前畑弾薬庫の針尾弾薬庫への
移転・統合強化協議始まる

 10月4日、防衛施設庁は米海軍佐世保弾薬補給所(前畑弾薬庫)の問題で、日米合同委員会・施設調整部会を開いたことを明らかにしました。施設調整部会は、基地や施設の使用について協議する日米合同委員会の施設分科委員会の下部機関で議長は防衛施設庁総務部総括施設調査官。

 10月5日付け長崎新聞は「初会合では日本側が地元からの要望事項を伝え、米側が米海軍佐世保基地からの要望事項を説明し約30分で終了した。同施設庁は要望事項の具体的内容を明らかにしていないが、関係者によると、米側は米軍住宅の不足解消を求めたとみられる。」と報道しています。

 前畑弾薬庫周辺は新興住宅地域として開発が進み、一番近い民家との距離はわずか70mしかない危険な状況になっています。95年には阪神・淡路大震災がおき、自然災害によって弾薬庫爆発の恐れがあること、沖縄の少女暴行事件を契機に沖縄県民が立ち上がったのをうけ、住民の弾薬庫「撤去返還」の運動が始まりました。

 ところが98年になって久間防衛庁長官(当時)が米軍針尾島弾薬集積所への「移転・集約」を私案として提示しました。市長も「針尾移転を含む市内移転反対」をひるがえして針尾への移転集約を表明したため針尾地区の住民は猛反発しました。
 しかしこれを契機に国は99年から05年度までに計約3億円もの調査費等の予算措置をとっています。

 前畑弾薬庫前面の水深は4〜5mと浅いために大型弾薬補給艦や戦闘艦が直接横付けすることはできません。したがってバージ船を介して運搬せざるをえないため米軍にとってはひじょうに使い勝手の悪い弾薬庫となっています。

 そのため米軍は早くから有事即応体制を強化するために、前畑弾薬庫の近代化をもくろんでいました。針尾弾薬集積所に大型船舶も接岸できる岸壁をつくり、あらゆる種類の弾薬を貯蔵できる近代的弾薬庫をつくる計画を88年までにまとめ上げていたのです。返還を望む前畑弾薬庫周辺の住民の要求を逆手にとり、日本側の「思いやり予算」での建設をねらっています。その費用は約1000億円を下らないといわれています。
 前畑弾薬庫が返還されても、近代的な設備を整えての集約移転は永久に弾薬庫をおくことにもなりかねません。その危険さは前畑弾薬庫と変わりはないのです。「撤去・返還」しか道はありません。


平成17年10月4日

佐世保地区における在日米軍施設・区域の整理等に関する日米間の協議の開始及び開催について

 本日、佐世保地区における在日米軍施設・区域の整理等について、日米合同委員会の下部機関である施設特別委員会の下に設置されている施設調整部会で協議を行うことを日米間で決定し、第1回会合が下記のとおり開催されましたので、お知らせします。

  1. 年月日:平成17年10月4日(火)
  2. 場  所:在日米軍司令部(横田)
  3. 出席者:
    日本側:防衛施設庁総務部総括施設調査官 他
    米 側:在日米軍司令部第4部副部長 他
  4. 会議概要:
    今回の会合においては、出席者の紹介等を行うとともに、今後、佐世保地区における在日米軍施設・区域の整理等について議論するに当たり、日本側から佐世保地区に関する地元要望事項について説明を行い、米側からは佐世保米海軍からの要望事項等について説明が行われた。

以上


市長コメント

 本日、防衛施設庁から、佐世保地区における在日米軍施設・区域の整理等について、日米合同委員会の下部機関である施設特別委員会のもとに設置されている施設調整部会で協議を行うことを日米間で決定し、第1回会合が開催された旨の連絡を受けました。

 米軍施設の移転・返還に関しましては、ご承知のとおり、本市の基地問題の大宗を定めた昭和46年の「返還6項目」、それに引き続く平成10年の「新返還6項目」として、今日まで30有余年の長きに亘り、地元選出国会議員をはじめ、市民及び市議会並びに県・県議会が一体となって、国に対し粘り強く要望を続けてまいったところであります。

 今般、佐世保地区における在日米軍施設・区域の整理等について協議が始まることは、「新返還6項目」の最優先事項である前畑弾薬庫の移転・返還等についても、今後、公式の場で優先的に議論されるものと期待しているところであり、その実現に向けて新たな一歩が大きく踏み出されたものと考え、私といたしましては、誠に喜びに堪えません。これまで深いご理解とご尽力を賜りました関係者の皆様方に対し、心から感謝申し上げます。現時点で詳細は承知いたしておりませんが、早期に結論が示されることを祈念するとともに、関係者の皆様方には、これまでにも増してのご支援を切にお願い申し上げます。(佐世保市基地対策室)

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