日々雑談  2010年7月〜12月
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2010年7月8日

服のこと
よくいえばベンチャーらしく自由闊達、悪く言えば異様な個人主義、希薄な人間関係、いろんな面でルーズ、と「社会人」的要素が極めて欠けている弊社であるが、いろいろ厳しくなってきて服装の規定ができてしまった。

ジーンズダメ、シャツ外だしダメ、スニーカーだめといったところですが、まあ今までが今までだったので妥当なラインではないかと。
これが「紺または黒のスーツ、靴下の色も合わせること、ネクタイ革靴必須」だと辞めたくなるけどね。

でも普通服装関係ってなんとなく不文律な企業文化になっていて、ちゃんとガイドラインを明記するのって珍しいのではないだろうか?
余所はどうなんだろ。

僕が新卒で最初に入ったところは、アプリケーション開発で、肩書きはSEだったけど社外はもちろん、社内の他部門とも接触がない職種だったにもかかわらず、基本的にスーツとネクタイだった。
時あたかもバブル&DCブランド全盛期で、手取り10数万の給料なのにマルイで5、6万するスーツを季節々々に買って喜々と着ていた。
バカだった。

次に行ったところは、事業所の全員が工員みたいなもんで、浜松という土地柄もあって社内でも、通勤行き帰りも、菜っ葉服の作業着着たままの人が多かった。
確かホンダがそうだよね。工場勤務でなくても事務職も役員も社長まで白いつなぎで仕事してるんではないかな。
服に金かからないからいいけど、どうも究極の没個性に思えて、作業着の制服って好きでない。

同じ会社で営業の職種になって、スーツ用意してたら不思議なことにジーンズで営業であった。なんかよくわからんがこれも企業文化か。
「JAZZ楽器はスーツでは売れませんよ」という創業社長のお言葉があった。

その次に今の会社に来て、プログラマだけど所属は当初から今も間接部門であるんだけど、最初の数ヶ月だけネクタイしてたけど、ここ数年は外部の人と会う時もジーンズのままだったりした。
すくなくともネクタイなんて、葬式と結婚式以外でしてなかった。

で今回の規定になったわけですが、普通にスーツ&ネクタイだったり綿パン+ジャケットだったり、毎日着るモノ考えるのも割と悪くはない。

ただもう若いときみたいに服にお金かける余裕がないので、基本的にストックからの選択になる。
棚卸ししたら意外と古い服が残っていたのに驚いた。
ここのとこの激やせで昔のスーツが着れるのがいいのか悪いのか、あんまりDC80年代極めつけみたいなスーツはやっぱり恥ずかしいわな。

ただ革靴はつらいな。全然歩かない仕事なんだけど一日履いてると足が痛くなる。
ちなみに日々のウォーキングはわざわざスニーカーに履き替えて継続しています。

2010年7月12日

寝たり起きたり W杯 Acer
いやなんだか体の芯から疲れがたまってしまって、土日は昼も夜もよくわからん状態で寝たり起 きたりしていたが、日々の習慣のウォーキングだけは意地で続けていて、2009年2月末から本日(7/12)で計算すると504日目で、ここまでくるとど んなにしんどくても風雨が強くても、最低15分は連続して歩くことにしている。
しかし体重は1月頃が底でこの半年で3キロくらいリバっているが、体脂肪率がだいたい17%台で、もう少し筋肉つけたいけど、まあ当初の目的の脂肪肝とか血糖値とかの検査値が問題なければいいや。

で、寝たり起きたりして気がついたら月曜日の朝の3時で、こりゃラッキーとワールドカップ決勝を見ていたが、超早寝早起きの妻がだいたい4時くらいから起き出して活動を始めるので、その時間にリビングでテレビを見ているとすごい機嫌が悪い。
邪魔にされながら試合を見ていたが前半0-0で終わってやっぱりしんどくなって、「寝ながら見よう」と自室に戻って布団に寝転がってワンセグで見てたが案の定また寝てしまった。「寝ながらTVを見る」のは何度も試みているが100%不可能だと思う。

まあおかげで2日間相当な時間寝たのですっかり元気になった。
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1週間ほど前にAcerの小さいノート買った。一見ネットブックのようだが、ネットブックてなんかインテルが定めるところの定義があるらしくて、実はノートらしい。
ATOMでスペック的にはたいしたことないようなのだが、画面が11.6型の1366×768の解像度が魅力なのと、多分そろそろ最後のWindowsXPモデルなので。
びっくりするくらい小さいが縦768ドットはいいねいい。最近のPCやたらと横長になって縦が600とか許せん。
NTT-Xで注文してからいろいろレビュー見てたらとにかく「グラフィックが旧世代で下位ののネットブックより遅い」ていう記事が多くてちょっと後悔してたが別にゲームやるわけじゃないので全然気にならんよ。

Acerのサイトの仕様には書いていない、リカバリー用のUSBメモリがついてるし、どういうわけだかOSのディスクもついててしかもXPのプロだった、最終ロットでオマケなのかな。

2010年8月5日

広島/関西/CUBASE
うげすげえ間が空いた。
もう一日行ったら夏休みだがんばろう。
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忙しい。いそがしいがそんなに長時間労働はしていない。
だけどしんどい疲れたたまっていつも背中が痛い。
ここ3ヶ月くらいかなりの量のコーディングした。今更ながら、なんだかよくわからんが、嫌いではない。だがしんどい。
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8/7土曜日に広島に行って8/9に帰ってくる予定でバス取った。
バス満席。いったい徳島から広島にだれがなにしにいくのだ?
広島での予定はよくわからない。
土曜日は出身高のオケの演奏会。前回は家族で見に行ったけど5年くらい前かな?あの時はドボルザークだった。
日曜日は例によって海。日本海。
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でもって8/10、11と神戸大阪。
健保で予約した心斎橋の豪華ホテルに泊まるのすげえ楽しみ。
行ったことない通天閣の新世界を見物したいのだけど暑すぎてそんな元気ないかも。服のことで(サイズの問題で)困っているのでとりあえず心斎橋GAPに行ってみるべし。
あこれ今年は阿波踊りいつからだっけ。帰りの高速がめちゃ混みにならないかな。
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娘チェロ第四ポジション転調しまくりの運指練習曲。
全然イメージがつかめていないので、CUBASEライト+コルグM50で軽く打ち込んでみた。
ステップ入力ができないことに今更気がついてちょっとびっくりした。
リアルタイムで少しづつ入れてクオンズかけて作る。
MIDIだけだったら95の頃のCakeWalkが一番いい。慣れの問題だけど。

2010年8月14日

こんなに夏って暑かったのか?
少し度を超しているように思えるのですが。
8/7から夏休みで、がんばって動き回ってかなり疲れ切っています。

8/7朝一のバスで一人で広島着。
高校のオケの演奏会見る。
100人近いオケが殆ど現役生とういとこがすごい。
木管のレベルが高い印象あり。

その後OBで飲み会。平均年齢50歳くらい?
かなりちゃんぽんして酔っぱらう。

続いて、大学の一期下の集まりに2次会からちょっと顔出す。
20数年ぶりに会う人ばかり。だいたいだれがだれかわかった。

8/8朝はやくから浜田にでかけて海。
オヤジ4人で海。
帰ってきてから飲みに出る。

8/9朝一のバスで徳島に帰る。
この時点でかなりバテバテ。

8/10午前中から家族で神戸へ。
確か去年の夏休みに映画見に三宮にいったから1年ぶりか。
この日はまだそんなに暑くはなかった。
大阪に移動して、心斎橋のホテルニッコーへ。
道頓堀とかもう何年ぶりかしら。
タイ料理の店で夕食、意外と美味い。
その後カラオケ。アニソンばっかり。妻寝てた。

