Title9-3.GIF (2758 バイト) イスラム教の歴史   

<イスラム教の歴史関連年表>
 主なできごと 周辺地域のできごと 

6世紀 
 570年頃、ムハンマド、メッカに生まれる。クライシュ族のハーシム家の長の子。このヒジャーズ地方は砂漠で、生産性が低く、専らキャラバン隊など商業に従事していた。ササン朝ペルシアとビザンツ帝国の対立により、アラビア半島経由の貿易が栄えていた。  メッカは現サウジアラビア。しかし、この頃国家はなく、北東にササン朝ペルシア、北西にビザンツ帝国。
 ムハンマド、25歳のとき15歳上のハディージャと結婚。  
 
7世紀
 610年頃、ムハンマド40歳のとき、ヒラ―山で瞑想中、大天使ジブリール(キリスト教で受胎告知をしたガブリエル)から神(アッラー)の啓示を受ける。この言葉をまとめたのが後に成立する『クルアーン』。
 612年頃からムハンマドが布教を始める。しかし、布教は進まず、人口5千人のメッカで、200人ほどの信者が迫害を受ける。
 619年、ムハンマドを支えてきた妻ハディージャ、伯父アブー・ターリブが死去。
 622年、信者とメディナに遷る。ヒジュラ(聖遷)。メディナの1/3がディアスポラのユダヤ人であり、迫害を受けることはなかった。
 キャラバン(隊商)を襲うガズウ(略奪)で生計を建てる。次第にメッカとメディナの戦争状態となる。  
 624年 パドルの戦い;イスラム300人が、メッカ軍約1,000人を破る。礼拝の方角をイェルサレムからメッカに変更。  
 625年 ウフドの戦い;メッカ軍3,000人に対し、メディナ軍700人で苦戦するが、勝敗つかず。メディナのユダヤ人は直前で戦線離脱。  
 630年 10,000人のムスリムのメディナ軍がメッカを攻め、無血開城。メッカの偶像を破壊。  
 632年、メディナに戻っていたムハンマドによるメッカ巡礼。以後、メッカ巡礼が五行の一つとなる。この年、ムハンマド死去(62歳)。  
 638年、ビザンツ帝国支配下のイェルサレムにムスリムが攻め込み、イスラムの支配下に。ヒジュラ暦制定。
 ムハンマドの娘婿ウスマーンが『クルアーン』編纂、また第三代カリフとなる。
信仰の指針、生活の規範、モラルなどが明示的で、ユダヤ教やキリスト教に比べてわかりやすく、普及する。
 ウラマーがイスラム諸学を修め、教義を確立していく。(ユダヤ教のラビ=律法学者)
 正統カリフ時代(632~661年);ムハンマドの直接の後継者がカリフ(神の使徒)を継承した。しかし、ムハンマドが最後の預言者であり、その宗教的指導者の地位を引き継ぐことはできず、政治的指導者の意味を持つようになる。*1
 義父(ムハンマドの妻の一人の父で、古参の信徒)アブー・バクルが初代カリフとなる。
 アブー・バクルは、ムハンマドの死後、盟約を破棄して背教(リッダ)する部族を再度ウンマ(イスラム共同体)に組み入れることに尽力。アラビア半島の統一を強固にする。634年、アブー・バクル死去。
 634年 ウマル・イブン・ハッターブ(在位;634~644年)が二代目カリフとなる。アラビア半島以外への大征服時代始まる。
 635年 カーディシーヤの戦い;ササン朝ペルシア軍に大勝。首都クテシフォンを陥落。  
 636年 ヤルムークの戦い;パレスティナ北部でビザンティン帝国を撃破。
 638年 イェルサレムを占領。
 642年 エジプト侵攻。アレクサンドリアを占領し、カイロを建設。
