日々雑談  2009年7月〜12月
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2009年7月7日

ベントファブリック
最近ラジオで聴いて知ったピアニスト。1942年生まれって、80代半ばくらい?
http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/bent_fabric/index2.html

ジャズ・ピアニストとあるが、下の曲ではブギウギとかラグタイムとかいった系統っぽい。
「JukuBox」・・・すごい、ご機嫌です。
http://www.youtube.com/watch?v=KMU_J-AAycc

NapsterでアルバムをDLしました。
クラブ系ありR&Bありラテン系あり、歌もの中心で、ピアニストというよりは作曲やプロデューサーかな。
ちょとみっけもん。
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土曜日(7/4)に久しぶりにうどんツアーに行ってその時に車で聴いた菅野よう子
好きな人多いですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/菅野よう子

ソロとしては「信長の野望」やマクロスあたりが始まりらしいが、ここらは知らない。
僕はどこで?と思い返すに、最初は「∀ガンダム」かな。
それからなんつっても「攻殻機動隊」。マトリックスのDon Davisばり。
作曲家としてもすごいけど、打ち込みに秀でているのか、専属のエンジニアがいるのか。
とにかく攻殻がめちゃくちゃよくてこれはサントラを3枚入手しました。
その後にJazz系の「カウボーイビバップ」。
更にFMでよく聴くCM「Seeds of life」。メロディアスなピアノ曲。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1783449
この人はなんでもありやね。

他に最近、昭和テイストの暑苦しさがいい「熱帯JAZZ楽団」がお気に入りです。
http://www.youtube.com/watch?v=mm1Zq31v6gI
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とかいう音楽ネタは前振りで、非常に気分を害することがあって午後からずっとしんどい。
社内の打ち合わせで、上司と二人で出てて、思いっきり上司が僕の名前を間違いやんの。
それはトリとかシマとか間違えるというのではなくて、別の人の名前を言うのよ。
もう何年も同じ間違いを時々されていて、一々怒るのも大人げないから我慢してた。
今日はなぜか妙に癇に障って、あまりの不愉快さにその後のMTGの内容が上の空であった。

理由はよくわかるんだよね。
担当業務が被っていて、年齢が近くて、更にどちらの苗字にも子音にK、Sがあって、発音上ちょっとくらいは言い間違いをしやすいかもしれない。
決して「似た姓」ではないのだけどね。
つまりは意識の中で、部下の2人がちゃんと分離して認識できてないんだよね。
もっと言えばおれはもう一人のオマケみたいに認識されているわけですよ。
もう3年以上同じ顔ぶれで仕事してて、未だにこれかよっての。
モチベーション下がりまくりで、腹が立つやら悔しいやら情けないやらで、ずっと鼻水が出ていますw
明日起きても腹が立ってたら一度はちゃんと文句を言うべきかと思う。

2009年7月8日

電波利権
最近知って驚愕したのだけど、ケーブルテレビでデジタル放送にすると地上波の受信可能チャンネルが減るらしい。
現在はアナログ放送受信で、在阪キー局5局+兵庫サンテレビ+テレビ和歌山 が入る。
これがデジタル移行すると読売テレビとテレビ大阪、サンテレビ、テレビ和歌山が入らなくなる。

腹立たしいのは僕が見ている「テレビトクシマ」がそのことを隠匿してデジタル移行しようとしていること。
http://www.tcn.jp/www/service/channel_ground.html
これだと一見全部見れるように思えるが、上記4局は入らないらしい。
月一で送ってくる番組表にもそういった記述がない。

一方、デジタルにするとケーブルの受信機レンタル料は、月々800円以上上がる。
「料金アップ+サービス劣化」というバカにした話し。
意地でもアナログのままでいこうとしても2011年にはアナログ放送が停止してしまう。

近隣のケーブル局のサイトを見てみると、
徳島市に隣接する、北島町のケーブルテレビ。
http://www.cue.tv/channel-digital.html
読売テレビ・テレビ大阪が見れないが、サンテレビ、テレビ和歌山は入る。

徳島市内国府のケーブルテレビ
http://www.kbctv.ne.jp/chan-bas.htm
4局ともNG

どうもテレビ電波ていうのは「県域放送」が基本で、本来大阪の電波を徳島で視聴することは想定外らしい。
ただ徳島は民放が一局しかなくて、それはいろいろ事情があるらしいが、大抵の人は在阪局を見ている。
ケーブルテレビだと「区域外再送信」という。
http://ja.wikipedia.org/wiki/区域外再送信
↑この記事の中で、
>>デジタルでは四国放送側の意向により再送信されていないケーブルテレビ局もある
地元局の四国放送(JRT)がマーケット独占のために、区域外再送信をしないように圧力をかけている。
これは徳島に限ったことではなくて、例えば広島は元々テレビ東京系列局がないのだけど、ケーブルで再送信しないようにRCCなど地元局が抑えている。

地上波の電波は区域ごとの特権だからそれを侵すメディアは潰されてしまうのだ。
これって規制緩和にめちゃくちゃ逆行してないけ?
地上波局がケーブル局に圧力をかけるのは、スポンサーとか政治家とかどろどろした力関係があるのだろう。

しっかし腹立つのは一局で独占しようとしている四国放送(JRT)の姿勢。
完全に企業側の論理で圧力をかける姿勢は許せん。
こんなローカル局必要ない。全然見てないので、とっとと潰れてほしいと思う。
いっそのこと徳島は電波上「近畿圏」に入れてもらって、民放を全部大阪や兵庫からもらえばよい。
どっかに訴えでるとことがないだろうか。

てかアナログ停波のときに暴動が起きないかな。

2009年7月9日

「ナポリターノ」伊大統領
イタリアでは普通にある姓かもしれんが、イタリア人コントに出てくる役名みたいだ。
しかも共産党出身だと。

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http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51284361.html
「はじめてエヴァンゲリオンを見た奴等の反省会場」
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47 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
綾波はかわいいと思ったけど
長門のパクリな気がした

51 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
>>47
それエヴァオタを発狂させる呪文みたいなもんだから注意しとけよ
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あはは。

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先週土曜日にうどんどか食いしたせいか?
体重が一旦急増後、前より減り始めている。
もしかしたらたまには暴飲暴食することで「減量スイッチ」が入るのかもしれない。

2009年7月13日

エンドレスエイトが終わらない件
>>涼宮ハルヒの憂鬱のエンドレスエイトがついに5週目突入決定!!
>>2ch各板で悲鳴、怒号、罵声、失望の声が飛び交う!!
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/51979307.html

何がどうなって騒いでいるのかよくわからなかったのだが、HDDにためてた過去1ヶ月分を見たらわかった。
「エンドレスエイト」という話しが1話で終わらなくて、4回ループしている。
ここ最近4話分が基本的に同じ内容。

夏休みの後半の描写→ああ明日で休みも終わりだな・・という話しなのだけど、1週後の次回ではまた同じ話しが同じところから始まってしまう。
只、全くいっしょではなく比較して見てみると微妙に違う。
場面の切り替えとか着てる服とか。

これはハルヒが「このまま夏休みが終わってしまうのはイヤだ」と思うことで、時間がループしている・・という設定だそうです。

SFモノでこの手のループはよくあるけど、大抵は1話分の中で何度か繰り返して結局なんらかの新展開があってループから抜けるものだろ。
本当にn回分の放送を使って30分の話しが何度もループする番組って前代未聞ではなかろうか。
僕は特に思い入れがあるアニメでもないし、今回初めて見てるのでどうこう思わないが、ネットでヲタが大騒ぎだ。
きちんと毎週見ている人はそりゃ怒ると思う。

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http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/B001LF3M9E/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=13299531&s=toys
画像は「涼宮ハルヒ 激奏Ver.」のフィギア。
全く予備知識無しでこれをネットで見て、うわ格好いいなて思ったのだけど、まだ買ってはない。
欲しいことは欲しいが、ヲタクの娘(15歳)が恥ずかしいから買ってはいけないという。

文化祭でハルヒが演奏する「GOD KNOWS」
http://www.youtube.com/watch?v=rWOH3pt-yCk&feature=fvst
これがなかなか格好良い。
ベースとドラムの描写がこの手のアニメにしては割と丁寧でないか?
ベースでグイーンてスライドさせる感じとか、ドラムのハイハットとスネアの叩き方とかさあ。
ギターの抑え方はめちゃくちゃだけどな。

ハルヒが弾いているギターはアニメではよくわからないが、フィギアではリッケンバッカーだそうです。
ギブソンのセミアコかと思ったけどよくみたらf穴が上側1個だけだ。
リッケンバッカーてハードロック系のベースでは有名だけどギターのことは知らなかった。
リードギターの長門の楽器は白のギブソンSG。
ベースはフェンダーのプレジションに見える?
いずれにせよ普通の高校生は日本メーカーのコピーモデルだろ常識的に考えて。二光の通販モデルだっったり。

平野綾が激奏するリアル版「GOD KNOWS」。
これはフェンダー・モズライトではないかな?ムスタングかな?
http://www.youtube.com/watch?v=vDwtCkspyiI&feature=PlayList&p=1E0129EE7AA97537&playnext=1&playnext_from=PL&index=6

2009年7月15日

パノムルン遺跡

遺跡の寺院踊るシバ神のレリーフカンボジア国境を望む




タイ東北部の町コラートから、パノムルン遺跡まで100キロ程度だが、交通の便がよくなくてどうしようかと考えていた。

パノムルンはイーサン地方のこのあたりが、12世紀頃にクメール帝国の一部だったころのもので、アンコールワットを中心とした寺院遺跡群の1つだ。
タクシーを1日チャーターして往復できないものか、ホテルのフロントで調べてもらったが、1万円近くかかるということであきらめた。
街中のタクシーをいちいち停めて交渉してみれば、その半額くらいで行ってくれる車があるかもしれないが、言葉の問題があって面倒だ。

