従った」もので、「前提が異なる」、「(佐々木によれば、)外傷性筋肉炎にも用いることがある」と言い、反論しているつもりなのであろう。

そしてミオゲローシスという語を佐々木が用いているからと言って、今道の訴えた痛みの原因は外傷性ではありえないという『控訴趣意書』の主張は「失当といわなければならない」と得意そうに述べる。

だが、弁護側は、佐々木は過去の用例では外傷には用いていないということも示しており、佐々木は8日だけ特別な使い方をしたということになろう。その筋肉炎が外傷性のものでないと推測されるということには変わりがない。

そして、このb―b'では、弁護側が提出した「鑑定補充書」で示されている医師の見解は全く無視されている。

「鑑定補充書」では、医師の教科書として使われている二つの医学書に基づき、一般的にミオゲローシスという語が外傷性の炎症に使われることはないとしている。また、外傷であったとすれば、外力を加えられた部位に、腫脹、発赤、熱感、圧痛、自発痛、運動痛が若干なりとも発生するので、外力をくわえられた部位は容易に特定できる。もちろんそれらの症状が著しく軽い場合には、その部位の特定が困難になる場合もある。

また、外傷性筋肉炎の場合には、通常、安静と同時に積極的に冷湿布あるいは薬物投与を行い炎症および疼痛を鎮静させる。そのような治療を行っていないということは、外傷性筋肉炎が存在してなかったか、あるいはそのような治療を必要としない程その症状が軽かったものと考えるのが常識的である、述べられている。

判決文のb―b'は、佐々木の主張を一面的に採用しており、佐々木の主張の不合理性を示す、鑑定意見は完全に黙殺されている。

佐々木は、8日には、挫傷であれば処方するはずの痛みを抑える薬をまったく処方しておらず、心臓の診察を行ない、頻発性期外収縮、不整脈の診断を行なっていること、10日の澤井医師も同様であったことを『控訴趣意書』が指摘し、今道の訴えていた漠然とした胸あるいは背の痛みは、外力による傷害ではなく、内因性のものだと述べていることにはまったく触れない。反論せず、ただ黙殺している。

判決文はp12、「c また、当審証人佐々木智也----- 以上の事実が認められるのである。c’」の長々しい一文の中では、下線部「d 同学部長が動脈塞栓症を起こしていた可能性もあり、これに基づく阻血痛があったことも可能性としては否定できない」としつつ、「e 8日の診察時において、動脈塞栓症の有無を検査し、これのないことを確定しておれば、診察としては完全であったe'が、f この時以前の、しかも心臓の状態がより悪い時期の診察時においてさえ、今道学部長から動脈塞栓症に基づく阻血痛を疑わしめるような訴えはなかったf'」などと、あたかも、この動脈塞栓症に基づく阻血痛の可能性は実際にはなかったので、動脈塞栓症の有無を検査しなくて当然で、問題はなかった、と言わんばかりである。

だが、検査は行われなかったのだから、「動脈塞栓症に基づく阻血痛」がなかったかどうかは不明である。ずっと前あるいはしばらく前に阻血痛を疑わせる訴えがなかったからといって、11月8日の胸の痛みの訴えは阻血痛による訴えではなかった、とどうして言えようか。そのようなことは決して言えない。

検査が完全になされたか、不完全であったかは問題ではない。動脈塞栓症の有無を調べる検査は行なわれなかったのだから、8日の今道の痛みが阻血痛ではないとは言えない。従って外傷性のものだと断定することはもちろん、推測することも全くできない。

だが、判決文によると、同月30日「レントゲン検査を実施するなどして診察した結果、----「外傷による左前鋸筋第九肋骨部付着部挫傷」という診断書を作成して交付した」(p10)のであるが、「この診断は、今道学部長の主訴と挫傷の部位が左前鋸筋であると特定できたことの二つを根拠にしたものであること、以上の事実が認められるのであるc’。」という(p12)。 勿論、骨折ではないからレントゲン検査は診断には無関係であるが。

そして、『控訴趣意書』は今道の証言は信用できないこと、そしてこの診断が信憑性を持っていないことを述べているのであるが、判決文は
「しかして、g 右の根拠の一つとされた挫傷部位の特定とは、右の診察をした際、佐々木医師が今道学部長に、足、上肢、肩甲骨の連動をさせて、医学的検査をしたところ、肩甲骨の回転運動のときだけ痛みがあることが判明したため、左前鋸筋の挫傷であることを特定できた、というものであるから、十分に理由のある正当な医学的判断であるというべきでありg’、またもう一つの根拠となった、 今道学部長の主訴も、これに沿う供述をしたh原審証人今道友信の供述が、特に信用性を疑わしめるものが認められないh’のに加えて、 i今道学部長が佐々木、澤井の両医師に訴えたという気分の悪化や食欲不振などの症状は、今道学部長が被告人から殴打される以前にはなかったものであることに徴すると、これもまた真実性のある正当なものであるi’jのみならず、原審及び当審の証人佐々木智也の供述中には11月30日の右診断結果が誤りであったとして、その正当性を自ら否定する供述は見当たらないj'。」と述べる。

佐々木の診断については後で述べることにし、今道の主訴(殴られて痛い)に関しては、判決文は「原審証人今道友信の供述が、特に信用性を疑わしめるものが認められないg’」とも言っている。

しかし、今道の証言が信用できないものであることは、『控訴趣意書』第一、事実誤認 一、傷害の不存在 (二)今道証言の信用性」で述べられている通りである。

しかし裁判所はこうした具体的な指摘はすべて無視、黙殺している。裁判所は、今道証言の不都合な所はすべて目をつぶって、彼の主張をすべて真実だときめてかかっているのである。

