第19話 I'LL CLOSE MY EYES  レクイエムとして

母が死にました。

享年70歳。少々早すぎた死ではあります。

何の兆候もなく突然倒れ、亡くなるまでの10日間、ずっと集中治療室(ICU)に見舞いに通い続けましたが、担当医の「覚悟して下さい。」という言葉と現実とを結び付ける事がなかなか出来ず、いわゆる「頭の中が真っ白」な状態でした。

ICUでは、何人もの急患とその家族を目撃しましたが、たぶん彼等も同じように思考が止まっていたと思われます。その証拠に、すすり泣く程度はあっても「号泣する準備ができている」人など誰一人としていなかったのです。

ですから、よくドラマに出てくる「先生、なんとかしてくださいぃぃぃ」とすがって泣き叫ぶ家族など、少なくともICUでは虚構もいいところです。この状況ではっきり感情を出して泣ける人は意外と冷静な人、または血筋の薄い人でしょう。

そう、作家の久世光彦氏も、昔、自殺した友人の葬式に行ったら「居並んだ人達も血が薄い順に泣いた。母や妹はぼんやりした顔でひたすらお茶をとりかえてばかりいた。」と本に書いていました。

母の臨終に際しては、さすがに私も涙が溢れてきましたが、決して言葉が先走ることはありませんでした。言葉が出てきても、それがなんだかよくわからない。だから「嗚咽」になるのですね。

実際のICUとは、冷酷な時間が、のどかなまでに静かに過ぎて行く世界だったのです。

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さて、危篤を知らされて母が死ぬまでの間、ずっと頭の中で響いていたJAZZの曲があり、それが「I'II close my eyes」でした。

もちろん元々葬式用の曲ではなく恋愛の歌で、大スタンダードと言うほど知れ渡った曲ではなく、いわゆる佳作です。悲しい曲でもありません。哀愁はあるが、悲しくはない。明るくもないが、暗くもない、と言ったミディアム・テンポの曲で、現実が上手く把握できていない時というのは、こんな曲がぴったりくるのですね。

JAZZではありませんが、井上揚水の「帰郷〜危篤電報を受け取って〜」という大昔の曲も「I'II close my eyes」と同じような淡々とした調子でした。今、井上揚水と同じような立場になって、やっとこの曲調の意味が分かった気がします。

「悲しい時に悲しい曲や言動」が出るのでは決してありません。人間の脳みそはそんなにドラマチックにはできていないのです。

葬送行進曲とかマイナー調の曲は、第三者が当事者を悲しく「演出」させる為の曲。つまり「悲しい曲を聴くから悲しくなる」。悲しいから涙が出るのではなく、涙が出るから悲しくなるのと一緒です。

「I'II close my eyes」や「帰郷」の曲調は、頭の中が真っ白の当事者が無意識に選んだ結果であり、それが自然であると言う事ですね。

「I'II close my eyes」。恋愛の歌のハズが、転じてとんでもない事になってしまいましたが、でも私の葬式には是非演奏してやって下さい。

文: クリフォード・伊藤

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ライアン・カイザーは中堅の実力派のトランペッターで、「カイザーU」はスタンダードが中心のアルバム。

私の葬送曲、「I'II close my eyes」は2曲目に収録。冷静に聴いてみると、テーマ的には盛り上がりとかドラマチックな要素は全然ない曲。だから佳作どまりな訳だが、逆に考えると演奏者の腕が試される曲とも言える。
でも、葬儀では自然に演奏して欲しいところ。「盛り上げるから涙する」ではなく「感動があるから涙が出る」でお願いしたい。


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