チンギス=ハーンの子の時代(1) |
他地域の情勢 |
1228年 |
3-金の武将完顔陳和尚、モンゴル軍を大昌原で大破。 |
フリードリヒ2世、第6回十字軍遠征に出発。 |
アルモハード朝の王族アブー=ザカリヤー、チュニス総督となりハフス朝の基を開く(〜1574) |
1229年 |
オゴディ、クリルタイでハーンとなる(太宗)。ヤサク(チンギスの定めた法令)は頒布。 |
インド奴隷王朝イレトゥミシュ、カリフからスルタンの称号を受ける(デリー・スルタン朝) |
十字軍、イェルサレム占領;イェルサレルム王国 |
オゴディ、金征討を決定。10-金の慶陽に迫る。 |
イエメンでアイユーブ朝の君主が追われ、ラスール朝成立(〜1454) |
1230年 |
1-金、モンゴル軍を破り、慶陽の囲みを解く。 |
ハフス朝アブー=ザカリヤー。チュニジア全域を支配。 |
7-オゴディ=ハーン、金を親征。トゥルイ、モンケ、従う。 |
アフリカでマリ王国勃興。 |
11-モンゴル、耶律楚材の建議により、初めて華北の支配漢地に十路徴収課税使を置く |
レオン王アルフォンソ9世没。子のカスティリヤ王フェルナンド3世、レオン王を継承し両国合併(〜1253) |
1231年 |
モンゴル軍、金の鳳翔府、河中府を占領。 |
ホラズム朝ジャラール=アッディーン没、同朝滅亡。(1077〜) |
8-モンゴル、中書省を設け、耶律楚材を中書令とする。 |
10-モンゴル武将サルタク、使者殺害を口実に高麗進攻。高宗降伏。ダルガチ72人を配置する。 |
1232年 |
モンゴル、宋と連合して金を討つことを決定。 |
フリードリヒ2世の帝国令;諸侯に特許状を与え、領域内の司法権と貨幣鋳造権を認める。聖地諸侯、皇帝軍を破る。 |
7-高麗の崔[王兎]、モンゴルのダルガチを殺してモンゴルに抵抗し、都を江華島に移す。モンゴル軍再び侵入。 |
1-モンゴル武将スプティ、金の[ベン]京を囲む。 |
グラナダにナスル朝成立(〜1273) |
金の完顔陳和尚、三峯山でモンゴル軍に大敗し、自殺。 |
ブルガリアのイヴァン=アッセン2世、ローマ教会と断交。ブルガリア教会、ローマ教会から独立。 |
金、モンゴルに和を請うが失敗。哀宗、[ベン]京を脱出。 |
教皇勅任の異端審問官、ドミニコ教団から任命される:異端審問が組織化され、仏、独で異端者に対し死刑を採用。 |
トゥルイ没。 |
1233年 |
高麗の武将洪福源ら、モンゴルに降る。 |
インドデリースルタン朝のイレトゥミシュ、ビルマを征服。 |
モンゴル、金の[ベン]京を占領。哀宗、蔡州に逃走。 |
モンゴル、蒲鮮万奴を捕縛し、遼東の大真国滅ぶ。 |
1234年 |
モンゴル、宋連合軍、金の蔡州を攻撃。宋、三京(開封、洛陽、帰徳)を占領。 |
異端討伐十字軍、十分の一税支払い拒否農民をオンデンブルグで全滅させる。 |
モンゴル、洛陽、開封を奪還。宋の背盟を責める。 |
教皇グレゴリウス9世、プロイセンをドイツ騎士団に授封。 |
金の哀宗、承麟(末帝)に譲位し、自殺(1223〜)。 |
スペインのナバラでサンチョ7世死去、フランスの勢力下に入る。 |
モンゴル軍、宋軍と共に蔡州を占領。金滅亡(1115〜) |
ナスル朝のムハマンド1世、グラナダを首都とする。 |
1235年 |
カラコルム(和林)築城。 |
ハフス朝のアブー=ザカリヤー、アルジェを占領。アルジェリアにジャーン朝成立(〜1554) |
バトゥ、グユク、モンケらは西征。クチュ、クトクらは宋、タングは高麗へ出陣。(グユク、クチュはオゴディ=ハーンの息子。モンケはトゥルイの長男。) |
ニケーア帝国ヨアンネス3世、クレタのヴェネツィア人を攻撃 |
ブルガリアのイヴァン=アッセン2世、ニケーア皇帝と結んでラテン帝国のコンスタンティノープルを攻撃。 |
1236年 |
宋に侵入し、各地で戦い。 |
カスティリア王フェルナンド3世、イスラム教徒の首都コルドバを占領。 |
モンゴル、万安宮完成。交鈔を発行。ゴデン、成都を征する。 |
オゴディの後継として期待されていたクチュ、湖広で陣没。モンゴル軍、淮西へ進軍。 |
奴隷王朝でラズィーヤ(女帝)即位。 |
バトゥ、ヴォルガのブルガル人を征服 |
1237年 |
バトゥの西征軍、キプチャク諸部を征し、モスクワ、キエフを攻撃。 |
西北インドでイスマイル派が反乱し鎮圧される。 |
ハフス朝、ムワッヒド朝から独立する。 |