第22話 個性=個体差
私が考えるに、音楽における個性=個体差って、大体、以下の3つではないでしょうか?
・楽器の個体差
・肉体的個体差
・精神的(性格的)個体差
まず、楽器の個体差。
このコラムを読む方は楽器を弾く方が多いと思われますので、楽器の個体差は身に染みてお分かりでしょう。
バイオリンだったら200〜300年前のクレモナ産、マンドリンだったらロイド・ロアー、サックスならセルマーのマークYでピアノならスタインウェイってな具合。でも楽器に拘るのは演奏家の常で、包丁だって切れないと料理は美味しくないし、何よりも良い楽器の音は演奏者の意欲を引き出し、かつ無限のインスピレーションを与えてくれます。
次に肉体的個体差
ギターやピアノなどはピックやハンマーを介して弦を鳴らす為、肉体的個性が出難い感じですが、それでもギターなら弦に爪やピックが当たる/離れるタイミング、ピアノでは鍵盤へのタッチなどで差異が表現されます。
でも、それ以上に肉体的なのは管楽器でしょう。
トランペットは自分の唇によって音を出し、しかも、肺活量はもちろん歯並びも音に関与してきますので、それこそ肉体楽器です。
サックスも息を吹き込んでリードを鳴らすだけでなく、鳴らした音が肺を通じて肉体に伝わった後、また音へとフィードバックして行く為、体格も重要なファクターなんです。
その点でキャンボール・アダレーみたいな、吹いているアルト・サックスが子供のオモチャに見える位の堂々とした体躯と、ヤク中毒のおかげで火を着けるとよく燃えそうなミイラみたいに痩せこけた晩年のアート・ペッパーでは、体格的音響効果が違うんですね。
最後の精神的(性格的)個体差
精神的な差は、目に見えないだけに非常に複雑です。なぜアドリブでこの音を出したのか、本人すら分からないのですから(笑)。その場の流れ、雰囲気がそうさせたとしか言えない意味では、仮にもう一人の自分が同じ場所、同じ時間で同じ曲を同時に演奏しても、きっと二人は微妙に違うアドリブをしたに違いありません。
言ってみれば、2度とは弾けないのが自分のソロ。古館一郎風に言うと、”お〜っと、今、まさに自分の音との一期一会だ!”
ましてや生まれや育ち、性格も違う人間達が演奏する訳ですから、出来上がる音楽に個体差が出るのは当然。いや、逆に出なくてはおかしいでしょう。
もし、(楽譜や手持ちのフレーズ、クリシェ(手癖)ではなくして)毎回全く同じ演奏をする不気味な方がいたとしたら、ビョウキかロボットかのどちらかです。
そう言えば、いま人間型ロボットが凄い勢いで開発されていて、つい最近、トランペットを吹くロボットやオーケストラを指揮するロボットまで出現しましたね。更に2050年にはロボット同士でサッカーのワールドカップを開催するとか。
サッカーという高度な競技ができるくらいのコンピュータ搭載なら、”自己判断”での演奏もできるんですよね。それなら毎回同じ演奏どころか、つまらない人間の演奏家よりもずっと個性豊かな演奏ができる可能性は大ですね。
でもコルトレーン型ロボットがステージに10人もいたら、ちょっとキツイな〜。
1曲たっぷり2時間。ワンステージ3日は必至だろうから。。。。
文:
クリフォード・伊藤
インプレッションズ / ジョン・コルトレーン (UCCU-5202)
JAZZ伝道師、コルトレーンの代表曲がこの”インプレッションズ”。
私の手元にあるLPには演奏時間が”14分40”ってあるが、実は途中カットしてあってこの時間。コルトレーンの演奏の長さも感心するが、それにつき合ってドラムを叩く、エルビン・ジョーンズもさらにエライ。
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インプレッションズ
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