大阪難波のあのあたりって、改めて旅行者の目でみるとすごくエスニックなのよね。まるで外国にいるようだ。
バンコクの盛り場の空気とよく似ている。

8/11
かなり暑い。
通天閣に行きたかったが、そんな元気なくて、近畿道で北上して吹田あたり。
でもって帰途についた阪神高速で大渋滞に巻き込まれてかなりまいる。
ものすごい暑さとちっとも進まない車列で切れてしまい、芦屋あたりで降りて、とりあえず北上して遠回りして山陽道経由で垂水方向へ。

帰宅したのは18時だったがもう声がでないくらい疲れた。

というわけでその後はしんどくてなにもしていませんが、家で寝ててもどんどん生命力が失われている実感ある暑さだ。

2010年8月15日

夏休み後半
広島/大阪行って疲れたのと、あーんまりの猛暑に体を動かすのもしんどく、8/12からは何もしていません。
部屋にこもってネットみたり寝たりの繰り返し。
暑さで気力が削がれて、TVゲームやる気力もなし。

最終日の本日(8/15)は文化の森まで片道20分歩いて往復した。
図書館で本2冊借りる。
炎天下を歩くだけでどんどんエネルギーメーターが落ちていくのがわかる。

暑さと疲労で完全に思考停止していて、休み明けの仕事の段取りとか全然想像もでけん。

とりあえず明日会社に一日いて、充分頭体を冷やして冷静になってから、あれこれ手を付けなければならないのだけど、今はまだ全然ダメだね。

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11日午後に阪神高速を西宮から入ったとき、車がぎっちり5つくらい先の摩耶出口まで『60分以上』の表示。
徳島に帰るには神戸抜けて垂水ぬけて明石大橋を渡らねばならないのだけど、いったい何時間後に本土を離れられるか想像できないレベル。
阪神高速はなにかにつけてよく渋滞しているようだが、最初から我慢できるレベルではなかった。
脳裏には1995年震災の年の夏の名神-中国縦貫100キロって記録的な渋滞がよみがえる。
ででで、なにより暑い。エアコンがんがんかけていても車内で熱中症になりそうだ。
ていうかこの厳しい環境の中で、車が壊れないか心配になった。
僕も前日かなり寝不足だったのでどうにもこうにも我慢できなくなった。

というわけで阪神高速(3号神戸線)は途中であきらめました。
これからは神戸方面に出かけたときは帰りは下道で長田まで戻って、そっから北方面の「阪神高速31号に乗る」ことにします。

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本日(8/15)は自室があまりに暑かったので、リビングでたまった録画番組みてた。
アメトーークが3ヶ月分くらい残っていたので一気見した。

2010年8月19日

度を超してないか
ここ数年毎日続けていたお昼休みのウォーキングだが、さすがに止めた。

会社は海に近くて風が強いし、周りが田んぼやら畑やらだからけなので、そんなに暑くないはずなんだけど、もう辛抱ならん。
歩いた後、汗が止まらず午後の仕事に差し支えるので止め。

ちょっと度を超してねえか。

ただ、昨年(2009年)2月からのウォーキング連続記録はまだ継続しているので、それは帰宅してから21時過ぎに自宅の周りをせめて15分程歩いているのだが、それでもきついですね。このあたりはもう意地だけ。

でも梅雨明け直後からずっとこんなに暑いわけではないよね。
夏休み前(8/6頃)はそんなに苦痛には思ってなかった。
広島に行ったらその重い空気に「さすが都会はヒートアイランドだな」とか思っていたが、それはその後徳島に戻ってもやはり暑かった。
ということはここ2週間程がピークなのか?

今の会社で10数年ずっと「夏場のクーラーが寒くて苦痛」でジャケット必須だったのが、今年は全然上着がいらん。
熱中症で死ぬってのがなんとなく実感できる夏ですね。
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僕の記憶で、このくらい参ったのは、娘が生まれた1994年だと思う。
当時浜松在で、田舎だしアパートにエアコンがなかった。
前年までは扇風機だけで我慢できたんだけど、あまりにあまりなので7月にヨーカー堂に出向いたら、購入者が殺到していて、取り付けが2週間待ちだった。

確かその年の11月に弟の結婚式があったんだけど、その時期になってもまだ残暑がひどくて、スーツがものすごく苦痛だったのを覚えている。

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これだけ猛暑だと忘れてるけど、実は今年の4月5月は何度も寒の戻りがあったんだよね。
何度も毛布をだしたりしまったりしてたんだよな。
確か4月に雪が降って、いったいいつになったら春になるんだって怒っていた。
その年の夏がこれだよ。

暑さのせいか車の調子が悪い。ちょっと怖い。

ただ、この期に及んでも我が家のエアコンはリビングに1台あるだけで、しかも実働時間は日に2-3時間。だいたい夕食時。
ケチなのかまだ比較的暑さに強いのか。
エアコンつけっぱなしで寝るなんて、我が家ではありえない

2010年8月23日

サーモスタットの弁の開閉
車が壊れた。
いつから調子が悪かったのがよくわからないのだが、お盆の頃猛暑の中大阪に行って帰ってきたときはエアコンの効きが悪い気がしてた。
夏 休み明けの先週は通勤行き帰りに、どうも異音と異臭がするような気がして、いや確かに妙な音と匂いがあったんだけどちとヤバイ気がして、しかし定期点検に は出してるしオイルは定期的に交換してるし、通勤と買い物以外乗る機会もあんまりないので大したことではないだろうと思っていたのだが、土曜日にディー ラーで診てもらおうと10分程走って全然エアコン効かんやんかと思ってたら、水温計が完全に振り切っていることに初めて気がついて凍り付いた。

とりあえず百均の店の駐車場に停めてエンジンを切ってさてどうしよう、最寄りのGSに行くか、なんとかディーラーまで持ってくか、5分考えて意を決して徳島マツダまで走った。もうずっとオーバーヒート。
割 と安易に考えていてファンベルトが切れたか、ラジエーターに穴が空いたかその程度のトラブルかと思ったが、随分待たされてサービスの人が説明するに、かな り重症なことがわかってきて、少なくともエンジン周り(?)の水冷系のチューブがダメになっていて(?)サーモスタットが(?)、だいたいどのくらいオー バーヒート状態で走ってたかわからなくて、シリンダーのヘッドが(?)歪んでしまっているかもしれなくてその場合は馬鹿らしい程の修理費がかかるという か、買い換えた方がいいような状態であるらしいが、すぐにエンジン本体の病状はわからないらしくて、3日くらいかかるからということで代車にベリーサを借 りて帰った。

僕はベリーサを知らなくて、デミオの1バリエーションかと思ったら、別車種らしくて、それは妻に教えてもらったのだが、「ははあ、デミオとファミリアの間あたりに投入したのだな」というとファミリアってまだあるのかと返されて、妻が予想外に車に詳しいことがわかった。
今のプレマシを買った2000年頃はまだファミリアやカペラがあったような気がするがまあいい。
と にかく丸9年も乗っていて、ほんとトラブルなくて最近の車はしっかりできてていいなあ、車検通してもう2年は乗るてか考えていたので、ショックですっかり 憂鬱になってきたが、まあ僕が最初に乗った5年落ちのコスモAPは2年車検付きで買ったのに1年乗らないうちにラジエーターに穴あくは、クーラー壊れる は、どっかショートしてて5速にいれるとヒューズ切れるはとトラブル続きで、まあ中古の自動車ってこんなもんかと思っていた。
父親はエンジン設 計者であったが「クーラーがあると坂道が上れない」と真面目に言っている人で、自宅のファミリアやルーチェはずっとエアコンなしだったし、1980年頃の 古い時代とはいえパワステもパワーウインドもない4速車に乗っていた。自動車メーカーに長年勤めていたが実はあまり車に興味がないようだった。