コラート市内のバスターミナルからスリンという町に向かう長距離バスに乗る。
目的の遺跡に行くのに、途中のバーンタコで降りなきゃなんないのだが、どこがどうだかわからん異国での移動だ。
乗るときに車掌の若い女性に、「バーンタコ、バーンタコ」と主張しておく。

でも彼女は車内で流してたブルース・ウィルスの映画に夢中になっていて(「ティアーズ・オブ・ザ・サン 」だった)異邦人観光客のことを忘れてしまい、私はバーンタコで降りられなかった。
何キロか先のプラサートまで行ってバスを降り、逆方向のバスを捕まえてもらって、改めて「バーンタコ、バーンタコ」。来た道を戻る。

30分ほど戻ってバーンタコのターミナルで降りるが、そこから先は交通機関がない。
辺りを見回すにタクシーもいない。
て、何台か客待ちをしていたバイタクと交渉。
片道20分程の行程の往復を1200円てことで、若い男のバイクの後ろにまたがる。

バイクは100CC程度の小型車だが、そもそもこういうのに乗った経験がほとんど無いので怖いこわい。
田舎道だが、きちんと舗装されていて交通量が少ないのでひどく飛ばす。後ろからのぞき込むと80kmくら出ている。
ノーヘルだし、もし転倒したり振り落とされたりしたら、簡単に死んでまうだろうな。
異国の辺境地で、観光のために命かけて、おいら何やってんだろうなと思う。
強い風を正面から受け続けて涙やら鼻水やらでて、落ちないように運転手にしがみついて、あたりの風景をみる余裕もない。

途中から山道に入りその頂上部に目的のパノムルン遺跡があった。
朝10時頃コラートのホテルを出て、遺跡に着いたら14時を回っていた。
遺跡には観光客が少なく、何組かの団体だけだった。
認識できたのはタイ人と、中国人。
中国人の団体はどこでもにぎやかかだ。

遺跡から南方向にイーサンの草原地帯が広がる。
その向こうはカンボジアのジャングルだ。

同じ行程をバイタクとバスでコラートに戻る。
帰りのバスでの映画はダイハードだった。
タイ人はブルースウィルスを特別好むのだろうか?

2009年7月22日

徳島にて日食観察
午前11時5分前に仕事抜け出して駐車場から空を仰ぐ。
この時間なので太陽はほぼ真上。
全天雲で、こりゃあダメかなあと眺めていたが、11時の直前と直後にそれぞれ数秒間、雲越しに太陽が見れました。
どう見ても三日月にしか見えない風情の細い太陽でしたで。

この後ピークの11時5分頃はかなり雲も厚くなってきて、太陽が出てきそうにもなかったし、仕事もあるので自席に戻りました。
娘は学校で見たそうです。

徳島の部分日食ではあたりが暗くなるような変化はありませんでした。

さあ、次は2012年5月21日に金環日食があるそうなので、今度はちゃんと日食グラスを用意しよう。
できれば室戸岬のさきっちょまで行って観察したい。

2009年7月27日

コラートからバンコク
2009年6月9日。旅程5日目。

タイ東北部の町コラートに2泊滞在して、当初目的のクメール系遺跡を見れたので、ま、今回の旅行の大目的の1つはクリアした。
夕暮れ時のコラートの街の中心部はすごく幻想的な雰囲気に包まれて非常に惹かれるものがある。
泊まったホテルも安くて快適、レストランでビールをついでくれた女性は英語がさっぱりだが、すごい魅力的だった。
だが、あんまり旅程に余裕もない。
3日目の朝の列車で一旦バンコクに帰ることにした。

普通列車の切符を購入しようとすると駅員「ツー・レイト」という。
遅くきたから切符が買えないのかと思ったら、「普通便だからバンコクまで時間がかかるよ」て意味のレイトだった。

コラート8時20分発で、バンコク着が16時40分。
途中アユタヤから大勢の外国人が乗ってくると予想していたが、そうでもなかった。
少なくとも日本人らしき旅行者の姿は見えず。
アメリカ人らしきカップルが近くに座っていた。
いつもながら彼らバックパッカーの荷物のでかさには驚く。どういう体力だ。

バンコクに着いたらすぐにバスターミナルに移動して、高速バスでカンチャナブリに向かうつもりだった。
ところが駅のタクシー乗り場いたおばさんにその旨いうと、おばさんは日本語で(!)「この時間だとバスターミナルまで2時間かかるよ」だと。
夕方の大渋滞の時間だかららしい。
ていうか、バスターミナルが都心から遠くしかもそこまでの移動手段がない。
これってどうにかならんかな。
件のおばさんは僕のために、バイタクを捕まえてくれると言ったのだが、ぼくはその日のうちにカンチャナブリに移動することはあきらめて、バンコクに泊まることにした。

というわけでいそいで急遽「歩き方」で宿の目星をつけて、国立競技場まで移動、「ウエンディ」というゲストハウスにする。
適当に決めたけど清潔だし買い物に便利だしよい場所だった。

結局移動だけの1日になってしまったが、楽しみにしていたタイ古式マッサージに行ってみる。
2時間で500B(1500円)、安いしよだれがでるほど気持ちよかったです。

2009年7月28日

タマホームのCMで、ディープパープルのBurnの替え歌。
http://www.youtube.com/watch?v=9Qh8jROBV5w
缶コーヒーのブラックナイトもそうですが、我々の世代はこういうCMを見ると過剰反応してしまいますね。

ボーカルはリッチー・コッツェンという人らしいです。
最初テレビで見たときはカヴァーデルのオリジナルとしか思えないくらい似てると思いましたが、まあカバーだと思って聞くとちょっと違うかな。

サビ直前の「オーラーヒー」(♪All I hear-)の"グレーン・ヒューズ"ぽさまでコピーしてあってすごい。

ギターのホンモノとの違いは全然わかんないですね。
リッチーのコピー云々というよりは、あの時代のあの音を再現したエンジニアの腕かな。

キーボードは難波ひろゆきで、「コルグのデカオルガン使用」だそうです。
http://www.vega-net.ne.jp/namba/

普段古い器材の通ぶっていていますが、恥ずかしながら知らなかったのです。
コルグが1971年に出した楽器。
http://www.ishibashi.co.jp/academic/history_of_the_keyboards/korg/korg_deka_organ.htm

所謂「コンボオルガン」というジャンルでしょうなあ。
ヤマハやエーストーンにもあったと思う。
基本的にハモンドのC-3/B-3のクローン。

パープル、カルフォルニアジャムのBurn
http://www.youtube.com/watch?v=pfzv3bf9-OY

しかし住宅メーカーが「Burn」ていいんでしょうかね?

2009年7月29日

【電話相談】最近夫の行動がおかしいんです

中学生の頃、夏休みの昼間にラジオを聴きながら宿題をしていた。
よく覚えているのが、NHKの電話相談みたいな番組で、それは子供向けではなかった。

中年らしき主婦からの相談で、「夫がホモになってしまって」といった内容がすごい印象に残っている。

ニュアンスとしてはもともと『普通』だった夫が、最近妙な行動をとるようになった・・・といった感じ。

ちゃんと仕事もしてて、子供もいる家庭の夫婦らしいのだが、
「夫が男の人とつきあっているらしい」
「夫が女性用の下着を買ってタンスにしまっている」
「夫は、男の人から電話があると、女性の下着をつけて『いそいそ』とでかけていく」
「夫が妻に対して『女は子供を作る道具だ』とバカにする発言をする」
といった内容だった。

僕はまだ中学生で、そういった倒錯した世界を全然知らなかったから、全く理解できなかった。
今でもできんけど。
おっさんが"女性の下着をつけて『いそいそ』と"というフレーズはものすごい印象的で、なんとも異様な光景をリアルに想像させた。

相談に対して専門家がどういう回答をしたのかは、全く覚えていない。
現在の私は、ある程度世の中の多様性を認識しているつもりだけど、この主婦に何か助言することはとても不可能に思える。

毎年夏休みの時期になるとこれを思い出す。

2009年8月3日

タイの印象
ほんの1週間ですが、タイでバンコク+αに滞在してみて、ああやっぱり未知の場所て行ってみないとわからんな、といろいろ気がつきました。
たくさんあるので適当に分けて書きます。

1.服装は割とフォーマル
暑い国だけどTシャツ短パンなんてほとんど見なかった。
いるとしたら外国人だけだ(白人バックパッカーに多し)。
大抵の人はちゃんとエリのあるシャツを着ている。
特に若い女性はアイロンのかかった白いブラウス+紺のタイトスカート+裸足にハイヒール、が多いように思った。
なんだか学生のようだが、会社勤めの場合にそういう服が「自前の制服」なのかもしれない。

2.メガネかけない
不思議とメガネをかけている人が全然いない。
タイ人は近眼にならないのであろうか?
逆に日本人のメガネ率が異常なのだろうか。

3.足を組まない
これは宗教的な理由だそうです。
足の裏を見せるのは大変失礼なことだそうで、列車やバスで大勢人が座っているところで見渡してもだれも足を組んでいません。

4.傘を持たない
私が滞在した6月は雨期で、日に1、2度スコールがあるが、傘を持って歩いている人は珍しかった。
降るときは土砂降りだし、裸足にサンダル履きだし、待ってりゃやむだろうってのか、濡れないところに逃げ込んでひたすら待っている。
「雨の中を傘をさしてあるく」のもひとつの日本文化なのかも。

