伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2017年1月10日: 天皇生前退位の難問 T.G.

 伝蔵荘日誌に時々投稿されるU.H.さんから年賀状が届いた。年賀状らしからぬ極めてシリアスな問い掛けが書かれている。容易に答えられることではない。ようやく考えがまとまったので伝蔵荘日誌を借りて答えることにしたい。まずはU.H.さんの年賀状文面を紹介する。

 明けましておめでとうございます。U.H.

 昨年は天皇陛下の「お気持ち表明」を通じて「生前退位」のご意向が示されたことが大変印象に残った年でした。その後本件に対する政府の反応、有識者の意見表明、国民の受け止め方などがマスコミに取り上げられ、さらに政府設置の有識者会議が開催されています。これまでのところ「公務負担軽減」を中心に議論が進められ、一方では制度的な是非論を展開する傾向が続いています。しかし政府や有識者会議のこうした検討方向は、課題の本質を見落としているように感じられますが、如何でしょうか。

 象徴天皇という戦後に始まった位置づけについて、「全身全霊を傾けて務めてきたが、高齢化によって困難になる」と述べられていますが、公務の負担軽減や摂政置くなどの手法では決して全う出来ないという天皇の指摘について、どのように評価しているかと言うことです。象徴天皇という抽象的な形態が国民から信頼を得、敬愛されるに至っているのは、ひとえに「天皇が全身全霊を持って務めてきたこと」から生じているわけで、「存在」していることに依存していくと象徴天皇は形骸化し、国民の信頼から離れてしまうこと、そうなれば天皇制そのものが危ないという危機感が必要です。生前退位のご意向を受け止める場合の視点はそこから始めるべきことで、過去の皇位継承を巡る対立など、歴史の重みを強調して是非論を述べるのは、「象徴天皇」が抱えている微妙なはかなさを理解していない空論ではないかと感じますが、皆様は如何思われますか。

 U.H.さん。あらためて謹賀新年。T.G.

 新年早々、重い問いかけを頂きました。考えをまとめるのに時間がかかりました。天皇と天皇制については以前この日誌でも書いたことがあります。2006年5月の日誌です。「日本の歴史を読みなおす」と言う著書の中に「日本人の意志によって天皇が消える条件が遠からず生まれる」と言う記述があって、その当否について伝蔵荘仲間と議論した際のものです。10年前に書いたものですが、基本的考えは今も変わっていません。これをお読み頂くと天皇(制)に関する小生の基本認識をご理解頂けるでしょう。もしかすると貴兄へのお答えの一部になっているかも知れません。以下をお読み頂く前にご一読頂ければ幸いです。

 つらつら考えるに、そもそも天皇陛下に下世話な公務をあれこれお願いするからいけないのではないでしょうか。昔の天皇様はそんな事はなさらなかった。せいぜいが仁徳天皇の「民のかまどは賑わいにけり」です。それでいいのです。天皇様はそういう存在なのです。政治や行政、ましてや軍事には関わらず、高いところから民や為政者や国の行く末を祈っておられる。そういう古来からの天皇のあり方が日本人の崇拝の対象なのです。その天皇様を担ぎ出して、やれ陸海軍の統帥がどうの象徴天皇がどうのと、やたら公務を押しつけたのが間違いの元です。明治維新前までは天皇様はそういう存在ではありませんでした。天皇様は政治行政には関わらず、権力から距離を置いて、高いところから静かに民を見ておられたのです。

 話はそれますが、「天皇制」などというおかしな言い方は昔はありませんでした。「天皇制」などなく「天皇様」がおられただけです。「天皇制」は戦前の日本共産党が天皇を廃絶して赤色革命を起こすために創った一種の革命用語で、それをマスコミや政治家や歴史学者までが安易に無批判に流用しているだけです。恥を知るべきです。憲法にもその他法律にも「天皇制」などという概念規定はありません。

 薩長土肥の官軍が錦の御旗を掲げて江戸へ進軍すると、幕府兵士もひたすら恭順の意を示し、江戸城無血開城がなりました。天皇の権威の政治利用です。これに味をしめた明治政府は、憲法に天皇の条項を盛り込みました。マッカーサーGHQも同じで、日本統治の便利なツールとして象徴天皇などと言う妙ちくりんな条項を新憲法に設けました。ご承知のように、マッカーサー憲法の原文は“Symbol of State”です。それを直訳したのが「憲法第一条、日本国の象徴」です。日本の民が神と崇める天皇陛下を、シンボルなどと軽々しく言う。キリストやマホメットをシンボルなどと言ったら、世界中で大暴動が起きるでしょう。日本人が大人しいのをいい事に、そういうアホをGHQはやったのです。その憲法を日本人が金科玉条とあがめ奉っている。まるで漫画ですね。