さ て、貯金ないし次の車どうしよう、徳島ではさすがに車なくては生活できないと、今朝も憂鬱な気分で月曜日だったのだけど、昼頃ディーラーから連絡があっ て、エンジン本体は大丈夫みたいで、そんなに修理費かからずに復活しそうなので安心したがまだ確定ではないので気が抜けない。

2010年8月25日

とても忙しいのにカワウソ部長が電話をかけてきて、そこのPCサーバで動かしているプログラムが動いているのかいないのかよくわからないとか、先週は動いてたのにとか、漠然と何を言っているのかよくわからない。
そのプログラムは僕が作ったのだけどPCのことは僕の領分ではないとか言いたがった、むげにイヤな顔もできないのでリモートでつないで調べてみようとしたが全然つながらない。

「電源落ちてませんか?LANにつながってますか?」と問うに、「いやあわざわざUPS買ってつけたから電源は大丈夫なんですけどね」
3ヶ月くらい前に同じ様なことを言ってきたことがあって、調べてみたら停電か落雷かのタイミングでPCが落ちたままになっていて、それに気がついていなくて、ちょっとあきれたことがあった。その時にUPSを付けたらしい。

電気入っているのにアクセスできない「LANにつながっているかどうやたらわかるんですか?」といわれて言葉に詰まった。カワウソ部長は僕が今の会社に入ったときの技術研修の先生だった人で、なんでそういう人がそういうことを言うのかよくわからない。
あんた96年4月に俺のクラス設計(VC)にダメだししたろ、あんときは俺もオブジェクト指向がわからなくて苦労したんだ。自分で解決してよって思うが、まあ言わない。
やはりどう見てもネットワークにつながっていない様子で、僕はアプリ担当で基盤はわからないので他の人に押しつけて逃げた。

結果的に問題のPCは物理的にLANケーブルが抜けかけていたために使えなかったというものすごい初心者落ちだったのでひどくあきれて笑えた。
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そのカワウソ部長が電話をかけてくる前に東京とテレビ会議があって、おやびっくりCRTだったモニターが液晶になっていてのそれもえらくでかい。多分50型くらいあるのではないかというサイズ。東京支社が移転したタイミングでそのあたりの仕組みが新しくなったらしい。
こりゃ高精細で向こう側の人の顔もくっきり、こちらもくっきり映るなと思い、ネクタイを締め直して打ち合わせに臨んだが、接続してみるとあんまり以前と変わらない解像度に思えた。
めっ たに出張とかないし出張しても会う人は限られるので、仕事上密接で長年あれこれやりとりして声もキャラもよく知っているのだが、顔を知らない人が何人かい て、50型液晶でも画像がぼんやりしていてやはり顔がよくわからない。WEBカメラを使ってYAHOOチャットやっているレベル。
後で裏側の接続を見たら、画像はコンポジットなので多分多少データ量が増えていたとしても実質的に鮮明にはなっていないのだと思う。
VHSテープの3倍速録画を大型液晶で見るようなもので、ぼんやりとしたままで表情もよくわからない。
やはり表情がわからないと空気が読めなくて話しづらい。そういうので、TV会議は何年経ってもどうも慣れない。打ち合わせはほとんど一方的にこちらからしゃべって終わった。

20 数年前にいた会社では当時非常に珍しかったTV会議システムがあって、3年いて2、3回使った覚えがある。東京と神戸を結んだミーティングだったのだが、 音声はともかく画像が「1分に1度」しか更新されないので事実上静止画に向かって話ているようなもので、しかしそれでも音声だけよりはずっとマシだったよ うに思える。
当時は回線が細かっただろうし、圧縮技術とか原始的だったろうから、あまり実用的ではなかった。まだテレビ電話が遠い世界の話しだったが、でも今でもテレビ電話ってないよね。

不鮮明な画像で50インチ液晶を使っていてももったいないので、こっそりXBOXを持ち込んでHDMI接続してレースゲームしたいのだが、そういうことをしてばれた場合、最近の社内風紀の厳格化を考えると停職では済まないような気がする。

2010年8月26日

無駄遣いしてワクワクしたい
本日自動車が修理から帰ってきた。
オーバーヒートで土曜日(8/21)からディーラーに預けたきりだったから5日ぶり。結局サーモスタットの交換くらいで済んで大したことにならなくてよかった。
「エンジンが歪んでいたら」という状況も想定していたので、もう9年乗った車だし買い換えかな、しかし金がないとか考えて、適当な中古をネットで探していたのだが、若い頃のような車探しのワクワク感て、全然なくなったな。
毎週のように車雑誌買ってムダな知識を増やしていた時期が信じられない。

これから子供が独立していけば大きい車いらないし、一人で乗りたい車も思いつかないし、2年後とかどうしようって思う。
あえて言えばもう一度ロータリー車に乗ってみたい。
RX-8は高いしあんまり好きでないので、たらRX-7だけど、もう状態のいい中古なんて残ってないだろうな。
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車に限らずあんまり物欲がなくなったような、それもこの1年くらいで急激にしぼんでいるような気がして、最近はお酒飲まないし、会社と家の往復だけで遊びにでないし、特にお金使うことがあまりなくなった。大した小遣いではないけど、へそくりが妙に貯まる。

去年はそのへそくり使って1週間タイ旅行してきたし、コルグのワークステーションシンセ買った。
PCもデジカメもAVカメラもXBOXも液晶テレビもあるから、もういいやって思う。
レコーダはまだアナログなのでいずれのタイミングではBDレコーダー買うんだろうけど、これも特に急いで欲しいとか思わないですね。

あ、でもMP3プレーヤーが壊れたのでこれは買わないといかんのよね。
1年くらい前にカバン落としたときに、「グキっ」て音がしてUSB接続部分がすこし歪んだ。
PCでは認識しなくなって曲の出し入れができなくなっていたのだが、どういう訳か息子のマシンだけはUSBメモリとして認識するので、そこで曲データを更新してきたが、ついにそのマシンでもアウトになった。

充電はできるし、再生機能には問題がないので取りあえず聴くだけなら大丈夫
曲が変更できないので、ここ2ヶ月ずっと同内容。
パーラメント(米のファンク)のライブ、ティナターナーのベスト、高中のどれかのアルバム、ベッキー、ボズ・スキャッグスあたりのが100曲ほど(容量が500MBだから)入ったままで、変更できないのでヘビーローテーション状態。
次どうしようかな、今までの資産がほとんどWMAファイルなので、それがそのまま聴けるのがよい。
iTuneとかソニックステージみたく独自の曲管理が必要なのは嫌い。

で、容量は4か8ギガあたりで充分と考えているが、現在の500MBでも全曲入れ替えると結構時間がかかる。そんなに大きくなくてもいいかな。
とか考えているけどやっぱり全然ワクワク感がないし、電車通勤でもないので当座はラジオ聴いてりゃいいかなとか思うが、ストックした曲データが多分、主に洋楽でCD200-300枚分くらいPCに貯まっているので、それをそのまま聴かないのは非常にもったいない。

