Title9-3.GIF (2758 バイト) ユダヤ人の歴史   

<ユダヤ人関連年表>
 イスラエルの主なできごと 周辺地域のできごと 
 BC18世紀  ウル(メソポタミア)出身のアブラハムがカナンに移り住んで、イサクという子どもを設ける。イサクの子どもがヤコブ。(神話での年齢は、300~900歳)  
 BC15世紀  ヤコブには12人の子どもがおり、その一人ヨセフがエジプトへ行き、宰相となる。カナンでの飢饉で苦しんでいたヤコブを息子のヨセフがエジプトに呼び寄せる。エジプト王から厚遇を受けて栄える。ルベン・シメオン・レビ・ユダ・イッサカル・ゼブルン・ダン・ナフタリ・ガド・アシェル・ヨセフ・ベニヤミンが祖となって、イスラエル12支族になっていく。  
BC14世紀  エジプトのアメン=ヘテプ4世(BC1362~1333)、アメン=ラー信仰(多神教)を改め、アテン神のみを信仰する宗教改革を実施。アメン信仰の神官の勢力を抑えるためか。自らの名前をアクエンアテン、首都をテーベからアケトアテンに遷都。その後、アメン信仰に戻る。
 イスラエルの民は、後(215年後)にエジプトのファラオの圧制に苦しむようになり、指導者モーゼにより、エジプトを脱出する。(第19王朝ラムセス2世(在位前1279-1213)の時代とも。)  
BC13世紀  モーゼの出エジプト。;モーゼという宗教改革者が、抑圧されたアテン信仰(一神教)をユダヤ人の間に広めた(可能性。そしてモーゼがエジプト人だった可能性も)。~『モーゼと一神教』(フロイト)/『エジプト人モーゼ』(ヤン・アスマン)~
 モーゼ、シナイ山で(神ヤハウェから)「十戒」を授けられる。  ミタンニ王国、アッシリアに併合され滅亡。
 40年間流浪し、カナンに入る。モーゼはヨルダン川の手前で落命。
 モーゼの息子ヨシュアがモーゼの遺志を引き継ぎ、イスラエル人の軍勢を率いて、先住民を打ち破り、カナンに定着。イスラエル12支族をもとにイスラエル人というグループが形成されたと考えられる。  エジプトのファラオ メルエンプタハ(在位BC1212~1202)のBC1207年のパレスティナ遠征を記念する碑文に「イスラエル」の名あり。
 ベニヤミン支族のサウルを最初の王として王国建設。  BC1190 ヒッタイト帝国滅亡(BC1460~)
 ユダ支族のダヴィデ王が継ぐ。イェルサレムを首都とする。  BC1180年頃 トロイ戦争(アカイア人のギリシアとトロイとの戦争)
 BC11世紀  ダヴィデの息子ソロモンが継ぐ。ソロモンの繁栄、ソロモンの神殿建築。ソロモンの死後は支族間の争いが激しくなる。  
 BC10世紀  BC932年 王国が南北に分裂。北;イスラエル王国、南;ユダ王国。
 ダヴィデ王家(ユダ支族)に反発したグループが分かれて、イスラエル王国を作った。
 南のユダ王国は、ユダ支族とベニヤミン支族によって構成され、この末裔がユダヤ人となる。しかし、この二王国はどちらもイスラエル人で、ヤハウェ信仰を持つ。
 
 BC9世紀  預言者エリヤは、アハブ王(在位BC869~850年)のイスラエル王国で活動し、バアル神(フェニキア人の神)を批判。イェルサレム北方のティルスがフェニキア人の植民都市だった。
 後のフェニキアのハンニバル将軍は、ハンニ・バアル(バアル神の恵の意)。
 
