概 略 |
1154年 |
ヌールッディーン(36歳)、ダマスカスに入城し、ムスリム=シリアを統一。*1
ヌールッディーンのもと体制を固めつつあるイスラム側に対して、第二次十字軍に見捨てられた中近東の十字軍都市国家の危機が高まる。 |
1156年 |
シリア大地震。ヌールッディーンはダマスカス再建、病院や救済施設の建設などを進め、教育機関を充実させる。(*2 II-P123) |
1157年 |
大セルジュークの支配を回復したサンジャルが病没し、東部ペルシアの大セルジューク朝滅ぶ。(ルーム・セルジュークは存続。)*1 |
1158年 |
アンティオキア公ボードワン3世、ビザンティン帝国皇女テオドラと結婚。2年後ボードワン3世死去し、弟のアモーリーが継ぐが、アンティオキアは事実上、ビザンティンの支配下となる(*2
II-P117)。ビザンツ皇帝は、艦隊をパレスティナに派遣するがUターンさせるなど、西欧からみると自国の領土防衛やアンティオキアを支配しようとはするが、イェルサレム王国を守る意思がないとみなされ、心証を害した。後の第四次十字軍によるコンスタンティノープル侵略の伏線になっていく (*2
II-P120)。 |
1163年 |
ファーティマ朝で権力争いに敗れた宰相シャワールからの援軍要請に応えてシールクーフがエジプト遠征。しかし、シャワールが復権後、十字軍と組んでシールクーフを攻撃(第一次)。シールクーフと十字軍は共に軍を引いた。1 |