Title9-3.GIF (2758 バイト) MiddleEast 1128年

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アレッポの太守ザンギーが勢力拡大




 占領したパレスティナ湾岸を死守しようとする第一次十字軍に対して、イスラム側同士でも権力闘争、領土争奪が続いていたが、アレッポの太守ザンギーが次第に力をつけ、モスールを占領し、十字軍占領地も狙い始めた。
一方、十字軍側では、第一次十字軍から従軍してきたイェルサレム国王ボードワン2世が死去。現地で実践経験のないフルクが王に就任。同じ年、ボードワン2世の盟友ジョスラン・ド・コートネーがザンギーとの戦いで戦死。エデッサとアンティオキアの指導者が不在となる危機を迎えていた。

概 略 
1122年  ジョスラン・ド・コートネーがアレッポの捕虜となる。その後、狩りにでていたボードワン2世もアレッポ兵に襲われ、捕虜となる。ボードワン2世とコートネーが共に捕囚となるのはこれで2度目。アルメニア兵の協力により2人は脱出するが、ボードワンは再度捕虜となる。
1123年  十字軍、20年ぶりにパレスティナに戻ってきたヴェネツィア海軍の支援を受け、エジプト海軍を撃破。アスカロンを攻略。(*2)
   ヴェネツィア海軍の後押しもあり、ユースタス・ガルニエがイェルサレム総司令官となる。
1124年  十字軍、ティロスを奪い、パレスティナ沿岸全土を占領。
   捕虜となっているボードワンの利用価値が下がったところで、コートネーが身代金8万ディナールを払ってボードワンを救出。
1125年  イブン・アル=ハシャーブ、暗殺教団に殺される*1
1128年  ザンギー、バクダードのトルコ軍で実績をあげ、モスール、アレッポを支配。ザンギー朝(〜1146年)*1
1129年  ボードワン2世の娘メリゼンダとフランス王推薦のアンジュー伯フルクが結婚。ボードワン2世の他の二人の娘もトリポリ伯レーモン2世、アンティオキア公ポエモン2世に嫁ぎ、十字軍国家間の連帯を強めた。
1130年  ザンギーがアンティオキアを攻撃。ポエモン2世戦死。嫁いだボードワン2世の娘アリーチェは、自分の身分の保障と引き換えに、ザンギーにアンティオキアを引き渡そうとするが、側近に阻止され、ボードワン2世により追放される。ボードワン2世は2歳の孫娘とアンティオキアをコートネーに託し、イェルサレムに戻る。
1131年  8月 ボードワン2世死去。イェルサレム王にはアンジュー伯フルクが就任。イェルサレム王国はフランス王国と同様、封建諸侯から成り立っており、これらの同意があってはじめて騎兵500、歩兵2,000を動かせた。中東での実践経験のないフルクには重荷だった。*2
   ザンギー軍との戦闘中にジョスラン・ド・コートネーが負傷し、まもなく死去。エデッサとアンティオキアのリーダーが不在となる。(*2 II‐P46)

資料  『世界史大年表』(山川出版社)石橋秀雄 他。
 *1『アラブが見た十字軍』アミン・マアルーフ
 *2 『十字軍物語』 塩野七生

十字軍の歴史
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