5.もの静か
外国人をそんなに知っているわけではないけど、例えばスペイン人はフランス人よりもテンションが高くてうるさい。
タイ人が列車やバスで静かなことにちょっと驚いた。
家族や友達で乗っている人もいるだろうに、日本の通勤電車の中のように静かだ。

6.道路は完全に車中心
これはかなり危険な状態。実際に事故が多いらしい。
右折左折時に歩行者のことなど頓着しない。
信号だけを信じて横断歩道を歩いていると、はねられます。
逆に信号が赤でも、手を挙げて無理矢理車を止めて道路を横断する歩行者も多い。

僕はこれににたよく似た状況をローマで見た。
交通マナーにもいろいろあるものだと思う。

2009年8月10日

エヴァ破・ETC割
木曜日(8/6)から休みにしていて、高知の方へ海でも行こうと思ってたのだが、台風が近づいてそれどころではない様子なので、うむどうしよう、暇だから公開中のエヴァンゲリオンの「破」を見に行こうかと思いついたが、四国内で上映しているところがほとんど無くて時間の都合も悪いので、神戸の映画館まで出向くことにして、子供2人つれて見に行ってきました。

鳴門から明石まで開通してから10年くらい(全線開通1998年)ですが、これ走ったのって10回くらいかな?
いずれも旅行がらみ、スキーがらみですな。
通常料金だと神戸淡路鳴門道だけで片道5200円します。
映画だけで神戸に行くなんて贅沢な話しで、ETC割引で1000円ですからそういうこともできるわけです。

普段は、淡路島内の道路は走っていても前も後ろもほとんど車がいなくて、夜中なんぞハイビームにしてもこの先の道路がどうなっているのかよくわからないくらい車が走っていないのですが、今回は普通程度に走行車がいました。
普通程度というのは走行車線に遅い車がいると時々追い越しする必要があるという程度。普段はそれさえも不要なくらい空いています。

自宅からちょうど2時間で、阪神高速の京橋で降りてそのまま三宮駅近くの駐車場に入れて、神戸シネリーブルという映画館で見ました。

一作目のヱヴァンゲリヲン新劇場版「序」が割と元のアニメと大差ないように思えたので、そーんなに期待してなかったのだけど、「破」はもう原作アニメのストーリーがほとんど残っていません。
新キャラ「マリ・イラストリアス」は期待したほど出番がなかったが、新展開多くてかなり面白かった。
音響もよくて映画館で見てよかったと思いました。
ストーリーが濃いのでついていけない部分もあって、徳島で公開されたもう一度見たいくらい。

映画の後、近くで食事して、商店街のケーニヒスクローネでケーキを買って、帰ろうとしたら阪神高速が渋滞のためインターが閉鎖されている。
そういう閉鎖があるってのを初めて知りましたが、神戸長田から別ルートを北上して少し遠回りをして徳島に帰りました。

高速1000円は場当たり的な政策であんまり評判よくないですが、普段四国内や本四架橋の利用率は異常に低くて、こんな高速必要あんのかと思うくらいめちゃくちゃ空いているのを考えれば意味があるかと。

膨大な税金を投入して作った道路が全然使われてないくって、それでも存在すれば保守費用その他も莫大かかっているわけで、インフラは使われなければ意味がないですから、そういう意味では今回の政策が高規格道路の使い方に風穴があいたのではと期待したい。

ただ本四架橋低料金のおかげで、四国に経済効果あるかってのはすごい疑問です。
特に徳島なんて通過するだけだろうし、徳島人は神戸大阪までますます気軽に買い物に出てしまうし、近畿消費圏の一部になるだけでしょうねえ。

2009年8月11日

初めてのぞみに乗る

0系500系700系

8/8(土)に徳島から広島まで帰省するにあたって、高速バスを取ろうとしたら、何がどういうわけだか何日も前に既にいっぱいになっていて、それも増発便含めてバス2台が残席ゼロという状況。
こういう時期に徳島から広島にでかけるのは、いったいどういう人なんだろう?よくわかりません。

というわけで今回はJRで移動しました。
青春18切符というわけでもないので珍しく特急利用です。
岡山から広島は更に極めて珍しく新幹線を利用しました。

最後に新幹線に乗ったのが1996年3月で、当時いろいろ事情があって広島の実家に預けていた2歳の娘を東京まで連れて帰るのに乗ったのが最後。
それから13年間、一度も乗っていません。
東京-博多の「日本の背骨」ラインからはずれたところに住んでいると、まず利用する機会がない。長距離移動は新幹線より飛行機になる。

で前回が13年前だから0系、100系しか知らないわけです。いやもしかしたら300系は乗ったかもしれんけど。
少なくとものぞみは知らない。
そもそも鉄分多い人間ですが、ローカル線の乗り鉄なので新幹線にはあんまり興味がない。
興味がないけどとりあえず「のぞみ」には一度は乗っておかないとと思って乗りました。

で下りホームで待っていると、上り側に入ってきた車両(のぞみ28号)に驚いた。
えらい丸いチューブのような蛇のような車両で、なんて未来的造形かと。
これが500系だそうですが、後で調べたら実はもう引退間際らしい。
2009年現在、のぞみとして走っているのは2往復だけらしいですw
ま、なくなる前に見れただけでもよかったかなと。

そういう事情はそのときは知らないですから、これに乗るのかよワクワクしてたら下り線に入ってきたのは700系で、先頭車両の顔が妙だし、なんだか今ひとつでした。
のぞみは途中福山だけ停車で岡山広島の所要時間が40分ほど。
当たり前だけど速いはやい。これが在来線だと3時間かかります。

で、長らく乗っていなかったので忘れていたのですが、山陽新幹線てほとんど地下鉄状態なんだよね。
トンネルばかりで乗ってて全然楽しくない。
これって30年前からそうだったんだが、ずっと乗ってなかったのですっかり忘れていました。
旅というよりは単なる移動で、1時間くらいが限度だと思いました。
だから新幹線は嫌いなのよね。

2009年8月18日

タイ話続き

1.体格が華奢
特に若い女性でピザ系をほとんど見ない。
痩せているというよりは、骨格が細くて全体的に華奢な体型。
手足が長くスマートでバックシャンな女性がすごい多いです。
でもって追い越し振り向きざまに前からチェックするに、「このスタイルでこのルックスかよ」て失望することも多いいんだけどね。

でも浅黒く彫りの深いタイプにはすっごくエキゾチックで美形の女性多し。ドキドキします。
ただ、タイ人の価値では"肌は白いほどよい"だそうで、だから日本人女性はもてるらしい。

2.乞食が少ない
多分東南アジアをほとんど知らない諸兄は、それら途上国の都市部では、やたらと人が多く、乞食とホームレスだらけで、旅行者を見れば物売りの子供がたかってくる・・・といった混沌とした状況を想像されるかと思います。

僕もそういう先入観がありましたが、実際は全然違いました。
#私が20年前に初渡欧した当時のスペインは混沌でした。
バンコクでも、乞食はいないことはないけどほとんど見なかった。
街も基本的にキレイです。
観光スポットでもしつこい物売りの子供など全然いませんでした。

街は極めて整然としており、人々はおだやかで静か。
アジア途上国にありがちななステレオタイプな、雑多雑然・不潔・貧困・排他的といった街を期待すると見事に裏切られます。

3.喫煙者が少ない
タイも日本同様タバコがかなり規制されているらしいが、それにしても路上でも飲食店でも、吸っている人をほとんど見なかった。

4.帽子かぶらない、歩かない
暑い国なのに帽子をかぶっている人を老若男女ほとんど見ません。
白いシャツ+紺タイトスカートの女性が多い傾向とも共通しますが、割と単一の価値観にしばられがち、かつ見栄っ張りでであるようです。
そういう意味ではなんでも右に習えの日本人と共通しているともいえよう。

また裸足にサンダル履きがデフォのためか、暑いからか、歩かない。
どこのストリートの入り口にもバイタクやテンソーやトゥクトゥクが待っていて、ちょっとした距離にでも利用しているようです。
また、自転車は全然見ません。

2009年8月24日

新インフルパニック
またまた新インフルの蔓延で騒がしくなってきたなあ。

高校生の娘は修学旅行で9月に中国に行く予定になっていて、ものすごく楽しみにしていた。

5月頃、新インフルのある意味ヒステリックな国内の空気を感じるに、ああこりゃ95%くらい中止じゃねーか、て僕は言ってたのだが、その後5月6月と予想外に感染が拡がらなかった&かかってもそんなに大した症状にならない・・ていうのがわかってきて、世の中が次第に落ち着いてきた。

で、やっぱり中国だなって、学校から細かい日程表が配られたり、パスポートのコピーを学校に提出したりして、本人も親もすっかり行く気になっていたのだが、でもやっぱり結局中止になった。

その理由てのが可笑しくて、北京で姉妹校(?)でそっちの生徒と交流するてのが毎年の行事らしいのだが、日本国内で新インフルの患者多数発生ということで、北京の学校側から訪問を断られてしまった。
まあ、んな行事を省いても中国行って天安門とか万里の長城とか見てくりゃいいじゃん、て思うのだが、そこは学校のなんか方針があるのか、結果的に中国行きが無くなってしまった。

で代わりに北海道に9月中旬に行く予定なんだけど、今になって再び感染警告発令になってきたので、これが2学期が始まればますます感染拡大は必至であると思われる。
最悪9月最初の週でいきなり学級閉鎖なり休校なりになりかねん状況で、そうなれば修学旅行どころではなかろう。

