第24話 フレーズの切れ目=歌の切れ目

以前のコラムで、魂の入った良い演奏を「歌っている」と表現しましたね。

歌っている=歌心があると考えて頂いてよいのですが、これは管楽器が元々歌うように発声(演奏)する事から来ています。

初期のJAZZのコルネット(トランペット)王、”キング”・オリバーは自分のバンドマン達との仲がうまく行かないときには、口で話しかけることは一切せず、そのかわりコルネットだけで”話し”たとか。

また、元祖クール・テナーサックス奏者、レスター・ヤングがサックスで話したことの85%は、ちゃんと意味が理解できたと言います。

管楽器は肉声直結なので分かるような気がしますが、でも打楽器だって会話が出来るんです。

アフリカの原住民は太鼓を使って隣村と通信していました。それも原始的なモールス信号といった類ではなく、言語の発音そのものの再表現であった為、リズムもより陰影を含み複雑なもので、JAZZでも当然この伝統は受け継がれているのですね。

このように、JAZZにおける楽器の音は肉声の代理であることから、「JAZZの演奏=メンバー同士の会話」とは以前書いたコラムの通りです。

しかしながら、ここで注意して頂きたいのは、話には句読点、切れ目が必ずあるということです。

バッキングとしてのドラムやベースは、ビートを紡ぎ出す為に音を切らす事はしませんが、ソロの場合は話(=フレーズ)なんですから、区切りを与えなければなりませんね。

管楽器の場合は必然的に息継ぎをしなければなりませんので(ノン・ブレス奏法は考えない)フレーズの長さがそれなりに制限されますが、困った事にギターなどの弦楽器の場合は延々と弾きまくる事ができてしまいます。

それは弦楽器の特徴であり特権と言えなくもないのですが、会話としては切れ目のない「立て板に水」で、ちょっと聞いている方はしんどいです。

そうならない為には、ギターであれピアノであれ、自分のフレーズを歌いながら弾くのが一番。そう、ちょうどジョージ・ベンソンのように。

歌には息継ぎがあるわけですから、フレーズも必然的に息継ぎ単位になる訳で、実はこれがちょうどいい案配の「句読点」なんです。

過去に私がギターのクリニックを受けた山木先生(※第6話コラム参照)も「息をしてフレーズを弾きなさい。そうしたらフレーズが生きてくる。」とおっしゃっていました。

あるミュージシャンがチャーリー・パーカーに「どうすればあなたのようにサックスが吹けるのですか?」と質問したところ、パーカーは「楽器が自分の肉体の一部になるまで練習しなさい。」と言ったそうです。

そうなれば本当の「肉声」。間違いなく「歌っている」と言えますね。

文: クリフォード・伊藤

ボーカリーズ / マンハッタン・トランスファー

ボーカリーズ / マンハッタン・トランスファー (AMCY-2724)

ボーカリーズとは、楽器のフレーズそのものを歌詞を付けて歌ったもの。

「歌うように楽器を吹きなさい」はその通りだが、「楽器が吹く通りに歌いなさい」はちょっとしんどい。このアルバムでは”Night in Tunisia”(チュニジアの夜)のチャーリー・パーカーの有名なブレイク部分の早弾きソロを声で「演奏」している。いや、これはしんどい。はたして1テイクで済んだのだろうか?人ごとながら心配。

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ヴォーカリーズ

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