Title9-3.GIF (2758 バイト) Eurasia1271   クロニクル「モンゴル帝国」(INDEX)

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 モンゴル帝国の成立(9)
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◆チンギス=ハーンの孫の時代◆ 

概略

フビライはハーン継承争いで弟アリクブカに勝ったが、オゴディ=ハン国のハイドゥは、アリクブカを支援し、ハーン位継承争いに参加、フビライ即位後も東方寄りの国家体制に対し、キプチャク=ハーン国の支援も得て、反フビライの戦いを続けることとなる(ハイドゥの乱)。1271年フビライは首都を大都(北京)に移し、国号を「大元」とし、伐宋に着手した。

チンギス=ハーンの孫の時代(2) 他地域の情勢
1260年 3-フビライ、開平府でハーン位につく(世祖〜1294)。 4-アリクブカ、カラコルムでハーン位につき、フビライと対立。
10-チベット僧パスパ、帝師となる。
1261年 5-史天沢(してんたく)、中書右丞相に、耶律鋳(やりつちゅう:耶律楚材の子)左丞相となる。 5‐教皇アレクサンデル4世、ヘンリー3世にオックスフォード条項(1258年)の無効を認める。英国王と諸侯の対立激化。
7-フビライ、南宋征討を宣言。 7‐ニケーア帝国皇帝ミカエル8世、ジェノヴァの支援を受け、コンスタンティノープルを回復し、ビザンツ皇帝に復位。
11-フビライ、シムルト=ノールの戦いでアリクブカを撃破
チャガタイ=ハン国でアルグ即位(〜1266)
1262年 山東の漢人世侯李壇、宋に通じ反乱。平章政事の王文統、李壇と共謀した罪で殺害される。史天沢、李壇を追討し、乱平定。
皇子チンキム、燕王、宋中書令となる。
1263年 5-開平府、上都となる。 8-元帥府を大理に置く。 1263年 英シモン・ド・モンフォール、貴族の反国王闘争を指導。
  1263年 ヴェネツィア海軍、ジェノヴァとビザンティンの連合軍を撃破。
1264年 宋の理宗没(1224〜)、度宗即位(〜74) 1264年 リューイスの戦い;モンフォール率いる貴族軍、ヘンリー3世を捕虜とする。
アリクブカ、フビライに降る。 8-燕京、中都となる。
12-モンゴル、諸侯の世襲をやめ、遷転法を実施。
1265年 モンゴル人を各路ダルガチに、漢人を総管に、イスラム教徒を同知に充てることを定制とする。 1265年 4-モンフォール、議会を召集。8-イーヴシャムの戦い;皇太子エドワード、モンフォールを敗死させる。
8-アントンが中書右丞相に、バヤンが中書左丞相に。 1265年 教皇クレメンス4世、仏王の末弟シャルルにシチリアを譲渡。
イル=ハン国のフラグ没(1258〜)。子のアバカ即位(〜1282)
1266年 高麗王、モンゴル使者黒的を日本に送る(巨済島から引き返す) 1266年(*1) 奴隷王朝のマムルーク出身の有力貴族ギヤースッディーン・バルバンが自らスルターン位に就き、イルトゥトゥミシュ家から王位を奪う。即位後バルバンは軍制を改革してモンゴルのインド侵攻を防ぎ、スパイ網を整備したり、スルターンの神聖化に務めるなど、君主権の更なる強化を推し進めた。
アリクブカ没。 ハイドゥの乱起きる。
1267年 大都建設始まる。
賈似道(かじどう)、平章軍国重事となる。呂文煥、知襄陽府兼京西安撫副使となる。
モンゴル軍に強請され、高麗の潘阜、使者として日本へ派遣される。
1268年 モンゴル、諸路の女真、契丹、漢人のダルガチを廃止。(モンゴル人のみ)
シリギ(モンケの子)河平王となる。
高麗の潘阜、使命失敗し日本の太宰府より帰国。
モンゴルの黒的、再度日本へ派遣される(対馬に至り引き返す)
1269年 高麗の林衍、元宗を廃し、王弟を擁立。崔坦、林衍征討を名目に挙兵し西北部60余城とともにフビライに降る。林衍、モンゴル軍の圧力に屈し、元宗を復位させる。
パスパ文字頒行される。
1270年 趙良弼(ちょうりょうひつ)、秘書監となり日本へ派遣される。 インド、デリースルタン朝のバルバン、1241年にモンゴルに占領されたラホールを奪回。パンジャーブ支配を確立。
イル=ハン国、ファールスのサイグル朝を滅ぼす(1148〜)
1271年 国号を大元と改める。 1271年 ノヴゴロド公アレクサンドル・ネフスキーの末子ダニール・アレクサンドロヴィチ、初代モスクワ大公となる。
チャガタイ=ハン国のバラク=ハーン、ハイドゥに殺される。

 

 1266年(*1)  1266年に奴隷王朝(デリー・スルタン朝)イルトゥトゥミシュ家のマムルーク出身の有力貴族ギヤースッディーン・バルバンが自らスルターン位に就き王位を奪う。即位後もバルバンは貴族の第一人者としてふるまいつつ、軍制を改革して当時アフガニスタンに駐屯して頻繁にインドに侵入してきていたモンゴル軍(モンゴルのインド侵攻)を防ぐ一方、スパイ網を整備したり、スルターンの神聖化に務めるなど、君主権の更なる強化を推し進めた。(Wiki)

資料 陳舜臣『チンギス=ハーンの一族』