チンギス=ハーンの子の時代(2) |
他地域の情勢 |
1239年 |
イスラム商人アブドゥル=ラフマーン、河南の租税徴収を請け負い成果を上げる |
グレゴリウス9世、再び神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世を破門 |
ゴデン、チベットに侵入し、ラデン僧院、ギェルラカン寺を焼く |
リトアニアのミンドフク、キリスト教に帰依し教皇から王冠を授かる |
1240年 |
モンゴル軍、キエフ、クラカウなど占領し、中欧に迫る。 |
ノブゴロト公アレクサンドル=ネフスキー、スウェーデン軍をネヴァ川に破る |
1241年 |
リーグニッツの戦い;バトゥ、ドイツ騎士団・ポーランド連合軍を破る。 |
フリードリヒ2世、ローマ進撃 |
ホラズム人ヤラワチ、華北漢民の財政を担当 |
リューベックとハンブルク市同盟;ハンザ同盟の起源 |
オゴディ=ハーン死去。第六皇后トゥラキナ、監国となる |
グレゴリウス9世没。教皇1年空位 |
モンゴル軍、インドパンジャーブ地方へ侵入。ラホール占領。 |
日本;鎌倉幕府、多摩川の引水で武蔵野開墾を計画 |
1242年 |
モンゴル軍、一時オーストリア、ダルマチアを略奪した後、東方へ去る |
タイユブールの戦い;イングランド王ヘンリ3世のフランス領土奪回失敗 |
モンゴル軍、モラヴィアのオロモウツを破壊 |
デリースルタン朝のムイズッディーン=バフラーム廃位され、アラーウッディーン=マスード即位 |
蜀に侵入するが、宋の武将孟[王共]に撃退される。 |
長老チャガタイ没 |
ノブゴロト公アレクサンドル=ネフスキー、ドイツ騎士団を破る(チュドー湖の戦い) |
モンゴル軍、ルーム=セルジューク朝をキョセ=ダウの戦いで破る |
1243年 |
バトゥ、南ロシアにキプチャク=ハン国を建国(首都;サライ) |
ボルドーの和約;英仏5年休戦協定成立 |
ルーム=セルジューク朝、モンゴルに大敗し、臣属。 |
1244年 |
モンゴル軍、アナトリア(小アジア)へ |
アイユーブ朝、イェルサレムを奪回 |
耶律楚材没 |
フリードリヒ2世、カンパーニャ侵入。教皇、ジェノバ、リヨンへ逃げる |
モンゴル軍、寿春府を囲むが、宋の武将呂文徳に撃退される |
1245年 |
11-モンゴル軍、蜀に侵入 |
インド東カンガ朝、ムスリム支配下のベンガルに侵入 |
モンゴル軍、インドのムルターン、ウッチに侵入 |
リヨン公会議;皇帝フリードリヒ2世の破門を確認し、廃位を宣言 |
1246年 |
グユク=ハーン即位(皇太后トゥラキナ{グユクの母}没) |
賈似道、京湖制置使となる。 |
ローマ教皇の使者カルピーニ、カラコルムに至る |
デリースルタン朝ナーリル=ウッディーン=マフムード即位;宰相バルバン活躍 |
1247年 |
モンゴル武将アムカン、洪福源と共に高麗に侵入 |
日本;執権北条時頼、三浦泰村一族を討つ |
宋の呂文徳、モンゴル軍を泗州に破る。 |
日本時頼、道元を鎌倉に招く |
1248年 |
グユク=ハーン没。皇后オグルガイミシュ、監国となる。 |
マリーン朝モロッコ北部へ勢力拡大 |
シラムン(オゴディの孫)擁立するオゴディ派とモンケ擁立を図るバトゥらの対立起る。 |
デリースルタン朝の奴隷貴族バルバン、らジャスターン地方のランタンボールを包囲 |