ホーム在日米軍基地

佐  世  保
ドライドック地区
FAC5030 佐世保市立神町
(専用)土地41,404m2:建物1,797m2
(共同)土地41,329m2:建物 319m2


屈辱的な使用協定の結ばれている第3ドック

 戦前は、旧海軍佐世保海軍工廠が6つのドックを使用していた。1945年に米海軍が第1~4ドックを接収した。55年に第4ドックが日本側に返還され、60年以降SSKがドライドック地区の使用を認められるようになった。76年には第1ドックが返還された。

 第3ドックは68年に返還されたものの、地位協定第二条4項(b)による米軍とSSKとの共同使用施設とされている。このときに米軍、日本政府、SSKの間で「米軍が7日前に通知すれば、第3ドックを優先的に無償で使用できる」という屈辱的な「返還使用協定」が締結された。

 96年に米軍は強襲揚陸艦ベローウッド修理のために第3ドックの半年間もの明け渡しを要求してきた。SSKにとって第3ドックは修繕船部門工事の7割を占める中心施設である。半年間の明け渡しの影響は360億円の損害になることから徹底抗戦を行った。佐世保が「第2の沖縄化」になることを避けたい日本政府は石川島播磨の浮きドック「さがみ」を横浜から回航して修理することを提案した。米軍も世論の前に折れ、佐世保港入り口に近い野崎町沖合で修理を行なった(96年12月~97年4月)。浮きドックの使用料、回航料しめて18億円は日本政府の「思いやり予算」。屈辱的な協定の存在と米軍の殴り込み部隊に血税を注ぐ日本政府の屈辱的姿勢も浮き彫りとなった。
 その後、ベローウッドと交代配備となった強襲揚陸艦エセックスの定期修理に際しては第3ドックは使わずに、定係している第7・第8岸壁で行った。


第2ドックで改修中の揚陸輸送艦ジュノー

 また第2ドックは76年に米軍と海上自衛隊との共同使用施設(第二条4項(a))となり、SSKの使用権は消滅している。この第2ドックでは他の揚陸艦や掃海艦の修理が行われている。


第2ドックで改修中の掃海艦パトリオット