米海軍佐世保基地
一部返還される


フェンスより左側が返還となった土地。奥の建物が医療用倉庫。
完成している道路が04年3月に開通。手前の土地は今後、県道として整備される。

 1月20日、福岡防衛施設局は長崎県に米海軍佐世保基地・赤崎貯油所の一部地域(約1万3500m2)が日本に正式に返還されたことを伝えました。これは県道俵ケ浦日野線の改良計画(佐世保市船越町〜同市下船越町)にともない、赤崎貯油所敷地の一部返還を求めていたものです。
 県道俵ケ浦日野線は道路幅が狭く、カーブが多いため道路改良は地域住民にとって懸案事項だったのです。ささやかな住民要求が実現するのに14年もの長い時間がかかりました。
 今回の返還が合意されたのは、2001年6月20日の日米合同委員会でした。米軍は返還の条件として新県道の開通後、防護フェンスや照明設備など付帯設備の完成を要求していました。県道については佐世保市のはたらきかけもあり、返還前の04年4月1日から供用となっていました(該当する土地約4200m2を日米共同使用)。

 今回、返還された土地は赤崎貯油所の敷地のわずか1.7%でしかありません。それも米軍の運用にとって支障を来すものではありません(だから返還された)。しかし返還合意に10年、実際の返還作業に4年も要しているのです。いかに米軍基地が地域の発展にとって障害になっているかを如実に示しています。それを許しているのが日米地位協定にほかなりません。
 同じアメリカの同盟国であるドイツの地位協定の場合、「特定の施設の使用に対するドイツ側の利益が明らかに上回る場合(国土整備、都市計画、自然保護及び農業上、経済上の利益)」には、基地の返還を請求できることになっています。またドイツが米軍の基地使用の必要性を定期的に査定することにもなっているのです。せめてドイツ並に地位協定が改定されたらどんなにか住民の生活が変わるでしょうか?

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赤い部分が赤崎貯油所の敷地。中の四角が医療用倉庫。
緑の部分が今回返還された土地。