BC8世紀  BC722年 イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされる。バアル神を信仰した罰を受けたとの解釈。原罪は人間にあるというユダヤ教特有の思考を形成か。  BC776 オリンピアで第一回オリンピア競技会開催
BC7世紀  ユダ王国ヨシア王(在位BC640~609年)による宗教改革;「申命記」の記述に従って、国内の祭儀と司祭制度を中央集権化した(申命記改革)*2。各地の神殿には雑多な神が入り込んでいたため、イェルサレム以外の神殿を廃止とする。  BC609年 アッシリアが新バビロニアに滅ぼされる。
BC6世紀  BC597年 新バビロニア王ネブカドネザル(在位BC605~562年)が、ユダ王国に攻め込み、王族や有力者を含む住民数千人を新バビロニアの首都バビロンに連行(バビロン捕囚)。  
 新バビロニア支配下、半独立でユダ王国は継続。ゼデキヤ王(在位BC598~587年)の側近の預言者エレミヤの非戦論に対し、好戦派が新バビロニアと戦争開始、BC586年、ユダ王国は滅ぼされ、第2次バビロン捕囚。  
 BC538年、新バビロニアがアケメネス朝ペルシアに滅ぼされる。アケメネス朝のキュロス2世(在位BC559~529年)により、カナンへの帰還が許される。民族的な体験を経て、ユダヤ教が信仰を強くしていく。[ユダヤ教の成立か]  
 ペルシア王ダレイオス1世治下の紀元前515年、ゼルバベルの指導でエルサレム神殿が再建された。これは第二神殿と呼ばれている。  
BC5世紀  BC485年、祭司エズラが、モーゼの律法などを元に、「エズラ記」など『旧約聖書』の形成に貢献。  
 紀元前458年にエズラの指導のもとで二度目の集団帰還が行われた。またネヘミヤとエズラとがこの時期、国の整備とユダヤ教の形式とを固め、これが現代のユダヤ教またはユダヤ文化へ直接に影響している。ユダヤ人の民族外結婚を禁じたのもこの時であり、これによってユダヤ民族の独自性が今日にまで保たれている。(*Wiki)  
BC4世紀  BC330年、マケドニアのアレクサンドロス大王がペルシアを滅ぼすが、大王の死後、ディアドコイ(後継者)により分割され、カナンはプトレマイオス朝エジプトに組み込まれる。ユダヤ人は交易活動をしながら、帝国内に拡散、定住していく。  
BC3世紀  プトレマイオス朝はユダヤ教に寛大で、プトレマイオス2世フィラデルフォス(在位BC283~247年)のとき、『旧約聖書』のギリシア語訳(七十人訳聖書)が完成。  
BC2世紀  プトレマイオス朝エジプトとセレウコス朝シリアとのシリア戦争の結果、BC198年、カナンはセレウコス朝の支配下に入る。  
 セレウコス朝がユダヤ人にギリシアの神を強制したため、BC168年ユダヤ人が蜂起。ハスモン家のマタティアと5人の息子が中心となり、セレウコス朝を撃退。
 BC142年、ハスモン(シモン)朝を建国。
 
