資料B2 『控訴趣意書』80年9月16日

控訴趣意書には、ページ付けも目次もないが、代わりに、項目を掲げる。 第一、事実誤認
一、傷害の不存在
 (一) 診断経過 1.11月8日 (佐々木医師)  2.11月10(沢井医師) 
         3. 11月14日(沢井医師) 4.(佐々木医師) 
 (二)今道証言の信用性
 (三)筋硬症の消滅

二、殴打行為の存否に冠する事実誤認及び訴訟手続きの法令違反
第二 公訴権濫用についての事実誤認及び法令解釈の誤り
一、今道文学部長の反百年反処分闘争に対する姿勢
 (一)文学部百億円募金非協力声明の一方的破棄、空洞化
 (二)今道の話合い拒否路線
 (三)学生処分策動とそれに付随する様々な弾圧
二、本件逮捕・起訴の不法性
  1.嫌疑の不存在 2.余罪捜査の範囲の逸脱・別件逮捕 3.捜査当局の不法な意 図 4.嫌疑なき起訴 5.不法な目的による起訴 6.違法な逮捕・勾留に基づく起訴

 なお、「控訴趣意書」とともに「鑑定書」及び「鑑定補充書」が提出されている。

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控訴趣意書

 被告人    三好伸清

右の者に対する傷害被告事件についての控訴の趣意は次のとおりである。

                昭和55年9月16日

右弁護人   遠藤直哉
  同    今村俊一

東京高等裁判所第二刑事部  御中

第一、事実誤認
被告人は今道友信を殴打していないのであり、本件は無罪である。それ故、原判決には事実の誤認があり、それは以下のごとく明らかに判決に影響を及ぼす誤認である。
よって判決はすみやかに破棄されるべきである。

一、傷害の不在

(一)診断経過
1.11月8日(佐々木医師)

(1)佐々木証言によると、この日の診断においては、今道の胸部又は背部には、出血、あざ、発赤、腫脹等は一切なかったという。すなわち、通常、外傷の発生には右のごとき症状が伴うのが普通であるのに、本件においては、全くそのような症状がみられなかったのである。この点において、本件が通常の傷害事件と明らかに異なるものであることを充分銘記しなければならない。
むしろ右のことから言えば、傷害は存在しなかったと言うべきなのである。
それ故、佐々木も、今道が傷害を受けたと訴えていたにもかかわらず、この時点においては、傷害が存在したとは考えていなかったのである。客観的痕跡がない以上、医師としては外傷ありとは診断し得ないからである。外傷ありというような記載は全くカルテにはないのである。このことは、佐々木が傷害に対する薬を出さず、治療を全く行っていないことからも明らかである。鎮痛剤はもちろん、湿布薬も出していないのである。

(2) 他方、これに対して、この日のカルテには、ミオゲローシスという記載が存在する。このミオゲローシスという言葉は、急性の外傷性炎症には絶対に使用しない言葉である。けだし筋肉の疲労(たとえば肩こりのようなもの)によって発生するものであるからである。鑑定書、および鑑定補充書によれば、ミオゲローシスとは、筋肉の過労によって発生する慢性的症状を指し、直達外力による外傷性炎症を指すものではないと断定されているのである。 このことからも、この言葉が記載されていても全く外傷の証拠たりえないのである。
佐々木がたまたまこの言葉を医学的常識に反して外傷を指すものとして使用したということもあり得ないのである。けだし、カルテに記載する医学用語は他の医師にもわかるように用語を正確に用いるのが義務だからである。
それ故、ミオゲローシスの存在は、外傷以外の疾患(例えば、リューマチ、動脈硬化)の存在を充分推測せしめるものである。ただし、佐々木自身、必ずしも、右ミオゲローシスの存在を確知したわけではない。触診したのであるが、はっきりその部位、症状、原因はつかんでいないのであり、右ミオゲローシスの存在そのものがなかった可能性も充分あるのである。
また、佐々木は、このミオゲローシスは背部にもあると証言した。しかしこれに対し今道は、左胸部の部分を殴打されたと証言した。殴打された部位と異なる部位にミオゲローシスが存在したのである。これが殴打された痕跡であると言えるはずがないのである。このことからも、本件傷害は存在しなかったことが明白である。