そもそも、「11.7事件」の逮捕・起訴は「政府・文部省」による反百年祭闘争の弾圧・大号令に(便乗した今道の訴えに)よって起こされたもので、検察と司法は一体となってこの政府の号令に基づいて動いていた。
→資料B2『控訴趣意書』「第二 公訴権濫用についての事実誤認及び法令解釈の誤り、二、本件逮捕・起訴の不法性」、資料B1『冒陳』第3章第3節を参照。

そして、裁判官には、目上の者・当局者・学者・教授会の決定に目下の者・学生・職員・労働者は従うのが当然という権威主義的常識を背景として、大学の当局者が計画・決定した東大百年記念事業に反対する学生たち(の運動=“騒動”)への反感、そして「反対派学生」を抑えようと“尽力”した文学部長今道にたいする敬意、共感があるとしか考えられない。

こうした大学当局者に対する敬意、共感を背景として、今道学部長のやり方に不満を抱き、彼を「追及」しようとした怪しからん学生どもによる11月7日文学部事務室前の押し合い・つかみ合いの中で、被告による暴行=「殴打」があった(と今道は「証言」している)ことは確かだという「先入観」が判決文全体を支配している。

判決文は今道の「主訴」や「供述」が真実であることを、客観的に「説示」つまり論証しようとはせず、ただ「断言」し、擁護しているだけである。

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参考:公開自主講座「大学論」実行委員会・東大工学部助手会の主催でおこなわれていた<自主講座>「大学論」のなかで、77年2月21日、折原さんが「反東大・反百年祭百年祭―教員の視点から」と題して行った発表/講義では、
東大闘争裁判において重要な争点であった、全共闘の「七項目」要求のうち6項目まで大学の執行部加藤総長代行が認めていたのに、全共闘が残りの一つ、文学部処分の撤回を主張して加藤提案を拒否し安田講堂占拠を続け、これに対して加藤が「文処分については十分に検討したが間違いはない」として、機動隊によって全共闘を弾圧、逮捕・起訴させたことの問題を取り上げている。(文処分の不当性については、〇〇で述べた。)

この発表の中で折原さんは次のように言っている。「のちの「東大闘争裁判=東大裁判」でこの点の真相と責任を徹底的に追求しようとしたのですが、東京地裁や高裁の裁判官がアホウで、1・18~19導入の前件としての文学部処分問題の位置ないし意義を何度説明してもわからない、あるいはうすうすわかるからこそ,“身内”と感じている東大当局を窮地から救おうとしたのかもしれませんが、そのへんはともかく、不当な証人申請却下や尋問制限によって、真相究明を妨害し、そのため直接の証拠をつかんでおりません。しかし多分後者だった〔加藤は十分な検討を行わず、偽った〕だろうことは次の事実によっても証明されます。(以下略)」

要するに、東大闘争裁判では東京地裁や高裁の裁判官が、客観的で公平な審理によって「真相究明」を行おうとせず、「身内と感じている」東大当局を救おうとしたと強く疑っている。折原自主講座「大学論0011」F0228ーS01-0011-003~011

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東京地裁や高裁は、反百年祭闘争裁判においても「身内」たる当局者・文学部長今道教授を何としても擁護しようとする姿勢を露骨に貫いているのである。

ところで、診断書に書かれている「外傷による----挫傷」という「暴行傷害」の罪をデッチ上げる根拠となる記載のもとである今道の主訴について、

判決文は「i 今道学部長が佐々木、澤井の両医師に訴えたという気分の悪化や食欲不振などの症状は、今道学部長が被告人から殴打される以前にはなかったものであることに徴すると、これもまた真実性のある正当なものであるi’」という。

この文は、「今道は、8日あるいは10日の受診時に、7日に学生に殴られたため、胸が痛くなり、気分の悪化や食欲不振などの症状が出たと訴えた。そこで8日の佐々木のカルテには「挫傷」という記載もなされたが、その症状は7日以前にはなかったから、7日にその原因となることが(つまり殴打が)起こったに違いない。「殴打」がなければ今道の症状の訴えもなかったはずだ。その訴えに基づいてなされた、しこりを挫傷とする診断は真実で正当だ。」という趣旨であると思われる。

だが、殴打がなければ今道の症状もないだろう、症状があるからには殴打はあったという推理は成り立たない。これは誰にでもわかる簡単なことである。

『控訴趣意書』が述べているように、心臓病などがその「気分の悪化や食欲不振などの症状」の原因かもしれないからである。

裁判所はその症状が「殴打される以前にはなかった」ことを理由に挙げて、その症状は殴打によるものだ、と推測する。
では、裁判所は、どうやって、今道が8日以前に気分の悪化や食欲不振になったことが一度もないということを知ったのか。

そもそも、一般に、気分が悪いとか、食欲がないというようなことは、誰にでも時々起こることであり、よほど健康な人でなければ、そうした症状になったことが一度もないということはありえないと思われる。そうだとすれば、裁判所は、今道が以前にはそのような症状になったことはなかったなどということを、知りえないし、そんなことは言えるはずはないのである。

実際、他の箇所、d では「動脈塞栓症を起こしていた可能性もあり、これに基づく阻血痛があったことも可能性としては否定できない」d'とする佐々木証言を認めている。しかし、ここではそれを忘れているのである。

ここでは8日の今道の「殴打されたので胸の痛み、吐き気、食欲不振になった」という主訴は真実である(ウソ、でまかせではない)という前提で、そうした「症状は以前にはなかった」という、確認できるはずのないことに基づいて、しこりは「外傷による挫傷」だという、明白に誤りである推論を行って平然としているのである。