なんで寄りによって今年こんなことに、と娘は地団駄を踏んで悔しがっている様子だが、長い人生アンラッキーなことにぶつかることなんて全然珍しくないのだから、これはこれで良い経験になるのではないかと思っている。

2009年8月27日

ダイエット自慢
図は今年2009年1月から現在までの体重遷移。


今年はこの8ヶ月に、だいたい8キロ痩せた。
3月に当初の目標の57キロを切ってから以後、多少の増減があるもの、リバって、目標ラインを超えてないので、今のところはおkだ。

昨年(2008年)1月から始めたダイエット20ヶ月経過。
この期間を通すと、もとの体重のだいたい2割、14キロ痩せた。

この20ヶ月間、だいたい毎日30分のウォーキングを課してきた。
特に今年の2月末からは6ヶ月は、文字通り一日もサボらずに歩いている。
2/24から8/27迄ウォーキング連続記録が今日で184日目。

これだけ続けていると完全に習慣化しているってのもある。
一方でどっかで1日でもサボると一気にリバウンドしそうだ、という強迫的観念があって、無理矢理続けているという事情もある。

多分一日30分の散歩て、消費カロリーとしてはそーんなにたいしたことないんだろう。
だだ「ひたすら続けている」という緊張感が、体の代謝でも、精神的な制御感みたいのに効果があるのではないだろうか。
せっかくウォーキングを継続してるんだから、間食やどか食いは止めておこうとかっていう、自制心が働く。

何度も書いてるけど、例えばスポーツジムでたまに激しい運動して効果を期待するよりは、短時間でも地味に毎日こつこつ続ける方がいいと思うよ。
歩くだけなら全然お金かからんし。
ソースは俺のこの20ヶ月の経験。これは絶対言える。

連続184日の間、雨天の日でも最低15分は傘さして歩いてたし、少々体調悪くても気合いでどうにかしてた。
ただ、今年の梅雨は比較的雨天が多かったけど、実際には、「風雨が強くすぎてウォーキングできない」っていう日はほとんどないよの。
要は言い訳せずに、モチベーションをいかに持続させるかなんだよね。
「天気が悪いから」「二日酔いで」「忙しいから」ていう言い訳しない。
実は、これが一番ムツカシイ。

開始当初は、長年放置していた高血糖がいよいよやばくなったので、どうにかせんとと思って始めたダイエットだが、実はここまで効果があるとは思ってなかった。

また、14キロやせてみると、それに連れて 着る服とか髪型とか気にするようになるのよね。
ま、この年齢になって今更格好付けて、何をどうするわけでもないんだけどね。
気分的に張りはありますわな。

自慢するのもうれしいが、今現在、ジーンズは27インチ(W68cmくらい)でもゆるい。
メンズだともうそれ以下のサイズはないっていう困った状態です。

2009年8月31日

8/28高校文化祭 午前
娘の通う高校の文化祭に行ってきた。
娘が昨年始めたチェロを演奏するので見に行った次第。
ピアノはかなり経験者+初めて1年未満のチェロ(娘)+同程度のフルートのトリオ。
曲は加古隆の「黄昏のワルツ」で、調べたらNHK『にんげんドキュメント』のテーマ曲だったそうです。
私は知らない曲でした。
初心者が2人いて、それも初ステージな訳で、演奏の出来は、まあそれにしてはそれなりだったかな。

学校には系列の大学に音楽学部があって、そのための立派なホールがある。
そんなに大きくないけど音はたしかによい。
初心者がそこで初ステージ踏めて、それだけでもこの学校に行かせてよかったと思った。

午前中はそこで主に生楽器の演奏で、ピアノはベートーヴェンの悲愴だったり、ショパンのノクターンや幻想即興曲など。
リストも。ビリージョエルの弾き語り(w)も。

バイオリン独奏でバッハのパルティータとパガニーニ弾くやついたり、葉加瀬太郎の情熱大陸の曲とかも。

うへえすげえ高校生かよこれすごい。

一番関心したのはドビッシーの曲をリコーダーのカルテット。
全然知らない曲なので、別に原曲があってアレンジなのか、もともとそういう編成なのかわからんが、とにかくバス+アルト2本+ソプラノでものすごい濃い演奏でした。
これだけ音楽やってるやついるんなら学校にオケ作ればいいのにねって思った。

8/29高校文化祭 午後
午後は体育館に場所を移して、バンドやダンスや劇など。
P.A.は徳島では定番の「うさぎや」てとこでした。
バンドはもう世代が全然違うからいいも悪いもわからん。

ダンスはEXILEと、AKB48系(?)。
女子が大勢で踊っている。モー娘。もAKBもわからんが。
クラス対抗の劇もそれなりにストーリーがあるのだが、後半はみんなで歌って踊って・・・なんだかインドの映画みたいw
全体的にテンポが良くて飽きずに楽しめた。

特に高校生女子が大勢でややアレンジした制服で踊るのって、もろAKB?なのかな?
とにかくそのあたりが格好いいし、みんなかわいいし。
自分が年とったからか、女子高生が大勢で踊ってると見てて楽しいね。
ぼくたちの頃と違うのは、高校生がそういうステージで全然「照れ」がないのよね。
踊って歌ってすごい楽しそうでさ。

僕らの頃は、歌はともかく少なくともダンスはなかったな。
モー娘。やAKBやぱらぱらとか、古くはダンス甲子園あたりからなのかな。
最近の若者は(w)、ともかく人前で踊ることに全然抵抗がないみたい。


娘が文化祭の実行委員だったそうで、僕のビデオカメラ持って行ってクラスルームでの練習とか、AKB女子たちのステージでのリハ風景とか、バンバン撮ってて、こんれがすげー面白い。
編集してネットに上げたら全国(全世界)のヲタが喜ぶこと間違いないです。萌えます。
実際にやったら大問題になるだろうけどね。

2009年9月3日

テレビ17年目にしてあぼん
自宅に1台しかないテレビが突然逝去されました。

改めて調べると製造が1992年で、よくまあここまで動いてたなと思うのだが、それでもなんとかだましだましでも2011年のアナログ停波まで持たせようと思っていたのです。
特に最近映りが悪いとか画面が歪むとか、基板が延焼して煙がでるとか、緑だけしか発色しないとか、そういう末期状態は全然なかったのですが、昨日(9/2)の朝に妻が電源を入れると画面が全く表示されなくなっていました。
前の日まで普通に見れていた後の大往生だ。

思い起こすにこれは自分で買ったわけではなくて、先代(1994年製)のTVの発色がおかしくなったときに妻の実家から、いらなくなったのをもらったのだと思う。
うちに来たのは2000年くらいかな?
三菱製の20型で、珍しく外部スピーカー端子がついていて、TV本体に直接スピーカーケーブルを接続できるタイプでした。

さてこれからどうしよう。

ケーブルテレビで視聴しているのでデジタル移行するとしたらケーブルのチューナーをデジタル対応に代えないといけないのだが、まあいずれはそうなるんだけど、今すぐにデジタル化するのってイヤなのよね。

最近は居間のTVの前に座って番組をみるってことがほとんどなくなっていて、定期的に見たい番組は東芝のアナログHDDレコに一旦録画、それを自室のPCにまとめて転送しておいて(ネットDEダビングという機能)、都合のいいときに自分の部屋で横になってACERの22インチPCモニターで見ているのです。

ハイデフの液晶モニタで標準画質の放送(mpgファイルになっている)を見ているので、画質は悪いんだけどね。
2mくらい離れて布団に転がってみてるんでそんなに気にならないんだよね。

これは昨年末にACERのモニタを買ってからそういう視聴習慣になっているのだが、これが予想外に快適ですっかり馴染んでいる。
ところが、今、放送受信をデジタル化してしまうと、コピー制御の関係で、HDDレコ→PCに転送ができなくなる、多分。
更には地デジ移行すると、「地域外再送信」の制限がきつくなって、見れる放送局が少なくなる。

僕は居間のTVがなくてもそんなに困らない。
子供らはネットで動画見てるし。
でも妻は居間のTVでしか見ないので直ぐにどうにかしろという。

現在自宅にはPC用の液晶モニタが3台、ノートPCが2台、その他カメラや携帯の画面も含めると10個以上の大小の液晶画面があるが、VTRデッキに直接つないで見れるようにできるモノがない。

いや、実は1つだけあって、キヤノンのDVカメラに外部入力がある。
そこにVTRデッキの出力信号を接続して、カメラのモニタのTFTカラー液晶2.5型に映して見ることができる。
妻に、ほらこれで見れるでというと、バカにしとんのかと怒っていた。

今現在の要求仕様を整理すると。
1.別にデジタル放送の画質はいらない。
2.俺はコピー制限があるのでデジタル放送はイヤ。
3.CATVの受信機を当面はデジタルにしないから、テレビはなんでもいいや。
4.でもだからといって、地デ鹿まで2年を切っているから、今更中古のブラウン管TVも抵抗あるよなあ。
5.一方、デジタル対応テレビを買って、アナログ放送だけみてるってのも悲しいような気もする。
6.更には液晶ってますます高性能低価格化してるし。なにも今買わなくても。

こういう葛藤があるから、アナログ停波まで我慢して、それからムリヤリ自分を納得させて、一気にデジタル化してようと思ってたんですよ。
とりあえず今回は、本格デジタル対応までの『過渡期』だと思いこむことにして、32インチくらいの小さいのでなるべく安いモデルを捜そうかな。
カカクコムで調べてみて、こりゃいいかなてのは、三菱の「REAL」の32型。週末にヤマダコジマケーズを回ってみます。
■LCD-32MX11
http://kakaku.com/item/20412011011/