2.11月10日(沢井医師)
今道はこの日に内科の沢井医師の診察を受けている。そもそも11月8日にも内科の佐々木医師の診察を受けているが、今道が、11月8日から保健センターに通ったのは心臓病検査のためと言えるのである。外傷の治療ならば外科に行くのが常識であり、かつ保健センターには外科もあるのである。
そこで11月10日には、心臓の診察の結果、期外収縮及び不整脈が起こっており、その旨の診断書が交付されている。澤井医師は聴診器を当てているが、今道が痛がったりしたこともなく、発赤や腫脹等は存在しなかった。今道自身もそのような訴えをしていない。それ故、外傷についての治療もなされていない。また仮に、内科に来たついでに心臓だけでなく外傷についての検査をしてもらっていたとするならば、そして、今道が原因は何であれ本当に痛みを感じたならば、それを訴えなかったのはまことに不思議と言わねばならない。なぜなら11月14日には痛みを訴えているからである。この11月10には全く痛みを訴えていないのであり、そもそも外傷による筋肉炎などはなかったと言わねばならない。

3.11月14日(沢井医師)
この日は今道は気分が悪いと言っている。明らかに期外収縮による気分の悪化である。食欲不振をも訴えたのでフェストールという消化剤を出しているのである。これらの症状が外傷によるものではないことは常識的に考えて明白である。
また今道は、背中の部分に痛みがあると訴えた。沢井医師はこれを本人の訴えるままに図示したのであるが、それ以上詳しく検査せず、また原因についても詳しく問診をしていない。ましてや外形上の変化も見られなかったのである。つまり、この痛みについて澤井医師は程度の軽いものと考えたことは間違いないのである。場合によっては、心臓病に起因する痛みや、肩こりと似たような筋肉疲労に伴う痛みとも考えられるのである。それ故、澤井医師はサロンパスに似たような湿布薬のパテックスを出したにとどまったのである。鎮痛剤のような強い薬もださなかったのである。
そして決定的なことは、この痛みが、被告人の暴行によるものでないということである。今道は、被告人が今道の前部のほうを殴打したと証言しているのである。決して背中の方を殴ったとは言ってないのである。
また、仮に、背中の痛みが暴行によるものだとすれば、背中の二つの痛みのうち、どちらが暴行によるもので、どちらがその他の原因によるものであろうか。まったく不可解な結論となる。
また仮に今道が暴行による痛みとして沢井医師に訴えたのだとすれば、その主訴は痛みの部位が特定できないほどあまりに漠然としていたか、数か所殴られたという趣旨のことを言った可能性が存するといわねばならない。

4.11月30日(佐々木医師)
この日には、診断にとって唯一の客観的資料であった筋硬症(ミオゲローシス)は消えていた。佐々木医師は果たしてこの日の診断で、どうして今道の身体に外傷があったと診断し得たのであろうか。
すなわち、11月8日の時点では、今道の痛みについての訴えを聞いて診察してみたが、痛みは広範囲であるし、ミオゲローシスの症状もはっきりつかめず、結局、痛みについての部位や原因ははっきりしないと佐々木は証言しているのである(佐々木29丁)。心臓病との因果関係も考えたりして、よく原因がわからないから、薬も出さなかったと証言しているのである。
それなのになぜ、約1か月後になって、原因が外傷であり、かつ部位が特定できることとなるのであろうか。このような診断が不合理であることは素人でもわかるのである。
ましてや今道はこの日にも左胸部全体が痛むと訴えているのであり、暴行の部位が特定し得るはずはないのである。 特別にある部位が痛いということもなかったのである。肩甲骨運動をさせたところで、痛みが一か所ではないのだから、外傷の場所を特定し得るはずはないのである。
また仮に今道が一か所について圧痛があると訴えたところで、今道は、11月8日以来、痛みについて極めてあいまいな訴えを続けていたのであったのだから、そのような訴えは信用できないことは当然である。
それ故、この日の佐々木の診断書作成は、その後の影響を考えずに、あまりに安易に作成したものと言わざるを得ない。そのような軽率な行為をした佐々木は、法廷ではかなり無理な証言を続けたのである。たとえば、11月8日に投薬しなかった理由として、急性炎症でひどい圧痛があったため、薬、内服薬でさえ使用しない方がよいと考えたという、非常識な証言をした。(沢井医師はこのような趣旨については否定する証言をした。)
また傷害の部位について変転極まる証言を続け、ついには、もみ合いの場合には数回殴打された可能性も存するから、数か所の部位に傷害が成立することもあるという趣旨の証言すらしたのである。以上によれば、佐々木医師は外傷の存在を確認しえてなかったと言わねばならない。

