Title9-3.GIF (2758 バイト) ローマ人の物語XIII          

[ 参考書籍 ] 

〜 読書記録(目次、概略、感想) 〜

『ローマ人の物語XIII 最後の努力 』

塩野 七生 著

新潮社 2004年12月25日発刊

目 次

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第一部 ディオクレティアヌスの時代

  (紀元284年〜305年)

迷走からの脱出/「二頭政」/「四頭政」/兵力倍増/帝国改造/官僚大国/税金大国/統制国家/ディオクレティアヌスとキリスト教/ディオクレティアヌス浴場/ 引退

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第二部 コンスタンティヌスの時代

  (紀元306年〜337年)

「四頭政」崩壊/皇帝六人/首脳会談/「公適」マクセンティウス/決戦/歴史を創った戦闘/パッチワークの凱旋門/キリスト教公認/唯一人の最高権力者/ 新都建設/指導層の変貌/軍の変貌/富の格差/家庭内悲劇

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コンスタンティヌスとキリスト教

雌伏の時代/表舞台に/「ミラノ勅令」/キリスト教振興策/ニケーア公会議/「インストゥルメントゥム・レーニ」(支配の道具)

概 略

 ディオクレティアヌス帝は蛮族の侵入に悩まされるローマ帝国を、分割して統治する「四頭政」のシステムを導入した。そして、引退するが、このシステムは、強力な一人の最高権力者がいて、成立、維持できるものであった。引退後、皇帝たちの間に権力闘争がはじまり、四頭政は崩壊する。

  これを崩壊させ、再び一人の手に権力を握ったのが、コンスタンティヌス帝であった。彼は、キリスト教を公認し、ローマ帝国を統治する手段として、キリスト教を活用するために振興した。特にこのキリスト教振興策は、最後に残ったリキニウス帝が支配するローマ帝国東方地域に特に多かったキリスト教徒へのメッセージとして使われた。

 また、ローマ市民と元老院から統治を委託され、不評を買うと暗殺など抹殺される不安定な皇帝の位をより安定させるために、唯一絶対の『神』から統治を委託される、という誰からも文句のつけようのない方式に変えることとなった。これが、王権神授説というフランス革命までのモデルとなったともいえる。この皇帝の位の意味を変えたことも、そしてキリスト教を公認したことも併せて、ローマ帝国は事実上終わりを告げ、中世の扉を開いたといえる。

感 想

西洋史でMagus(マニュース)、英語読みならThe Greatをつけられるのは、アレクサンドロス大王、そして神聖ローマ帝国をつくったシャルルマーニュ大帝、そして、コンスタンティヌス大帝の3人とのこと。コンスタンティヌス帝は統治の道具として、キリスト教を振興するため教会の資産として多くの土地などを寄進した。つまりその後のキリスト教にとって多大な貢献をしたことによる。また、後にニセ物であることがわかったが、「コンスタンティヌスの寄進状」といって、コンスタンティヌスが全ヨーロッパをローマ法王に寄進した、という話につながり、王や君侯が法王から統治を委託されている、という世俗権力を縛ることになったという。コンスタンティヌス帝の諸施策は、それだけ大きな変化をもたらしたということである。それでもローマ帝国はこの後、100年くらいしか維持することができなかったことから見て、ローマ帝国を維持するという目的を考えれば、コンスタンティヌス帝の施策は有効に機能しなかったというしかない。キリスト教にとっては別だが。

2005.9 読了

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