「気分の悪化や食欲不振などの症状は、今道学部長が被告人から殴打される以前にはなかったものである」とは言えない。したがって、今道の主訴すなわち「殴られたあとこの症状が出た」という訴えは、その症状が殴られたことによるものであることを証明することはできない。したがって、今道のその主訴が11.30診断書の正当性の根拠(の一つ)をなす、と判決文が述べていることは完全に間違っている。

したがって「外傷による左前鋸筋第九肋骨部付着部挫傷」という11.30診断書は不適切だということになる。なんらかの皮下組織の損傷が存在したと仮定しても、それが「外傷による挫傷」だとする記載は、今道が前日に「殴打された」と言ったことを根拠にしており、今道の言葉の真実性について判決文が述べていることは不適切で間違っているのだから、正しくない。その個所は除かれるべきである。

そして、その個所を除くと診断書は「左前鋸筋第九肋骨部付着部のしこり、あるいはミオゲローシス」というものになるはずである。

次にこの“修正された”診断書の真実性を確かめよう。

原審で採用された「外傷による左前鋸筋第九肋骨部付着部挫傷」という診断は、(今見たように真実でない)今道の主訴を一つの根拠として、また医師佐々木の診察・検査によって部位を特定できたことをもう一つの根拠として、正しいとされている。

だが、判決文は
g 右の根拠の一つとされた挫傷部位の特定とは、右の診察をした際、佐々木医師が今道学部長に、足、上肢、肩甲骨の連動をさせて、医学的検査をしたところ、肩甲骨の回転運動のときだけ痛みがあることが判明したため、左前鋸筋の挫傷であることを特定できた、というものであるから、十分に理由のある正当な医学的判断であるというべきであ g'」ると述べるだけである。

この g g' の文にたいして、『控訴趣意書』は、8日には
痛みは広範囲で、ミオゲローシスの症状もはっきりつかめず、結局、痛みについての部位や原因ははっきりしないと佐々木が証言したと指摘。それなのになぜ、約1か月後になって、原因が外傷であり、かつ部位が特定できることとなるのか。このような診断は不合理だという。

まして、今道はこの日30日にも左胸部全体が痛むと訴えているのであり、暴行の部位が特定し得るはずはない。そして、痛みが一か所ではないのだから、肩甲骨運動をさせたところで、外傷の場所を特定し得るはずはない。仮に今道が一か所について圧痛があると訴えたところで、今道は、11月8日以来、痛みについて極めてあいまいな訴えを続けていたのであったのだから、そのような訴えは信用できない。

『控訴趣意書』はこのように述べているが、判決文では、それについての答え、ないし反論は皆無である。「佐々木医師が 医学的検査をしたところ、肩甲骨の回転運動のときだけ痛みがあることが判明したため、左前鋸筋の挫傷であることを特定できた、というものであるから、十分に理由のある正当な医学的判断であるというべきである」と一方的に述べるだけである。

「肩甲骨の回転運動のときだけ痛みがある」ということがその診断の「十分な理由だ」と言っているように読めるがそんなことは言えないはずだ。

今道が受診前に左胸全体が痛むと言っていたことと、「肩甲骨の回転運動したときだけ痛みがある」ということとはどの様な関係があるのか、あるいはないのか、当然説明すべきであろうが、何も書かれてはいない。

今道が受診前に左胸全体が痛むと言っていたことが本当なら(そして、判決では、今道の供述や証言の信憑性を疑う言葉は一切ない)、佐々木の言う「肩甲骨の回転運動のときだけ痛みがある」というのはウソということになる。

しかし、佐々木は8日にも同じような今道の訴えを聞いて診察したが、この時は「左腸腰筋、あるいは前鋸筋に挫傷がある」と診断したにとどまる。場所は特定していない、あるいは特定できなかった。

ところが、その時に多少の(湿布薬を処方しなかった軽い)挫傷があったとしても、当然すでに治癒してしまっているはずである。3週間後になって、「左前鋸筋第九肋骨部付着部」などと部位を詳しく特定した診断ができるはずがない。

この「診断書」なるものは、「暴行傷害」のデッチ上げをもくろむ今道の「求め」に応じて書いた、でたらめな診断書だということは明白である。

だが、判決文は、
j のみならず、原審及び当審の証人佐々木智也の供述中には11月30日の右診断結果が誤りであったとして、その正当性を自ら否定する供述は見当たらないj'。」などと言い、そのことを説明すべく kk'の文を付け加えている。

jj'を主張することで「外傷による左前鋸筋第九肋骨部付着部挫傷」の診断を正当化する一助にしようというのであろう。だが、「あることが誤りであると認めてはいない、あるいはその正当性を自ら否定してはいない」ということが、なにかあることが真実であることの根拠になり得るとすれば、あらゆる主張を真実だと認めなければならなくなってしまうだろう。

たとえば「私は月から来た。それは真実である。なぜなら私は月から来たということが誤りであるとは認めていない、あるいはその正当性を自ら否定することはしていないから。」と主張することが可能になる。だが、こんなナンセンスを認める人はいないだろう。

しかし判決文は11.30の診察結果についてそれと同じことを言っている。11・30の診断結果は、11.8に動脈塞栓症に基づく阻血痛の有無を検査してあれば完全であったのだが、実際にはその検査を行っていなかったので、完全に正しいとは言えない、と佐々木は証言した。

そして、11.30の診断が不完全であるというのは、11.8の診察時に、今道の胸の痛みが動脈塞栓症に基づく阻血痛ではない(したがって外傷による挫傷である)ことを証明できる検査をしてなかったので、30日の痛みも「動脈塞栓症に基づく阻血痛」だった可能性がある、つまり「外傷による挫傷」だとは確実に言えないということを指して言っているのである。

