―映画メンフィス・ベルから見る
 B-17 フライングフォートレス 雑感―



米第八航空軍の主力重爆撃機
Bー17は対ドイツ戦略爆撃作戦1942年8月17日から983日間にわたり活躍しました。
この第一回ミッションには第八航空軍爆撃機集団司令官アイラ・イーカー少将が空中指揮官として攻撃に参加しました。このアイラ・イーカー少将が乗り込んだBー17E爆撃機の機長を務めたのは、1946年8月、広島に原爆を投下した、B−29”エノラ・ゲイ”の機長、ポール・チベッツ少佐です。
メンフィス・ベルは1943年の出来事の映画化です。
その頃、実際に行われていた連合軍の対ドイツ戦略は1943年4月から行われていたポイントブランク作戦(Pointblank)と思われます。 ポイントブランク作戦(Pointblank)はアメリカ陸軍航空隊主導のもとに行われたドイツの生産能力を破壊するための昼間爆撃作戦です。 主な目標は飛行機、戦車、艦艇など多くの兵器に必要不可欠であったボールベアリングを生産する工場に向けられました。ドイツのボールベアリングの生産工場の多くは南ドイツのシュワインフルトに45%、シュツットガルトなどに20%となっており、イギリスの基地からだとかなりの長距離侵攻をすすめなければならないため、損害も多かったようです。(第八航空軍が戦闘で失ったBー17の数は3219機、戦死者・捕虜は32000名を越えていたそうです)ドイツ軍の攻撃は対空砲火とその合間をぬってメッサーシュミットBf109、フォッケウルフFw190などの戦闘機による攻撃でした。ドイツ戦闘機は編隊の外側後方に位置する爆撃機を狙い撃ちし、落伍したところを集中攻撃する方法をとっていたようです。(B−17は前方からの攻撃に弱点がありました)編隊のうちこの外側後方の位置を米軍戦傷軍人に送られる勲章の名前から”パープルハート・コーナー”と呼んでいたそうです。
米軍のB−17による編隊は護衛戦闘機を持たない昼間爆撃を行った、米軍の編隊はV字がたをしたコンバット・ボックスと呼ばれるもので、大規模な作戦のときはこのコンバット・ボックスを上中下段に3段重ねしたコンバット・ボックス・スタッガーと呼ばれる編隊を組んでいたようです。(高度26000フィートから28000フィート)
メンフィス・ベルでもこのコンバット・ボックスと呼ばれる編隊を組んでいました。(20〜22機位の編隊です)
夜間爆撃を行っていた英軍の爆撃機編隊はパスファインダーと呼ばれるモスキート50機前後その後第一波、第二波とハリファックス各130機前後、第三波、第四波としてランカスター各130機前後という編隊が一般的だったようです。(高度19500フィートが標準) 同時期に英軍が行った爆撃作戦としてチャスタイズ作戦(CHASTISE)1943年5月16日が有名です。ライン川にかかるダムを攻撃したもので、バーンズ・ウオーリス技師が考案したドラム型スキップ爆弾を使い超低空で正確な位置に投下しダムにかかる水圧を利用してダムを破壊すると言うものでした。名パイロット、ガイ・ギブソン中佐率いる第617中隊の改造ランカスター重爆撃機18機が3グループに分かれ、メーネ、エーデル、ゾルベの3つのダムの爆破に成功しました。
米軍としては1943年10月14日に行ったシュワインフルト攻撃の際、敵地上空に侵入したBー17、B−24爆撃機257機のうち82機が撃墜、142機が撃破されるという損害を負いました。この事実は「暗黒の木曜日」と呼ばれ、のちにグレゴリー・ペック主演『頭上の敵機』 ―TWELVE O'CLOCK HIGH―(’49米作品)のモデルになりました。
この後、米軍は長距離を護衛できるPー51ムスタングが登場するまで、爆撃機による長距離侵攻を中止しています。


更新日 1999年10月11日 ADU
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