(二)今道証言の信用性

以上のごとき診察経過に照らせば、今道が著しく誇張した証言をし、あるいは虚偽の証言をしていることは明白であろう。
その例は次のごとくである。
イ.11月8日においても発赤が存在したと証言した。明らかに佐々木証言と矛盾する。
ロ.11月8日に鎮痛剤(内服薬)と湿布薬を出されたという。傷害の存在と程度の大きさを誇張するためである。これも佐々木証言と矛盾する。
ハ.殴打された部位については背中の方を示したことはなく、証言が変転しているものの、身体の前部の方を指していたのである。
事件の時から日時が経過したので、以前に医師に言った内容を忘れて、デッチ上げの証言をしたのである。あるいは殴打されたことがなかったので、医師には漠然たる主訴をした結果、カルテルに前記の如き記載がされたが、今道はその記載を知らなかったのである。

(三)筋硬症の消滅

証人佐々木は、筋硬症は、2~3日あるいは1週間くらいで消えるものだと証言した(佐々木44丁)。もし佐々木が医学的常識に反してミオゲローゼが外傷によっても発生するものだと考えてこの言葉を使用したと仮定しても、ミオゲローゼが2~3日あるいは1週間にて消失したときには、外傷性筋肉炎そのものが消失したと考えるのが自然であろう。仮にミオゲローゼ消失後痛みが継続するとしても、果たして何日継続するであろうか。本件の場合、11月15日からとして、1月30日まで、約15日間も継続することとなってしまう。これはありえないことであろう。この点からも佐々木医師の11月30日の診断は極めて非常識であり、また今道が本当に痛みを訴えたなら、それは外傷を原因とするものではなく、ほかの原因に基づくものと言わねばならない。

「二.殴打行為の存否に関する事実誤認および訴訟手続きの法令違反 」に続く ----------------------------------------------     鑑定補充書

 昭和55年3月11日付鑑定書に関して、下記の通り補充します。

(1)Myogeroseについて
1.Myogeroseとは、「神中整形外科学」によれば、「F,Langeが筋の過労により限局的に筋肉の疼痛性硬結を起こした状態に与えた名称である」。
これをわかりやすく説明するならば、 Myogeroseとは、持続的に続いた筋肉の過労によって発生する筋硬結であり、これは慢性的症状を意味するのである。
すなわち、筋肉の血行障害や痙縮〔けいしゅく〕等による局所の異常な状態が一定期間持続することにより漸次進行して二次的にでき上った病像を指す。この「神中整形外科学」の定義によるならば、Myogerose発生の原因は筋の過労であるから、(直達)外力を原因とする打撲のような外傷性筋肉炎に対して翌日の診断でMyogeroseという診断用語を使用することは考えられない。因みにこの「神中整形外科学」は、日本において最も信頼されてきた古典的名著であり、現在においても最も標準的な教科書とされている。それ故、上記の定義に従ってMyogeroseを解釈することが最も妥当と考えられる。
  〔最近の紀伊国屋書店HP によっても、「神中整形外科学」は「初版刊行以来60余年にわたり,多くの整形外科医に愛用されてきた,わが国で最も権威ある整形外科学書」だという。須藤の注〕

2.Myogeroseという言葉は、その他の書物によっても上記の意味とほぼ同様の意味に用いられている。
たとえば「片山整形外科学5」p566によれば、結合織炎に関連して説明されているが、「(結合織炎は)筋肉の疲労によっても発生するもので、ドイツでは以前から筋硬結MuskelharteあるいはMyogerose と呼ばれていた」とされている。

また「片山整形外科学1」p56には、「Myogeroseの名称は、Lange,Mによってつけられ、急性・慢性リュウマチ、筋の持続的あるいは急激な使用、または新陳代謝疾患などに証明される」、あるいは「筋硬結はSchadoやLange,Fが、リュウマチなどのさいの筋痛の原因が筋自体のなかに他覚的に証明し得る変化として、存在するや否やを研究した結果見出したものである」と説明されている。このような説明によっても、Myogeroseという言葉を外傷性筋肉炎に使用することは困難である。