したがって「外傷による挫傷」という診断は正しくないということを認めているのである。(ただし、8日に動脈塞栓症がおこっていなかったからといってその翌日から30日までの間に動脈塞栓症が起こらないということはどんな名医も断言できず、30日の診察で動脈塞栓症が存在しないことを確かめていなければ、いずれにしても今道の訴える痛みが「外傷による挫傷」とは断定できない。)

だが判決文では佐々木は「不完全であると言ってはいるが誤りだとは言ってない、したがって佐々木の診断は正しい」というのだ。しかし、この佐々木の言葉は11.30診断の正当性を証明するものでは全くない。8日にも30日にも「動脈塞栓症」の有無を検査していなかったのだから、30日の今道の左胸全体の痛みが「動脈塞栓症に基づく阻血痛」ではなく、「外傷による挫傷」によるものだということは、全然確かではない。

こうして、今道の証言は信用できず、また、佐々木本人は不完全だと言っているのであり誤りだと認めてはいないからという珍妙な論理によっては、今道の痛みの原因は「外傷による-----挫傷」とする11.30診断書は正しいものではない。「外傷による-----挫傷」という語は除かれるべきだ。

すると佐々木の診断書は「左前鋸筋第九肋骨部付着部に痛みの原因である何らかのしこり」と修正されるだろう。

このしこりが実際にあったと仮定しよう。だが、今見たように、動脈塞栓症に基づく阻血痛である可能性は否定されてはいない。そうだとすれば、佐々木が30日にいわば新たに発見したそのしこりのようなものが被告の殴打によって生じたもので、それが今道の左胸の痛みの原因だ、ということは決して主張し得ないはずである。

控訴審の、傷害は被告による殴打の結果だとする判決は間違いであり不当である。

判決では、まず「(一)殴打行為について」で、被告による殴打行為があったと認定し、次の「(二)傷害について」で、今述べたように佐々木の診断によって傷害の存在を認定している。そこで(二)の結論は
「 したがって、今道学部長が負った前記傷害が、被告人の殴打という外傷によるものと認定判示した原審判決には、事実誤認はなく、前記(2)(3)の所論もまた採用することができない。」となっている。

以下では控訴審判決文の「殴打行為」認定の不当性を明らかにする。

控訴審判決文の「殴打行為」認定の不当性、その批判 

そこで、次に、判決文がどのように11月7日に被告による殴打行為があったと認定しているか、あるいはどのように認定して一審判決を正しいとしたのかを確かめてみる。

判決文「一 殴打行為について」p3では「関係各証拠によれば以下の事実を認めることができる」と(一)から(六)まで述べている。(一)から(五)までは、「闘争キャンプ」による今道追及に至るまでの百年祭に対する反対運動の経過の大雑把な説明である。p4(六)は11.7当日の追及の模様がほぼ今道の供述に基づいて書かれている。

p5(七)では 所論(=『控訴趣意書』)は、今道は「一方当事者として偏頗な立場にある」こと、供述自体も二転三転していて信用できないこと、また現場にいたM2ら6人の目撃者の誰からも見られずに殴打することは不自然であることから、殴打行為はなかったと主張している、と9行に要約した後、「しかしながら、原審証人今道友信の供述は、前記認定の事実に沿うものであって、特に誇張や作為を疑わしめる不自然さは見当たらず、十分にこれを信用できるものといわなければならない。」という。

だが、この文は無意味である。なぜなら、「前記認定の事実」は控訴審裁判所が独自調査によって客観的に確かめた事実ではなく、『控訴趣意書』「第二 公訴権濫用についての事実誤認及び法令解釈の誤り」の「二、本件逮捕・起訴の不法性」の「4.嫌疑なき起訴」で、「検察官が本件起訴に踏みきった基礎は、今道本人の供述調書と、医師のカルテのみであり、他に目撃者の調書等一切存在しない。----すなわち本件起訴は唯一今道の供述のみに基づいてなされたものである。」と述べられているように、裁判所が「認定する」事実とは今道の供述に基づき(検察によって)構成されたものであるのだから、「原審証人今道友信の供述がこれに沿うものである」のは当たり前である。そしてその今道のもとの供述がそもそもまったく信用できないものなのである。

話合いを一切拒否していた今道をつかまえて、話合いを要求し処分の理由を問い質そうとした被告人が、文学部の事務員3人がすぐ近くで見守る中で今道を「殴打」するということは、常識に反し、あり得ないことである。

今道証言に「誇張や作為を疑わしめる不自然さは見当たら」ないという見方は、「身内」の今道の言うことはすべてそのまま信じる裁判所の姿勢と、被告=学生活動家に対する明らかな偏見から生ずるものだ。

むしろ、11.7事件の告訴は、学生を処分しようとしていた今道が、学内の反対世論が強まって処分ができなくなり、代わりに、暴力事件をでっち上げることで警察権力を借りて反百年祭運動を弾圧し、活動家を大学から排除することを狙って行ったデッチ上げだ、というのが自然な見方である。

今道は12.26の学友会委員らによる話し合い要求も「集団暴行事件」として、現場にいなかったことが明かになった被告の名前も含め10人近くの学生の名前を挙げて告訴し、警察権力によって弾圧することを目論んだ。11月7日の文学部事務室前のできごとも、彼が逃げようとして体がぶつかった等の衝撃を、暴行事件としてでっち上げるべく、「殴ったな」と声を発したと考える方がはるかに自然である。

今道擁護のための無意味な2行の文(「原審証人今道友信の供述は、前記認定の事実に沿うものであって、特に誇張や作為を疑わしめる不自然さは見当たらず、---」云々)に続き判決文では事務室前にいた6人の証人の証言にふれ、それらからは殴打がなかったことは証明されないという。

