Title9-3.GIF (2758 バイト) MiddleEast 1163年

Europe&MiddleEast1154年 gya_l_bg.gif (1060 バイト)  gya_r_bg.gif (1063 バイト) Europe&MiddleEast1171年

ヌールッディーン、エジプトを支配下に置く


 フランス王、ドイツ皇帝に率いられた第二次十字軍は、ダマスクスに向かうが統制がとれず攻めあぐねる仲、アレッポの太守ヌールッディーン接近の報に接するや撤退。ヌールッディーンのもと統率がとられ体制が固まるイスラム側に対して、見捨てられた中近東十字軍都市国家には危機が高まる。ヌールッディーンはダマスクスに入城し、シリアを統一。エジプトのファーティマ朝の王位継承をめぐって揺らいだところに副将シールクーフを派遣し、ザンギー朝の支配下い置いた。

概 略 
1154年  ヌールッディーン(36歳)、ダマスカスに入城し、ムスリム=シリアを統一。*1
ヌールッディーンのもと体制を固めつつあるイスラム側に対して、第二次十字軍に見捨てられた中近東の十字軍都市国家の危機が高まる。
1156年  シリア大地震。ヌールッディーンはダマスカス再建、病院や救済施設の建設などを進め、教育機関を充実させる。(*2 II-P123)
1157年  大セルジュークの支配を回復したサンジャルが病没し、東部ペルシアの大セルジューク朝滅ぶ。(ルーム・セルジュークは存続。)*1
1158年  アンティオキア公ボードワン3世、ビザンティン帝国皇女テオドラと結婚。2年後ボードワン3世死去し、弟のアモーリーが継ぐが、アンティオキアは事実上、ビザンティンの支配下となる(*2 II-P117)。ビザンツ皇帝は、艦隊をパレスティナに派遣するがUターンさせるなど、西欧からみると自国の領土防衛やアンティオキアを支配しようとはするが、イェルサレム王国を守る意思がないとみなされ、心証を害した。後の第四次十字軍によるコンスタンティノープル侵略の伏線になっていく (*2 II-P120)。
1163年  ファーティマ朝で権力争いに敗れた宰相シャワールからの援軍要請に応えてシールクーフがエジプト遠征。しかし、シャワールが復権後、十字軍と組んでシールクーフを攻撃(第一次)。シールクーフと十字軍は共に軍を引いた。1

資料  『世界史大年表』(山川出版社)石橋秀雄 他。
 *1『アラブが見た十字軍』アミン・マアルーフ
 *2 『十字軍物語』 塩野七生

十字軍の歴史
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