2010年8月30日

ギターを弾いて指が痛くなる
先週の金曜日会社を引けてから、バンドのともだちに近くの居酒屋に連れて行かれて、僕の運転でいったので飲めなかったのだが、妙に長居して気がついたら夜中1時くらいだった。
昼間暑いので夜にウォーキングしていたのだが連続記録がこれで途切れた。2009年2月末から549日でした残念。

それはともかく鹿児島の徳之島出身のママがやってきる店であんまり流行っているようには見えなかったが、確かに店にいたのはママのお父さんと旦那だけだった。
この80過ぎのお父さんと僕と同世代のママが会話してるのは、まるで外国語のよう。単語ひとつひとつは多分普通の日本語なんだろうけど、イントネーションとか言葉の使い方とか、言い回しの部分がすごい違って聞こえる。
僕らの会話をママが翻訳してお父さんに説明してる、そういうレベル。

4時間くらい店にいて歌本見ながらほとんどずっとギターを弾いていた。ギターはガットギターなんだけどフェンダーで今までみたことのないモデルであったが、ボディーの下半分のカットがいかにも「座って弾く用」みたいになってて弾きやすいことこのうえなし。
1970年代、フォークソング全盛の曲をずっと弾いていた。まるで歌声喫茶だ。
アコースティックギターをこんなに長時間弾いたのは20年以上なかったかも。すっかり左手の指の腹が厚くなった。

店のママが「さよならコンサート」て曲が好きだったのだが、カラオケにもないし誰の歌だったかわからないというので、携帯でググってみたら、「クラフト」の曲だった。
僕 はクラフトはさだまさし作の「僕にまかせてください」しか記憶になくて、これは1975年だから、僕は中学一年生で一番一生懸命フォークソングを聴いてい た時期なのだが、中学生はそうそうレコードなんて買えないので、モノラルのラジカセでラジオから録音して、そういうテープをたくさん貯めて、何度も繰り返 し聞いて、そういうのって1曲々々が非常に印象深い。
多分そういう体験と、ちょうど中学生くらいの年頃に聴いた音楽がDNAに取り込まれるのか、そのあたりのフォークソングが一番しっくりくると思う。いわゆる叙情派フォークの曲って、基本的にAmDmFE7あたりの単純なコードで曲ができてるんだよね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/クラフト (フォークグループ)
を見ると、浜田金吾が在籍していますね。

75 年あたりって、陽水・たくろうはもう大御所扱いで、甲斐バンドがデビューしてガロやかぐや姫が解散して、風の「二十二歳の別れ」やイルカの「なごり雪」が 大ヒットしてどちらも伊勢正三の曲だが、財津のチューリップは歌謡曲すぎるフォークじゃないとかいわれたりしてた。
谷村新司のアリスや、小田和正のオフコースはばりばり活動してたけどまだでかいヒットがなくて、マイナーな存在だったと思う。

マイペースの「東京」とかシグナルの「二十歳のめぐり逢い」とかNSPの一連のヒット曲とか、ギターのスリーフィンガーで青春を思い出す。

2010年9月12日

今夜中1時過ぎですが、暑くて眠れねえ。
この暑さの感覚、「残暑」ではない。
休日は暑くてほとんど思考が停止状態。お盆の頃からずっとこんな感じ。
これから毎年ずっとこんな夏がくるとしたら、ちょっと絶望的な気持ちになる。
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土曜日早朝起きて、ネットしながら二度寝しようかと思っていたが、暑いので海にいってみる。
自宅から1時間程南下して、美波町の田井ノ浜海水浴場。当然だれもいない。
ウェットスーツ&スノーケルで2時間程岩場をいったりきたりしていたが、かなりクラゲの刺されて今とても痒い。
透明度は高く魚も多くて海中は面白い。
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夕方から歯医者。一ヶ所銀歯にした部分の歯茎がじくじく痛むのであるが、もう多分治療のしようがなくて、次は抜くことになるだろうとういこと。
幸いまだ親不知以外で失った歯はないので、まだしばらくはがんばることにする。
歯茎がかなり痩せていて、それはもう加齢でしょうがないようです。
寝てるときの歯の負担を軽減するマウスピースを作った。

歯医者の帰りにハードオフでひさしぶりにアコースティックギターの弦買う。
マーチンのカスタムライト。
張り替えてみたが期待したほど軽くはなかった。
しばらくギターを弾いてなかったので、指タコが退化してまっている。
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日曜日の昼食は自分でインスタントラーメンを作ることが多いんだが、面倒で妻にカップラーメンを買ってきてもらう。
たまに食べると美味い。インスタントラーメンは週一で食べておいしいが、カップ麺は月一くらいが限度と思う。

BSで録画した「荷車の歌」を見る。1959年山本薩夫 出 三国連太郎。
明治末期から第二次大戦までの広島の山奥の貧しい荷車引きの話し。
古い映画とうこともあるのかセリフが聞き取りにくくて何度も聞き返してもやはりわからない。
古い広島弁とうこともあるし、また日本語の言い回しが今と50年前では随分と違うのではないかと思う。
外国語にしか聞こえないところがたくさんある。

その後暗くなるまで昼寝をして、起こされて夕食を食べていて、TVに井上陽水が一瞬でて、あっと思い出す。
人とギターの練習の約束があったのであった。
時間を決めてなかったのだが、昼寝をしているあいだに携帯に連絡があったようで、とりあえず飯食ってからでかけることにする。
2時間程カラオケボックスで練習した。

2010年9月27日

今月はずっとひたすらコーディング。
すっかりJAVA漬け。これだけ大量にソースコードを書くのって何年ぶりだろう。
3週間書き続けてたら、一通りのWEBシステムができたぞ。
といってもほとんど過去の別システムの流用。
その別のシステムは別の人が作った。

つまり大概なパクリ作業をひたすら続けている。
過去を思えば、僕の長いプログラマー生活はそのほとんどが、いろんな言語と環境とUIと設計と・・全部パクリで食ってきたような気もする。
C各種、コボル、RPG(AS400)、PL/SQL、Perl、PHP、いろんなマクロ類、そのほか汎用機固有の言語とかあったような気もするが忘れた。
とにかく(パクらずに)1からプログラム書けるくらい極めた言語はひとつもない。

以前は言語のマニュアル読んで勉強してたりしたが、今時大抵のことはグーグル先生が解決してくれるので、手元に文法書もなしで仕事ができる。

まあ言い訳としては物件作る目的は、サービス構築だからね。内部のプログラムソースがどうであろうとあんまり関係ない。
僕らの仕事は大抵、ソースコードを巧みに書くことよりは、より効率的なデータベース設計の方が重要。
もっといえば要件の分析とか定義とか、交渉とか提案とかが仕事。

でもやっぱりコリコリソース書くのっていくつになっても楽しいんだよね。

とりあえず9末までの数日で製造工程をFIXできるようにがんばろう。

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初対面の人と話しをしてて、3分で、「広島ですね?」ばれた。
「広島出身です。わかりますか?」「懐かしいイントネーションだなって。広島で学生だったので。」
話を聞くと、広島大学の後輩であることがわかった。
一回りくらい若かった。
もう完全に大学が東広島に移転した後だったらしい。
そういえば僕は西条キャンパス全然知らない。

僕は生まれてから24歳まで広島から動いたことがなかったが、その後は戻ったことがない。人生の半分は広島で半分はそれ以外。
言葉は、上京した若い頃は恥ずかしかったけど、最近は特に気にならない。
妻がおきゃーまで、似たような系統の訛りで、家庭ではずっと広島弁バリバリだから、もうこれはどうしようもないのだと思う。
子供たちはすっかり阿波弁であるが。