BC1世紀  BC63年、ローマのポンペイウスがイェルサレムを占領。カナンをローマの属州とする。ハスモン朝は廃され、ローマの傀儡としてのヘロデ王(在位BC37~4年)が即位し、ヘロデ朝創設。  
 BC4年、ベツレヘムにイエス=キリスト誕生。  
 AD6年頃、イェルサレム周辺は、アウグストゥス(在位BC27~AD14)のとき、ローマ帝国の「ユダヤ属州」となる。  
 1世紀  ユダヤ教;律法を重視するファリサイ(パリサイ)派、イェルサレム神殿での祭儀を重視するサドカイ派、荒野で禁欲的に集団生活を送るエッセネ派、ユダヤ人独立を目指すゼロテ派(熱心党)などのグループが存在。
エッセネ派のヨハネから、イエスは洗礼を受ける(洗礼者ヨハネ)。
 AD14年 ローマ皇帝ティベリウス(在位AD14~37年)。
 ファリサイ派は律法に通じる時間的余裕のある裕福な人々が中心であり、選民思想にもつながっていたが、イエスは神を信じればよい、という開放的な教えを唱え、対立した。  
 ユダヤ人は苦難の歴史の中で、この時、さらにローマに司法権、行政権を奪われ、重税が課せられ、さらにユダヤ属州総督ポンテオ・ピラト(在任26~36)の厳しい統治の中で、救世主(メシア、ギリシア語でキリスト)待望論が高まっていた。*1  
 ヨハネ(イエスの洗礼後は離れていた)は、支配者ヘロデ・アンティパスの結婚(兄弟の妻との結婚)を違法と告発して逮捕され、31年に処刑。ユダヤの体制が「救世主狩り」に力を入れた時期。  
 奇蹟を起すなどして信者を増やしていたイエスに対し、体制側の祭司長やファリサイ派の人々は危機感をもった。救世主とみなされたイエスがローマ支配に対する反体制運動の指導者となって、ローマい反旗を翻せば、その下で権力を振るっている体制側の自分たちの立場が危うくなる、としてイエスをローマ属州総督ピラトに告訴しようと決議。  
 32年、イエスの12使徒の一人ユダを買収し内通させ、ローマに逮捕させ、処刑した。  
 12使徒~ペテロ、アンデレ、大ヤコブ、ヨハネ(ヤコブの弟)、小ヤコブ(イエスの弟)などが伝道を行い、キリスト教となっていった。  
 38年 属州コンマゲネでアンティオコス4世、トラキアをでロエメタルケスを、ユダヤでアグリッパを、アルメニアでコチェスを、ポントスでポレモン2世を属王の統治に戻す  37年 ティベリウス、ミセヌムで没(14~)、カリグラ(ガイウス)即位(~41、第三代皇帝)。カリグラ、コンスル就任。
 40年、ユダヤ人使節、ユダヤ人迫害の訴え;アレクサンドリアのフィロン、ローマに来る  41年、カリグラ、親衛隊将校により暗殺される。(37~)。クラウディウス即位(~54、第四代皇帝)。
 41年、ヘロデス=アグリッパ1世、属州ユダヤを与えられ、全ユダヤの王となる(~44)、ユダヤ人、イェルサレムの新城壁を建設(~44)  
 50年ca.(1C半ば)『マルコ福音書』成立  54年、クラウディウス、皇妃小アグリッピナに暗殺される。ネロ帝即位(~68)。
 57年、パウロ、イェルサレムで逮捕され、カエサレアで監禁される、次いでローマに護送、航行途上難破に遭う。  
 60年ca.フェストゥス、フェリクスの後を継ぎユダヤ総督となる  
 61年、パウロ、ローマに至り伝道を行う(~61)。  
 64年、ローマ、9日間の大火。ゲッシウス=フロルス、ユダヤ総督に就任(~66)。ネロのキリスト教徒迫害始まる(~67);使徒ペテロ・パウロ殉教  65年、哲学者セネカ(BC4~)と詩人ルカヌス(39~)、ピソの陰謀に連座し、ネロの命により自殺
 66年、第一ユダヤ戦争勃発(~70);ローマの守備隊、反乱軍に各地で敗走。  
 67年、将軍ウェスパシアヌス、ユダヤに派遣され、ヨタパタを落とし、反乱の首魁ヨセフォスを降す;イェルサレム以外のガリラヤ・ユダヤの地を征服。  68年、ネロ自殺。ユリウス=クラウディウス朝終焉。以後、軍が武力を背景に皇帝を擁立するようになり、ローマ内戦に突入することとなる。
 70年、ティトス、イェルサレムを占領・破壊し、属州ユダヤとする。;第一ユダヤ戦争終わる。   69年、ウェスパシアヌス、元老院の承認を得て単独支配者となる(~79);フラウィス朝創始。
 74年、死海西岸の最後の拠点マサダの堅塁を占領;ユダヤ反乱軍の残党自害。  79年、ウェスヴィウス火山の噴火
 75年、ユダヤのアグリッパ2世とベレニケ、ローマを訪問。ユダヤ人歴史家ヨセフォス(ca.37~ca.100)の『ユダヤ戦記』成立(~79)。  80年、ローマ大火(3日間).コロッセウム完成。ティトスの浴場完成。
 81年、ティトス病死、弟ドミティアヌス即位(~96)
 90年、属州ユダヤのヤブネにおいて、ユダヤ教正典結集会議開催。  86年、ドミティアヌス、「主にして神」と称し、専制君主化。
   96年、ドミティアヌス、皇妃ドミティアに暗殺される。元老院議員ネルヴァ、皇帝に即位(~98);五賢帝時代始まる(~180)
     
