西暦 |
時代 |
主な遺跡・史料 |
欧州・中近東 |
中国・アジア |
BC10C |
弥生時代(BC10C〜BC3C後半) |
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BC9C |
弥
生
時
代 |
水田稲作始まる |
アッシリア全盛 |
春秋時代(BC1046〜770)
ザラスシュトラ |
BC8C |
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BC7C |
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BC6C |
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ブッダ(BC566〜486) |
BC5C |
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ギリシア、ペルシア戦役に勝利(BC480)
ペロポネソス戦争(BC431〜BC404)
ソクラテス(BC469〜399年)
プラトン(BC427〜347年)
アリストテレス(BC384〜322年) |
戦国時代(BC403〜221) |
BC4C |
吉野ケ里遺跡(BC4C〜4C)[Wiki] |
アレクサンドロス東征 |
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BC3C |
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ポエニ戦争(BC264〜BC146) |
秦 始皇帝 |
BC2C |
『漢書』地理志(「楽浪海中有倭人」「分かちて百余国と為し」)
北部九州で鉄器が使用される |
前漢 |
BC1C |
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カエサル |
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1C |
57年 倭の奴の国王が後漢に朝貢し、金印を授けられる。*5 |
ローマ帝国 |
後漢 |
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107年 倭の国王の帥升らが後漢の安帝に朝貢。*5 |
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2C |
『後漢書』(東夷伝147-189年の間)に「倭国大乱」「凡そ百余国あり」 |
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纏向石塚古墳(奈良県)[Wiki] |
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189年ca 卑弥呼が倭の邪馬台国の女王になる。*5 |
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3C |
魏志倭人伝「今、使訳(魏の使節)の通ずる所三十国なり」 |
226年パルティア滅亡し、ササン朝ペルシア建国(〜651)。 |
三国時代 |
239年 卑弥呼、狗奴国と戦い、魏の皇帝から檄を送られる。魏の明帝から卑弥呼に金印、銅鏡100枚与えられる。 |
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晋 |
卑弥呼死去し、男王立つ、国中乱れ壱与女王となる。西晋に遣使。 |
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纏向遺跡(奈良県)[Wiki] |
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古墳時代 |
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古
墳
時
代 |
箸墓古墳(奈良県)[Wiki] |
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崇神天皇(10代);3世紀後半、王朝交代説あり |
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五胡十六国 |
4C |
4世紀初頭には前方後円墳(=ヤマト王権の勢力)が畿内から北部九州に拡大。箸墓古墳など。 |
313年ミラノ公会議;コンスタンティヌス帝キリスト教を公認 |
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景行天皇の治世58年に、纏向宮から大津 高穴穂宮に遷都か。 |
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4世紀後半には、日本列島のほぼ全域に前方後円墳(=ヤマト王権の勢力)が広まる |
アウグスティヌス(354〜430年) |
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4世紀後半、倭、朝鮮半島南部(加羅)に進出。百済王、倭王に「七支刀」を贈る。 |
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391年倭軍、渡海し百済・新羅と戦う(高句麗広開土王碑銘)。倭、朝鮮半島南部を勢力下におく。 |
395年ローマ帝国東西に分裂 |
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399年倭、百済と結び新羅に侵攻。高句麗、新羅を助け、倭を退ける。 |
401年西ゴート王アラリック1世、イタリア侵入。 |
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5C |
402年 新羅の実聖王が倭に人質をおくる。*5 |
429年ヴァンダル族はアフリカへ進攻、アルジェリアのヒッポを包囲。ヒッポ司教アウグスティヌス死去 |
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404年 倭が帯方郡に出兵、高句麗に撃退される。*5 |
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仁徳天皇陵など古市・百舌鳥古墳群(大阪)築造される。 |
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朝鮮半島半部に前方後円墳14基築造される(大和朝廷の統治範囲か) |
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『晋書』安帝紀に義熙九年(413年)に倭国が東晋に朝貢したと記す(中国王朝には147年ぶりの倭についての記述)。『宋書』(劉宋の正史)倭の五王(讃、珍、済、興、武)からの朝貢の記録がある。讃;履中天皇(17代)、武;雄略天皇(21)と考えられる。 |
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421年 倭王 讃が宋に使いを送る.。*5 |
447年東ローマ皇帝テオドシウス2世、フン族と講和;トラキア等割譲 |
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438年 倭王珍、宋より安東大将軍倭国王の称号を授かる。*5 |
451年カタラウヌウムの戦い;ローマ人、フランク人、ゴート人連合がフン族のアッティラを破る。 |
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478年 倭王武、宋に使いを派遣し、安東大将軍倭国王に任じられる。*5 |
452年教皇レオ1世はイタリアに侵攻したアッティラと会見し、ドナウ川まで撤退するよう説得。 |
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6C |
古墳時代末期の崇峻天皇の時までに皇子が豪族と血縁関係を結んだ先は、山陽・山陰・四国・九州・中部・東海・関東甲信越・北陸。(前方後円墳の分布範囲と同じ) |
476年傭兵隊長オドアケルにより西ローマ帝国滅亡 |
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502年 梁の武帝、倭王武を征東将軍に任じる。*5 |
486年フランク王国メロヴィング朝建国 |
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527年 倭、任那(加耶)復興のため、近江毛野と兵6万を朝鮮半島に送るが、新羅と通じた筑紫国造の磐井が毛野軍を九州で止める(磐井の乱)*5 |
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528年 物部麁鹿火(あらかび)、筑紫で磐井を討ち取る。*5 |
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537年 大伴狭手彦(さでひこ)ら、朝鮮半島に出兵、任那(加耶)を鎮め百済を救う。*5 |
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538年 百済 聖明王が日本に仏像等を伝える。 |
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548年 高句麗が百済に侵入。倭は百済の築城を支援し、百済・新羅連合軍は高句麗を撃退。*5 |
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554年 日本と百済の連合軍が新羅と戦う。百済の聖明王が敗死。*5 |
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562年 倭、新羅征討大将軍紀男麻呂を派遣するも敗れる。*5 |
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562年 大伴狭手彦、高句麗を破る。*5 |
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570年 物部尾輿、仏堂を焼き、仏像や経典を難波江にながす。*5 |
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584年 蘇我馬子、百済より贈られた仏像2体を仏殿に安置。*5 |
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585年 物部守屋、仏像・仏殿を焼き払う。*5 |
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587年 用明天皇、仏教に帰依するか群臣に問う。蘇我馬子は賛成、物部守屋と中臣勝海が反対。両者は兵を集めて対立。蘇我馬子・厩戸王(聖徳太子)が物部守屋を滅ぼす。仏教が信仰される。*5 |
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591年 崇峻天皇、任那(加耶)復興の詔を発し、2万の軍勢を筑紫におくる。*5 |
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飛鳥時代 |
飛鳥時代 (592〜710年) |
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