【ランタン・リルン−その3】


ロッジの夜と高山病

 ランタン谷のロッジはどこも同じ作りでツインベッドが置いてある、板敷きの小さなベッドで、その上にマットレスが敷かれており、ダウンシュラーフ、インナー毛布、絹のインナー、の3重構造で寝る。寒いときにはポリタンにお湯を入れて湯たんぽにする。隣との壁は薄い板一枚、穴が空いている所もあり音は筒抜け。光も漏れる。隣との仕切り板にベッドがくっついているので寝返りを打つ音まで筒抜けである。勿論いびきも。

 タルチョピークに登る前の晩、一緒の部屋の後藤君が眠れなかったらしい。高山病の影響だろう。これを聞き、今夜は4700mまで登った後の疲れと前夜の寝不足でさぞかし大いびきをかくだろうと覚悟し、しっかり耳栓をして寝る。ロッジはテントよりはるかに広いので通常は耳栓の必要はないが、今夜だけは耳栓をした。
 疲れたり飲み過ぎたりすると誰もいびきをかく。もちろん私もだが、後藤はいびきだけでなく時々寝言を言う。それもはっきりした発音で。時には何故か皇太子妃の名前を呼ぶ事がある。ヒマラヤは今年で5回目、毎回テントは後藤と一緒なので慣れてはいるのだが。・・・

 夜中、遠くから「おおい! 起きているか?・・・おおい!」の声が聞こえて目を覚ました。遠くに聞こえたのは耳栓の為であった。びっくりして起きると、「胸が苦しくて眠れない。ダイアモックスをくれ」と言う。後藤以外ははみな高山病予防薬のダイアモックスを飲んでいたが、痛風が持病の後藤は医者に止められて飲まなかった。 最初の日、キムシュン氷河を見に4200mまで登った時の彼は快調で、下山後に「俺は高山に強い事が分かった」などと自慢していたものだ。 睡眠中に息が苦しくなって来たらしい。この苦しさは私もカラパタールで経験しているのでよく分かる。テントの中で酸素を吸いながら寝て、回復すると酸素をカットする。すると途端に胸が苦しくなる。あの時はダイアモックスを呑んでいても苦しかった。薬を探して渡すと、まもなく薬の影響で胸の苦しみもとれたらしく、後藤も眠る事が出来たようだ。翌朝には回復していた。

 この騒ぎがあった我々の隣の部屋では、シュラーフに入る前に松木が何故か体がぶるぶる震えて止まらず。 風邪の症状か? それにしても激しい震えだったらしい。
 その後やっと松木は寝付いたが、こんどはピクリともしなくなる。いつものように夜中にトイレに起きる事も無く、寝息もしない様子。これには同室の及川君も心配になったらしい。朝起きて死んでいるのが分かったらどうしょうかと。 ここで荼毘に付すのか? まさかヤクの糞で荼毘にも出来ないだろう。ここらでは薪は貴重で、ヤクの糞を乾燥させて燃料にしている。遺体はやはりヘリでカトマンズまで下ろさざるを得ないだろう等々、及川君は一人で悩んだらしい。翌朝松木君はケロッとして起きてきたので安心したとのこと。後で聞いて皆で大笑いしたが、及川君はそれどころではなかったらしい。

 松木はしぶとくて簡単には死にそうにない。我々同期生13人の内、すでに3人があの世に旅立っているが、不思議と五十音順である。まだア行で止まっている。この順序で行けば松木は最後まで残る事になる。先に私が死んだら松木が弔辞を読んでくれる事になっている。
 及川君はランタン・リルンに来る前夜、カトマンズの「ロイヤル華」でロキシーを飲み過ぎ、二日酔い状態で体調を壊した。そのせいで高山病にかかり食欲が無くなり、4日間以上固形物が喉を通らず、ほとんどスープ、みそ汁、水のみで過ごした。それでも我々と全行程行動を共にし、基礎体力が我々の中で一番あることを証明した。通常なら歩くのも大変だろうに。若さのせいもあろうがこれには感心した。

 そのまた隣の部屋では藤田君がダブルベットを一人で占領して寝ている。今年は5人なので誰か一人は一部屋を占有出来る。チベットの時も5人だったので、いつも藤田君は一人部屋である。彼からは「先輩の横暴・・」という声が聞こえてこなかったのはこの為かもしれない。

 藤田君は仲間で唯一人の愛煙家である。後藤も松木も昔は愛煙家だったが、大分前にやめている。 高山病予防のため、高所ではアルコール、たばこは禁止である。私を除いて皆が彼に禁煙を勧めたが、とうとう聞き入れ無かった。私は高山病の苦しさを味あわせたいとの親心?で積極的に喫煙を勧めた。彼の喫煙はトレッキング中続き、途中でたばこが切れても禁煙せずにサーダーのテンジンから1箱貰うほどであった。藤田君の名誉のために言うが、後で買ってテンジンに返却していた。
 最後まで喫煙しながらも、高山病にならなかった事は残念でもある。彼は意志が堅いのか弱いのか、どっちだろうと頭を悩ます。タバコを吸っても高山病にかからなかったのはやはり年齢が若い為かもしれない。我々同年代の3馬鹿も、4年前の最初のトレッキングの時には高山病にはならなかった。幾分症状が出たが重くはなかった。以後4年、年をとるにつれて高山病の症状が重くなるようだ。しかし毎回高山症状に悩まされる私も、今回は快調であった。何が原因かは不明である、その時々の微妙な体調によるものかもしれない。

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