普通、腹や胸を(挫傷ができるほど)殴られれば、一瞬、うめき声を発したり顔をしかめるなど表情に多少の変化が生じたりするであろう。また、殴る方は、空手などの心得のある者でなければ、そばで見ていてもわからないような速さで拳で相手を突くなどのことはできず、肘を曲げ後ろへ引いて一瞬でも構えてから殴るであろう。
p7
M2の証言「部長の顔は殴られたようにはみえなかったし、被告人に殴るような素振りとか、これを推測させるようなものがなかった」というのは、殴打が起こるなら/起こったなら、それに伴って生ずると考えられるそうした動作や状態がなかったということの証言である。S2の今道が「よろめくとかの様子にはみえなかった」という証言も同様である。

しかし判決はこれらの証言をなんら吟味せず、「---というのにとどまるものであるから、これらの供述をもって、被告人の殴打行為の存在に合理的な疑いを生ぜしめるべき資料とすることはできない」と切って捨てている。

殴ったのを見なかったからと言っても、見落とした可能性がある、と言いたいのだろう。だがすぐ近くにいた5人の誰にも見られずに殴打するということは極めて難しい。したがってM2やS2の証言のゆえに、殴打行為があったとすることに疑いを持つのは当然で、合理的なことである。

これらの証言は、今道に肩入れすることに始めから決めていない者からすれば、十分に「殴打行為の存在に合理的な疑いを生ぜしめるべき資料」である。

だが判決は「結局、本件現場付近に当時居合わせた前記5名の者が、被告人の殴打行為を目撃しなかったからと言って、直ちに、被告人の今道学部長に対する殴打行為を肯定する原審証人今道友信の供述の信憑性を左右するものとは認められない」という。

ではその今道の供述の信憑性はいかなるものか。「一方当事者の立場の偏頗性」は重要な問題である。文学部玄関ホールで、話し合いを拒否して逃げようと体当たりを食らわせるなどした今道は、被告と関係のない、たまたま通りかかった誰かだったのではない。

無関係な通行人が他人に殴られたと申し立て、その時の状況、様態を正確に述べるならば、近くにいた人の目撃証言が得られなくても、その供述を信憑性の高い資料として扱うことは充分考えられる。

だが、今道は、以前から百年祭・百億円募金に反対する運動を弾圧しようとしてきた人物であり、また被告を含む学生たちの処分を行おうと画策し、あるいは12.26事件で現場にいなかった被告らを含め虚偽の供述をすることで「集団暴行」事件を告訴した、特別な人物である。

彼は単なる通行人でなく、暴力事件をデッチ上げる機会をうかがっていた「一方当事者」なのであり、その彼が11.7の現場の状況や様態をいくら正確に述べ立てたからといっても、その供述に信憑性があるということはできない。

逃げようとする今道を阻止しようともみあいになった、あるいは体がもつれあったことはあっただろう。そうした瞬間をとらえて、今道が、待ってましたと「貴様殴ったな」という言葉を発したのだと推測することが充分に可能であり、自然なのだ。

判決は、今道の周囲にいた5人の証人の、今道が殴られた瞬間は見なかった、被告が殴った瞬間は見なかったという、殴打の非存在を充分に推測させる証言を無視、黙殺し、「一方当事者」である今道ただ1人の「殴られた」という申し立てを信用する。

高等裁判所は、合理的な理由なく今道の供述、証言を信用して、被告の殴打行為があったと認め、控訴を棄却しているのである。

目撃証言のうち、学生の証言についての取り扱い方は素人目にもインチキだとわかる。しかし、私の上の批判では、3名の事務職員の証言には触れていない。

他方、「もみ合い」状況については、学生2名だけではなく、複数の事務職員が目撃しており、それらの人びとの証言も得られている。その目撃状況と目撃証言について、弁護側が高裁に提出した『控訴趣意補充書』で、また、高裁判決後に最高裁に提出した『上告趣意書』で知ることができ、高裁判決の(また最高裁の)判決の不当性が一層よくわかる。 そこで『控訴趣意補充書』の一部と『上告趣意書』を次に掲げることにする。

『控訴趣意補充書』(抄) 

被告人 三好伸清
右の者に対する傷害被告事件についての控訴の趣意を次のとおり補充する。
55年12月16日
右弁護人  遠藤直哉
 同    今村俊一
東京高等裁判所第二刑事部御中
    記
殴打行為の存否に関する事実誤認および控訴手続きの法令違反について

一、別紙各写真は「貴様殴ったな」という今道発言の瞬間の現場の状況、各人の位置関係等を各証人の証言に基づき再現し、次のとおり撮影したものである。
1、撮影日時 昭和55年12月12日午後2時から午後3時まで
2、撮影場所 東京大学文学部玄関ホール(本件現場)
3、撮影者  弁護士 今村俊一
4、カメラ  キャノネットQL17
5、レンズ  キャノン40㎜ F 1・7
6、フィルム コダカラー400
7、撮影位置および方向 別紙図面記載のとおり(赤丸印内の番号は写真番号、赤丸印は当該写真の撮影位置、赤矢印は撮影方向)

二、別紙写真1の1ないし11は、原審証人M2の証言に基づき再現した現場の状況を撮影したものである(別紙図面一参照)。  
右写真によれば少なくともM2、S2、松原は被告人による殴打行為が存在したならば、これを充分見ることのできる位置関係にあったことが認められる。また関係各証拠を総合すると柏原と推認できる事務職員も、殴打行為が存在した場合、殴打箇所までは見えなかった可能性があるにせよ、腕の動き等は充分に見ることができ、殴打行為を充分に感得できる位置にいたことが認められる。

