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ランタン・リルン:性懲りもなくヒマラヤへー(その1)

  • メンバー:(3期)松木、後藤、佐藤、(4期)及川、(5期)藤田
  • 日程: 2006年10月25日〜11月4日
  • 行程: カトマンズ=(ヘリ)⇒ゴラタペラ→タンシャップ→ランタン村→キャンジンゴンパ→ジャタン

今年で5回目のヒマラヤ・トレッキングはランタン谷に決めた。ランタンは1949年イギリス人探検家ティルマンによって「世界で最も美しい谷の一つ」と紹介されるまで地図の空白地帯であった。ランタン・リルン(7246m)の初登頂は1978年とエヴェレスト登頂より25年後であり、外国人がこの谷に入るようになったのはつい最近のことである。

 メンバーは3馬鹿プラス2の5人である。3馬鹿プラス2の由来については伝蔵荘HPの「超高年ABCへ」に記してあるので省略する。3馬鹿とは人聞きが悪いというので、娘達が私とその仲間につけた新しい名前は「ネパッチーズ」である。毎年性懲りもなくヒマラヤに行き、帰国後は「もう行かない」「これが最後だ」と言いつつも、体力が回復すると「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」の諺通り、性懲りもなくネパール、ヒマラヤと言いだし始める。それでネパールをもじって私のことをネパッチと呼ぶようになった。仲間は複数なのでネパッチーズと呼ぶ。長いので私を呼ぶときは短縮してパチさんと呼ぶ。お父さん、または父上とかしこまって呼ぶ時は決まってなにかを依頼する時である。それ以外は人前でも時々パチさんと呼び、事情を知らぬ人を怪訝な顔をさせる事がある。

 今回は今までのメンバーとは少し異なる。ワンゲル同期3人(3馬鹿)は同じ、又1年後輩の一人(3馬鹿プラスワン)も5年前から同じ。2年後輩が変わる。昨年チベット側チョモランマBCに行った時と同じメンバーである。アンナプルナとカラパタールに同行した2年後輩の二人はその後参加していない。なにか事あるごとに「先輩の横暴・・・」と口癖に言っていた一人は参加しなくなった。単なる仕事が多忙で休みが取れないのだと、われわれは堅く信じているのだが…。この二人はまだ現役で仕事を続けている。

ヘリトレッキングとロッジ

 行程は、往復ともヘリを使用した。カトマンズから車でシャベルベンジまで入り、そこからトレッキングを始めるのが最初の計画であった。しかしこの村はマオイストの本拠地があった所で、又ここから北へタトパニ経由チベットに抜ける道がありる上、シャベルベンジに至る道も良くなく、治安も悪いとの情報があり、カトマンズから直接ヘリでゴラタベラに入ることにした。同行したシェルパに聞くと、現在は治安も良くなり問題はないとの事である。ヘリコプターはネパールでたった1機のロシア製の大型ヘリである。湾岸戦争以前の古色蒼然としたヘリで、もしかするとベトナム戦争時のヘリかもしれないと思われるほどにおんぼろである。パイロット、機関士は共にロシア人、コ・パイロットは若いネパール人女性。この3人がクルーで、15名の乗客が搭乗出来る。

 同行したシェルパに聞いた話だが、このロシア人パイロットはウオッカが好きで前の晩飲み過ぎて遅れて来ることがあり、その上二日酔いで休む癖があるとのこと。酒酔い飛行よりは未だ良い。操縦の腕前に関しては聞き漏らしたが、今まで墜落したことはないらしい。機体がいのでよく故障するとの事。この話しは乗る前に聞いたのではなく、後々故障して迎えに来る事が出来なかった時に聞いて愕然とした。後の祭りである。飛んでいる最中に故障するよりはマシだろう。

 今回のトレッキングはテント泊ではなく全てロッジ泊にした。しかしロッジでの食事はまずく、日本人向けの味ではないし、使う食用油なども古く、食あたりをする事があると旅行業者から聞いていたので、コック帯同にした。食料ももちろんカトマンズから持参したが、レシピと料理はコック長に一任した。我々をサポートしてくれるメンバーは、シェルパ頭のサーダー(名前が良い。テンジンである。)。エヴェレスト初登頂のヒラリーをサポートしたシェルパ、ノルゲイ・テンジンの同じ部族である。その他にシェルパ2名、コック長、コック助手3名、の総勢7名。最初の日は食料などが多かったので、他にポーターが3、4人ついた。

 このコック長だが、偶然にも3年前のアンナプルナ内院トレッキングの時に帯同したコック長だった。顔は似ているが定かではないので「兄弟はいるのか?」と質問したら、「5人いるが、トレッキングに同行するような仕事はしていない」との答え。「ひょっとすると3年前、サーダーのヒマールと一緒に我々をサポートしてくれたのでは?又コック助手にティロッグという朗らかな人が居たが?」と聞くと「確かにそうだ」と言う答え。しかし聞くとそのとき一緒だった3馬鹿の内、誰ひとり記憶にないと言う。多くの日本人のパーティーに同行しているし、日本人は顔つきも皆同じに見えるだろうから、記憶にないのもやむを得ないことだろう。

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