祈りについて
『 しかし、
この方(イエス様)を受け入れた人々、
すなわち、その名を信じた人々には、
神の子どもとされる特権をお与えになった。』
(ヨハネの福音書1章12節)
私たちは、イエス様を救い主と信じた瞬間に
神様の子どもとされました。
『そして、あなたがたは子であるゆえに、
神は「アバ、父」と呼ぶ、
御子(イエス様)の御霊(聖霊なる神様)を、
私たちの心に遣わしてくださいました。』
(ガラテヤ人への手紙4章6節)
「アバ、父」とは、幼い子どもが父親に向かって
「とうちゃん・パパ」と呼びかける言葉です。
神の子とされた私たちは、
神様のことを
「とうちゃん・パパ」と呼ぶことが許されています。
これらの聖書のみことばからも分るように、
私たちは、祈りの呼びかけとして、
①父なる神様、天のお父様、愛する天のお父様など、
自分の最も呼びやすい名で、
祈るとき、呼びかけます。
②次に、滅びより救っていただいた
イエス様の十字架と復活に感謝を
言い表すことや、神様を褒め称えます。
③そして、次に、隣人のために祈ります。
最後が、自分の願いごとです。
祈りの最後は、必ず、
『またわたし(イエス様)は、
あなたがたがわたしの名によって
求めることは何でも、
それをしましょう。
父(なる神)が子(イエス様)によって
栄光をお受けになるためです。』
(ヨハネの福音書14章13節)
『いつでも、すべてのことについて、
私たちの主イエス・キリストの名によって
父なる神に感謝しなさい。』
(エペソ人への手紙5章20節)
④イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン
または、
イエス・キリストの御名(みな)によってお祈ります。
アーメンと、閉じて下さい。
アーメンは、この祈りに偽りはなく、
まこと(真実)ですという意味です。
お祈りは神様とお話しすることですので、
トイレでも、お風呂でも、電車の中であっても、
心の中でお祈りすることができます。
どこでも、どのようなことでも、
神様にお祈り(お話し)して下さい。
ただ、どんなに祈っても聞かれない祈りもあります。
『願っても受けられないのは、
自分の快楽のために使おうとして、
悪い動機で願うからです。』
(ヤコブの手紙4章3節)
どうしても、生活に困った時に、
生活費としてのお金を下さいと祈る場合は、
与えられますが、
不必要なお金や快楽目的の娯楽など、
悪い動機で願うことは、決して叶えられません。
イエス様は、私たちが堕落するようなものは、
決して与えられません。
『神のなさることは、
すべて時にかなって美しい。』
(伝道者の書3章11節)
時にかなって美しいことをなさる神様は、
すぐには、
祈りを聞いて下さらないことがあります。
それは、私たちに忍耐を教えられる場合や、
祈り続ける大切さを私たちが学ばなくては、
いけないことなど、理由はさまざまです。
『求め(続け)なさい。
そうすれば与えられます。
捜し(続け)なさい。
そうすれば見つかります。
たたき(続け)なさい。
そうすれば開かれます。
だれであれ、求める者は受け、
捜す者は見つけ出し、
たたく者には開かれます。
あなたがたも、
自分の子がパンを下さいと言うときに、
だれが石を与えるでしょう。
また、子が魚を下さいと言うのに、
だれが蛇を与えるでしょう。
してみると、あなたがたは、
悪い者ではあっても、
自分の子どもには良い物を与えることを
知っているのです。とすれば、なおのこと、
天におられるあなたがたの父(なる神)が、
どうして、求める者たちに
良いものを下さらないことがありましょう』
(マタイの福音書7章7~11節)
聖書から祈りについて語らせていただきましたが、
祈りは、神様とお話をすることです。
形式ばった祈りや、
こうでなくてはいけない祈りなどは、
ありません。
神様に助けを求めて、
『主よ、主よ、主よ。』
『イエス様、イエス様、イエス様、助けて下さい』
これが祈りです。
クリスチャンとして歩む年数が長くなると、
どうしても、この祈りはダメだ。
この祈りは聞かれない祈りをしている。
もう少し、聖書にそった正しい祈りをしなくては、などの、
思いに捕らわれ、子どものような素直な祈りを忘れがちです。
そんな私たちに、主はやさしく語りかけて下さいます。
『しかし、イエスは言われた。
「子どもたちを許してやりなさい。
邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。
天の御国はこのような者たちの国なのです。』
(マタイ19・14)
主よ、私たちの祈りがいつも子どものように
素直なものでありますように。
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