(2)外傷性筋肉炎について
胸部あるいは腰背部に対し、一回手拳にて殴打したという事態を想定して、下記のとおり説明を加える(なお、骨についての異常はあるいは痛みはないものと仮定して論述する)。
1.外力を加えられた部位に、腫脹、発赤、熱感、圧痛、自発痛、運動痛が若干なりとも発生する。その周辺にそれらの症状が現れたとしても、あくまで外力をくわえられた部位を中心に発生するものであり、中心部分より周辺部分の方によりその症状が顕著であることはない。それ故、外力をくわえられた部位は容易に特定できる。もちろんそれらの症状が著しく軽い場合には、その部位の特定が困難になる場合もある。

2.外傷性筋肉炎について、炎症を鎮静させるために治療を必要とする場合には、炎症の慢性化を防ぐため直ちに受傷部位の清潔、安静と同時に積極的に冷湿布あるいは薬物投与を行い炎症および疼痛を鎮静させるのが通常である。そのような治療を行っていないということは、外傷性筋肉炎が存在してなかったか、あるいはそのような治療を必要としない程その症状が軽かったものと考えるのが常識的である。

 昭和55年3月26日
東京都千代田区神田駿河台2丁目5番地  三楽病院整形外科
         医師  矢野英雄
                    ----------------------------------------------〔「鑑定補充書」ここまで。以下は、『控訴趣意書』、第一、事実誤認、一、傷害の不存在、(一)診断経過 に続く(二)今道証言の信用性 である 〕

(二)今道証言の信用性
以上の如き診察経過に照らせば、今道が著しく誇張したた証言をし、あるいは虚偽の証言をしていることは明白であろう。
その例は次のごとくである。
イ、11月8日においても発赤が存在したと証言した。明らかに佐々木証言と矛盾する。
ロ、11月8日に鎮痛剤(内服薬)と湿布薬を出されたと言う。
  傷害の存在と程度の大きさを誇張するためである。これも佐々木証言と矛盾する。
ハ、殴打された部位については、背中の方を示したことはなく、証言が変転してはいるものの、身体           の前部の方を指していたのである。
 事件のときから日時が経過したので、以前に医師に言った内容を忘れて、デッチ上げの証言をしたのである。あるいは殴打されたことがなかったので、医師には漠然たる主訴をした結果、カルテに前記の如き記載がされたが、今道はその記載を知らなかったのである。

(三)筋硬症の消滅

 証人佐々木は、筋硬症は、2~3日あるいは一週間くらいで消えるものだと証言した(佐々木 44丁)。もし佐々木が医学的常識に反して、ミオゲローゼが外傷によっても発生するものだと考えてこの言葉を使用したと仮定しても、ミオゲローゼが2~3日あるいは一週間にて消失したときには、外傷性筋肉炎そのものが消失したと考えるのが自然であろう。仮にミオゲローゼが消失後痛みが継続するとしても、果たして何日継続するであろうか。本件の場合、11月15日からとして11月30日まで、約15日間も継続することとなってしまう。これはあり得ないことであろう。この点からも佐々木医師の11月30日の診断は極めて非常識であり、また今道が本当に痛みを訴えたなら、それは外傷を原因とするものではなく、ほかの原因に基づくものといわねばならない。

二.殴打行為の存否に関する事実誤認および訴訟手続きの法令違反

1.原判決は、証人に森田暁、同佐藤寿一、同中村健(*)、同柏原宗太郎(*)、同松原幸子(*)の、被告人が今道友信を殴ったところは見ていない旨の各証言を一切無視し、トラブルの一方当事者である今道の証言のみに基づき殴打行為を認定した。
      〔 注(*)の3人は文学部事務職員 〕
しかし、右目撃証人の位置関係、目撃状況等に照らせば、右各証人の誰からも目撃されることなく被告人が今道を殴打することは極めて不自然である。また、唯一、殴打行為の存在を肯定する今道証言は、同証人が被告人ら学生に対する対立当事者として偏頗な立場にあるものであるうえ、殴られた際の被告人との位置関係、傷害の部位等重要な部分で微妙に二転三転しており、全体として信用するに足りないものである。右の諸点の詳細については原審弁論要旨第三章で述べたところを援用する。結局、本件においては原審で取り調べられた各証拠を総合すれば、殴打行為を認定することの不可であることは明らかである。

