CDG空港とParisの中間に位置するLe Bourgetには古くから空軍基地があります。ここはLindberghが1927年に着陸し、単独大西洋横断飛行に成功したときの空港でもあります。 世界で一番古いと言われている航空宇宙博物館に行く機会を何年かうかがった末の訪問でした。 |
CDG空港からも、Paris北駅からも路線busで行けるようですが、所要時間がはっきりしないのと、正しい停留所で降りるためにずっと緊張しているのもつらいので、RERのLe
Bourget駅まで電車を使い、そこから短い区間を152系統の路線busでつなぐことにしました。 RERの駅からbusの停留所まではちょっと離れていて、駅前通を歩いて広い道路に出、そこを左折という手間が掛かります。右側通行だとちゃんと認識しておかないと、逆方向のbusに乗ってしまう恐れ大(初めての出張中、Washington D.C.で実際にやった失敗です)。停留所の数を数えつつ乗っていましたが、7個目の停留所だと身構える前にロケットが視界に入り、問題なく降りられました。 |
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入り口のモニュメント(ちゃんとエルロンがあるのはさすが)。 | ちょうど催し物をやっているようです。正体は後に判明。 | |
飛行の黎明期の展示の後に、Lindberghに関するささやかな展示物を発見。たった、これだけ? | Smithsonianで新聞の復刻版を買ったのを思い出します(もちろん英語の)。 | |
熱気球を特集した展示もありました。何にでも描かれていた時代があったようです。この種の道具は、ミュンヘンのZam博物館にたくさんあります。 | ||
仲良くなかった隣国の飛行船。最初から物騒なものが見えました。 | ||
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L72型というそうです。制御系は何となく船のそれを連想させられます。 | ||
屋外の展示場へ。幸い好天で日射しがまぶしいほどです。747は見飽きているので、隣のCaravelleに注目。水平尾翼の位置が独特です。 | ||
'82年に初めてのFrance国内移動で使った航空会社の機体を発見。ITは、すでにAFに吸収されてしまっています。Dassault Mercureという珍しい機種だと、この博物館の存在を教えてくれたOさんからご指摘がありました。行った本人がすっかり忘れているのですから、いい加減なものです。 その後、当時の資料が出てきて、私が乗ったIT5334便の機材はA300だったことがわかりました。残念。 |
Busからも見えたアリアン・ロケット、それに747。 | |
別の建物に入って、Saint Exuperyの一角を発見。さすがに、自国の有名人とあって、扱いが特別。 | ||
箱根の博物館との大きな違いは、行方不明になった彼のブレスレットが1998年に見つかり、展示されていること。魚の腹から出てきた? 搭乗していた機体は2003年に引き上げられました。 | ||
入り口にあった催し物の正体はこれ。飛行機関連物品即売会で、何とコンコルドの翼の下に人が集まっていました。コンコルドは一号機を含むBAとAF各一機。 | ||
次の建物はWWII時代の展示。これは友軍機としてのB-25G。 | こちらは、P47とP51。 | |
敵と味方。海峡横断でイギリスを攻撃したV-1と、迎撃したSpitfire。 | ||
博物館のロビーで館内cafeで供される食材の準備作業を見てしまい、食欲をそそられることなく退散。道路の向かい側のCafeで昼食にしました。 全く英語の通じない環境に少し慣れて来た感も(度胸だけ?)。昼の定食を頼み、ついてくるwineをroseか赤から選択。前菜には野菜を、メインは牛肉というところまでは順調に来たものの、メインの付合せ選びで頓挫しました。隣の席のおじさんが"緑の豆", "芋の棒"と英単語を並べてくれたので、どうにか注文を完了。 店のお嬢さんが両手で長細い形を作って見せたのは、フリットのつもりだったかと後から合点したものの、彼女は違う単語を口にしていた気もするのです...。 隣のTokyoと、その隣の中華料理の店は閉まっていました。まあ開いていても入らなかったとは思いますが。 |
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再び152番のbusでRERの駅に戻り、Paris市内を目指します。各駅停車しか停まらないので、それなりに待ちました。それでも、まだまだ時間のある休日です。 | ||
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