三、別紙写真2の1ないし5は、原審証人S2の証言に基づき再現した現場の状況を撮影したものである(別紙図面二参照)。
右各写真によれば、3人くらいの事務職員(この中には関係各証拠により松原がいたものと推認できる。)および佐藤、中村のいた位置からは、いずれも、殴打行為が存在したならばこれを鮮明にみることが可能であったと認められる。

四、別紙写真3は、原審証人中村健の証言に基づき再現した現場の状況を撮影したものである(別紙図面三参照)。 しかし右証言によれば、被告人の位置や今道の身体の向きは明らかでなく、従ってこれを特定することはできないのであるから、右写真によっては、中村が殴打行為を見ることの位置にいたかどうかの手掛かりは与えられない。ただ、被告人の位置や今道の身体の向き等の条件次第では、中村の位置から殴打行為を見ることは充分に可能であったことが認められる。

五、別紙写真4の1ないし3は原審証人柏原宗太郎の証言に基づき再現した現場の状況を撮影したものである(別紙図面四参照)。

右写真によれば、柏原は被告人の右手先の動きまでは見えない可能性があるにせよ、今道及び被告人と極めて接近していたのであるから、殴打行為があれば当然これを感得できる位置にいたことが認められる。

六、別紙写真5の1、2は原審証人松原幸子の証言に基づき再現した現場の状況を撮影したものである。(別紙図面五参照)。もっとも松原はそもそも今道が声を上げたことも記憶にないのであるから、松原証言のみによって同人の位置を特定することはできないが、同証言および関係各証拠を総合すれば今道発言の際の松原の位置は別紙図面五記載の位置であったことはほぼ明らかである。従って右写真は、松原が右の位置にいたことを前提に撮影したものである。
ところで、松原の証言では、被告人の位置や今道の身体の向きは明らかでなく、従ってこれを特定することはできないのであるから、右写真は、松原が殴打行為を見ることのできる位置にいたかどうかを明らかにするものではない。ただ被告人の位置や今道の身体の向き等の条件次第では、松原の位置から殴打行為をみることは充分に可能であったことが認められる。

七、別紙写真6の1ないし4は原審証人今道友信の証言に基づき再現した現場の状況を撮影したものである(別紙図面六参照)。
右写真によれば、学生二人(関係各証拠によれば、この中にM2が含まれている可能性が強い)の位置からは殴打行為を鮮明に見ることが可能であったと認められる。

八、別紙写真7の1ないし5は、被告人の原審における供述に基づき再現した現場の状況を撮影したものである(別紙図面七参照)。
右写真によればM2及び松原は殴打行為を充分に見ることのできる位置にいたことが認められる。

九、以上によれば、証人によっては位置に異同はあるが、どの位置関係を前提としても、もし殴打行為が存在すれば、証人のうちの多くはこれを目撃できる、あるいは少なくとも感得できる位置にいたことが明白となる。被告人が誰からも気づかれることなく今道を殴打することの不自然性は、以上の写真からも明らかというべきである。

---------------------------------------------------『控訴趣意補充書』(抄)ここまで

証言を行った松原、中村、柏原3氏は事務室前ホールでの今道と被告のやりとりを近くで見ていたが、いずれも、被告が今道を殴る「殴打行為」を見なかったと証言している。3人の証言は次の『上告趣意書』に再録されており、弁護人により、それら証言が殴打の非存在を推測する根拠に充分なり得ること、言い換えれば、殴打行為はなされなかったことがより緻密に論証されている。

弁護側が1981年6月に最高裁に提出した『上告趣意書』 

 〔 第一 殴打行為について  第二 傷害の不存在  第三 上告趣意  〕
       被告名、弁護士名は『控訴趣意書』と同じ。

第一、殴打行為について
一、本件殴打行為の存否において問題なのは、
(イ)11月7日以降の今道の症状が被告人の殴打行為によって発生したものとするためには、その殴打行為としてどの程度のものが要求されるか。
(ロ)本件目撃証人の目撃状況に照らし、右要求されるような殴打行為の存在を認めるのが合理的か、これを否定するのが合理的か。
(ハ)今道証言に右(ロ)の結論を左右するほどの信用性を認めうるか。
ということである。 二、(イ)について
控訴審における佐々木証言によれば、11月7日以降の今道の症状は心臓疾患に起因する塞栓症と仮定すれば最も無理なく説明できるが、ごく特殊な場合として外力による筋膜損傷の可能性も否定しきれないとされる。従って、今道の症状が被告人の殴打行為により発生したものであるとするため、その殴打行為はどのような様態、程度のものでもよいというものではなく筋膜損傷を惹起せしめるような様態、程度のものに限定されるのである。そして言うまでもなく筋膜損傷はごくわずかの力によって発生するものではなく、相当程度の外力が加わって初めて発生するものであるから、被告人の殴打行為もそれ相当の打撃力を生じさせる程度のものであることが必要とされる。本件の場合、被告人の殴打行為が存在したとすれば、それは偶然に手がふれたとか、手拳を押し付けるとか、要するにわずかの打撃力しか発生させないような程度のものではなく、相当に大きな動作を伴った激しいものであったはずである。そうであればかかる殴打行為は、こうした者〔目撃証人5人〕に目撃されたり、知覚されたりする確率は極めて高いと言わなければならない。 三、(ロ)について
1 しかるに本件目撃証人5名が5名とも殴打の可能性はおろか、その気配や衝撃すら気づいていないのである。
2 この点につき原判決は、第一に、中村証人、柏原証人は、殴打行為を見うる位置にいなかったというのであるから、この両名が殴打行為と見なかったとしても当然のことであるとする。
しかし、中村証言は次のようなものである。