2.しかるに殴打行為を認定した原判決は事実認定を誤ったばかりでなく、前記目撃者証人の証言を、殴打の現場を直接目撃していない者の証言として無視し、今道証言のみ一方的に信をおいて事実認定を行った点において、証拠の評価、取捨選択に関する経験則に違反し、自由心証主義の合理的範囲を逸脱したものであって、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、速やかに破棄されるべきである。

第二 公訴権濫用についての事実誤認及び法令解釈の誤り

以上みたように、原判決は「罪となるべき事実」について全く誤認している。そしてその事実誤認に依拠して逮捕及び勾留の違法性を却けている。その事実誤認からも原判決が棄却されることは当然であるが、一方原判決は、公判で立証された今道文学部長の姿勢、百億円募金に反対し処分に反対する学生を一方的に断罪し権力的に対処する姿勢を無視し、本件傷害事件が捏造されたものであることを一切見ようとしていない。
被害届提出から公訴に至るまでの経過を見るならば、本件傷害がデッチ上げであり、原判決は棄却されるべきであることは明らかである。以下に、原判決の無視した諸事実を述べ、逮捕・勾留の違法性と公訴権の濫用を示し、本件がフレーム・アップに基づく政治的弾圧であること、本件被告人が無罪であることを明らかにする。

一 、 今道文学部長の反百年・反処分闘争に対する姿勢

今道はきわめて特異なタイプの「学者」であり、自らの専門的学問研究の営みが絶対的な価値を有するという信念の下で、その営みに阻害的と彼が判断するものを排除するために極めて強引なあるいは奸計を用いたやりかたで対応してきた人物である(書証14号)。
その今道の姿勢は「百億円募金」に対しても貫かれており、募金に反対する、あるいは学生処分に反対する学生を事実のねつ造もいとわず、弾圧しようとした(書証5号、6号、2号、8号、37号)。

(一)文学部募金非協力声明の一方的破棄、空洞化
1977年東大創立百年を期して計画された百年祭記念事業―百億円募金に対して、学生・職員は東大百年の歴史の問題性・反人民性を指摘し、それらをステップとして画策された立川移転―東大再編合理化に異議を唱えて様々の反対運動を行った。同年10月文学部では学生400にのぼる募金反対署名がなされ山本文学部長(当時)はその署名を受けて文学部有志との交渉で「文学部は募金に協力しない」旨の確認を行い、公表した(書証12号)。
しかしこの募金非協力確認は秘密裡に一方的に破棄され、山本文学部長は学外に逃亡し翌年3月引責辞任した。学生との話し合いを行わず、一方的に確認を破棄した大学当局に対して、文学部学生院生有志は78年1月文学部長室に坐り込みを開始し、話合いを要求した。その間文学部評議員であった今道は確認破棄を推進し、さらに坐り込み闘争に対しては、話合いを拒否しつつ、入試を口実とした3月3日の機動隊導入を先導し、78年4月文学部長に就任した(篠田、柴田(*)証言)。
  〔 注(*)篠田は当時の学友会委員長、柴田は山本前学部長学外逃亡時文学部長代行。〕

(二)今道の話合い拒否路線

確認の一方的破棄、機動隊導入という当局の強権的対応に対して、同年4月以降文学部生の間から広範な糾弾の声が上がり、9年ぶりの学生大会成立、ストライキなどの運動の高揚を背景に、反百年を掲げた対文学部教授会団交が勝ち取られた。しかし、その断交において今道は「要求にはとうてい応諾できない」「教授会の姿勢を浸透させ説得するためにきた」と発言し、学生の真摯な要求をすべて無視し、自らの意を押し通そうとしてきた。その姿勢は学生を一方的に非とする態度として終始続き、7月7日第三回団交では自らは保健センター医者佐々木と打ち合わせておいて逃亡し(第5回公判沢井証言15-17丁)、その後ウソと歪曲で塗り固めた理由を作りあげて団交を破壊したのである。(書証20・38・3・39・41・43・44・45・6各号)
また坐り込み闘争に対しても、一貫して有志を悪者として描くことに努め(書証5号)、78年5月15日国会調査団の「視察」がなされるなど、政府-文部省の弾圧要請が出る中、同年8月今道自らが率先して「傷つかないうちに出ていけ」と坐り込みを行っている学生をどう喝し、機動隊導入をほのめかしていた(書証7号)。
要するに今道は、学生との話し合いをすべて拒否しつつ、逆に学生の異議申し立てを力ずくで抑え込もうとしていたのである。