 642年 ニーハヴァンドの戦い;再度ペルシアを破る。
 644年 ウマル、メディナのモスクでペルシア人捕虜に刺殺される。ウスマーン・イブン・アッファーン(在位;644~656年)が第3代カリフに就く。『クルアーン』の正典化を進める。  
 647年 ビザンティン帝国の北アフリカ領土へ侵攻。ベルベル人とビザンティン連合軍を撃破。チュニジア、リビアに進攻。  
 649年 地中海のキプロス島を占領。アルメニアに進攻。  
 651年 ササン朝ペルシアを滅亡させる。
 656年 急な拡大から軋轢が生じ、不満を持ったアラブ人の一団の反乱が発生し、ウスマーン暗殺される。
 656年 アリーが第4代カリフの就く。最後の正統カリフ。ムハンマドの娘ファーティマと結婚し、以前からムハンマドの後継者とされていた。若いので、他のカリフが継承していた。
 ウスマーン暗殺の首謀者との疑念から、ウスマーン親族が不満を持ちアリーと対立。
 ムハンマドの最愛の妻アーイシャ、古参の信徒ズバイルとタルハが、アリーに反旗を翻す。ラクダの戦い;初めてのイスラム教徒同士の戦い(フィトナ)。アリーに鎮圧される。
 657年 スィッフィーンの戦い;ウマイヤ家のシリア総督ムアーウィヤがユーフラテス川上流でアリーと激突。勝敗つかず、休戦協定に。アリーは、休戦に反対したハワーリジュ(外に退去した者)派を弾圧。
 660年 ムアーウィヤ、イェルサレムで自らカリフを称する。  
 661年 アリー、ハワーリジュ派に暗殺される。
 661年 ムアーウィヤ、ダマスカスを首都とし、ウマイヤ朝を興す。(正統カリフ時代終わる)
 アリー派は、長男ハサンをカリフとするが、ハサンはムアーウィヤと和解し、メディナに隠遁。
 アリー派は、次男フサインを立てる。680年フサインはダマスカスに向かう途中のカルバラーで、ウマイヤ朝第2代カリフ、ヤズィード(在位;680~683年)の軍に包囲され、戦死。  
 アリーの死後も最後の正統カリフ アリーに忠誠を尽くすアリー派、アラビア語で「シーア・アリー」と呼ばれ、後のシーア派となる。  
 アリーの息子フサインがササン朝ペルシアの最後の王の娘と結婚し、この王女が第4代イマーム(指導者)アリー・ザイヌルアービディーンを生んだと言われており、現在のイランにシーア派が多い理由。現在イスラム教徒全体の10~15%。  
 スンナ派は、現在85~90%。ムハンマドの慣行とカリフに従う信仰共同体を守っていく、『クルアーン』に忠実で戒律に厳しいグループ。  
 分派していくが、『クルアーン』の求心力、わかりやすい戒律により、イスラム世界として残っていく。  
8世紀  ウマイヤ朝(661~750)の後期、8世紀「六信五行」が成立。六信;唯一絶対神、天使、啓典、使徒、来世、定命。五行;信仰告白、礼拝、喜捨、断食、メッカ巡礼。(ジハード=聖戦は、五行に入っていないが、重要視されている。)  
 アッバース朝(750~1258年)がウマイヤ朝の版図を引き継ぐ。首都;バグダード。各地にアミール(総督)を派遣して広大な領土を統治。  
 アッバース朝第2代カリフのアル・マンスール(在位;754~775年)の時代にギリシア古典がアラビア語に翻訳される。交易・商業が中心の社会として繁栄し、多種多様な文化を集め、ギリシアの哲学、文学、自然科学がアラビア経由でヨーロッパに入り、ルネサンスにつながる。カリフ権力の絶頂期。  
 
