ホーム自衛隊基地
赤数字は米軍施設の共同利用で外数
立神地区自衛隊 佐世保市立神町
用 途 施  設  名 土地(m2 建物(m2
営舎施設 平瀬待機所 2,784 1,331
港湾施設 佐世保ドライドック   329
28,114 1,593
補給施設 佐世保補給所西倉庫 30,053 8,211
その他の施設 佐世保造修補給所   21,074
31,349

【前史】
 立神係船池は日露戦争後、1906年に着工され1918年に竣工したもので横幅576m、縦幅365mの広さがある。戦前は6つのドックとともに旧海軍佐世保海軍工廠が使用していた。
 1970年3月、総監部技術部と佐世保工作所が併合され、佐世保造修所が新編となった。土地、施設の大半を米軍と共同使用する形態となった。
 ドックについては第5、6ドックを除いて連合軍が接収し、その後第2ドックをのぞいて日本側に返還された。


米軍施設内に新編となった佐世保造修補給所

 第2ドックだけは76年に米軍と海上自衛隊との共同使用施設(地位協定第二条4項(a))となり、配備艦船等の改修に利用している。
 1981年7月に、ミサイル搭載護衛艦の佐世保配属にともない、佐世保造修所に誘導武器科が新設された。85年4月には佐世保磁気測定所の新設など、基地造修能力は飛躍的に向上した。
 98年12月、装備品の高度化、複雑化、システム化にともない、整備機能と補給機能の効率運用をはかるために、補給所と造修所が廃止され、立神地区の関連施設が集約整備されて佐世保造修補給所が新編された。
 また79年に完成した平瀬待機所には第2護衛艦群隊司令部がおかれている。立神港区の突端には190m長さの立神1号桟橋が1986年に、2号桟橋が89年に完成し、計4バース8隻の係船能力を備えている。現在ここがインド洋戦時派遣の拠点となっている。
 米軍は佐世保地方総監部と現地協定を結び、米艦船は自衛隊が使用していない場合、総監部の許可があれば自由に桟橋を使用できる。


インド洋戦時派遣の拠点となっている桟橋