(三) 学生処分策動とそれに付随する様々な弾圧

このように今道が団交を破壊し話し合いを拒否してくる中で、同年9月22日文学部長室で火災が発生した。火災は原因が不明であった(書証3、4、25、26、42号)しかし、文学部教授会今道執行部はdue process を欠く強引な対応を行ってきた。すなわち、この火災を、「市民法」的基準をも無視して学生の様々な運動の規制・弾圧を行なう口実としたのである。文学部周辺の立て看板の全面破壊や、それに抗議する学生の集会に対して、今道自ら先頭に立って襲いかかる殴るけるの暴行をふるい、文学部学生ホールを夜間ロックアウトするなど、火災と関係ない活動をも規制・圧殺しようとした。他方、火災に関して今道は学生処分を行う姿勢を明らかにしてきた。最初は「その原因が明らかにされるのを待って、その責任を徹底的に糾明」(書証33号)と言っていたが、火災の原因が未だ明らかになっていない段階で「出火の直接的原因が何であれ---何らかの意味で火災の責任からのがれることはできない」(書証2号)として強引に学生処分を行おうとしてきたのである。これは、一方では、政府-文部省の動き、火災直後に砂田文相(当時)が学生処分や損害賠償等の措置を大学当局に指令するという動きに応えるものであった。また、警察当局もこの動きに連動して、火災当日学生を強制的に連行し10数時間にわたって拘束・取り調べを行ない、その後も呼び出しを続けるなど、違法ともいうべき強制捜査を行っている。
この理不尽な当局の対応、とりわけ今道の「市民法」をも無視しての弾圧姿勢―学生処分策動に対して、文学部生から当然にも、批判が上がり反撃の闘いが行われた。文学部学生院生有志は「闘争キャンプ」を設営して教官の弾圧責任を問い、話合いを要求していった。また学友会(自治会)では10月末に今道の学部長退陣要求署名が提起され、1週間で200を超え2週間で300近くに達した。さらに11月15日処分「復活」攻撃粉砕全学総決起集会に250名が結集、11月22日文学部学生大会で処分粉砕・今道退陣を要求する4波11日間のストライキが決議された。
学生の処分反対運動の盛り上がりに対して、今道学部長は、処分への布石としての様々な措置・キャンペーンによって学生を一方的に断罪し、学生の分断をねらうという極めて政治的な対応を行った。すなわち、10月18日文学部学生ホール夜間自動消灯開始とともに、闘争キャンプに対して学生実名入り警告文を出し(書証36号)、10月末から11月初めにかけて立て続けに実名入り警告文を乱発した。また11月6日に全文学部生にあてて郵送文書を送り「失火の可能性がきわめて高い」という予断・推定に基づく主張のもと、出火当夜現場にいたとして学生の名を列挙し当該者の名誉棄損ともいうべき行為を行い、今道退陣要求署名に惑わされることのないように学生に呼び掛けている(書証8号)。この間のキャンペーンが、処分への布石、また学生の処分反対運動の分断・妨害を目的としていることは明らかである。
この動きの中で、今道はさらに、11月8日に11・7「暴行」警告文をだし、11・22学生大会直前にストライキ方針への留年どう喝をまじえた警告文、そして第一波ストライキの最中11月30日には保健センター医者佐々木に11・7「傷害」診断書の作成を依頼している。11・7「暴行」とはこうして今道退陣要求署名の急増する中で、処分に反対して運動している者たちを「悪者」に仕立て上げ、学生の分断をはかり自らの立場を正当化することにより、学生処分の正当性をも得ようとしてデッチ上げられた「事件」である。そして学生大会の決議が上がり処分が困難となる中で、突如「診断書」の作成を依頼していることからも、その「暴行」が政治的にデッチ上げられたものであることがわかる。(11月14日にも今道は診断書の作成を依頼しているが、それは心臓病に関してである。)
この後にも今道は学内広報を通じて実名掲載などを行っている。12月26日に学友会は今道に対して話し合いを要求したが、それに対しても「暴行」キャンペーンを行なってきた。そこでも今道は、学生の要求に耳を傾けようとせず、多数の職員を動員して力ずくで話し合いを拒否し、元気で歩いているにもかかわらず救急車を呼んで逃亡したうえで、「暴行」デッチ上げを行なったのである。

