長崎港の今の姿はなるべくしてなった
ながさき平和委員会10月例会


三菱長崎造船立神工場の原型は1861年にできた!

 10月11日、ながさき平和委員会の例会が開かれました。長崎港シリーズの第1回目、テーマは「長崎港の生い立ち」。

 ずばり「長崎港の歴史」はどのくらいあるかご存知ですか? 江戸幕府の鎖国令時代に唯一海外との窓口になったことで有名ですが、それ以前の様子に思いを馳せたことはあったでしょうか。また、今は三菱のドックでのイージス艦・護衛艦の建造・修理などの軍港としての側面と国際観光船が接岸する国際港の両面を見ることができますが、それはいつ頃から始まったことか考えたことがあったでしょうか。

 1570年ポルトガル貿易港として長崎開港。耕地の跡もなく、いくつかの小さな貝塚しか発掘されていないことから当時の長崎には少数の人しか居住していないような過疎の地でした。そこに海外から貿易船が着くようになったため、町をつくり人が居住するようになって貿易港・キリシタン町として長崎が形成されてきました。
 一方、1861年幕府は立神に軍艦製造所新設、1868年には小菅に日本初の洋式ドックである修船所が完成、1884年に郵便汽船三菱会社社長の岩崎弥太郎が長崎造船局の土地・工場・施設と器具一切を政府から25年借り受ける契約を結び、長崎における三菱造船所の基盤となりました。

 なぜ、政府はこのような契約を結んだかというと、このころ政府は従来の官営事業の失敗を認め民間経営にゆだねるという方針を出したためだという。今も昔も「民営化」は「軍拡」につながるということか。歴史は面白い。
 今回の学習会では、ここでは紹介しきれないほどの膨大な資料と古地図を分析した福田藤江さんの明快な解説に、「長崎港の今の姿はなるべくしてなった」との思いを強くしました。

☆関連略年表☆
1854年 徳川幕府が飽の浦に長崎鎔鉄所創設
1861年 徳川幕府が立神に軍艦製造所新設
1884年 郵便汽船三菱会社が工場施設を明治政府から借用
1887年 借用施設を三菱が買い上げ三菱造船所となる
1898年 軍艦建造に関する技術研究開始
1900年  「義和団の乱」で長崎港が列強軍隊の兵站基地に
1906年 初めて駆逐艦建造
1911年 巡洋戦艦「霧島」建造
1942年 超大型戦艦「武蔵」建造。秘密保持のため常盤町倉庫(目隠し倉庫)建設
1944年 水上特攻艇「震洋」建造、人間魚雷「回天」建造
     鍋冠山に高射砲指揮班が置かれる
1945年 特殊潜航艇「蚊龍」建造着手