概 略 |
1163年 |
ファーティマ朝で権力争いに敗れた宰相シャワールからの援軍要請に応えてシールクーフがエジプト遠征。しかし、シャワールが復権後、十字軍と組んでシールクーフを攻撃(第一次)。シールクーフと十字軍は共に軍を引いた。 |
1167年 |
シールクーフ、再びエジプト遠征。ファーティマ朝・十字軍連合軍と戦う(第二次)が、シールクーフ、十字軍とも軍を引く。*Wiki |
1169年 |
ファーティマ朝ではシールクーフが政治を専横していたが、その息子カミルからの援軍要請に応えてヌールッディーンが派遣した副将シールクーフ(第三次)がエジプトをザンギー朝の影響下に置く。シールクーフ、ファーティマ朝の宰相となるが2か月後急死。甥のサラディンが継ぐ。サラディンがエジプトでザンギー朝ヌールッディーンに対して独立。(*2
II-P207) |
1171年 |
ファーティマ朝カリフ死去。サラディン、ファーティマ朝廃絶し、自ら宰相となり、ダマスカスのカリフに従うことを宣言。アイユーブ朝創設(〜1250年)。*1 |
イェルサレム王アモーリー1世は、ヌールッディーンやサラディンの勢力拡大に危機感を感じ、ローマ法王へ十字軍派遣を要請する。しかし、トーマスベケット事件などで混乱する西欧情勢により、十字軍は実現せず。(*2
II-P211)■■■ |