9世紀
 ターヒル朝(873~999年);イラン東部、トゥールーン朝(868~905年);エジプトなどが独自に国家を建設し、また、アミール(総督)が各地で強大な権力を持つようになる(カリフの衰退期)。スルタン権力の強勢。  

10世紀
 カズニ朝の第7代の王マフムード(在位;998~1030年)がスルタンを称する。

11世紀
 トゥグリル・ベクがセルジューク朝(1038~1157年)を建国。首都;二―シャプール。  
 1040年、トゥグリル・ベク、ダンダーナカーンの戦いでガズニ朝を破る。  
 1055年、トゥグリル・ベク、バグダード入城。アッバース朝カリフからスルタンの称号を与えられる。スルタンがスンニ派イスラム国家の君主の称号として使われる。カリフ―スルタンの権力二重構造。(天皇と征夷大将軍のような関係/カリフも宗教的権威ではないので、教皇と王権の関係とは違う)*1  
 1077年、ルーム・セルジューク朝(~1308年)。  
 1077年、ホラズム・シャー朝(~1231年)。  

 12世紀
 1169年、アイユーブ朝(~1250年)。  

 13世紀
 1250年、マムルーク朝(~1517年)。  
 1258年、アッバース朝最後のカリフ第37代ムスタアスィム(1242~1258年)の時、フラグ=ハーンのモンゴル軍によりバグダード陥落、ムスタアスィムは処刑される。アッバース朝滅亡。
 1261年、マムルーク朝第5代スルタン バイバルス(在位;1260~1277年)、ムスタアスィムの叔父ムスタンスィルをカイロに呼び名目上のカリフとする。奴隷王朝であったマムルーク朝の権威つけのため。  
  イスラム世界の奴隷制度とは
 イスラム世界における奴隷はヨーロッパのそれとは異なり、奴隷は容易に解放され、自由人のなかに多くの元奴隷や先祖が奴隷という人も多かった。アッバース朝第2代のカリフ マンスール(在位;754~775年)の母親は北アフリカのベルベル系の奴隷。同じアッバース朝第5代カリフ ハールーン・ラシード(在位;786~809年)の母親もイエメン出身の奴隷で、ラシードを生んだ後に解放されている、など。
 アッバース朝以降マムルークが増え、帝国版図が拡大となり、西はイベリア半島から東は中央アジアにまで及んだ。中央アジアのトルコ民族、コーカサスのチェルケス人、南ロシアのスラヴ人、アルメニア人、南はギリシア人、クルド人、モンゴル人なども、軍事奴隷=マムルークとして連れてこられた。なかでもラクダではなく、馬に乗る騎馬民族であった中央アジアのマムルークは戦力として重要視された。中央アジアではマムルークの輸出が事業となった。
 
14世紀
 ヨーロッパでペストを乗り越え、ルネサンスを開花させ、自己変革を成し遂げる。  
 
15世紀
 1453年、オスマン朝メフメト2世(在位;1444~1481年)は、コンスタンティノポリスを陥落させ、ビザンティン帝国を滅ぼした。)  
 15世紀末に始まるヨーロッパの大航海時代により、キリスト教世界とイスラム教世界との経済力の格差が拡大する。  

16世紀
 スレイマン1世(在位;1520~1566年)、1529年ウィーン包囲など13度の遠征。オスマン朝最盛期。  
 シーア派12イマーム派を国教とするサファヴィー朝が建国し、繁栄。  
 北インドにバーブルによってムガール朝建国。父方はティムール、母方はチャガタイ=ハン国であり、ムガル=モンゴル帝国とも呼ばれる。南インドにも拡大。  

18世紀
 1736年、サファヴィー朝、アフガン族の侵攻により滅亡。ロシアが南下し、多くを占領。  
 1768年露土戦争;オスマン朝がロシアに大敗、クリミア半島を割譲。  
 セリム1世(在位;1789~1807年)、ヨーロッパ式の軍隊設立。  
 マムルーク朝はオスマン帝国に征服されるが、スルタンは廃されたが、ベイ=太守/知事は継承され、1798年のナポレオンのエジプト遠征時には24人のベイと対峙した。マムルークは宝石など全財産を身に着け、不退転の決意で戦場に臨んできた。  
 オスマン帝国は初めてエジプトに官僚を送り込み、失地回復に努めるが、遅かった。  
 
19世紀
 ムハンマド・アリー(1769~1849年)がマムルーク勢力を一掃し、ムハンマド・アリー朝(1805~1953年)を興し、オスマン帝国をエジプトから駆逐。  
 マフムト2世(在位;1808~1839年)、イェニチェリ軍団を解体し、新式の軍隊創設。  
 アブデュルメジト1世(在位;1839~1861年)、「薔薇園勅令」軍隊だけではない近代化政策へ。日々の生活の規律、ひいては政治に神の教えが入ってくるイスラム世界での政教分離は難しいことを示している。  その点、キリスト教は長い時間をかけて、政教分離のプロセスを踏んできたといえる。
 インドのムガール朝はイギリスの植民地となっていく。  
 1830年、フランスがアルジェリアを植民地化。  
 1839年、イギリスがアデンを占領。  
 1875年、エジプトのアリー朝イスマイール(世襲総督、在位;1863~1879年)、改革を行い、スエズ運河の株式を取得するが、資金繰りに窮し、イギリス政府に売却。
その後、エジプトはイギリスの植民地となり(~1922年)、エジプト王国、1953年にエジプト共和国となる。
 