Aの地点から?にいる今道文学部長は見えるわけですね。
見えます。
戸の陰になって見えないとかそういうわけではないですね。
見えます。
何かいかにもなぐるような大きな動作を学生がしていた記憶はございますか。
ございません。
(中略)
その声を今道学部長があげる前後は証人は今道学部長の方を見ていたんですか。
見ていたというか、そちらのもみ合いを見ていたということだと思います。
その時に三好君が何かその殴るような動作をしたことは記憶にありますか。
全然ございません。
(中略)
ただ非常に注意していたかどうかは別として三好やったなといった瞬間、今道文学部長の方を見ていたことは確かなんでしょう。
だと思いますね。

右証言によれば、中村証人が今道を見うる位置におり、したがって殴打行為が存在すれば当然これを見ることができる位置にいたことは明らかである。もっとも、同証人は一方で、現場は混乱していたので殴打行為を冷静にみられるような状態ではなかった旨の証言もしているが、ここからは、混乱のため殴打行為があったとしても、これを見落とした可能性があるという推論は可能としても、原判決のように、同証人が殴打行為を見得る位置にいなかったと認定することは到底できないはずである。
結局、同証人は、一瞬の見落としまでは完全に否定できないにしても、殴打行為、それも前記の程度の殴打行為があればこれを見ることのできた可能性が極めて高い状況の中にいたにもかかわらず、これをまったく見ていないし、気付いてもいないのである。

次に柏原証人は次のように証言している。
暴力をふるったと言ったようですけれども、何か学生が実際に暴力を振るったような動作をしておりましたか。
私はよくわかりませんけれども。
よくわからないというのは見ていないということですか。
はい、そうです。暴力を振るわれたことが私は分かりませんでした。
(中略)
それはもしそういう大きな動作をすればあなたは当然見えたはずですね。
はい。
もっとも同証言によれば、同証人は、今道の右斜め後方にいたのであるが、このため殴打行為の際の被告人の手拳が今道に命中する瞬間の光景までは見ることのできない可能性があるにしても右証言から原判決のように同証人が殴打行為を見得る位置にいなかったと認定することなど到底できないはずである。逆に右証言からも明らかなように同省人は、本件において必要とされるような打撃力を伴った殴打行為があれば、当然にこれに気付くことのできる位置にいたのである。

3 第二に原判決はM2証人、S2証人の証言は殴打行為を否定するほどに積極的なものではないことを理由に、これらの証言を無視している。
しかし、M2証言によれば、同証人は今道とは7、80センチの接近した位置から一貫して今道の顔を見ていたのであり、それにもかかわらず、殴打行為やその気配すら気付いていないのである。また今道の様子にもなんらの異常を認めなかったのである。同証人は「貴様殴ったな」という今道の言葉を聞くや間髪を入れず「デッチ上げを言うな」と言っているが、これは同証人の当時の主観においても被告が殴ったなどとは全く思いもよらぬこと、したがって今道の右の言葉を極めて奇異なものと感じたことの証左である。
またS2証言によれば、同証人は、第一審判決認定のような被告人が右手拳で今道の左脇腹を殴打するという様態の行為があれば、これをきわめてよく見通すことのできる位置にいたにもかかわらず、被告人にも今道にも何の以上も発見できなかったのである。
殴打行為の不存在は目撃できない。従って殴っていない、あるいは殴打行為はなかったという形の証言を求めることは事の性質上無理というものである。そうした証言の性質上の制約の中では、右、M2、S2の証言以上に積極的な形で殴打行為の不存在を表現することは不可能なのである。確かに右証言によっても、同証人らがたまたま殴打行為を見落とした可能性は否定しきれないであろうが、その可能性は非常に低く極く特殊な場合を想定しない限り考えられないとするのが右証言の素直な評価というべきである。

4 第三に原判決は、松原証人が殴打行為を目撃しなかったからといって、ことは瞬間的な殴打であるから、殴打行為の存在を否定することはできない旨判示する。しかし、中村証人、柏原証人が殴打行為をみることのできる位置ににいなかった旨の原判決の認定が誤りであることは、前記のとおりであるから、本件目撃証人は5名とも目撃可能な位置について〔「ついて」でなく「いて」か〕被告人と今道の方を見ていたのである。そして問題は、それにもかかわらず、5人が5人とも見落とす可能性がどの程度あるかということである。確かに瞬間的な事であるから目撃証人が1名であれば見落とすこともあろう。しかし、前記のように本件の場合、殴打行為があったとすれば、それは相当程度に激しいものであったはずである。にもかかわらず、5人の目撃証人全員がこれを見落とすことなど、稀有な例外としてしか考えられないのである。

5 以上要するに本件目撃状況の検討からは殴打行為がなかったとするのがはるかに自然であり合理的である。

四、(ハ)について
今道は元来、大学における学生の自主的運動に対し特異な見解と言動で知られた人物であり、当時は被告人ら学生と激しく対立していた紛争の一方当事者であり、同人が強力に推進しようとしていた文学部長室出火に関する学生処分案が学内各層からの反対により手詰まりの状況にあったのもである。従って当時の状況下において同人が窓外事件をフレームアップすることは十分に考え得ることである。また同人がそこまで意図的ではなかったとしても、大学内の紛争や会社、労働組合間の紛争等で、大勢に取り囲まれ追及を受ける等の場合、実際には何ら殴っていないにもかかわらず、あるいは単に手が触れた程度であるにもかかわらず、殴られたとして大げさに騒ぎ立て、相手がひるんだすきに逃亡することは間間見られるところであり、本件の場合もこうした可能性を否定することはできない。
しかも本件についての今道証言が微妙な点で二転三転し全体として信用できないことは第一審弁論要旨第三章に記載のとおりであるから、ここに援用する。
結局、今道証言は、当時の同人の立場からしても、内容それ自体からしても、本件目撃状況から導かれる結論を覆すに足るほどの信用性を認めることは到底できない。