2010年10月04日

LOST シーズン5
っと、ぼんやりしている間にシーズン5がTSUTAYAで「新作」扱いでなくなっていた。
連続して借りて、この2週間程でDVD8枚分15話を全部観た。
あっというまに見てしまった。

BS放送で見始めて最初はサバイバルものだと思っていたけど、どんどんSF/サイコ/ホラーな世界になっていて、なんとも不思議なドラマ。
途中グダグダになりかけて、ちょっとしんどかったが、5では、たくさんの複線を消化しつつ謎ときしつつ、なんとなく終盤に向かっているような雰囲気。
「24」や「ER」もどきのドラマは日本でも作れそうな気はするけど、LOSTは絶対無理だろうと思う。

「24」はシーズン7まで見たけど、かなり疲れてきた。
次の最終シーズンを見る気力はでるであろうか。

連続モノは無理矢理引き込まれるようで見ていてしんどい。
しんいけど見てまう。
僕よりたくさんアメリカのドラマを見ている妻の話では、ブリズンブレイクが一番しんどいらしい。

ERやCSIといった一話完結のが気楽に見られる。
ERは最終シーズンがNHK-BSでもうすぐ始まります。
とても楽しみ。

2010年10月11日

防音室について・カポタスト
集合住宅の一室内に防音室を作って、ピアノを置く。
・・話しにはよくきくのですが、実際やっている人のおうちにうかがって、実物を始めてみました。
部屋を防音にするのではなくて、部屋のなかに、も一個別の部屋が作ってある。
ドアは音楽スタジオのそれと同様に頑丈で、もちろん専用の空調がセットしてある。
ピアノは当然のごとく、グランドピアノが置いてあって、グランドピアノに大小のサイズがあるのかどうかは知らないのだけど、防音室は3畳ということで、ピアノと座るところでほぼ満杯でした。

浜 松にいたころはバンド好きな社員が多い会社だったので、一戸建てに防音室を作ってドラムセットその他音響機器入れてガンガンならせるように・・つまりはバ ンドの練習スタジオを個人的に所有している人が何人かいましたが、そういうのと、グランドピアノのために防音室作るのって、随分と指向性が違うと思った。

マンションの上の方の階の部屋なので、「これどうやっていれたんですか?」「バラバラになったモノをここで組み手てるんすよ」え?ピアノを組み立てちゃうのと思ったが、ピアノはそのままの形でクレーンで窓から入れたそうです。あたりまえか。

こういうクラシックの世界でなにか「突き抜けてる」感のある人に対すると、僕はすごく単純にリスペクトしてしまう傾向がある。
演奏を聴く前から、いや素晴らしいやっぱりホンモノは違いますなあ・・的になって、日頃のデジタルなスタンスが吹っ飛んでしまう。
デジタルピアノのメーカーにいたなんて言えないし。
自分もピアノ弾きますなんて言えないしね。
ま、『オーボエ』吹いてたんですけどね。

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次の日はカラオケの部屋に入って2時間ギターの練習していました。
もう左手が痛くて痛くて。

カポタストが無くなって今回あらたに購入したのです。
中学生の頃買ったのが行方不明になっていて、僕はそんなにギターを弾く機会がないのでほっておいたのだが、やっぱりカポが必要になって、楽器屋より少し値段の安いアマゾンに注文したんですが、いままでで一番リードタイムの長い納入でした。

極めてマレだと思いたいが、使う日程がはっきりしている品物を注文する場合は考慮が必要。
10/7朝 発注 すぐ「まもなく発送します」ステイタスになる
このまま10/9の夕方まで発送されず。理由はわからない。
10/9 19時に堺から発送。
堺から徳島なんてすぐだろうって思うのだがこれがなかなか近づかない。
10/10-11 と「お近くの配送点まで発送中」
10/11 午前 やっと配達店から配達中になるが、なかなかこないこない。
18時頃やっと到着。夕方の利用になんとか間に合った。

9月にUSBメモリと携帯プレーヤーを買った時ははやかったな。
9/7に発注、その日のうちの発送、次の日には家に来た。
在庫品であればだいたい中一日あれば届けられると思っているのだが、今回は5日もかかってやってきたのだが、「まもなく発送します」状態で3日も固定されたら取り消しもできないから困るね。

あれ。今思い出したが無くしたカポって以前ギター貸したやつが持ったままか?

2010年10月13日

演歌歌手城之内早苗/金属バット
何とはなしに、NHKの歌番組見てたら城之内早苗が演歌歌っていた。
長らく存在を忘れていたのだが、夕にゃん全盛期はヒマな学生だったから、毎日見てた。
wikiると現在42歳で、歌手歴24年だとすげえ。
おにゃんこあがりで演歌でこれといったヒットがなくて24年引っ張ってるのもすごい根性かと感心した。
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昨日(10/12)のニュースで「無職40歳長男が両親を金属バットで撲殺」てので、30年近く前の似たような事件を思い出した。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/yobikousei.htm

当時僕は受験間近の高校生で、犯人は二浪生。同世代だし、まあ似たような境遇であった。

この被害者のお母さんが、偶然僕の母親の短大時代の知り合いであった。
昭和20年代まだ焼け跡残る東京の学校に、わざわざ地方から進学していたのであった。
母は広島の片田舎の海辺の町、この被害者のお母さんは山口の造り酒屋の出であった。
母の話では、とてもさばさばした人柄で、教科書を質に入れてお菓子買い食いしたり、下宿に行くとお腹だして寝てたり、そういう人であったらしい。

第一報では殺害されたことだけで、犯人は不明であった。
直に息子に殺されたことがわかって、母はびっくりしてた。

父親は東大→旭硝子のエリート、兄も早稲田から電器メーカー。
本人はやる気のない二浪生。
どういう葛藤があったのか知らんが、血まみれの現場の壮絶さは、当時詳しく報道されていて、こりゃよっぽど親が憎かったんだろうなと思った。

この息子は今はもう刑期を終えるんだろうけど、どこで何やってるんだろうね。
両親殺されて弟が殺人者になってしまった、お兄さんはその後どのような人生を歩んだのであろうか。

NHKのスポーツ記者の一柳さんが姻戚関係でないのかすごい気になる。

2010年10月16日

ジャバ神さま
2ヶ月くらいジャバ漬け状態で、ハイテンションになって妙に調子がよい。
あまり深く考えなくてもどんどん手が動いてサーブレットやメソッドが増えている。
ジャバ神さまが降りてきたように思える。
エクリプスもとても親切になった。
今なら大抵のことが実現しそうな気がする。

20数年同じ様なことをやっていると、環境やら言語やら随分変わったけど、妙な躁状態でいくらでもプログラムを量産できる状態になることがたまにある。
デスマーチでIT土方がファビヨっているとも言える。

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一昨日朝自宅から国道まで出る途中で、踏切が通行止めになっていた。
すぐUターンさせられたのでよくわからなかったが踏切近くに複数台の消防車が止まっていたと思う。
救急車やパトカーはいなかったように思う。
しょうがないので、細い裏道にくねくねと入って、川沿いに堤防を走ってあっと国道に出ると随分混んでいた。
国道と並行に走っている旧道はもっと混んでいたようで、後で妻に聞いた話ではあたりいったいの裏道が車だらけ渋滞だらけだったらしい。

僕がUターンした踏切で、その20分程前に人身事故があったらしくて、そこが通れなくなったから、あたり一帯が動脈硬化だっったわけだ。
40歳無職の女性が何がどういう事情か全然わからないけど線路の中に立っていてローカル線の車両に巻き込まれたわけだが、僕が見た消防車は救出作業をしている最中であったのだろうか。
ちょっとタイミングがずれていたら踏切待ちしている目の前で事故の瞬間を目撃するところであった。
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本日(10/16)は土曜日だけどどういうわけか出社日。
明日は日曜日だけど人間ドックなのでジャバ神のテンションが下がらないまま次週を迎えることになる。