二、本件逮捕・起訴の不法性
〔以下に関しては、『冒陳』第5章「本件逮捕及び起訴の不当性」p75~も参照のこと。須藤の注。〕

                       今道が目論んでいた学生処分は、しかし、全学的にも強い反発にあうこととなる。12月6日には東大教官60余名の賛同をもって「学生処分復活反対全東大集会」が開かれ(第9回公判折原証言)、また強要学部磯田評議員、農学部望月評議員、応微研長谷所長らの処分に反対、あるいは疑問の表明があり、山村医学部長は交渉の席上、処分に反対する旨の確認を行った(書証27号)。このように、当局内部においても処分に反対する意見が公然化し今道の独走を憂慮する意見が全学化した(同折原証言)。こうした情況に追い打ちをかけたのが、本郷消防署により文学部長室火災は「原因不明」であると結論されたとの報道である(書証25,26号)。更に文学部学生大会において処分反対の決議が上がり、東大当局としては69年に学生と交わした「一方的処分は行わない」とした確認と違背する形での処分しか行いえない状況になっていたのである。
この事態は、すでに文学部よりの処分上申を行なう段階、すなわち2月上旬には今道・文教授会にも理解されており、処分は不可能ということが共通の認識として形成されていたのである。そのことは文学部よりの処分上申書中の「なお、本学ではここ10年程学則にもとづく学生の処分は行われていませんので、その点もご配慮の上、よろしく御取り計らい願います」(書証4号)という文句にも反映されており、現実的にも、3月27日付総長声明(書証4号)により、処分は断念するという結論に至っているのである。
一方、9月22日の文学部長室火災事件については、79年1月中旬より2月上旬にかけて2度にわたって東京地裁刑事14部から「被疑者不詳の文学部長室失火事件」について証人として喚問したいとの召喚状が、火災当日文学部長室にいたとされる学生たちに送付された。が、この証人召喚には、(一)学生たちはすでに任意の取り調べに応じており、この召喚の法的根拠となっている刑訴法226条の適用が不当である。(二)事実上被疑者扱いされてきた学生たちに対して、仮に被疑者であるなら本来保障さるべき正当な防御権をも剥奪して行われる密室での証人尋問には重大な人権侵害の恐れがある。(三)すでに消防署が「原因不明」と結論を出した後の時点での、証人召喚には政治的意図がきわめて濃厚にうかがわれる等の問題点があり、学生らは出頭を拒否、また広く法律家・教官・市民らも含む各階層の抗議の声が上がり、結局この証人召喚は実現されなかった。
今道が12月26日の事件、11月7日の事件の被害届を提出したのはそれぞれ、79年2月6日、同2月8日であり、この証人召喚が挫折しかかっている時期である。すなわち、東大の学生運動に対する介入を狙い、証人召喚により火災事件を立件しようとの目論みに失敗した警察・検察当局は、「暴行」-「傷害」の立件化に重点を移し、途方、処分が不可能な状態へと追い込まれていた今道は、この警察・検察の動きに同調して、この時点で12月26日、11月7日両日の被害届を提出したと考えられるのである。法廷での証言でも、今道は事件発生後3か月も経たこの時点での被害届提出について何ら説得的な理由説明を行なっていない。
79年2月14日に、今道自身の強い要請によって東大構内に多数の私服警官・機動隊が導入され、その時に被告人を含む3名の学生が、12月26日の暴行容疑で逮捕された。当日の警察力の学内への導入は、向坊総長によれば、東京大学の10時退出規定に基づいてなされたとしているが、現場で列を作って構外に帯出しようとする学生を私服警官が押しとどめ、機動隊の到着をまってその場にいた学生全員の顔写真をとり、氏名を確認し、被告らを逮捕していったのである。
今道は12月26日の事件の被害届を出した際に8名から10名の名前をあげたと証言している(第7回公判)し、また被告人ともども処分の対象とされていた他の2名の学生をもあわせて逮捕したいと目論んでいたことも明らかにしている(書証24)。処分対象とされた残りの2名というのも、9月22日火災当時現場に居合わせたとされる学生たちであり、警察当局としてはその捜査を目的に、また今道としては処分がダメなら刑事事件化という要求に共に合致した人間だったのである。
12月26日の「暴行」容疑で逮捕した3名について、いずれも被疑事実となった事件についての取り調べは二次的なものであり、須藤に対してはもっぱらいやがらせを旨とした尋問(第9回公判証言)、篠田に対しては、文学部における学生運動の内情等に取り調べが集中したのである(同篠田証言)。そして逮捕の理由となった12月26日の事件については結局本件被告人を含めて誰一人として起訴することはできなかった。とりわけ、被告人がその現場にいなかったことは柏原・須藤の証言(第 回、9回公判)および被告人の供述からも明らかであり、このことは本件被告人の逮捕が今道執行部によるデッチ上げ被害届に基づく違法な逮捕であったことを示している。
以上の経緯を踏まえてみるならば、本件逮捕・起訴は次の諸点において違法である。

