違和感のある質問 「知っていますか?」 2020年9月24日(木)
実を結ぶためには、「情報の共有」を土台にすることが重要では??
● 何が問題かというと、単刀直入に言って、議員の執行部に対する「知っていますか?」の問いかけである。
この質問はどんな意味を持つのだろうか。
質問の核心に迫るために、質問の内容を執行部に知らせておくことが、通常のかたちになっている。
例えば・・・であるが、
「この法律には、このようにあるが、行田市では、それを生かす方向で検討できるのか?」
・・・という意味で、最初から示しておけば、要望することの核心に入っていける。
物事の背景を話し、情報を共有しておくことが、要望の実現に近道である。
議員もまた、行政の持つ情報を執行部から得る立場でもある。執行部もそれに応じることも
当然である。
市民の要求の実現のために、議員が持つ情報を執行部と共有することがあって、何ら問題がない。
それどころか、すでに述べたように、それが、質問に入る近道である。
〇〇では、こうなっているが・・・のことを実現したいが、何が障害になるのかと質問したらよいのだと思う。
ねらいは、相手に 心理的打撃?
「知っていますか?」の問いは、執行部に対して心理的に打撃を与えるよりほかに意味がない。
執行部が知らなかったときに、傍聴の市民に、「あれ、知らないんだ・・・」と思わせる以外に、効果がない。
そしてそれが質問の効果なのだろうか?
極端な言い方かもしれないが、攻撃のための攻撃でしか、ないのでは?
議員がすべてを知っているかと言ったら、もちろん知らないことがあるに決まっている、と言ってもよい。
要求実現のための質問であっても、互いに相手を尊重する立場が欲しい。
確かな資料に基づいて、議員が要求実現のために、執行部に迫ることは何ら問題がない。
けれど、相手のプライドを傷つけることは、やめたほうがよい。(その目的としか思えない)
「〇〇、知っていますか
「知りません・・・」
「知っていると思ったけど、知らないのですか」
短い質問時間に、相手から、答えを引き出そうと努力するのに、このような質問は、
無駄に時間もつかうことにもなる。
前の期で、私が議員をしているとき、やはり、「知っていますか?」の質問をする議員がいた。
私は、「知っていますか」の質問が同じ議員の立場として、正直聞きずらかった。
長い間議員をしていたが、そういう質問はされて来なかった。する議員がいなかった。
今期は、もうそういう質問はないと思っていたが、同じ会派からまた出てきた。
「一問一答になったから」は理由にならない。質問の背景を共有しておいた上で、一問一答で詰めていけばよいのだから。
これは小さなことだが、「私、調べたんですよ・・・」というのも、議員が調べるのは当たり前のこと。
わざわざ、前置きして言うことで、心理的には、「何かな・・・」と相手に軽いパンチをくらわす。
自慢ではないが、私は今述べてきたような質問や言葉を言ったことがない。
とにかく、議員の一般質問は、心情に訴える?のではなく、論理で迫りたい。
客観的に見ているつもりですが、ご意見があったら、遠慮なくお寄せください。
(一部、わかりやすくするために、表現に加筆修正しました)
議会の状況を見て感じること これでいいのか行田市議会 @ どんな悲惨な状況を語るにも、泣かないで議会発言をしてほしい。泣かなくても、発言できることです。 泣くからといって、その事態を真剣に受け止めているということにはならないでしょう。 A 職員から議員へ 立場が変わったとき 基本的に立場が、大きく変わったわけですから、何を質問しても自由です。 ただ、過去に職員として自分がその部署のリーダー的存在で実現できなかったことについては、その延長線上のことについては、簡単に言うと、自分が解決できなかったことを、議員になって、解決をしてほしいと求めること。 「あれ、自分がその部署の時には、どうだったの?」みたいに思われないように、「私が携わっていたころも、解決に至らなかったことですが・・・」等の言葉をつけたうえでの質問が適切なのでは・・・と思うのですが。 B 議員配布の市民への資料は誤りのないものを。