2009年9月10日

BRAVIAネット機能
日曜日にソニーのBRAVIA買ってきて、いじっています。
http://www.sony.jp/bravia/products/KDL-32J5/index.html

当初は絶対東芝って思ってたんだけど、小型モデルは通信機能とか省かれてて、32型以下でDLNA対応があるブラビアかビエラを比較して決めました。
うちはCATVで電波はアナログのままで、まだデジタル放送受信してません。

DLNAは特に動画再生にいろいろ制限があるみたいで今現在は実用性なし。今後に期待したいがどうだか。

ソニー独自のアプリキャストが予想外に面白い。
http://www.sony.jp/bravia/technology/applicast/
画面の右1/3くらい使って、ネット連携でうごくウィジェットとかガゼットとか言われるものらしい。
テレビ見ながら、ちょっとググるとか、MAP調べたり、ニュースチェックとかできる。
個人向けにもSDKが提供されていて、今後面白いのがでてくるの期待。
てか、自分でも作ってみたい。

全画面使ってブラウザが立ち上がる。
ま、この手のおまけみたいなブラウザはやたらと制限があるとは予想していがが、割とまとも。
YouTubeが見れなかったり、キャッシュが小さすぎたり、レスポンスが悪かったり、いろいろ不満はあるけど、「TVで見るネット」と割り切れば便利ですよ。
UIはそうとう改善して欲しいけど。

あと業界共通の「アクトビラ」は今のところサービスが中途半端な印象あります。
http://actvila.jp/

ともかく「テレビとネットの融合」という分野が、やっとこさはじまったということでしょうか。

2009年9月17日

中島美嘉とかA-POP
次回のライブで中島美嘉のLove Addict やることになって、
(↓この曲)
http://www.youtube.com/watch?v=WEqWgEEff2Y
原曲はブラスやストリングスの音数が多いけど、基本ピアノトリオ+α でどうにかなるだろって思ってた。
リハの後に録音聴いたら、音が薄すぎ。
マイナーからメジャーになってマイナー戻って・・・なんだけど、和声感なさすぎ。
こりゃ歌いにくいだろうと思った。
和音は6基本の9や11や13あって、どういう響きならよいのだろうか。
JAZZの人たちって、こういうの殆どアドリブでやってるんだよね。
信じられん。

加えてピアノが3拍子キープできない。
3つづつ音出すとモロワルツみたいで妙なのだが、だといって裏入れるのすげ難しいていうか不可能。

普通の8ビート・16ビートに比べて、4や3の場合のテンポの緊迫感はハンパないことを思い出しました。
ピアノ白玉(全音符)+ブラス/ストリングスのオブリガードて方がまだ現実的か。
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ナップスターでA-POP系あれこれ。
AKINOとかALIPROJECTとかOriga、ROUND TABLE、see-saw
ガンダム以外は、殆どしらないアニメばかりなんだけど(アクエリオンや亡國覚醒・・)、小室/浅倉オリジン(のように聞こえる)のこの手の音楽は面白いですね。
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で、まだまだ月中だと思ってたら、気がつくと今月の営業日の残が6日に。
いったいなにがどうなっているのやら。
半期末だし。
こういうところに連休を持ってくるのはいかんと思う。
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ここ2週間ほど、体重がリバウンド気味。
8月に54キロジャスト→9月56.2キロ。
去年も秋から正月に太ったと思う。
毎日歩いているんだけどね。結構夜中に飲み食いしてまう。

2009年9月29日

最近TVで放送されたライブで気になって調べてみたベーシスト



■タル・ウィルケンフェルド Tal Wilkenfeld
とてもかわゆす凄腕ベーシスト。
ジェフベックの2007年のロンドンのクラブでのライブ映像で見た。
若いし、上品だし、全然この手のバンドでベースを弾くような女子に見えない。
普通の大学生みたい。

wikiると-
1986年オーストラリア出身、14歳でギター始めて、高校中退後渡米、17歳でベースに転向、20歳でアルバム作成、オールマンブラザーズ、チックコリア、ジェフベックなどのバンドメンバーに。
ロックベーシストというよりはJAZZやFUNK系の人らしい。
今年(2009年)2月のジェフベックの来日時のメンバーがこの人だったらしい。
http://www.youtube.com/watch?v=32Ln-SpJsy0&hl=ja
タルちゃんかわゆい。また、ジェフ・ベックて僕が最初に見た「ワイヤード」の頃(30年以上前だ)からあんまり雰囲気が変わってないのも不思議だ。



■松原秀樹
高中正義の「南西風〜SUPER LIVE 2008」の映像。
他に、パーカス斉藤ノブやらKEY難波弘之などお馴染みのメンバー。
フュージョンバンドのVIBESで知って気になってた。
最近は角松敏生バンドでも!

ちなみに元パラシュートの松原正樹は兄弟ではないそうですw。

今は50歳近い強面のオヤジだが、もともとジャニーズの歌って踊るアイドルだったそうだ。
アイドルバンドを始めるにあたってベース担当になったらしい。
楽器は事務所の指示で適当に決めたんだろうけど、それで一流になっちゃうってすごいよね。

関係ないけど男闘呼組て実は割とまともにアーティストだったという話しもある。

2009年10月14日

糖質をなるべく摂取しない生活
2年前の検診で、空腹時血糖が130mgあった。
これだけで既に立派な糖尿病だ。
その時、既に5年間くらいそういう状態だった。

合併症のことを調べていると怖くなってきた。どうにかしないと。
血糖値を下げるにはどうすればよいか。
とりあえず食後血糖を上げる糖質を摂らないようにしようと、炭水化物の量を減らすことにした。
元々ご飯類麺類好きなので、どうなるかと思ったが、続けていると割と慣れてきた。

最初の2ヶ月くらいは厳密にカットしていた。
米パン麺類を食べないのはもちろん、調味料に至るまで糖類が含まれているものはNGに。
例えば刺身醤油とか焼き肉のタレとかダメね。
スキー場の食堂で食えるモノがなくて、ラーメンの汁だけすすって麺を残したりしてた。
スイーツは大抵だめなので、自分で寒天作って、ちょっとだけ果汁垂らして食べてたりね。

ただ、コメ・緬類が全くないメニューばかりてのは、さすがに妻の負担が大きい。
で、3食のうち1つは「米飯・麺類ありでもおk」にした。
それ以前に比べれば感覚的には炭水化物の摂取量は半分くらいになっていると思う。

なるべく精製された穀物は食べない。
食パンとか精米とか避ける。
お米は五分づきにしてる。

お菓子類は殆どが小麦粉の固まりなので全部NG。
唯一大丈夫なのはピーナッツなどナッツ類。
糖類が多いビール・日本酒はダメ。
お酒は蒸留酒で、主にウィスキーや焼酎を飲んでいる。

低炭水化物・ローカーボで主食を抜くといっても、厳密には野菜にも糖質はあるし、天ぷらや揚げ物の衣、ギョウザの皮は小麦粉なので、ある程度の糖質はどうしても入ってくる。

一方、タンパク質・脂質などはほぼ無制限。
ただ無制限といっても、そんなには食えないのよね。
ご飯やうどんだとお代わりしたりして、無理矢理詰め込むことが割と容易なのだが、焼き肉や刺身をそんなにドカ食いできない。

多分そういうので、結果的に食事のバランスが取れているのではないかな。
普通「糖尿病食」というと摂取カロリーの6割くらいを糖質にするのだが、僕はそんなんに食べられない。

こういう食生活と、日々の有酸素運動の継続で減量効果もあって、高血糖・高血圧・中性脂肪など劇的に改善されて、ほぼ正常値を維持できるようになった。

後、体が慣れてくると、以前のようにご飯を詰め込めなくなった。
たまに丼ものとか寿司を食すと「炭水化物酔い」のような状態になってあんまり食べられない。
カレーやお好み焼きは必ず大皿にお代わりしてたが、今は1皿の半分くらいで「もういっぱい」な状態になる。

糖質制限食で有名なドクター江部の話しでは、人類400万年で穀物を安定して摂取できるようになったのはせいぜい最近1万年。
http://koujiebe.blog95.fc2.com/
更に精製技術が進んで白米や白いパンや白い砂糖を常食にしだしたのは、ここ数十年のことなので、「穀物中心の食生活」は元々の人間の消化機能では想定外の状況なのらしい。

と、すると、最近の日本人に成人病が増えているのは、脂肪・肉食中心の欧米の習慣が入ってきたのが原因てよくいうけど、全然間違いってことなんだよね。
粗食がよいとか、昔ながらの和食がよいとかいうけど、それで精製米をたくさん食べてたら、血糖値も上がるし内臓脂肪もたまるのではないだろうか。

全然素人なので、医学・栄養学的な根拠の是非はわからないのだけど、少なくとも、糖尿病対策として従来の「炭水化物中心のカロリー制限食」と、「主食抜きの糖質制限食」て真っ向から対立している。
言っていることが180度違うように思える。
血糖値を上げない、糖尿病にならないとい方法としてどうなのか、専門家はたくさんいるのだから、ちゃんと実証してほしい。

2009年10月20日

土建屋じいさん
俺のおじいちゃんは広島県の海沿いの小さな町で、土建屋やってた。

明治生まれで岐阜の貧しい農家の出で、尋常小学校出てから直ぐに丁稚にだされそうになったけど、勉強がしたくて上京して働きながら学校いったとう話しだったので、随分苦労したのだと思うのだが、早稲田の学校(早実?)と日大の土木出ててるのよ。