 ジャマールッディーン・アフガーニー(1838~1897年)がイスラム回帰運動を始める。植民地支配に対して、イスラムの思想による抵抗と連帯を訴える。  アフガーニーの同士 ムハンマド・アブドゥフ(1849~1905年)、ジャーナリストのラシード・リダー(1865~1935年)でやや急進的となり、ハサン・バンナー(1906~1949年)が、その思想を大衆化させ、1929年ムスリム同胞団を組織した。
 1881年、フランスがチュニジアを植民地化。  
 1882年、イギリスがエジプトを植民地化。  
 1899年、イギリスがスーダンを植民地化。  
   
20世紀
 1911年、イタリアがリビアを植民地化。  
 1912年、フランスがモロッコを保護領化。  
 1914年、第一次世界大戦始まる(~1918年)。  
 1916年、サイクス・ピコ条約;英仏露がトルコの分割案を決定。  
 1919年、アフガニスタンは独立し、王政へ。  
 1920年、シリア・アラブ王国独立するが、サイクス・ピコ条約により、フランスの委任統治領となる。  
 1929年、エジプトでムスリム同胞団が組織される。  1940年代末には団員50万人となる。エジプト政府は非合法化し、1948年ムスリム同胞団の秘密機関によるヌクラシー首相の暗殺。1949年、政府の秘密警察がバンナーを暗殺。以降、政府の弾圧とテロが繰り返される。
 1932年、サウジアラビア建国。スンニ派の中でも厳格なワッハーブ派を国教としており、世俗主義による急速な近代化とそれに反発するイスラム主義の対立が続いている。  
 1946年、シリア共和国として独立。  
 1947年、シリアのバアス党(アラブ復興社会主義党)結党。(イラクのサダム・フセインもバアス党)  
 1958年、エジプトとシリアが連合して、アラブ連合共和国となるが、すぐに分離。  
 1961年、シリア・アラブ共和国として再独立、今日(2021年)に至る。  
 1970年、シリアのクーデタ―でハーフィズ・アル=アサドが政権奪取。翌年、大統領に就任(~2000年)。1973年憲法を改正し、一党独裁体制とする。  
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 1973年、アフガニスタンの王族で元首相のマハンマド・ダーウィットがクーデターを起こし、アフガニスタン共和国が成立。イスラムへの弾圧に対抗し、ムジャヒディーンイスラム義勇兵の反抗により内乱状態へ。  
 1979年、アフガニスタンで内乱状態となり、副首相ハフィーズッラー・アミーンがタラキーの親ソ社会主義政権を打倒。  
 1978年、ソ連がアフガニスタンに進攻。イラン・イスラム革命などにより、アフガニスタンでも世俗主義に対してイスラム主義が勝利するのではないかとの憶測。  
 1978年1月、パリに亡命していたアーヤトッラー・ホメイニを中傷する新聞記事をきっかけにイラン各地で反国王デモや暴動が発生。  
 1978年、イラン国王モハンマド・レザー・シャー・パフラヴィ―が国外亡命。パリからホメイニ帰国し、革命勢力が全権掌握。米国が「イスラム原理主義」という言葉を使う。  
 パレスティナの「ハマス」、レバノンの「ヒズボラ」、エジプトの「ムスリム同胞団」、アフガニスタンの「タリバン」、国際テロ組織「アルカイダ」、「イスラミックステート(IS)」などがイスラム原理主義組織を呼ばれる。  サウジアラビアは、イスラムの教えに基づく政治を行っているが、親米のため、イスラム原理主義とは呼ばれない。(その言葉にはネガティブなイメージが含まれている)
 穏健なムスリムとして改革努力をしようとするが、世俗主義の為政者の強権的政治や弾圧により、それに対する怒りや危機感から運動が激化していく。  
 イスラム教は基本的には寛容と和解を説く宗教であるが、非寛容で攻撃的な面を出す集団が、持ち出す考え方が「ジハード」である。  
 ジハードの義務を唱えたのは、パキスタン人のサイイド・アブル・アラー・マウドゥーデー(1903~1979年)。  
 マウドゥーデーの影響を受けたのが、エジプト人サイイド・クトゥブであり、世俗主義と戦うことを主張。しかし、ナセル大統領暗殺を計画としたとして死刑に。  
 エジプト共和国第3代大統領サダト、ナセルの反イスラム路線を引き継いでいたが、1981年 ムスリム同胞団の分派に暗殺される。  
 1978年、ソ連共産党ブレジネフはアフガニスタンの親ソ政権を支援すべくアフガニスタンへの軍事介入に踏み切り、アミーンを殺害、バブラク・カールマルを擁立する。  
 イスラム諸国から志願兵が参加し、また米政府がパキスタンの軍統合情報局(ISI)を通じて、ムジャヒディーンを支援し、1989年にソ連軍を撤退させる。
アフガニスタン内戦で勝利した義勇兵らが、自信を持ち、各国でイスラム運動は始める。アルカイダのウサマ・ビン・ラーディンもその一人。
 
