神世七代 |
国之常立神 |
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豊雲野神 |
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伊耶那岐神 |
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伊耶那美神 |
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天照大御神 |
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月読命 |
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須佐之男命 |
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天照大御神と須佐之男命の子 |
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと) |
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邇邇芸命の父である天之忍穂耳命までが「神代(かみよ)」であり、邇邇芸命からが「人代(じんだい)」となる。 |
天之菩卑能命 |
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天津日子根命 |
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活津日子根命 |
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熊野久須毘命 |
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天津日高日子番能邇邇芸命(ににぎのみこと) |
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天照大御神の命により、地上に降り立った邇邇芸命は、笠沙之岬で大山津見神(山の神)の娘 木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)と出会い結婚する。大山津見神は大いに喜び、佐久夜毘売に、姉の石長比売(いわながひめ)を添えて、姉妹そろって嫁がせた。しかし、姉の石長比売は見るものが震えるほどの醜さだった。邇邇芸命は、驚き恐れ、その日のうちに石長比売だけを実家に送り返してしまった。父親の大山津見神は「石長比売を側において頂ければ、天つ神の御子の命は、常に石のように変わらず永遠でありますように、木花之佐久夜毘売を側において頂ければ、木の花が咲くように栄えますように、と願いを懸けて送り出しました。石長比売を送り返し、佐久夜毘売を留めたのですから、今後、天つ神の御子の命は、桜の花のように脆く儚いものになるでしょう」と述べた。以降、天皇命(すめらみこと)の御命は限りあるものになった。つまり天皇の先祖が神から人になったのである。『日本書紀』には、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと、日本書紀の表現)の崩御と埋葬に関する記事がある。 |
大国主命 |
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神生みによる神 |
大綿津見神(おおわたつみのみこと) |
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大山津見神(おおやまつみのみこと) |
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海幸彦山幸彦 |
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邇邇芸命と木花之佐久毘売の間に生まれた子は、火照命(ほでりのみこと、海幸彦)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、火遠理命(ほおりのみこと、山幸彦またの名を天津日高日子穂穂手見命(あまつひこひこほほでみのみこと)の三柱である。 |
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豊玉毘売(とようたまびめ) |
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大綿津見神(おおわたつみのみこと)の娘で、山幸彦と結婚するが、出産が近づいたとき、山幸彦は鵜の羽で産屋を立てるが、完成する前に産気づいてしまう。豊玉毘売は本当の姿で子を産むので絶対に覗かないようにと言ったが、山幸彦は鮫になった妻の姿を見てしまう。それを恥じた豊玉毘売は妹の玉依毘売命(たまよりびめのみこと)に子育てを任せ、子ども残したまま海への境界を閉ざして海へ帰っていった。 |
鵜葺草葺不合命(うかやふきあえずのみこと) |
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育ての親である玉依毘売命を妻とし、四柱の御子を儲けた。その末っ子が神倭伊波礼毘古命(かむいわれびこのみこと)、後の神武天皇である。 |
神倭伊波礼毘古命(神武天皇) |
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天皇が神である、というのは、キリスト教など一神教の神とは意味が異なる |
邇邇芸命は、神としての性格(神聖)を保ったまま人になったと見るべき。戦前、天皇を「現人神」(あらひとがみ)と呼ぶことがあったが、これは「天皇が神である」という意味ではない。例え戦前であっても、天皇を生理的人間ではないと信じていた者はいないし、憲法学においても天皇は人であるというのが通説だった。「天皇」という日本民族の伝統的な地位が「神聖である」という思想が、歴史的に共有されてきたことに重要な意味がある。 |
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探究テーマ「日本」 テーマ史INDEX
[予定] ※日露戦争後の「韓国併合」「第一次世界大変(ドイツ撤退)」「満州国独立」「モンゴル共和国独立」などの地図を作成する。
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