 いくら憲法がおかしくても、日本は近代法治国家です。隣の国とは違います。憲法は守らなければなりません。現憲法に生前退位の条項はなく、あるのは摂政だけです。天皇不如意の時は摂政を置くと言う規定があるだけです。陛下はご不満のようですが、憲法を遵守する限りそれしかありません。陛下のご意向をセンチメントに受け止め、憲法を変えずに何とかしようというのは間違いです。下位法である皇室典範をいじくり回してもどうにもなりません。憲法というのはそういうものです。ましてや今上陛下に限って特別措置法で生前退位を認めるなどと言うのは、いい加減を通り越して出鱈目です。法治国家をやめるに等しい愚挙です。憲法解釈で集団的自衛権を可とする以上の無理があります。もしやったら、民進共産など左翼政党の絶好の攻撃目標になるでしょう。憲法違反騒動は安保法制の比ではないでしょう。

 懼れながら陛下も陛下です。現状、憲法改正が至難の業であることをご存じなのに、憲法に規定のない生前退位を認めよと無理を仰る。天皇様は決して願望を口にしてはならないお立場なのです。いったん口にされたら、いかなる無理難題でも「何々せよ」と言う勅命に変わるのです。勅命は抗い難い天子様の命令です。それでは下々はたまりません。困り果てて腹の皮がよじれます。ご意向を受け入れたら絵に描いたような憲法違反、受け入れなければ神様の冒涜。陛下に同情する国民から離反されること間違いなし。どちらにしても内閣が潰れます。

 天皇は日本国存続にとって極めて重要で強力な存在です。明治憲法と日本国憲法ではその存在の仕方を都合良くつまみ食いしました。その結果生じたものは混乱しかありません。明治憲法は混乱の挙げ句に敗戦という悲惨な結果を生みました。今の政府や有識者会議の上っ滑りの議論は、あらたな混乱の予兆です。一つ間違えば憲法に書かれた「天皇制」が壊れ、その結果国民の求心力が失われます。社会秩序が乱れ、下手をすると日本国の瓦解に繋がりかねません。天皇の存在はガラス細工のようでありながら、日本にとってそれほどのレバレッジがあるのです。

 それなら如何なる策があるかと問われれば、憲法改正と愚直に答えるしかありません。そもそも憲法で象徴などといい加減な扱いをしたのが間違いなのです。それが諸悪の根源です。それを正さなければ何も始まりません。まずは憲法から象徴天皇の規定をすべて外すべきです。すなわち天皇に関する第1章の全面削除です。その代わりに「天皇は国民とともに憲法を遵守する」という趣旨の記述をどこかに設ける。憲法の天皇の扱いはそれだけに限るべきです。もしかするとその必要もないのかも知れません。明治以前はそのような縛りがなくとも、歴代天皇は今以上に立派にお役目を果たしておられたのです。今さら出来ないことではありません。

 憲法9条のような切迫した現実問題すら対処できないのに、それは無理だと言われるなら、時間をかけるしかありません。憲法はいずれ改正するとして、その代わりとりあえず今上陛下におかれてはご公務をお減らしいただき、出来る範囲のことにとどめられればいい。手の回らない部分は皇太子や他の皇族方にお任せになればいい。いざとなれば摂政をお立てになればいい。それでは気が済まないと仰るのであれば、不敬を覚悟で言えば陛下の我が儘です。お気持ちを忖度した為政者が恣意的に法を曲げるのは、立憲主義にそぐいません。国が乱れます。そもそも公務なんてどこにも確たる規定はないのです。外務省や宮内庁がやたら増やしているだけです。たとえ災害地にご高齢の天皇がお出ましにならなくても、陛下に対する国民の敬意は容易に減じるものではありません。

 本年もよろしくお願い申し上げます。

 追記:今日の朝刊各紙を見ると、政府は一代限りの退位を可能にする特例法案を20日召集の通常国会に提出する方針を決めたようです。一時の情緒に流されて、最もやってはいけないことをする。日本人の悪い癖がまた出ました。日本の行く末が心配です。

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