伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2006年5月27日:「日本の歴史を読み直す」を読む T.G.

 朝倉君から借りた「日本の歴史を読みなおす」(網野善彦著、筑摩書房)を読む。彼とは春の例会の折、伝蔵荘の暖炉で酒を飲みながらこの中の天皇制の解釈について議論を交わした。「この著者は天皇制は日本に不必要と書いているが、後藤さんは反対でしょうね」という彼の感想が発端である。読了して感じたことを彼に書き送る。

 朝倉さん

 拝借した「日本の歴史を読みなおす」、読みました。面白い本ですね。あの時伝蔵荘の炉端で議論になった「天皇と日本の国号」の部分は特に綿密に読みました。この著者は貴兄が言っていたように天皇制を否定しているわけでは決してなく、歴史として客観的に見る努力をしているだけのような気がします。天皇と天皇制を唯物史観的な、言葉を換えればいわゆる左翼リベラル的な“思想”としてとらえず、あくまで“歴史”としての見方に徹しているだけです。

 貴兄が問題にしたのは、天皇制の項の最後で、「日本人の意志によって天皇が消える条件が遠からず生まれる」と断言している所でしょう。これは明治以降の皇国史観に対する反発から生まれた天皇制否定のような概念ではなく、歴史の必然についての歴史家の予測と受け取りました。著者は今現在の天皇制の存在意義を否定しているわけではありません。将来そう言う状況が出来する可能性があり得ると言っているだけです。この考え方は小生も同感ですし、まったく違和感はありません。

 その可能性の根拠として、著者は過去に天皇制が危うく消滅しそうになった三度の危機をあげています。最初は南北朝の混乱期で、あの時に幕府が南朝を徹底的に攻め滅ぼしていたら、天皇制は途絶えていただろう。なぜなら北朝は武家と野合している天皇に過ぎず、北朝だけでは武家に対抗する権威として機能し得なかったからだと言う見方です。二度目の危機は足利義満の時、三度目は織田信長の時と書いています。義満の場合は自分が天皇になって、息子の善持へ世襲させようと目論んだが、幸いにもその目前に亡くなり、信長がもし本能寺の変に遭っていなかったら、天皇を廃絶させ自らを日本国の最高権威に押し上げただろう。いずれの場合も今のような“万世一系”の天皇制は途絶えていただろうと言うわけです。いわゆる歴史のイフで、歴史家のタブーではありますが、天皇が日本国にとって決して超国家的なアプリオリな存在ではなく、あくまでその時々の日本国のあり方や日本国民のマインドに従属する制度に過ぎないと言いたいのでしょう。

  天皇は神話の天照大神のようなごくプリミティブな太陽信仰が起源ですが、それが天皇の称号や政治制度として確立されるのは、7世紀前半の天武・持統の頃だという見方をしています。これも当たらずと言え遠からずと言えましょう。その後明治維新に到るまで、天皇と天皇制はやがて生まれるもう一つの権威、武家体制とつかず離れずのきわめて現実的で柔軟な存続の仕方をしてきましたが、明治政府は国家統治のツールとして、原始アニミズムに先祖返りするような硬直的で非合理的な皇国史観を押しつけました。今の天皇制混乱の遠因で、実に馬鹿なことをしたものです。

 日本人は過去に天皇と天皇制を実にうまく利用してきました。徳川幕府の長期安定政権も、柔らかい天皇制との連携の故です。明治政府の皇国史観も、国内の混乱を最小限に抑えなければ、列強が虎視眈々と狙う帝国主義全盛の時代に鎖国を解くことが難しかったからでしょう。終戦の時に天皇の詔勅がなかったら、国民はあのようにまか不思議なほど整然と敗戦を受け入れることは出来ず、国内は未曾有の大混乱に陥ったでしょう。おそらく赤色革命が起き、共産化されていた可能性が大です。あの時期、スターリンのコミンテルンがそれを狙って、野坂や徳田ら当時の日本共産党幹部に対して執拗な国内工作を 続けていましたから。この天皇制の効用は今もある程度続いています。

 著者は歴史的に見て今の日本は14世紀中頃に匹敵する大変革期にあり、天皇制の四度目の危機が遠からず訪れるという見方をしています。それは日本国という存在が大きく変化し、国や国民が必ずしも天皇制を必要としない状況が生まれるからでしょう。この考えには私も同感です。

 天皇制第4の危機はグローバル化でしょうね。少子化の今、国外からの労働力流入はもう避けられません。すでに国内の中国人人口は合法、非合法を含め、在日朝鮮人70万人をはるかに越えているそうです。外国人が人口の1割、1000万人に近づくと、天皇制に対する国民の関心や、それから生まれるアイデンティティは急速に薄まるでしょう。今でも戦後日教組教育の影響で、天皇制に対する否定的な感覚が国民にかなり広まっていますから、その時期はもっと早まるかも知れません。もしそれが早まって、未成熟な状況のまま天皇制廃絶が行われるようだと、14世紀と同じ大混乱期を迎えることになるでしょう。

 14世紀の混乱は国内だけにとどまりましたが、今度はそうは行きません。周辺には日本と覇を争う中国や韓国が控えていて、盛んに反日運動を仕掛けています。その状態で天皇制が消滅すると、下手をすると日本国が消滅するような大混乱に陥る可能性すらあります。制度とは言いながら、日本にとって天皇制はそれほどのレバレッジであることは確かです。著者は天皇制消滅にともなって「日本国」という国号自体を再検討する事になるだろうと予測しています。あたかも日本国がなくなってしまうようなものの見方です。この見方については賛成できません。天皇制は決して日本国と一体不可分のものではなく、統治の制度に過ぎないからです。制度を無くすと国もなくなると言うほど日本はやわな国とは思いません。ルイ王朝が滅んで第三共和制になってもフランスが無くならなかったように、日本国は存続するでしょう。しかし、その混乱期に覇権主義に凝り固まった中国共産党と伝統的な中華思想が一体化するような状況が続いていると、いささか危ういですね。下手をすると日本が中国の属領、日本省に成り下がっている可能性も十分あり得ます。ここは一番、日本と日本国民の踏ん張りどころです。

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