本来なら訂正が求められる。 某会派議員配布の水道料金値上げに関する資料は、反対署名集めの際に配布されたが、行政提示のデータ内容と違っていた。 値上げ幅が違っていて、正確に文章を読む人は間違いに気づく。 改選時のちらし、ごみ問題も、事実経緯が全く違うちらし内容が、市民にまかれた。 なぜ、このように、間違った情報が市民に配布されるのでしょうか。とても疑問です。 C 会派または、個人がとってきた見解、行動について、事実と反することを表明する。 議会等において、(・・・してこないのに)、「・・・してきました」と発言することで、既成事実をつくり、事実をゆがめる行為はやめるべきではないでしょうか。 今期も、前期の議会でも、そんな発言がありました。 D セクハラ的?発言はしない。 議員に対しても執行部に対しても、私的なことに及ばないこと。 子どもがいようと、孫がいてもいなくても、結婚していようがいまいが、独身であろうが、議会の内容(政策)に、もちろん関係のないことである。 執行部に対する議員からの「お孫さんがもう大きいから・・・、わかりますか・・・」のような質問はどうなのか。 そんなことを言ったら、「子どもがいないですが(赤ちゃんがいないですが)、わかりますか」も同様になってしまう。 人間は、子どもがいなくても、子どもの成長の様子は、さまざまなところで学ぶ。独身の、あるいは子どもがいない保育士は、子どものことがわからない・・・なんてことにつながりかねない。 子どもがいない教師に、(子どもがいないから)子どものことがわからないですよね・・・なんて言ったら、それこそ、失礼で人権問題だし、経験重視になってしまう。 極端な話かもしれないが、若い人には高齢者の問題はわからないですか・・・につながってしまう。 広く考えれば人間が経験できることは少ない。けれど 人間には想像力があるから、立場にないことであっても理解することができるという視点に立つべきでは。 E 感情に訴えるのではなく、事実をもとに事態を改善するような発言を。 議員と執行部の関係であっても、互いに相手を尊重する姿勢が必要。 もし、執行部に、議員が「あなたは立派なのですから、そういうことは理解できると思うのです」と言われたら・・・ 「あなたなら、できますよ。もっといい提案が」とか、心をくすぐるような言葉は、議会にはあまり適切ではない。 実際には、執行部から、議員に対してそんな言葉はありません。 議員なら遠慮なく言ってよいのだろうか。 褒めているようで、褒めているわけではない、感情を操るような言葉は、以前の議会(前の期)では見られなかった。今期は、一部の議員だが、感情を入れる質問が目立つ。 <市長をはじめとする執行部> 説明を求められる立場なので、丁寧に議員に伝えようとする姿勢が必要。説明責任に徹すべきではないでしょうか。 説明を求められ、議会に出席しているのですから、憤慨するように見受けられる対応をしないことです。立場として議員に十分な説明をして理解を求める謙虚さが必要。 時として説明不足のため、議員側の意見が(データ上のことからみても)合っていないのだが、対応しきれない場合がある。 議員が言っていることが違っていると思えば、落ち着いて発言すればよいことである。あえて反論という形をとらなくても、答弁の中で(事実上の反論が)できる。 執行部も萎縮することなく、しっかりと答えることが求められます。そうでないと、市民に、強く追及している議員側が正しいという印象で判断しかねない。 執行部側は、(時として説明が足りないので)主張をはっきりとすべきである。ただし、「激せず」である。 |
2019 12月議会 ネット視聴から〜 市の前立腺がんの検診体制は重要 12月7日
前立腺がんの検診について、「国の検診」に入っていないので、行田市もやらなくてよいのでは、という質疑がありました。
国がやっていないことで、市町村がとり組むことは、たくさんあります。
子ども医療費もそうだし、少人数学級もそうだし・・・いろいろあります。(質疑の議員は少人数学級も否定していましたが)
【質疑の内容 】
〈前立腺がんは検診を受けた人、受けない人を比較すると、受けなくても死亡率が変わらない、という結果がある。(データがどこかは、音声を聞き逃しました)
