Title9-3.GIF (2758 バイト) 日本 592年 Japan

  gya_r_bg.gif (1063 バイト) 672年

飛鳥時代



 倭国は伝来した仏教とともに大陸の文化・制度を取り入れるか、日本古来の信仰を守るかで対立が生じ、聖徳太子らの仏教支持派が勝ち、古墳時代から飛鳥時代へ移行する。一方、朝鮮半島の戦乱の中で、以前から交流のあった百済を救済し、朝鮮半島に影響力を行使しようとするが、663年白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れ、大陸からの逆襲に備える必要が生じた。

概 略
527年  倭、任那(加耶)復興のため、近江毛野と兵6万を朝鮮半島に送るが、新羅と通じた筑紫国造の磐井が毛野軍を九州で止める(磐井の乱)*5
528年  物部麁鹿火(あらかび)、筑紫で磐井を討ち取る。*5
537年  大伴狭手彦(さでひこ)ら、朝鮮半島に出兵、任那(加耶)を鎮め百済を救う。*5
538年  百済 聖明王が日本に仏像等を伝える。
548年  高句麗が百済に侵入。倭は百済の築城を支援し、百済・新羅連合軍は高句麗を撃退。*5
554年  日本と百済の連合軍が新羅と戦う。百済の聖明王が敗死。*5
562年  倭、新羅征討大将軍紀男麻呂を派遣するも敗れる。*5
562年  大伴狭手彦、高句麗を破る。*5
570年  物部尾輿、仏堂を焼き、仏像や経典を難波江にながす。*5
584年  蘇我馬子、百済より贈られた仏像2体を仏殿に安置。*5
585年  物部守屋、仏像・仏殿を焼き払う。*5
587年  用明天皇、仏教に帰依するか群臣に問う。蘇我馬子は賛成、物部守屋と中臣勝海が反対。両者は兵を集めて対立。蘇我馬子・厩戸王(聖徳太子)が物部守屋を滅ぼす。仏教が信仰される。*5
591年  崇峻天皇、任那(加耶)復興の詔を発し、2万の軍勢を筑紫におくる。*5
 崇峻天皇(32代)に飛鳥に宮都が置かれる。飛鳥時代はじまる。
592年  蘇我馬子、崇峻天皇を殺す。推古天皇即位。
593年  厩戸皇子(聖徳太子)摂政となる。高句麗僧慧慈、聖徳太子の師となる
596年  飛鳥寺(法興寺)建立
 600年頃  遣隋使を派遣。新羅に出兵。
601年  聖徳太子、斑鳩宮を造る。新羅征討の兵動員。来目皇子を撃新羅将軍とする。*5
602年  来目皇子が病に伏す。*5
603年  新羅再征を中止。冠位十二階を制定。
604年  十七ヶ条の憲法制定
607年  小野妹子を隋に派遣。聖徳太子、法隆寺建立に着手。
610年  高句麗僧曇徴、紙・墨・絵具の製法伝える
618年  隋が滅亡。唐が興る。
 この頃  律令国家を目指す。仏教伝来により、豪族が古墳に代わって寺を建てるようになった。
622年  聖徳太子(厩戸皇子)没。
629年  推古天皇崩御、蘇我蝦夷が山背大兄王を推す叔父を殺して、舒明天皇を即位させる。蘇我蝦夷が権勢をふるう。
630年  第一次遣唐使派遣
637年  蝦夷の反乱
641年  皇極天皇(女帝)即位。蘇我入鹿(蘇我蝦夷の子)が山背大兄王(聖徳太子の子)を殺害。聖徳太子の血流絶える。
645年
(大化元年)
 乙巳の変(大化の改新);中大兄皇子・中臣鎌足、蘇我入鹿をを殺害。蘇我蝦夷は自害。皇極天皇が譲位(日本初)し、孝徳天皇即位。初めての元号「大化」を定める。大化の改新により天皇への中央集権化進む。
646年
(大化二年)
 「大化の薄葬令」により豪族の古墳造営が禁止。土地と人民の豪族による私有をやめる「公地公民制」、戸籍の整備、班田収授法が定められ、中央集権国家を目指し、天皇と豪族の区別を明確化。
 中大兄皇子が孝徳天皇と距離を置き、失意のうちに崩御。654年斉明天皇(皇極天皇の重祚)即位。
658年
(斉明天皇四年)
 阿倍比羅夫、蝦夷を討つ。
659年
(斉明天皇五年)
 出雲国造に命じて出雲大社を修造させる
660年
(斉明天皇六年)
 唐・新羅連合軍が日本の友好国百済を攻め滅ぼす。百済の武将らから救援を求められ、援軍を派遣。
 661年
(斉明天皇七年)
 中大兄皇子、大海人皇子らが百済救援に向かう
 難波に遷って武器と船舶を作らせ、斉明天皇は瀬戸内海を西に渡り、筑紫の朝倉宮に遷幸し戦争に備えた。遠征の軍が発する前のこの年斉明天皇は当地にて崩御した。以降、称制
663年  白村江の戦い;日本・百済連合軍は、唐・新羅連合軍に敗退。朝鮮半島への影響力を失う。九州など防人を置いて、防戦の備え。(唐・新羅連合軍は日本を攻めず、高句麗を滅ぼす)


資料  *1 『世界史大年表』(山川出版社)石橋秀雄 他。
 *2 『天皇の国史』竹田恒泰著 PHP研究所
 *5 『日本の合戦年表』(小和田泰経監修 朝日新聞出版)


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