7月1日 | 独軍はクリミア半島のセバストポリを攻略。 ヒムラーがアウシュビッツを視察しガス室の設置を指示。 *.+'.ホロコーストについてVol.1へ |
7月3日 | 独・伊、エジプトの独立を保障。 |
7月13日 | フランスから東部へのユダヤ人移送列車がボルドーを出発。 |
7月15日 | エジプトで反英暴動。 |
7月16日 | ベル・デイブ事件 パリでユダヤ人1万3000人を検挙。 |
7月22日 | ワルシャワ在住ユダヤ人のトレブリンカ収容所への移送が開始。 |
8月1日 | 11月に予定されている連合軍による北アフリカ上陸作戦のための欺瞞作戦を開始。欺瞞作戦として偽装されたのは南部イタリア、ノルウェー(ナルヴェイタ・トロンヘイム)、北フランス(パ・ド・カレー)など。 |
8月12日 〜15日 | モスクワでチャーチル、ハリマン、スターリンの英米ソ3国会談が開催。英米側、北アフリカ上陸「トーチ作戦」を通達。ソ連第二戦線結成を要求。 |
8月13日 | 英、米「マンハッタン計画」(原爆製造計画)に同意、開始。 |
8月19日 | 英加軍、北仏ディエップ港上陸作戦失敗。 |
8月22日 | 独軍、スターリングラード猛攻撃を開始。 |
9月1日 | ロンメル将軍指揮の独伊軍、エルアラメイン攻撃に失敗。 |
10月 | 仏の独占領地域に抵抗統一戦線(MUR)成立。 |
10月16日 | 米国、徴兵年齢を18歳まで引き下げる。 |
10月23日 | モントゴメリー英将軍指揮の連合軍、エルアラメインで反攻開始(11月3日、独伊軍撤退開始) |
11月1日 | 日本、大東亜省発足。 |
11月8日 | アイゼンハワー指揮の米英連合軍40万人、北アフリカのカサブランカ・オラン・アルジェに上陸。 |
11月11日 | 伊、コルシカ島・仏南部海岸を占領。 |
11月17日 | チュニジアで連合軍と独軍の交戦開始。 |
11月19日 〜20日 | ソ連軍、スターリングラードで大反撃を開始(11月23日 空からの物資補給もなく独軍33万人が包囲される) |
11月24日 〜12月22日 | ヒトラーはパウルス司令官の第6軍撤退承認を拒否。救援作戦は失敗に終わり、作戦打ちきり。 |
11月27日 | 独軍、南仏ツーロン港を占領。 |
12月2日 | 伊から亡命のエリンコ・フェミルがシカゴ大実験原子炉で核分裂の連鎖反応テストに成功。 |
12月31日 | 日本大本営、ガダルカナル島からの撤退を決定。
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1月3日 | 独軍、カフカスから撤退。 |
1月8日 | ソ連、スターリングラードの独軍に降伏を勧告。 |
1月14日 〜24日 | ルーズベルトとチャーチル、第3次米英戦争指導会議を開き対独空爆、シチリア島上陸作戦、枢軸国の無条件降伏の原則を決定。 |
1月18日 | ソ連軍、レニングラードの独軍包囲を打開。 |
1月23日 | 独伊軍トリポリを放棄。 |
1月27日 | 米第8空軍、独のウィルヘルムハーフェンを爆撃。 |
1月30日 | 独、デーニッツが海軍最高司令官に就任。 |
1月31日 | 東部戦線、独南方部隊がソ連に降伏(2月2日北方部隊も降伏)。スターリングラード攻防戦終結。 |
1月 | 独、メンゲレ、アウシュビッツ・ビルケナウ主任医師に就任。 |
2月4日 | 独、国家総動員令を布告。 |
2月7日 | 日本軍、ガダルカナル島撤退。 |
2月26日 | アウシュビッツ収容所にロマの最初の移送。 |
3月6日 | ソ連軍、ロストフ、ハリコフを奪回。3月15日、独軍がふたたび占領。 |
3月14日 | 大西洋で独Uボートにより21隻14万tが撃沈される。 |
3月15日 | アウシュビッツにギリシャからのユダヤ人移送。 |
4月7日 | ヘイムノ収容所でガス室を破棄。 |
4月8日 | 米国・イラン通商協定。 |
4月13日 | カチン事件。ソ連領スモレンスタ、カチンの森でポーランド将校の遺体が4000体以上発見される。(ポーランド亡命政府、ソ連による虐殺と調査を依頼) |
4月19日 | ワルシャワゲットーで反ナチ武装蜂起。ユダヤ人1万3000人死亡、5万人が絶滅収容所に移送される。 |
4月 | 米、ロスアラモス原子力研究所開設(オッペンハイマー所長) |
5月12日 | 独軍、北アフリカのチュニジア戦線で降伏。 |
5月13日 | 伊軍、降伏。アフリカ戦線終結。 |
5月15日 | 独伊軍、モンテネグロのチトー指導のパルチザン部隊への攻撃を開始。 |
5月18日 | ソ連はクリミアのタタール人全員を中央アジアの流刑地に移送。カルムイク人、チェチェン・イングーシ人などを追放。 |
5月24日 | 独軍、大西洋の戦いを打ちきる。 |