DA・M 近作紹介 2002 Backnext

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・沈黙する世界との応答
 

Azabu die pratze Collection 2002参加
2002.3.28thu→3.31sun  麻布die pratze 
28・29・30日  開演・開場19:30

31日       開演・開場17:0 
 
Conceived & Directed by 大橋 宏 
Performers サキ
八重樫聖
今井あゆみ
中島彰宏
都丸永子
Music 竹田賢一
(Erectric Taisyo-Koto
Set 吉川聡一 山崎久美子
Production Cordinator Ichiro Kishimoto
Lighting Hiroshi Ohashi & Soichi Yoshikawa
 

       Supported by

日本芸術文化振興基金

 

.●舞台写真 ●アンケート

 

  大橋宏
ショート・トーク
・・・・意味のなさを楽しむ、無意味な世界を遊ぶっていうような舞台が多くなっていて、そこで何か欠落してしまっているのじゃないか、例えば社会性のようなものが、という指摘なんだけど、以前から戯曲や物語の再現を放棄してきた僕らにとってそれは、身体が意味世界から解放されることで歓迎すべきなんだけど、だけど同時に危機感もつのる。
つまり、ベケットが半世紀前に描いた「意味のない世界」みたいなものの衝撃力が、もはやというより、もうとっくになくなってしまった、っていうことなんだろうけど、これが一体何を意味するのか? 本来、意味をなさない、持たない行為っていうのは、既存の意味世界や秩序をどこかで拒絶、否定しようとする反社会的な行為だと思うんだけど、それが体制的に流通するようになった。「無意味な世界を遊ぶ」っていう行為が記号として、いかにも囚われのない自由な都市的な遊びっていう感じで、消費されるようになった。毒抜きされているわけだけど、だとしたら、管理がさらに巧妙に身体を包み込んできたような気がする。お客さんに「自由に感じて下さい」「動きそのものがが思想なんだ」って言うだけじゃすまされない。どんどん舞台が現実から離れ、衰弱していってしまう。つまり舞台が何と向き合っているのか、その対峙感覚のようなものが失われてきているように思う。だから、舞台から固定した意味なりメッセージを排除しようして、身体からさまざまなものを削ぎ落としていく。でもそこで、実は身体自身も貧しくなってしまっているんじゃないかな。身体にまとわりついたさまざまな意味や意匠を一枚一枚脱ぎ捨てていくことで、身体本来の生の息吹があるなんてことはないのであって、むしろ身体は背負わされたさまざまな意味によって生かされている。その意味を無様でもかっこ悪くてもいいから全身で掘り起こし担い、対峙していく。その上で相対化していける自由さが欲しい。
もともと無意味な世界に身を投じる、それに向き合うっていうことは、本当はとても怖いことだと思うんだけど、手がかりがなく保障がない、暗闇に一人残されるような、崖っぷちにしがみついているような。それが「無意味な世界」っていう予定調和の"作り物"になっちゃうと、お化け屋敷、みたいなもので、本当に襲い掛かってくるわけではないし、ちゃんと出口もあって、そこでの怖さは日常のつかの間の刺激のようなもので、僕らの生に響いてくるわけではない。同じ怖さでも、冒険家が大自然の中で一人孤独と向き合う怖さとまったく意味が違う。もし今、この舞台は意味はありません。ご自由にご覧下さい、って言うならば、僕は踊りでも演劇でも、舞台をなんの保障のないところまで進めて、そこからはじめるしか面白くないんじゃないかと思う。つまり予定調和から離れたところで、その怖さに震え向き合いながら(っていってもそれを見せるわけじゃないけど)、舞台を成立させていく、偶然性の中から必然性を見つけていく、その緊張感の中から生まれてくるものしか、その出会いに意味を超えた驚きのようなものは生まれないんじゃないかな。
  中村和夫
観劇談