   キリスト教がローマ帝国で公認、国教化されていくと、キリスト教徒から迫害を受けるようになる。*1  
   西ヨーロッパがゲルマン民族により王国が建設され、そしてキリスト教の担い手になっていくにつれ、ユダヤ人への迫害も薄れていく。ユダヤ人がヨーロッパ世界とイスラム世界の間の交易に従事し、身分的差別はあったものの必要とされた。*1  
8世紀  ハザール王国(カスピ海北岸のトルコ系遊牧民)は8世紀、ブラン可汗がユダヤ教を国教とした。(~10世紀王国北方遊牧民族やスラブ族の攻撃により滅亡するまで)亡国のハザール人は流浪の民となり、「アシュケナージ」(東欧系ユダヤ人)になったとも。  
 11世紀  11世紀末に始まる十字軍により、再びユダヤ人への迫害が始まった。
 1096年十字軍がドイツのラインラント諸都市に築かれたシナゴーグを襲撃など。*1
 
12世紀   十字軍以降もペスト(黒死病)流行にあたって、ユダヤ人が井戸に毒を流したなどデマの流布により、ユダヤ人虐殺が発生。また、キリスト教徒の少年を誘拐し、生き血を祭儀に用いる(血の中傷)などが各地に広まる。  
 
13世紀
 1264年、ポーランドで「ユダヤ人の自由に関する一般憲章」を発布。  
14世紀  教皇クレメンス6世(在位;1342~1352年)はユダヤ人迫害を弾劾する回勅を出し、アヴィニョン教皇庁周辺のユダヤ人を保護。  
 「同胞」(キリスト教徒同士、ユダヤ教同士)から利子を取ってはいけないとの教えが『旧約聖書』にある。ユダヤ人はキリスト教徒に積極的に金を貸し、利子をとった。ユダヤ人には金貸しが多くなり、それも差別につながった。  
 仏王シャルル6世(在位;1380~1422年)は、ユダヤ人に高い税金を課し、払えない場合は財産を没収、国外追放とした。  
 カスティーリャ女王イサベルと夫のアラゴン王フェルナンドは、レコンキスタ(国土回復運動)完了後、ユダヤ人に対し、キリスト教に改宗するか、さもなくば追放することを宣言。  
 中世末、スペインにいたユダヤ人はレコンキスタでスペインからオスマン帝国やヨーロッパへ移住。スペインや北アフリカでイスラムの影響を受けた“スファラド(スペイン)系ユダヤ人”と呼ばれ、ライン地方のユダヤ人をアシュケナジム系ユダヤ人と呼んだ。
スファラド系ユダヤ人は主に信教の自由を掲げるオランダへ、アシュケナジム系ユダヤ人はユダヤ人を受け入れていたポーランドに多く移住した。
 
 :    

17世紀
 ポーランドのユダヤ人の人口は、50万人に達したとされている。16世紀の宗教改革で、信教の自由を保障し、それはプロテスタントだけでなく、ユダヤ教にも適用されたことによる。  
 
18世紀
 1789年、フランス革命で人権思想や平等思想がヨーロッパ全土に行き渡り、ユダヤ人への差別も緩和された。その後、マルクス、フロイト、アインシュタインなどのユダヤ人学者が輩出する。  

19世紀
 1881年ロシア皇帝アレクサンドル1世(在位;1855~1881年)が暗殺される。ナロードニキの革命結社「人民の意志」の犯行だったが、ユダヤ人による暗殺との噂が広がる。各地でユダヤ人が迫害される。  
 1896年テオドール・ヘルツル『ユダヤ人国家』を著わし、ユダヤ人国家の建設を訴える。シオニズム運動(イェルサレム南東部「シオンの丘」に帰ろう)始まる。19世紀~20世紀の初めにかけてユダヤ人がイェルサレムに移住。  
 1894年、フランス第三共和政下で、ユダヤ系陸軍大尉ドレフュスがドイツに情報を流したスパイ容疑で逮捕された。別の真犯人が逮捕されるが、それをフランス政府が隠ぺいした。;ドレフュス事件(作家エミール・ゾラが再審請求運動を起こし、軍部や右派が反対運動を起こした)。  
 ライン川流域に住みついたユダヤ人は、ラインラントのドイツ語にヘブライ語を混入させて独自の言語「イディッシュ語」を作った。1908年、イディッシュ語の会議が開催された。  
 
