長崎港の今の姿はなるべくしてなった
10月11日、ながさき平和委員会の例会が開かれました。長崎港シリーズの第1回目、テーマは「長崎港の生い立ち」。 ずばり「長崎港の歴史」はどのくらいあるかご存知ですか? 江戸幕府の鎖国令時代に唯一海外との窓口になったことで有名ですが、それ以前の様子に思いを馳せたことはあったでしょうか。また、今は三菱のドックでのイージス艦・護衛艦の建造・修理などの軍港としての側面と国際観光船が接岸する国際港の両面を見ることができますが、それはいつ頃から始まったことか考えたことがあったでしょうか。 1570年ポルトガル貿易港として長崎開港。耕地の跡もなく、いくつかの小さな貝塚しか発掘されていないことから当時の長崎には少数の人しか居住していないような過疎の地でした。そこに海外から貿易船が着くようになったため、町をつくり人が居住するようになって貿易港・キリシタン町として長崎が形成されてきました。 なぜ、政府はこのような契約を結んだかというと、このころ政府は従来の官営事業の失敗を認め民間経営にゆだねるという方針を出したためだという。今も昔も「民営化」は「軍拡」につながるということか。歴史は面白い。 ☆関連略年表☆ |
|