2010年11月01日

アメドラの主人公が離婚する法則
ここ何年もアメリカのドラマばかり見ているのだけど、主人公は仕事熱心なFBI特別捜査官か、緊急救命の医師か、都会の弁護士だったり、刑事みたいなことをやる鑑識だったりするのだが、みんな真面目に仕事してる。
だいたい職業がドラマの中心にあるからよう働くわ。

で、仕事しすぎで家庭を顧みないという理由で家庭がだんだん不安定になり、奥さんが子供連れて逃げてしまう・・というパターンが多い。
給料は家庭に入れ、酒やギャンブルやクスリに無駄遣いしている風でもなく、暴力振るうわけでもアル中のわけでもなく、ただ「家にあまりいない」という理由だけで離婚の危機になる。

旦那がFBI特別捜査官だったらめちゃくちゃ自慢やんか。給料だって悪くないだろうし将来の恩給だって。
なんでわかれてまうのだろうね?ようわからんよ。

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TBSの「闇金ウシジマ君」、コミックの方好きで読んでるのでワクワクして見てる。(ちなみにレコーダーは未だにアナログオンリーね)
原作はかなりダークな社会派暴力漫画で、いったいどこまで地上波で映像化できるか心配したけど、ていうか最初から期待してなかったけど。
良いよ、意外といい。主役の山田孝之がなかなか雰囲気だしてる。

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上腕が痛いがまだまだマーチは続く
腕が腕が腕の神経痛がかなり厳しい状態で大変になってきたつらい。
9月10月とかなり調子に乗って仕事し過ぎた。具体的にいうとタイピングし過ぎた。
右腕が弱いから、なるべく左手に作業をさせてたら左手もやばくなってきた。
打鍵数を減らすためにコピペ多様するのは楽なのだが、CTL+VCXZ 全部左手だけでできるからよいかと思ったのだが、かなり左腕に負荷をかけていた。
無茶苦茶な無理はしなくなったから激痛で腕が動かない状態までにはならないが、手のひらや指がしびれてキーが打ちづらい。
だがしかしそれは一番困るのは、仕事のことよりも、楽器が弾けなくなることなんだよう。

というわけで整形外科に行って痛み止めの点滴を打ってもらおうと思ったのだが、頸部のけん引だけでクスリなしだった。
最近はあんまり点滴しないんだってよ。

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あときた、ついにきた、ぼくにもきた。内臓にポリーブが。ドックの超音波検査で発覚して、CTで確実になったが、まだ悪性とは決まってない。来週くらいに造影検査に行く。
ガクブルだが立派な癌の血筋なので、遅かれ速かれこういうのは来ると思っていた。ちょっと遅かったけどね。

2010年11月10日

ポリーブ顛末
10月のドックのエコーで、腎臓に影がみつかって要精密検査。
で、市民病院へ。
生まれて初めてCTやったが、「腫瘍がある」しかわからなかった。
出直して、この月曜日(11/8)に改めて血管造影検査。
点滴でクスリ入れて再度CT。検査室まで初めて車いすにも乗った。
CT後すぐに画像が見れて、結果的にはお医者がいうには「腫瘍部分に血流がないので心配なし」でした。
よくわからんが、たんなるおできとか腫れ物がある程度と思う。
ドックとかでエコーが一般的になってるので、今まで見つからなかったブツが検査で発見されるらしい。

あんまり心配してなかったけど、ま最悪腎臓なら片方とっても生きてられるし。
でも開腹手術はイヤだなあと、ここんとこPG作業でテンパっているのもあって、少し憂鬱になっていたのが一安心。
これが大腸だったらとりあえず切除してから悪性良性の判断だったのかな。

市民病院は最近新しくなって、なんでもかんでもオンライン化されてた。
受付も診察も検査も全部院内のLANでつながっていて、患者は自分のバーコードの印刷物を持って移動するだけ。

しかしCTて高すぎ。1回分で8000円くらい取られた。

2010年11月11日

思ったより寒くないな。もう少しストーブなしで我慢できそう。

遅く帰ってきて一人で飯食っててなんとなく見出した映画が面白くて。
スティーブマックイーン「パピヨン」
http://movie.goo.ne.jp/movies/p12443/
離島刑務所を舞台にした脱獄もの。
ひたすら残酷で我慢で逃げて捕まって独房に何年もいてボロボロになる映画。
眠いししんどいのに2時間半しっかり見た。
ダスティン・ホフマンとかすごいくいい。
ただし。ラストシーンでマックイーンが椰子の実の浮きにのって海上をただようのだが、海中から支えている人の足がものすごくはっきり写っていた。良い映画なのになんで最後がこうなんだろう。

SFアメドラ「フリンジ」、妻がしきりと借りてくるので、面白いかなと1シーズン分くらい見てたがだんだん内容がチープになってきて飽きた。
X-FILE的要素を元に、二流のストーリーでドラマ作ったみたいな話し。
それに比べるとBONESはなかなかよい。4シーズン目に突入。
そのうち松田聖子が出てくるらしい。

8GBの携帯プレーヤーを使い出して1ヶ月くらい。
TRANSCENDというメーカー。
http://www.transcend.co.jp/products/ModDetail.asp?ModNo=262
8GB一杯入れるのて結構大変で、入れたら総曲数が1300くらいになった。
CD100枚分はいってると思うとすごい。

すごいが、ランダムで再生しているのに、どうも限定的な範囲を繰り返し聞いているようなきがしてきた。
クラプトン・エルトンジョン・ハービーハンコックが圧倒的に多い。
マドンナやジャミロクワイはたまに出てくる。
クィーンや菅野よう子やチックコリアはさっぱり出てこない。

妙なので、飛ばし飛ばしして曲をチェックしてみたら、どう考えても1300曲のランダムになってない。
PCにつないで調べてみたらどうも後から入れた曲がサーチされていないように思う。
起動時に曲のデータベースを作り直しているんだろうけどそのあたりに不具合があると思われ。
曲数が多すぎるのか、分けて転送するとダメなのかよくわからんが、とりあえず一度クリアして、600曲程度入れ直したらキレイに選曲されるようになった。
エアロスミスとかホワイトスネイクも聞けてとてもよい。

2010年11月16日

少し寒いが我慢できるな。まだ通勤にアウターがいらないレベル。
自宅も会社もこの時期になって蚊が多い不思議。

昨日(11/15)も遅く帰ってきて映画みた。「ジョーズ」
劇場でも見たし何度目かわらんがやっぱり見てしまう。面白い。
中学校のときに定期試験の最終日に学校が割引券くれて、映画が見れた。
「ジョーズ」はその割引券で見たと思うのだが判然とせん。

中学校で最初に見たのはオリエント急行殺人事件だと思う。
オリビアハッセーの「ロミオとジュリエット」とか、「ジョーズ」の学者役の人が出てくる「未知との遭遇」もそれで見た記憶がある。
「地獄の目次録」は高校生になっていたと思うが、つまんなくて途中で寝てしまった。
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土曜日(11/13)、川内の小さい喫茶店でちょっとしたライブやった。
アコギ二本のフォークデュオで70年代の曲をやるという、ちょっと恥ずかしいパターンであった。スタンスが中学生みたいだ。
でも、実は2人だけで30分以上のライブをやるのは相当にしんどいことがわかった。
普段バンドで、ドラムやベースのかっちりしたインフラの上で演奏してるのって、ラクしてるんだよね。