20世紀
 しかし、ユダヤ人への差別意識は根強く残り、第一次世界大戦の敗戦国ドイツでは、ユダヤ人のネットワークゆえに、ロスチャイルド家など祖国に貢献しないユダヤ人への悪感情が醸成されていった。また、ロシア革命から逃れた旧ロシア貴族がドイツなどで反ユダヤキャンペーンを張った。  
 ダーウィニズムを利用して反ユダヤ主義に科学的根拠を与えようとした動きもあり、ナチスに継承されていく。  
 1915年、フサイン=マクマホン協定;メッカの太守(シャリーフ)フサイン・イブン・アリーと英エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンとの間に「フサイン=マクマホン協定」が成立。パレスティナを含むアラブの独立が確約されていた。  
 ロシアの南下やドイツのバクダード鉄道敷設権を得るなど、オスマン朝の統治能力なしと判断し、1916年サイクス・ピコ条約を締結;英仏露がアラブ地域の分割を決定。パレスティナは国際挙動管理が提唱された。イェルサレムは国際共同管理とされる。  
 1917年、英外務大臣バルフォアが、パレスティナにユダヤ人の民族的郷土をつくることに同意(バルフォア宣言)。バルフォアが第一次世界大戦で苦戦していた英が米の参戦を呼び込むため、米議会に働けかけてもらうために、ロスチャイルド家の二代目男爵への書簡で言及した。英国は、フサイン=マクマホン協定、サイクス・ピ条約、バルフォア宣言で矛盾した約束をして、将来の混乱の種を作った。  
 第一次世界大戦のときに陸軍アラビア局のトマス・エドワード・ロレンス(アラビアのロレンス)は、アラブ反乱を支援したように映画で描かれているが、実際は英国の矛盾したアラブ政策に加担しており、アラブ側から信用されていない。  
 第二次世界大戦時に、ドイツはイラクと組んで、イギリス利権を狙うが敗戦。
サイクス・ピコ条約は意味を失うが、フサイン=マクマホン協定とバルフォア宣言の矛盾は残ったまま。
 
 1947年11月国際連合において、パレスティナ分割協議案が採択される。パレスティナの56.5%が人口の少ないユダヤ人国家に、43.5%が人口の多いアラブ人国家に分割される。ナチス・ドイツのホロコーストがあり、ユダヤ人に対して罪滅ぼしの意味もあったと考えられる。*1  
   1948年5月、イスラエルが独立宣言。  
   レバノン、シリア、トランスヨルダン、イラク、エジプトのアラブ5か国がイスラエルに宣戦布告。;第一次中東戦争(1948/5~1949年)。イスラエルが勝利。  
   第2次中東戦争(1956年)  
   1964年、PLO(パレスティナ解放戦線)が結成。  
   第3次中東戦争(1967年);6日間戦争。イスラエルはヨルダン支配下の東エルサレム、ガザ地区を含むシナイ半島、ゴラン高原を占領。  
   第4次中東戦争(1973年);イスラエルが国連の裁定を無視して実効支配を続ける。  
   1974年アラブ首脳会議で、PLOがアラブ唯一の正当な代表と承認される。  
   1987年12月インディファーダ(蜂起);ガザ地区の住民4人がイスラエル占領軍車両との交通事故で死亡。イスラエル商品のボイコット、税金不払い、デモ、ゼネストなど運動が起こる。イスラエル軍の報復攻撃でパレスティナ人が多数死亡。  
   1988年、PLOはパレスティナ国家の独立を宣言。  
   1993年、イスラエルとPLOとの間に、相互承認と暫定自治協定(オスロ合意)が成立。  
   1995年、オスロ合意に署名したイスラエルのラビン首相が、和平反対派の青年に暗殺される。  
   イスラエルの右派リクードのネタニヤフ首相は、再び強硬路線へ。  
   労働党のバラック首相もヨルダン川西岸地区にユダヤ人入植地を拡大し、実効支配に力を入れるなど、和平は遠のいている。  
   次のリクード シャロン首相の2000年9月の東イェルサレム訪問で、第2次インティファーダ起こる。  
     

―ユダヤ人の歴史―




資料 *1 『一神教』(佐藤賢一著)集英社
  *2.『世界哲学史』‐「旧約聖書とユダヤ教における世界と魂」 高井啓介著
   山川出版社『世界史大年表』石橋秀雄 他。

  テーマ史INDEX     イェルサレム支配の近現代史    キリスト教の歴史   宗教史