Title9-3.GIF (2758 バイト) MiddleEast 1171年

Europe&MiddleEast1163年 gya_l_bg.gif (1060 バイト)  gya_r_bg.gif (1063 バイト) Europe&MiddleEast1183年

サラディン、アイユーブ朝を創設


 ヌールッディーンにエジプトに派遣された副将シールクーフは宰相となるが、2か月後に急死。甥のサラディンはダマスクスのヌールッディーンに無断で宰相を継いだ。ヌールッディーンはエジプトに征討軍を派遣するが、サラディンは恭順の態度を明らかにせず、独立国家のように振る舞い、さらに1171年ファーティマ朝カリフが死去したときに、カリフを置かず、ダマスカスのカリフ ヌールッディーンに従うことを宣言するが、事実上アイユーブ朝の創設となる。

概 略 
1163年  ファーティマ朝で権力争いに敗れた宰相シャワールからの援軍要請に応えてシールクーフがエジプト遠征。しかし、シャワールが復権後、十字軍と組んでシールクーフを攻撃(第一次)。シールクーフと十字軍は共に軍を引いた。
1167年  シールクーフ、再びエジプト遠征。ファーティマ朝・十字軍連合軍と戦う(第二次)が、シールクーフ、十字軍とも軍を引く。*Wiki
1169年 ファーティマ朝ではシールクーフが政治を専横していたが、その息子カミルからの援軍要請に応えてヌールッディーンが派遣した副将シールクーフ(第三次)がエジプトをザンギー朝の影響下に置く。シールクーフ、ファーティマ朝の宰相となるが2か月後急死。甥のサラディンが継ぐ。サラディンがエジプトでザンギー朝ヌールッディーンに対して独立。(*2 II-P207)
1171年  ファーティマ朝カリフ死去。サラディン、ファーティマ朝廃絶し、自ら宰相となり、ダマスカスのカリフに従うことを宣言。アイユーブ朝創設(〜1250年)。*1
 イェルサレム王アモーリー1世は、ヌールッディーンやサラディンの勢力拡大に危機感を感じ、ローマ法王へ十字軍派遣を要請する。しかし、トーマスベケット事件などで混乱する西欧情勢により、十字軍は実現せず。(*2 II-P211)■■■

資料  『世界史大年表』(山川出版社)石橋秀雄 他。
 *1『アラブが見た十字軍』アミン・マアルーフ
 *2 『十字軍物語』 塩野七生

十字軍の歴史
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