身よりのない都会でどうやって働きながら、私立学校に通っていたのか、当時はまだ奨学金なんて制度もないだろうにね。
金銭的にどう成り立っていたのか、すごい不思議だ。
しかも呑気にバイオリンを習ったりして、学生の弦楽合奏団らしきのにいる写真があった。
あんまり苦学生という雰囲気でもない。
家一軒借りて、お兄さんも住まわせて東洋大いかせてお坊さんにしたっていうのだが、今考えるとすごい。

関東大震災のときは焼け跡を見て回っていて、実家に連絡しなかったから、帰省したら死んだと思われてて自分の位牌があったっていうのが語りぐさだった。

戦争中は南洋の島に空港作ったりして、帰ってきて広島に住み着いて土建屋になった。
社員はじいさん、ばあさんだけの工務店。
で、じいさんは気が弱くて自分で仕事取ってきたりできないわけよ。
仕事は全部、町の公共事業で、仲間内の業者間で談合して、順番に分けてもらった仕事だけ。
それでも結構実入りはよかったみたいで、随分大きな家に住んでたし、瀬戸内に小さな無人島を所有してりしてた。

戦後の成長期の公共事業だから、事業規模はそりゃでかかったと思いますよ。
全体のパイもでかいし、談合だから競争もないしね。

まあ、そういう公共事業-談合-土建屋ラインの活動が脈々と続いて今の日本がこうなっちゃったんだとは思う。
成長しているときは所得の再分配としての機能もあったんだろうけどね。

2009年10月21日

義太夫の余命
糖尿病の怖い話

たけし軍団のグレード義太夫は糖尿病をずっと患っているらしい。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/health/293425/

36歳からインスリン打ち続けて、それでも自覚症状がないし、不規則な芸人生活だしとかで、不摂生と続けて、腎臓の機能が次第にダメになってきて、50歳の今は、人工透析をしてるそうです。

週3回、4時間の透析しながらの生活も大変だとは思うのだけど、怖いのは、糖尿病からの腎不全での透析って、「臨床的には末期状態」なんだそうです。

血管がボロボロで腎臓が機能しなくなって、本来ならもう生きていられない病状なんだけど、それをどうにか透析で延命しているようなもの。
透析は腎機能を補助してるだけで、糖尿を治す訳ではないです。

糖尿から透析になった場合、「平均余命が5年」だそうで、10年生きることは珍しい。
とすると、既に今時点で義太夫は既に2年くらい透析やってるから、残りはあと3年くらいか?

末期癌の大手術をして全部取り除けなくて、それを化学療法で奇跡を祈りつつ闘病してるのと変わらないよね。

コメディアンだからブログや本でおちゃらけたこと書いてるけど(「糖尿だよおかっさん」)、内心は、毎日毎日ガクブルなのではなかろうか。

ビートたけし(62歳)や東国原知事(52歳)は、20年・30年後も生きている可能性が強いが、50歳の義太夫の10年後はほぼ絶望的だ。

ウガンダ・トラは55歳で亡くなって、糖尿の持病があったていう報道があったけど透析してるとは書いてなかった。
村田英雄は両足切断してから死んだけど、それでも72歳まで生きたようだからまだ持ったほうか。

いずれにしても糖尿病の合併症を持っての晩年のQOLがいいわけなくて、これなら進行の速い癌でさっさと逝ってしまうほうが救いがあるような気がする。

2009年10月26日

私的録音録画補償金
本日(10/26)、朝一で久しぶり病院。
9時半くらいに受け付けしたので、会社のフレックス(AM11時)に間に合うかと思っていたら、2時間待たされて、会社に着いたらちょうど12時だった。
ずっと冷たい雨が降っていて、待合室は寒いし、TVがいショッピング番組を延々とかなりの音量で流していて、すごいつらくなった。
頭の芯から冷えた。
キー局が午前中のこんな時間からショップチャンネルになっているって、ホントに末期的な状態だと思う。
####

デジタルの録画機器に対する「私的録音録画補償金」の問題
概略は、
1.デジタル機器は無劣化で複製が作れる。
2.DRMで制御していても、解除されてネットで流通する可能性がある。
3.それらのせいでCDやDVDが売れない。
4.権利者(クリエーター側)の利益を損ねているので、録画録音機器・メディアの販売価格にて補償する、というもの。

論点でいえば、例えば「iPodに課金するか」「ハードディスクに課金するか」といったあたり。
権利者&文化庁と、機器メーカー&経産省が真っ向から対立している。

本日日経のサイトで見た、岸博幸の記事。
http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMIT12000026102009

池田信夫の「岸博幸批判」の記事
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/798430506e86efe775983a887f35469d

岸は権利者側のスタンスで、池田は逆。
デジタル機器やネットの普及で、コンテンツの価格はゼロに近づいている・・という前提条件は同じように見える。

岸はその傾向が日本のコンテンツ文化を衰退させるから補償が必要という立場で、池田は価格が下がるのは市場原理によるものだから放置してよしというもの。

どうなんだろうね。
CDやDVDソフトが売れなくなっているのは事実らしいが、それは不正なコピーやネット流通が原因なのかな?

iPodやハードディスクに課金して、その金をクリエーターに循環させたとして、果たしてコンテンツビジネスのためになるのであろうか。

2009年10月28日

渋野丸山古墳 見学
10/25(日)に、徳島県立博物館主催の歴史散歩「古墳見学2(渋野)」に高校生の娘と参加してきました。
徳島市南部の農村地帯にある「渋野丸山古墳」をメインとした見学です。
案内は博物館学芸員の高島芳弘さん。

基本的なスペックとしては、
・前方後円墳としては四国で2番目の大きさ
・前方部 幅/長さ33m、後円部 直径が45m、高さは6mから10m
・古墳時代中期、5世紀くらいのものと思われる。
・発掘調査により円筒の埴輪が確認されている。
・今年(2009年)、国指定の文化財になった。
・建築した勢力とか埋葬者とか全然わからないそうです。
http://www.topics.or.jp/localNews/news/2008/11/2008_122731822489.html


徳島市八万町の自宅から車で10分ほど南下、徳島市動物園を越えてすぐの渋野公民館の向かいにあります。
円墳部が小高い丘になっていて、なだらかに前方部に向けて下っています。
横(南側)からみると、確かにそれっぽいようにも見えます。
もともとの古墳の範囲は、削られたり畑になったりビニールハウスになったり、樹木で荒れ放題だったりです。
そもそも古墳全体が私有地です。


写真は前方部の端っこ。
写真の右側あたりが前方と後円のつなぎ目で、そこに祭壇(テラス)の跡があったそうです。

後円部の登り口。
結構な斜度があります。
竹藪の中を上がっていく。
円墳の地中には多分、石棺があるらしいというのが、「レーダー深査」でわかっていますが、まだ底までの発掘はされていない。
円墳の上部はかなり平になっています。


後円部から前方部へのなだらかな斜面。
こういう角度でみると確かに人工的な山に見えます。

回りを歩いて登って見回してみて、確かに古墳っぽいことはわかりましたが、肝心な文化的なところはまだまだわかんないそうで、ちょっとがっかりでした。

近辺にいくつか円墳があるのですが、それらは益々詳細不明だそうです。
渋野一帯に古墳時代の集落の跡などもまだ見つかっていません。

こういう公開講座はヒマなジジババだけが参加するものかと予想していましたが、その通りでした。
30人ほどの参加者で、一番若いのが娘で、次が僕w
後はリタイヤ後で郷土史や山歩きが趣味ですといった風情の男女でした。

ただ、ちゃんと整備されていない遺跡を、3つ、山の中を相当歩かされました。
関係ないけど今時、催し物の参加申し込みが往復葉書
わざわざコンビニに葉書を買いにいきました。
これメールになりませんかね。
####
天神山古墳
この見学会の2週間ほど前に予習をしようと、県立図書館で関連資料を探したのですが、大学の研究室のパンフレット程度の資料だけで、大した内容のものはありませんでした。

ただ調べてみると、意外にも自分が住んでいる八万町に結構古墳時代の遺跡があります。

法花の自宅から、東に向けて少しあるくと小高い山がいくつかあるんですが、それが「天神山古墳」とか「七つ山古墳群」とからしくて、石棺や埋葬品発掘の記録もありました。
ただ道もほとんどない樹林だらけの山なので、今現在は、少し登っただけでは全然わかりません。
園瀬川という比較的大きな川沿いなので、このあたりは大昔に交通の便はよかったと思います。

2009年10月30日

新型インフル・空港・太宰治関連商品
朝六時です。中途覚醒です。今から二度寝できないだろうな。

昨日(10/29)は一日異常に疲れていて、夕方帰宅してしばらく食事ができないくらいヘロヘロでしたが、特に大した仕事をしているわけではなくて、考えてみるに日曜日(10/25)に、古墳見学で山中を2時間みっちり歩き回った時の疲れだと思います。
週末の活動の疲れが、中3日置いて、木曜日に出てくるなんぞますます老境に入ってきたと実感します。

中学生の息子のクラスがついに学級閉鎖になりました。息子も今のところ熱はないようですが、昨晩はコンコンとしきりと咳き込んでいたので、間違いはなかろう。
運が悪ければ僕ももう感染しているでしょう。
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6月にタイ旅行から帰ってきた翌週に熱が出て、その頃はまだ新型インフルが流行始めで、世間がかなり過敏でヒステリックな反応を示していた時期だった。こりゃ大変だとあせったんですが、我慢してたら1日で熱は引いたし、咳はなかったので、結局インフルではなくて単に日航機機内の冷房で風邪を引いたのだと思う。
あの時は週末の関空が異常に閑散としていたし、バンコク往復の機内もすごい空いていた。
不景気のせいか新型インフルのせいかよくわからんけれども、いずれにしても航空会社はやばいんじゃないかとは思った。
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成田が羽田がと煩い。マングース云々いっている森田知事はとても痛い。
昨年開港の静岡空港は救いようがないと思うけど、静岡県民も使ってないだろうが、
http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%A9%BA%E6%B8%AF
空港の下を新幹線が通っている唯一の空港なんだし、そこに駅をつくるれよ、いやつくらんとJR東海が突っぱねているが、国策として空港真下に駅を作らせて、のぞみを停めて、そんでもって成田・セントレア・関空を全部閉鎖して、いっそ国内外の航路を静岡空港に集約してここをハブ空港にしたらよいと思う。