 アフガニスタンではソ連撤退後に内紛状態となり、1996年、タリバンが首都カブールを制圧。アフガニスタン・イスラム首長国を樹立。  
 1993年世界貿易センタービル爆破事件に関与したことで、米政府がスーダンに圧力をかけ、アルカイダを国外追放にさせる。アルカイダはアフガニスタンに逃げる。米はアフガニスタンのタリバン政権にアルカイダの引き渡しを要求し、拒否される。  
 2000年、シリアのアサド大統領死後、息子のバッシャール・アル=アサドが政権継承。当初は民主化を支援。  
 2001年9月;9・11米同時多発テロ発生。  
 
21世紀
 2001年10月7日 米英軍事行動「不朽の自由作戦」。アフガニスタンに侵攻し、12/17アフガニスタン・イスラム首長国は倒壊。  
 2003年、米軍主体の有志連合が「大量破壊兵器の開発」を理由にイラクを攻撃。4/9バクダード陥落、イラクのバアス党も倒壊。  
 2004年 アフガニスタン・イスラム共和国成立。タリバンを一掃することができず、米軍撤退できず(撤退は2021年8月)。  
 2010年、民主化運動「アラブの春」が起きるが、シリアのアル=アサド大統領は、民主化運動を弾圧。少数派のシーア派が政権を担うが、世俗主義のためアラブという単位でまとまろうとするが、シーア派とスンニ派、アラブ人とクルド人、他国のイスラム諸国やイスラム原理主義者の支援などにより複雑になり、内戦状態が継続する。  
 2015年1月パリの風刺新聞『シャルリー・エブド』本社がイスラム過激派に襲撃され、12人が殺害される。;『クルアーン』で禁止されているムハンマドの顔を描いたことによる。  
 2021年8月、アフガニスタンでタリバンが全土を制圧、米軍などを駆逐する。  

『クルアーン』に登場する預言者
1  アダム
2  イドリース
3  ヌーフ(ノア)*
4  フード
5  サーリフ
6  イブラヒーム(アブラハム)*
7  ルート(ロト)
8  イスマイール(イシュマエル)
9  イスハーク(イサク)
10  ヤアクーブ(ヤコブ)
11  ユースフ(ヨセフ)
12  シュアイブ
13  アイユーブ(ヨブ)
14  ズルキフル
15  ムーサー(モーゼ)*
16  ハールーン(アロン)
17  ダーウード(ダビデ)
18  スライマーン(ソロモン)
19  イルヤース
20  アルヤスウ
21  ユーヌス(ヨナ)
22  ザカリーヤー
23  ヤフヤー(ヨハネ)
24  イーサー(イエス)*
25  ムハンマド*
* 五大預言者       
* ( )内は聖書での名称。




資料 *1 『一神教』(佐藤賢一著)集英社
  *2.『世界哲学史』‐「旧約聖書とユダヤ教における世界と魂」 高井啓介著
   山川出版社『世界史大年表』石橋秀雄 他。

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