それよりここ最近、割と"ぱつんぱつん"な状態で仕事しているので、久しぶりに人が集まって騒げて楽しかった。
最近お酒飲まなくても、素で騒いで楽しい。
もともと弱いのがあまり飲まなくなってますます弱くなっているようで、たまに缶チューハイでも飲むと疲れが出てしんどい。
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来月もうひとつ演奏予定があって、それではアランフェスを「吹く」。
で、練習するに、果たして自分はアランフェスに行ったことがあるのかないのかよくわからない。

1985年前後に2回に分けてスペインを回ってて、マドリッド周辺の小都市はトレドやセゴビアやアビラ、エルエスコリアル、クエンカなど記憶があるが、アランフェス行ってるはずなんだけど全然覚えてない。
本当は行ってないのかもしれない。25年も経つとわからん。
ちゃんと記録を残しておかないと、こうやってどんどん記憶から抜け落ちていって、経験したこととしてないことの境界が曖昧になる。

ピアノの譜面を清書しなければならないのだが、土曜日のライブではしゃぎすぎたのか ひどく疲れて日曜日はずっと寝ていた。
夕方食事してから打ち込みを始めて夜遅くに譜面を印刷した。
xpのソフトからどうもキレイに打ち出せなくて、Windows98から出そうとするに、xpから98マシンにMIDIデータを移す方法に悩む。
USBメモリも含めて共有できる媒体がない。
結局98マシンをネットにつなぎ治して、転送した。
最初からそうすればいいのだけど、もう98でネットせんし怖いし、なによりそのラインは普段XBOXで使っているので98はずっとオフラインだ。

次の日の昼休みにてくてくてくてく歩いてピアニストのアパートの郵便受けに丸めた楽譜を入れて、また歩いて会社に戻った。認識していた距離より1、2割遠くて、往復で45分くらいかかった。
足にまめが出来た。

2010年11月22日

車検後二週間でエンジン壊れたでござるの巻
くっそ忙しい時に車が壊れて怒ってござる。
11/17(水)帰宅時に、後方で「パンパン」いう音を聞く。
古いトラックでも後ろにいるのかと思ったら、自分の車のマフラーであったでござる。
どうもエンジンがちゃんと回っていない様子で、アクセル踏み込んでも「バンバン」うるさいばかりでスピードが出ない。
古い軽自動車に乗っているような感じ。
こっりゃヤバイかな思いながらゆっくり走らせて帰る。

コントみたいにいきなりボワっと煙が出てそのままエンジンがお釈迦になる・・とかそういう雰囲気だよ。

翌朝も家から20分程走ってからまたパンパン。
会社の近くのディーラーの前まで行ったが、まだ開店してなかった。

昼休みにそこに持ち込んだ。その時は正常であった。
会社までは歩いて帰った。
夕方連絡あるに、それから何度か走ってみたが俺が言ってる症状が出なくてわからないとのこと。
代車もないていうことなのでしかたなく、また歩いて行って乗って帰った。

しばらく問題が再発せず、金曜日の帰りにまたパンパンパン。
よく土曜日はいろいろ用事があってディーラーにいけず。
日曜日(11/21)に今日中にどうにかしようと決心して朝、論田のディーラーに持ち込む。
持ち込む前に近所をくるくる走り回って、パンパン症状が出てからもってった。
その後もあれこれあったのだが、結果的にはイグニッションコイルの不調で、サービスの人がいうには多分内部で電気系統に接触が悪くなってるとこがあって、そこがつながったり切れたりするからこういうことになるのであろうと。

なんで車検の時に発見できんのだよとイヤミを言ったら、工賃をタダにしてくれたが、イグニッションコイル2つの部品代はちゃんと取られた。

後でネットで調べてみると10万キロくらい乗ってるとそろそろ壊れる部品みたいですね。

8月にオーバーヒートして直して、10月の車検もあれこれ結構な支払いになって、更にコイル問題と金がかかってしょうがないのだが、こうなったら意地でも後2年のるでござる。

2010年11月24日

カホンよい。お酒弱い
年齢のせいなのであろうか?

ここ1年くらい?か、どんどんお酒に弱くなっていて、例えば週末の夕方に晩酌用にと白鶴マルカップ200mlを105円で買ってきて、ペットボトルにまるごと入れ替えて、同量の水を加えてよくふる。
倍に薄まった貧乏くさい酒を何時間かかけて飲むのだが、それでも酔ってしまうので途中で休んで寝てしまったり、チェイサーに麦茶を飲んで誤魔化したりしている。で、結局寝るまでに全部飲みきれなくて、残ってしまうていたらく。高校生みたいになった。

あまり高くないウィスキーが好きで、ブラックニッカを3日に一瓶くらい空けていたのが嘘のよう。この時期になるとお湯で割って飲むのが楽しみだったのに。

あとビールや発泡酒の類を全然飲まなくなった。苦い。ホント子供みたい。

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打楽器のカホンよいです。知りませんでした。
土曜日にピアノとカホンとシンセでアンサンブルした。
カホン奏者が小さい箱を持ってきて、僕は実は実のところそんなには期待してなくて、ポコポココンコンと、まあテンポキープくらいのためにと思っていたのだが、「ここ叩くとバスでしょ、このあたりがスネアでしょ」おうおうホントだ。
でその人上手くて、ちゃんとゴーストノートぽい音も出せて、めっちゃドライブ感あるのよ。
がぜんアンサンブル意欲が出てきて、こりゃ深い16ビートを叩いてもらってファンクするような曲なにできないかとか考えている。

2010年12月12日

今年の仕事終わり・音楽会で吹く
11月末から12月始めにかけて、長期かかえてた案件2つのサービス・インがあって、「予想外に」大した問題もなくスタート。
1つは、2月くらいから企画が始まって、11末インというあまり経験しない長丁場であって、最後のあたり依頼元とケンカしたりばたばたしたのであるが、無事スケジュール通り、初期の要件を満たしてスタート。
9月-11月、毎日毎日todoリストが満載であって、何をどう優先度つければいいのか把握しきれないので手当たり次第になったけど、結局、なんだかんだ勢いでどうにかなってしまったね。
WEBサービスのサービスイン時の緊張感ヒリヒリ感は毎回しんどいが、無事終わってしまえばこんなもんかと思ってしまう。
というわけでとりあえず「今年の仕事」は、おおかた片づいたので、割とヒマです。
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土曜日(12/11)に音楽会があった。
ライブでなくて発表会みたいなもので、今回初めてウィンドシンセのソロを、ピアノとカホンをバックに演奏しました。
ヤマハのWX-11という随分古い機種で、シンセだからいろんな音がでるんですが、基本オーボエ奏者の気分で出演。
今回は、バンド形態では絶対やらないようなこと演りました。

1曲は「アランフェス協奏曲」の2楽章の主題部分。
短いので中間部分にベートーベン7番に2楽章を、デジタルロック的解釈で。
カホンが16で叩いて、7th・6th和音のピアノ、それにベートーベンのメロディが乗るといった、偉そうに言えばマイルスデイビス的アプローチね。

もう一曲はハウルの動く城のテーマ「人生のメリーゴーランド」。
フルオーケストラアランジをばらして、ピアノとシンセにわけて2重奏にした。この作業は面倒だが割と楽しかった。
シンセはオーボエの音色が中心だけど、アコーデオンやフルート、ホルンなどの音を切り替えながら、主題吹きつつ、ピアノの旋律のオブリガード付けつつみたいな構成。
若くて美人のクラシックピアノの女性が伴奏してくれたんですが、こういのってやっぱ音楽やっててよかったなって思うのよね。

