僭帝マグネンティウス |
340年 |
ローマ内乱;コンスタンス、イタリアに侵入したコンスタンティヌス2世を敗死させ、西方の支配者となる。 |
341年 |
コンスタンス、異教の供犠を禁じる |
343年 |
コンスタンス、ブリタニアへ遠征 |
346年 |
サルディカの公会議;アリウス派を異端とする。東西の司教対立し、東方司教は分派してフィリッポポリス公会議を催し、アタナシウス派を異端とする;東西教会分裂の最初の兆候 |
347年 |
コンスタンス、ドナトゥス派を追放し、迫害 |
348年 |
コンスタンティウス(2世)、メソポタミアのシンガラでペルシアと戦う |
350年 |
配下の将兵の不満をまとめて、コンスタンスを廃すことを決めたのはマグネンティウスだった。コンスタンス、マグネンティウスの騎兵隊長に殺される。しかし、蛮族出身の彼はローマ市民であったマルケリヌスを皇帝に擁立すると決める。
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その後、マグネンティウス自らが皇帝を名乗るが、それに不満を持ったイリュリクム(現在のクロアチア、ブルガリア)の将兵がヴェラトニオを皇帝に擁立した。
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僭帝ウェトラニオは、はじめマグネンティウスと結んだ後、コンスタンティウス2世に臣従。 |
これにあせったマグネンティウスは西に軍を向けてきたコンスタンティウスに自分を副帝(カエサル)にする妥協案を提案してきた。
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しかし、コンスタンティウスはこれを拒否。コンスタンティウスはヴェラトニオと会談し、ヴェラトニオの生命の保証をする代わりにその軍団を配下に収めた。ヴェラトニオは廃位され、小アジアのプルサに配流。
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僭帝ポティアヌス、ローマで立つが、マグネンティウスの軍隊に処刑され、一族追放。 |
フランク族・アレマンニ族、ライン川を渡り、諸都市を略奪して荒廃させる(〜355)。 |
ゴート族の司教ウルフィラス(311〜383)、聖書のゴート語訳を完成;アリウス派キリスト教、ゴート族の間に広まる |