だから、市の検診に、前立腺がんはいらないのではないか 〉・・・というものだと、私は解釈をしました。
この質疑をきいていた私は、「いえ、前立腺がん検診を積極的にとり組んで欲しい」といいたい。
確かに前立腺がんは、比較的進行もおだやかな性質のがんです。発見が遅くなければ、がんと一緒に生きていけるものと考えます。
けれど、発見が遅れれば、当然死に至ります。
私の知っている範囲でも、穏やかながんであっても、何人か前立腺がんで命を亡くしています。
私の兄も、発見された時には、転移が確認されました。
以来、それまで前立腺がんに関心が薄かった親族(夫や兄)は、検診を受けるようになりました。
検診は、個人負担は少なく、血液検査で可能です。
市の負担はありますが、検診さえ受けていれば、早期発見で助かる命です。
もちろん受けたい人は、個人で受ければいいという意見もあるでしょう。
しかし、市がとり組んでいることで、啓発の意味も大きいのです。
だから、市として検診の充実はすべきと考えます。
議会傍聴(視聴)から 〜 三宅の視点からであることをご承知おきください。ご意見等があれば遠慮なくお寄せください〜 9月一般質問 (9月11日・記) 1 執行部「答弁」の姿勢 水道関連 ペットボトル水(商品名・古代蓮の雫)の販売をやめることについての市の決断を評価します。 ● 理由 環境問題の視点から、そもそも、ペットボトルというプラスチック製品は、可能な限り取り扱わない(生産しない)こと。 売り上げ(収益)の見込みがない。一本 の収益は、約2円ほどとのこと。 行田市の水は百円の価格だが、水は、もっと安く売られていて、本数も伸びない状況。 議員の質疑における市の答弁であり、私は、納得できるものです。 9月4日の質疑の時点では、販売中止について、上記のことを述べたにもかかわらず、売り上げ努力に対する一般質問の答弁では、環境問題の視点が述べられなかったと思う。ペットボトルの水の売り上げと値上げの関係についても、はっきりとしない印象を受けた。 ● 水道料金の値上げに関連して ★ 「(値上げを避けるために) ペットボトルの水(ボトルウォーター)の販売の努力をすべき(したのか)」という質問」に対し、上記2点も 含み、きちんと答弁すべきであったのでは? もちろん、販売をしている限り、販売の努力は、当然すべきです。 しかし、水道料金の値上げとの関連での答弁です。 私はどのくらいの販売数かは把握していませんが、例えば収益約2円のペットボトルを1万本売っても、 約2万円、10万本売っても、それ以上売れても、大した金額は見込めません。 従って、水道料金の値上げとの関係で、「ペットボトルの売り上げが伸びたとしても、影響ある額(値下げ要因)にはなりにくい」というこ とを述べるべきでしょう。 私自身は、水道料金の値上げに賛成するわけでもなく、また、執行部に同調する立場でないことを断っておきます。 議会における水道料金の値上げに賛成か反対か、両者のやりとりは、重要な判断材料にもなるべきものです。 市が値上げを言うなら、質問には明確に対応し、市民に納得させるべき説明が必要です。 ★ 県水(河川からの水)購入額、2億数千万円について、「県水を少なくするよう交渉すべき(地下水のほうが安価)では」と求めた質問について 自治体内で、どの程度、県水を購入しているのか、市は、実態についての資料をもっているべきであった。 質問を聞いている市民は、もしかして、行田市だけが、特別に多額の県水を購入していて、市がおかしなことを「やっていると判断しか ねない。 実態としては、県水は、県内自治体のほとんどが購入していて(秩父の市町は購入していない)、行田市の県水の4割は比較において は、多くはない。 各自治体の「水道事業ビジョン」から (県水購入の理由 過剰な地下水のくみ上げによる、地盤沈下を防ぐ) (地下水の重要性 災害時での対応) 〈県水の購入割合〉 すべてを調査したわけではありません。近隣市を中心に、下記自治体について調べました。 ○ 8割以上 桶川・北本 (88%) ○ 7割 以上 上尾、久喜(75%)・羽生(70%) ○ 約 7割 加須(69%)鴻巣(68%)・蕨(67%) ○ 4割以下 行田市(40%) 熊谷市(30%) 実態を述べた上で、質問に答え、県水を少なくすることが可能なのか、という点について答弁すべきであったと考えます。 厳しい意見かもしれませんが、質問に対し、しっかりと答弁をしてもらわないと 市民は、的確な判断がしにくいのでは、と思います。少なくとも、客観的な事実を示す必要があります。 市民は、市と議員、両方の意見をきいて、市政についての判断材料とします。市政についての質問と答弁は、正確さにおいて同じくらい重要なのです。 今回の答弁をきいて、水道料金の値上げはなぜなのか、明確に理解することはできませんでした。 今後の施設や水道管の老朽化に対応すべく、整備に多額の費用がかかるから値上げするのであれば、 その内容と財政面について詳しく述べる必要があったと思います。 今後の水道行政運営の判断をするために、客観的な資料に基づく丁寧な説明がほしかったです。 ☆ 料金の値上げ問題と低所得者対策とは別の問題であることは、市の答弁の通りであると思います。 値上げは、すべての市民が対象であり、低所得者問題は、値上げを認めた上で、低所得の人に対する施策であるからです。 市長給与減額問題 A 過去に減額が行われたことがあったのかという質疑に対し、「ありました」ということでしたが、過去の減額については、 不祥事(盗難事件等)の責任をとって市長以下幹部職員の期間限定の減額であったと記憶しています。 今回の場合とは異なるものと認識していますが、内容について答弁が欲しかったです。 2 動物愛護について 特別教育「いのちの教育」との関連 学校での命の教育について取り扱いについて 行田市では、「特別教育」として位置付けて、特定の団体を講師として、「いのちの教育」(子宮頸がんについての団体)をここ数年、行っています。 道徳の教科の中で、動物愛護について行っていると答弁がありましたが、道徳教材の中にもあるかもしれませんが、関係者を招き、特別教育としての位置づけも可能です。 なぜなら、行田市では、同じ団体の同じ内容のがん教育を、毎年、少なくない予算を組んで実施希望校に実施しているからです。 お金をかけなくても、他団体(個人含む)学校現場での講師にはきわめて少額、あるいは無料で、多額の支払いもなく実施できています。 何年も続けている特定団体の多額の予算の「がん教育」はやめて、「いのちの教育」として、動物の命について実施もできる思います。 (3) 他に気になったこと 少人数学級 @ 子ども減少なら、少人数学級は必要ないと言い切れるのか!? 子どもが少なくなっていても、少人数学級が必要ではないと、言えない。 「子どもの人数が少なくなっていて、少人数学級になっているから、少人数学級に反対である・・・」について、 一般質問の中で発言がありました。 私は、大変重要な発言であると受け止めました。 子どもの数が減少しても、少人数学級の問題は、解消しません。 なぜなら、少人数学級は、どの程度子どもの数が少ないかで、大変少なければ、施策の必要もありません。 例えば、学年で、子どもの数が30人未満であれば、少人数学級の必要はまったくなく、制度化することは無意味です。 しかし、それ以上の数の児童生徒数の学年では、必要な施策です。 ● 小学校の例では・・・ 西小学校では、来年度に少人数学級を廃止した場合、 4年生以上全学年で、一クラスの児童数が38人以上の人数となり、最大40人へと変わります。(影響児童数 234人) 泉小学校の4年生以上に関しても、同様な結果が予測されます。(影響児童数 233人) 南小学校、埼玉小学校、太田西小学校、桜が丘小学校でも、少人数廃止により、35人を超える学級が発生します。 全体として、少人数学級へと向かっている中、行田市では、今なぜ、少人数学級の廃止なのか、きわめて疑問です。 教師が一人の子どもとの交流の時間、声かけ、授業における、子どもの発言の機会、教師が作品やノートを見る時間等々、 きめ細やかな面、教育の本質にかかわるところで、少人数学級の取り組みは、まさに行田市の宝なのです。 |