1.嫌疑の不存在

被告人の逮捕・勾留の被疑事実は、一貫して12月26日の事件であり、現場共謀による暴力行為等処罰に関する法律第一条違反である。しかし、現場共謀であるなら、嫌疑をかけられる対象は少なくとも現場にいた者でなければならない。しかるに被告人は現場にいなかったのである。この事実は逮捕後でなくては判明不可能だったのではなく、捜査過程で当然判明可能な事実であった。しかるに捜査当局は「紛争状態」の一方当事者である今道の供述をうのみにし、あるいは別途の意図をもって被告人の逮捕・勾留自体を目的としたためあえて事実の確定を行わずに逮捕に及んだのである。いずれの場合にもこの逮捕・勾留は適法であると言い難い。

2.余罪捜査の範囲の逸脱・別件逮捕

本件逮捕は9月22日文学部長室出火事件という社会的重大事件を捜査する意図にて、これとは全く無関係なかつそれ自体起訴もできないような12月26日の「暴行事件」を利用して逮捕したものである。これは違法な別件逮捕である。 また余罪捜査は令状記載の事件と密接な関連があり、より軽微な事件についてのみ許されるものであるのに、本件においては勾留の途中から逮捕容疑とは全く関連性がなく、より重い犯罪である11月7日「傷害」事件について操作し、起訴することとなった。これは令状主義を潜脱する違法な勾留に基づく基礎である。

3.捜査当局の不法な意図

以上のように本件被告が逮捕・勾留された経緯を見るならば、捜査当局は、当初よりほかの事件の捜査に流用する意図をもって、あるいは文学部における闘争弾圧の目的のために被告らを逮捕したことは明白である。逮捕理由となった「暴行」事件では誰一人として起訴し得なかったこと、更に、勾留期間中この「暴行事件」について実質的捜査は何らなされていないにもかかわらず、23日間という長期勾留を続けた事等からも捜査当局の意図は裏付けられる。このように本件逮捕・勾留は、運動弾圧と令状主義の潜脱を当初から意図してなされたものであり、明らかに違法なものである。

4.嫌疑なき起訴

検察官が本件起訴に踏みきった基礎は、今道本人の供述調書と、医師のカルテのみであり、他に目撃者の調書等一切存在しない。右カルテも受傷事実等に関しては今道の主訴をそのまま記述したものであり、暴行―傷害を何ら客観的に証明するものではない。すなわち本件起訴は唯一今道の供述のみに基づいてなされたものである。
前述したように今道は「紛争」の一方の当事者であり、また12月26日事件では実際に現場にいなかった被告らを居たとする虚偽の供述をするなど、今道の供述にはその信用性に重大な疑問があり、この供述にのみ依拠した本件起訴は起訴できるだけの嫌疑がないのにあえて行われた不法な起訴である。

5.不法な目的による起訴

このような嫌疑なき起訴に検察官が踏みきったのは、第一に政府・文部省、今道らの意に迎合して学生の運動弾圧のために起訴が必要だったからであり、第二に、9月22日火災、12月26日「暴行」事件いずれも起訴することができなかった捜査当局の面子をつくろうためであった。本件起訴はかかる不法な目的に基づく、訴追裁量権を濫用した違法な起訴である。

6.違法な逮捕・拘留に基づく基礎 本件逮捕・勾留の違法性については前述のとおりであり、かかる違法な手続きを前提としてなされた本件起訴は検察官に課せられた適正手続き順守義務に違背するものであり、この点においても本件起訴は違法である。
以上のような様々な問題点を前提とする本件公訴は当然棄却されてしかるべきであるが、第一審においてはこれを無視し、公訴棄却をなさなかった点において事実誤認の誤り、並びに法解釈の誤りがあったというべきである。

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