「羽田をハブに」と大臣が発言してニュースになった日の7時のNHKニュースで、成田空港の利用者にインタビューしている映像が流れていたが、弊社東京支社勤務のY田さんがTVに出てきて、「羽田なら近いから便利ですねえ」とか言っていた。
Y田さんは英語が達者で、紫関係でよくアメリカに出張に行っているという話しは聞いていたが、まだそのあたりの活動は続いているんだと思った。(紫て全然ダメだろお)
1996年に今の会社に入ったときの開発職向け研修で、Y田さんは僕の隣にいて、その後何度か飲みにいったりしてたのだが、2000年頃に仕事のことでちょっと問い合わせの電話をしたら、既に僕のことを完全に(その存在までも)忘れていて、「ほら研修でいっしょだった」と説明しても全然思い出さなかった。
見た目がしゅっとしたイケメンで、プログラミングも実にスマートな人である。研修後は仕事の接点は全くなかったが、彼が結婚したときにお祝い出したし、同期入社も随分減ってしまったし、何もこんなに直ぐに忘れなくっても・・て思ったがw
####
太宰治関連のおかし
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2008/20080924105713.asp?fsn=eb33f76037153e93cde084f7e7644d6f
「走れメロンパン」・・もちろん菓子パン
「生れて墨ませんべい」・・せんべい
「斜陽羹」・・羊羹
何これすごい違和感バリバリな商品群、無理矢理な語呂合わせでオヤジギャグとしても最低に痛いが、なにより作者作品のキャラを無視して、タイトルを茶化してこういうの作るのって、遺族などの関係者が怒らないのかな。
松山で坊ちゃんだんご出すのとはかんなり違うよね。

2009年11月09日

新インフルその後
先々週の金曜日(10/30)に、中一の息子のクラスが学級閉鎖になって、息子はその日の午後から熱が出てた。
39度を超えていて、病院に行ったら直ぐに新型と判定された。
さすがにしんどそうだったが、2日寝て日曜日には元気になっていた。

家族が感染してないわけないので、どうなるかと心配していたのだが、娘(高一)が微熱程度で1日休んだだけだった。
僕は息子が発熱した翌週に一日だけ、すごくしんどい一日があったが、熱はなさそうだし、じっと我慢して(会社で連想配列と闘っていた)、夜12時間連続して寝たら次の日には元気になった。

ああいうしんどい時って、体内で抗体とか白血球(?)が、ウィルスと激闘を繰り広げて・・とか想像しますよね。

結局今のところそれだけだが、息子の発症を聞いて妻の実家から高そうなマスクメロンが送られてきた。
やっぱ病気のお見舞いといえばメロンだよな。

日頃こんなものわざわざ買って食べることもないので、すっかりうれしくなった。
普段もらい物があって、おお、週末に食べるととかあ、とか思っていると、知らない間に妻と子供で食べちゃって俺に残されてないことが往々にしてある。
で、ここはしっかりと「メロン食べるときは俺に言うこと」と釘をさしておいて、ジュクジュクしたのを食べるのを楽しみにしている。

子供が就学前の小さい頃は、学校/幼稚園でインフルもらう→姉弟に感染→親に感染というパターンで、何年か連続して重いインフルエンザになっていたものだが、ある程度大きくなるとめったに風邪もひかなくなって、僕も仕事柄他人とあんまり接触がないし車通勤だし、熱が出るような病気には全然ならなくなったな。

とかいってると、会社では家族に感染者が出た場合に「出社を自粛するように」お達しが出ていたようでちょっと気まずい。

2009年11月11日

同窓の人々
帰宅したら出身高校のOB会の会報が着てた。
ここんとこあんまり興味がなくて殆ど読んでなかったんだけど、月一度広島である例会で、僕の同期の人(JRの偉いさん)の講演があったらしくて、主に在広の同期生がたくさん出席したようだ。

会報にある集合写真と出席者の名前を見比べるに、こいつが誰だってわかるのが1/3くらいか?
女子は姓が変わってるしますますもって全然わからん。
もう20年以上会ってない人が多いから、わからりゃーしねえ。

それにつけても医者になってるやつの多さ。
あの頃理系で優秀な奴はほとんど医学部に進んだのではないだろうか。
しかも東大京大の医卒がいる。

で、一方で大学にいってないやつ、ロックギタリストになったのもいたりする。
かなりバラエティに富んだ学年だったと思う。

ちなみに今回初当選した広島県知事も3期後輩の同窓生。
在学中AFS留学→東大法→通産省・・・まさにエリートの王道ですよ。

普段忘れてるけど、俺の経歴で高校だけはマジすごかったんだよな。
・・て、自慢したいところなんだけど、僕自身の高校卒業後は全然冴えなくて、だからちょっと悲しい

2009年11月16日

12ヶ月点検
日曜日(11/15)に車をディーラーにもってって、12ヶ月点検してもらった。
新車で買ってもう3回車検通したから満8年になった。
8年で8万キロだから、適度には走っていると思う。
1台の車にこんなに長期間乗ってるのは初めてだ。

20歳の頃に免許取って、始めて乗ったのがS57年式コスモ。
赤のコスモAP。
ロータリーじゃない1800ccの普通のエンジンだったけど、5速車で、昭和のあの頃は車の大小かかわらずATて珍しかったよな。
同時期に実家にあった車はルーチェの12Aローターリー車だった。
4速MTで、しかも燃費がリッター5kmくらいだった。
ルーチェにはエアコンがなかった。
僕のコスモはあったけど、パワーウインドもパワステもなかった。
重い車でおもいっきし、取り回しがきつかった。

大学出てからしばらく車がなかったけど、スキー始めるのにフェスティバ買った。
'87年式くらいだったかなあ。
これは1300CCのATだった。
小さい車で全然速くなかったが、キャンバストップだしシートアレンジがかなり自由にできて、非常にユーティリティに富んだ車だった。
男女4人分の板&泊まりの荷物積んで2泊3日でスキーに行けたもんな。

スタッドレスまで出すお金がなくて、毎回チェーンに苦労したけど、毎週毎週スキーに行き倒した。
都内で駐車場代が高くて、会社の寮費の3倍くらいした。
2年くらい乗って会社の人に売った。

大阪、浜松と転居して、少しの間ボロボロのシビックに乗った後に、浜松のディーラーで、またキャンバストップのフェスティバを中古で買った。
DOHCのMTで、足回りが固くて、いわゆるスポーツタイプであった。
剛性を稼ぐためか、後ろシートが固定になっていたりして、ユーティルが少しさがった。
だけど全然速くないDOHCだった。

これに3年くらい乗っている間に結婚して、子供ができた。
妻がMTを運転できないし、安全性も心配になってきた。
更には非人間的な残業生活でお金が貯まったので、しっかりした作りの車に買い換えることにした。
ランティスが当時は安全性が高いて話しで、ものすごく迷ったのだが、ついたマツダの営業がつまんない人だったので、結局ゴルフを買った。
ただゴルフも高いわりには、ざっくりした印象の作りで、全然豪華ではなかった。

これに4年くらい乗ったのかな。
腹が立つくらいよく壊れたよ。
いろいろあったけど、最後はトルコンの中に異音が出続けて怖くなって手放した。

異音のことは黙って徳島マツダにひきとってもらって、それから今のプレマシーに乗って8年になるわけです。

ほとんどトラブル無しで安定してていいよ。
もう自動車に興味がなくなってしまったから、普通に走ってくれれば、いつまでも買い換える必要もないと思う。

相変わらず全然商売っけのない、徳島マツダの営業であった。

2009年11月18日

晩秋の夕方
急にごちゃごちゃした作業が増えてきて、優先度とかボリュームとか考えても整理できなくて、とりあえず思いつくところから潰していってるような状態で、これをやっつけ仕事というのだと思う。

夕方妻から電話があって、先週末に郊外のスポーツ店で頼んでいたシャツが入ったという連絡があったという連絡で、19時くらいに仕事を切り上げて会社を出た。

注文していたのは中一の息子が学校の部活で使うスポーツシャツなのだが、何かにつけてこだわる子で、店で気に入ったシャツに合ったサイズがなくて、取り寄せを頼んでいたのであった。
息子は中学生になって急に背が伸びてきて、「成人用のSサイズ」がどうにか着れるようになった。
腹が出ておっさんくさい小学生だったのが、急にスリムな体型になっていて顔つきも随分変わって、これが思春期というものか。

会社から出ると冷たい雨が降っていて、暗い道を自動車道沿いに西に向かったのだが、真っ暗で運転が怖いほどであった。
藍住町の郊外型大型店舗が密集しているあたりは、もともと何も田畑以外に何もなかったと思うのだが、片側2車線の立派な道路ができてから急に開けてきて、ヤマダ電器ができたときはびっくりしたが、その後ケーズ、デオデオも歩いて回れる範囲に出店して、今日行ったスポーツデポもそのあたりにできた。
暗い夜道の向こうに、いきなりピカピカの大型店舗群が現れて随分妙な雰囲気だと思う。
地の人間でないからよくわからないけど、せいぜいここ10年くらいでこういう風になったような気がする。