10月に1回、11月に2回、ピアノのあるところを探して放浪しつつ練習したのだが、上記の仕事の山が続いてる最中で、個人練習あんまりできなかったね。
それでも繰り返し吹いていると、往年の「管楽器の感」みたいのが蘇ってきた。それは主に運指なのですが、シンセ側が様々な楽器の特種な運指に対応しているので便利。

とにかくバンドで吹くのではなく、ソリストして演奏するというのは気持ちよいものです。

2010年12月13日

娘が足にケガした顛末
水曜日(12/8)の午後、仕事中に携帯に連絡が入り出たら高校二年の娘で、「足にケガしたから来てくれ」という。いきなりでよくわからないが、保健の先生が代わって電話に出て説明があり、とりあえず会社は午後休みにして学校に向かった。着いたのが2時過ぎ。

ケガした本人が電話してきたので、あんまり心配はしていなかったのだが、病院行くのに保険証がいるので、妻の勤務先に連絡して、しまっている場所は聞いておいた。
学校で事情を聞くと、自転車で通学途中に、停めてある自転車に接触してケガしたそうで、朝一で保健室に行ったのだが、保健の先生が外出していて他の先生が見て、まあそうたいしたことないだろうと包帯を巻いておいた。
午後保険の先生が帰ってきて、娘のケガの様子を見るに、結構な裂傷で出血もあるので、親を呼んで病院に行った方がよいということで、私が呼び出された次第であった。

学校の近くの外科を紹介されて、そこで診てもらっている間に一旦帰宅して保険証を取りだし、更に銀行に寄ってお金をおろしておいた。
外科に戻ると、裂傷を縫って治療してもらった娘が出てきた。
念のためにレントゲン撮ったそうで、しばらく待って、終わったらこのまま帰って週末の音楽会に備えて散髪に行こうとか考えていた。

ところがお医者に呼ばれて話しを聞くに、予想外にケガが大ごとで、右足小指が骨折していると。
確かにレントゲン写真を見ると、素人目にもあきらかに変な方向に小指の骨が向いてしまっている。
「こりゃ整形外科でないと対処できない」そうで、小松島の日赤病院に紹介状を書いてもらった。
なんだか面倒なことになってきたが仕方ないのでそのまま南下して日赤病院に向かう。
日赤は娘が幼稚園の頃に額にケガしてやっぱり日赤の形成外科に診てもらった以来だから、13年ぶりくらい?
びっくりするくらいキレイで近代的な総合病院になっていた。

救急外来に行った。
なんとなくいつまでも子供のつもりなので側にいたら「お父さんは待合室で」といわれてそりゃそうだよな。
ちょっとイケメソな若い整形外科医で、とても痛い麻酔をされたあと、力ずくでずれた指を引っ張って元に戻したそうで、外科で縫った部分は再治療せずに済んだのは幸いであった。
ギブスをするほどではないが、しばらくはテープで固定しておく必要があるそうだ。

治療が終わってから整形外科医から、次回どうしましょう?ここで診ましょうかといわれて、また町医者で一から説明するのも面倒なのでそうすることにして、金曜日(12/10)の午前中に予約を入れた。
ちなみに日赤では予約代が税込み1050円取られる。

小指だけだが、さすがに骨折は骨折なので随分痛いようで、麻酔が切れてくるとますます痛いようで。
水曜日にケガをして、木曜・金曜日は学校は休ました。

金曜日は会社を休みにして午前中日赤に行って帰って、あと散髪その他の用事を済ませ、午後楽器の練習をしたり昼寝したり呑気にしていた。

でこれで終わりではなくてまた次の金曜日(12/17)に日赤に赴いて、レントゲン撮って検査する。
しばらくは自転車にも乗れないので、登校時は車に乗せていき、帰りはタクシーというい生活になる。

妻が早速実家に電話したところ、予想通りおばあちゃんがお見舞いのメロンを贈ってくれることになりました。

2010年12月16日

鉄道旅行計画中
久々に18切符を使った貧乏旅行を思案中。

12/30に松山経由で高速艇→広島泊
12/31から九州周遊に出る。
・かねて未踏の南九州をまわる。
・ドローカル線になった日豊本線を全線乗る。
・肥薩線とか豊肥線とかも乗りたい。
1/2長崎から一日かけて広島まで。
・広島で同窓会に出る。
1/3一日かけて徳島に戻る。

・・みたいな貧乏鉄道旅行を考えている。
年末年始の宿をどうするとか全然考慮してない。

松山から広島に行かずに、佐田岬→フェリーで国東半島→大分というルートも考えたが、大分を始点に鉄道で南下するのはもうほとんど不可能なくらい便が悪い。

九州のローカル線も四国同様瀕死状態で、今の内に乗っておかないと路線が半分くらいなくなるのではないかと心配している。
こういう趣向で鉄道に乗る手合いは基本的に新幹線を嫌うのだけど、僕もそう。

ぼんやり一人で見知らぬ土地の鉄道に乗っていると、非日常が過ぎて仕事とか家族とか自分の年齢さへも意識から消える。
これが海外だと自我の存在さえも怪しくなるくらい現実感がなくて、それはすごくよいですよ。

2010年12月25日

ホイチョイなあの頃
クリスマスイブではあるが特に予定がなくて、子供が大きくなってからは特に行事めいたことがどんどん減っている。
年明けに着手するつもりだった案件のソースコードをちょこちょこ弄っていると面白くなって、8時過ぎまで会社にいた。
帰ってから、TVをつけるとマイケルジャクソンのThis is it をやっていて、これをついつい終わりまで2時間以上見続けていた。
コルグM-3のブラス音が大活躍だなと思った。

僕が大学生だった1980年頃は、まだクリスマスはカップルじゃないとダメみたいな空気はなかったと思うのだけど、それってやっぱりバブルあたりからなのかな。
彼氏彼女か、少なくとも友人関係でなんらかのイベントがないと許されないようになっちまって、家族でケーキを食べているどころではなくなった。

1988年か89年のクリスマスに、当時住んでいた東京まで、当時つきあっていた妻にわざわざ広島から出てきてもらったと思うのだが、過去の能率手帳を探ると、1989年の12/23の土曜日だった。
新幹線ホームまで迎えに行ったら、そういうプレゼントらしき荷物をもった男女があふれていたような記憶がある。
JR東海のCMが山下達郎のクリスマスイブだったような。牧瀬里穂はもうちょっと後かな?
バブルだし師走だしで都内がものすごく混んでいて、特に週末はえらいことだった。

当時は親会社の新しいビルのシステム開発でものすごく忙しかったはずで、よく週末は徹夜で作業してそのまま土曜日も働くとかしてた。
でもスキーの予定もガンガン入れてて、その能率手帳の年末あたりにそのシーズンの予定・予算が書いてあって、五竜(長野)+蔵王(宮城)+安比(岩手)+志賀(長野)+八方(長野)+志賀(長野)ての。3月末までびっしり。
ほんとホイチョイに踊らされて浮かれた若者そのものだったな。
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本日(12/25)は自室の掃除。
楽器、PC、ゲームその他器材類を常設しているのでものすごくホコリがたまる。
ある程度セッティングを解体しないと掃除できないのがつらい。

また最近になって、中2の息子の成績が極めてよくないことがわかって英語を見てみる。
懐かしホライズンだけど、中2英語てこんなに内容が薄かったか?てくらい薄くて簡単。しかし成績がよくないのでどうにかせんといかん。