五、結論

以上のとおり本件殴打行為の存否についての事実認定は、まず目撃証人の各証言を基礎に行われなければならないにもかかわらず、今道証言の信用性を無批判に肯定し、目撃証人の各証言にその評価を誤った結果、重要性を認めず、その結果として、今道証言を唯一の基礎として殴打行為の存在を肯定した原判決は、事実認定の方法と結論に重大な誤りがあるというべきである。

第二 傷害の不存在

一、佐々木証言(二審)
医師佐々木証言は、本件の今道の胸痛の原因について、二つの可能性を証言した。それは動脈塞栓症と外傷性筋肉炎である。
昭和53年11月八日の診断においては、右二つの可能性のうち、どちらが高いとも言えないということであり、同証人はその原因を確定し得なかったのである。
但し、ミオゲローゼという用語を同証人が使用する場合は、過去においては外傷性筋肉炎の場合ではなく、リューマチ等の非外傷性の疾患の場合であったということから言えば、同人が当時この疾患を非外傷性のものと推測していたものと考えるのが自然である。
また、昭和53年11月30日の診断の際の今道の痛みは、動脈塞栓症ならばこれに基づく阻血痛の継続と判定することは合理的であり、その確率も高いというが、外傷による痛みの継続(やく23日間)ということは極めてまれであり、ほとんどありえないものであるという。
右のような証人佐々木の証言からすれば、当然に動脈塞栓症の可能性が高くなるのに対して、原判決は全く合理的な説明をなし得ないままに、不可解な論理を展開している。

二 原判決への批判

1 原判決においては、11月30日の挫傷部位の特定が、十分に理由のある正当な医学的判断であるという。しかし肩甲骨運動によって痛みの部位が左前鋸筋であると判明しても、その原因が外傷によるものか、動脈塞栓症によるものかは区別がつかないものである。
右原判決の理由は、本件の原因が外傷であって動脈塞栓ではないというための材料にはなりえないのである。

2 原審は11月30日に佐々木が診断書を作成するに際し、資料となったのが今道の主訴であると言っている。しかし、胸痛の存在の訴えがあるからと言っても、阻血痛の可能性も存するわけであり、診断書の記載は佐々木が後に反省したように、根拠なく経卒に記載されたものに過ぎないのである。

3 また原判決は、今道の気分の悪化や食欲不振などの症状が本件以前にはなかったことを外傷の根拠としている。
しかし、昭和53年夏に佐々木が今道を診断したときには、気分が悪いからという理由で診察を受けているのである(一審佐々木2丁表)。一般的にも心臓の不整脈、期外収縮であるならば、動悸、苦痛、吐き気、めまい等が生じるのである(心臓病学226頁)
。 本件において特に11月7日まで右症状がなかったなどと今道は証言していない。この点の原判決の指摘は明らかに誤りである。

4 原判決は、本件以前には動脈塞栓症に基づく阻血痛を疑わしめるような訴えはなかったことを理由に挙げている。しかし、不整脈、期外収縮だからといって動脈塞栓症が必ず伴うわけではなく、本件当時において、突然に発生しても何ら不自然ではない。また佐々木は、11月7日以前には昭和53年夏に一度だけしか診断していないのであり、今道の従前の訴えから動脈塞栓症の存否を判断し得ないのである。

5 原判決は、証人佐々木の証言中には、11月30日の診断結果が誤りであったとの証言はないという。
しかし、二審における佐々木の証言によれば、11月30日に診断書の記載内容は、明らかに根拠のない診断をしたことを認めているのである。右診断書は今道の主訴とそれに基づく軽率な推測によったものであることを自白したものである。

6 以上によれば、原判決の論拠は、佐々木が11月30日に診断書を作成したことは当時においては理由あるものであるというに尽きるのである。
11月30日当時においては佐々木が本件を外傷であると推定したならば、その診断内容をもって検察官の立証としては充分であると論断していることとなる。
しかし、11月30日の佐々木の推論が誤り、あるいは経卒であることが、二審の佐々木証言によって明らかになった以上は、本件が外傷か動脈塞栓症のいずれかであるかは判定不可能なはずである。 そうであるならば、検察官に立証責任が存することからすれば、本件の立証は不充分であるといわねばならない。

第三 上告趣意 1 原判決は、経験則、採証法則に著しく反した事実認定を行った。これは憲法31条、同76条3項に違反する。
2 原判決は重大なる事実の誤認をしているのであり、刑訴法411条3号の職権の発動を求めるものである。
第三十一条
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
第七十六条
3,すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
刑訴法第411条
上告裁判所は、第405条各号に規定する事由がない場合であっても、左の事由があって原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、判決で原判決を破棄することができる。
判決に影響を及ぼすべき法令の違反があること。
刑の量定が甚しく不当であること。
判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があること。
再審の請求をすることができる場合にあたる事由があること。
判決があった後に刑の廃止若しくは変更又は大赦があったこと。
刑訴法第405条
高等裁判所がした第一審又は第二審の判決に対しては、左の事由があることを理由として上告の申立をすることができる。
憲法の違反があること又は憲法の解釈に誤があること。
最高裁判所の判例と相反する判断をしたこと。
最高裁判所の判例がない場合に、大審院若しくは上告裁判所たる高等裁判所の判例又はこの法律施行後の控訴裁判所たる高等裁判所の判例と相反する判断をしたこと。


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