平日夜の店はがらんとしてて店員が客より多いくらいで、ついでに近くのデオデオに行ってみたけどやはりそんな具合だった。

スポーツデポは21時まで、デオデオは20時までやってるそうで、都市部では考えられないくらい広大なフロアの店内で、電気代も人件費も考えて果たして儲かっているのだろうか疑問だ。
それは土日の集客で帳尻を合わせているのかもしれないし、地方で地価が安いので、敷地の規模に比べて維持費はそうはかかっていないのかもしれない。

でもやっぱり徳島程度のじり貧な地方都市にこれだけ大型店が次々に出来たら、結局は共倒れになるような気がする。
市中心部の商店街はとっくの昔に死に体状態になっていて、建物壊して駐車場になったり、アーケードの下は夕方は真っ暗だったり、シャッター街どころではなくなっている。もうだめだ。

郊外店が揃って撤退したら、何も残らないだろう。

川内の会社を出てから藍住の店を回って帰宅したら1時間以上かかっていた。

2009年11月25日



妻がバイト先の上司からもらってきた日本酒を飲む。
異常に美味いので調べてみたら、金陵の初しぼりというお酒で、原酒生酒の限定品らしい。
http://www.nishino-kinryo.co.jp/products/058.html
お酒のことは殆どわからんのだけど、いかにも「生酒」ていうフルーティーさについつい飲み過ぎてまう。
「金陵」は香川の琴平町にあるそうで、讃岐うどんの聖地だね。
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今週末に広島に法事で帰ります。
ああそうか父親が逝って1年になるのだな、でもなんだかずっと前からいないような気もするので妙だ。
もう故郷を離れて20年以上だからかな。

帰省したら本通りの島村楽器に行ってついにシンセ買うかな。どうしよう。
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最近のマイブームなミュージシャンはレディ・ガガと風味堂。
どちらもNapSterで聞いているだけで、ビジュアルは全然知らん。


レディ・ガガはまさに80年代サウンドで、wikiるとクィーン・デビットボーイ・マドンナなどの影響を受けたらしい。
http://www.youtube.com/watch?v=E_SlvzgJDiI
確かにグラムロックな雰囲気があるが、僕が連想するのはユーリズミックスですよ。

風味堂はピアノを中心としたスリーピースのバンド。
ちょっとファンクの入ったアコースティック系かな。
懐かしい雰囲気。
「小気味の良いピアノ」という表現がぴったりな演奏です。
http://www.youtube.com/watch?v=itgwRgkf1IM
もう遅いけど、こういうピアノを弾けるようになりたかったものだ。
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仕事は妙にごたごた。
ソースを一行書き換えるのに、手続きのための文書を8枚くらい書いているような状態で、なんだかよくわかりませんw

2009年11月28日

蓮舫「EXILEってこんなに沢山いりませんよね?」
http://waranote.blog76.fc2.com/blog-entry-1879.html

2chのまとめサイトから。
"仕分けされるEXILE"にワラタ

蓮舫て美人だし口が立つし気が強いし、てのですごくTV的にキャラが立ってるから民主党の仕分け作業のシンボルになっていますね。
全然わかんなかったし関心もなかった予算作成の過程を、ビジュアル的に面白く見せてるってのは、手法としてよいと思うよ。

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明日は5時起きで広島行き。
岡山から500系新幹線に乗るのが、今回の行程のメインです。

2009年12月03日

広島行き500系乗ったぜ

11/29日曜日は朝4時半に起きて、真っ暗な中自転車で徳島駅に向かう。
全然寒くなく、ジャンバーが要らないくらい。
5時過ぎに着いたらまだ緑の窓口が開いてなかった。5:30からです。
5:43 徳島から特急うずしお2号で高松まで。
高松乗り換え時に駅でうどんを食いたかったのだが、まだ営業時間でなくて残念。

高松7:07発のマリンライナーで瀬戸大橋を超えて 8:15 岡山着
こんな早い時間に岡山にいるのはこだま737号に乗るため。
新大阪-広島のローカルな新幹線だが、数少ない500系です。

こだま737号 岡山着が8:56で発9:17
その間ひかりのぞみがばんばん追い抜いていきますが、停車時間が長いのでじっくり車両を観察できました。
かっちょよさは、JR車両で群を抜いてますね。


私は鉄分は多い方ですが、極めてにわか500系ファンです。
今年夏の帰省時に、上りの500系を見てその未来的造形に驚いて、更にはもう引退間近ということで、今回どうしても乗りたかったという事情です。
私同様にデジカメもってホームをうろつく鉄道ヲタク多し。

岡山-広島間のこだまなんて、未だかつて乗ったことがないように思います。
てかこんな区間では普段は新幹線乗らないし。

発車後、車内が随分空いていたのでうろうろしてみる。
8両編成で喫煙車はなし。
喫煙ルームがあるんですね。こういうの初めて見ました。

車体が丸くて壁がせまってくる感じで、車内はかなり圧迫感を感じます。
混んでいると息苦しいかもしれませんね。

広島までは各駅停車で、1時間すこしかかりました。
新倉敷-福山-尾道-三原-東広島とこんなに駅あんのかよありすぎだろ、と思うけど、普段は普通電車で3時間かけて移動しているので、全然平気です。

東広島は以前は(1980年代迄は)周りになにもなかったような気がするけど、一応街らしくなっていました。
東横インがあった。

新しい野球場を左手に見ながら、10:30広島着。
法事まで少し時間があったのだけど、街中に出るには短いので、そのまま在来線の山陽線に乗り換えて2つ先の西広島駅で降りました。
生まれて24年間広島に住んでいましたが、西広島駅で乗り降りした経験はほとんどないと思いと思います。
小さいローカル駅ですが、しっかり自動改札になってました。

時間つぶしに駅前の「ひろでん会館」に。これも多分初めて入りました。
小さい本屋と小さい100円ショップ。
思いっきり昭和テイストなレトロな小デパート。

1960年代には新興団地だった己斐の中心地だったのでしょうね、きっと。
僕は広島の東側出身なので、このあたりの事情が殆どわかりません。
広電の駅から裏側に出て、てくてく歩いて高校の友人経営の耳鼻科の前を通ってお寺にいったらもうみんな集まっていました。

2009年12月07日

またインフル
先週末の金曜日(12/4)に高一の娘がいきなり39度の発熱があり、果たして新インフルであった。
近所の内科に行ってもらったリレンザという吸引するクスリを服用したところ、2日後の日曜日には平熱に下がった。

なんじゃまたか。
息子がなったのは・・と日記をめくってみると10/30に熱を出している。
やっぱりその時もリレンザで短期間に治った。
こんな急激に熱を下げて大丈夫なのか心配なくらい効きがはやい。

息子の時に、家族に発症者が出て、他のみんな感染してないわけないと思っていたのだが、意外にも娘は息子のインフルがうつってなかったわけだ。

ということは僕もまだ感染してないのだろうか。
なんとなく喉が痛いような気がするが、咳は出ないし調子は悪くない。
一方で今回の新インフルは40歳以上は免疫があって発症しないという話しも聞いた。
本当かどうかよくわからない。

娘は学校が今日(12/7)から学級閉鎖になってしまった。
なんともタイミングが悪い。
元気なのに1週間休みだ。

熱が下がったあとに、妻が実家に報告の電話をして、またお見舞いメロンをもらうことになった。
なんじゃそりゃ。


メキシコからはじまって全世界的に大流行!!て5月頃大騒ぎしてたあのヒステリックな空気はいったいなんであったのであろうか。
桝添大臣が、夜中の2時くらいに記者会見して「横浜の高校生は感染していませんでした」とかで、その後そこの学校長がよかったと泣きながら喜んでいたが、あれはなんだったのか。

海外旅行などいくやつは非国民のような雰囲気で、実際海外の修学旅行中止したり、会社の命令で旅行キャンセルさせられたり、それがあたりまえのようであった。

でも僕はここを逃すとしばらくどこにも行けないような気がしていたので、家族とmixi以外誰にも言わずに6月にタイに行ったんだけど、インフル騒ぎのせいかどうか日本人が全然いなくてよかったよ。

2009年12月15日

香山リカ・勝間・牛野屋
たまには話題の新書を。
香山リカ「しがみつかない生き方」
http://www.amazon.co.jp/dp/4344981324

最終章「<勝間和代>を目指さない」にひかれて読みました。
全体的に「なぜ普通の幸せ以上を求めるのか」、過度の自由競争での格差社会への批判などの、まあありがちな内容です。

私はどうも全体的に論点の方向性がよく理解できなく、かつ薄く広い印象で、極めて軽い内容に思えました。
軽いので3時間くらいで読了。
あんまり何も残らないなあ。



それよりこの本がベストセラーになったて朝日新聞の記事にあった香山リカの脱力感あるショットが印象的でした。
これ好感持てます。




同じく朝日土曜版で「上から目線」で「ビジネスはこうやって成功する」「私断る力で年収が7千万なりました」みたいな連載あって、でも書いてることは、自慢話し以外はしごく普通で、なんだ雰囲気だけで突っ走ってるな・・ていう印象の勝間の自信満々・エネルギッシュな顔みてると、意味もなく反発したくなるのよね。
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関係ないけど、タイバンコクのハポン通りにある牛丼屋「牛野屋」。
帰国当日に近くの店でマッサージ(その名も「有馬温泉」!)で、足裏の疲れを揉みほぐしてもらった。
店を出たら、いきなりスコールが。
傘がないのでしばらく雨宿りしてた場所にあった牛丼屋です。
何をどう考えても吉野家のパクリですが、実はなかなか美味しいらしいです。