二
ミンミン蝉は一頻り鳴いた後、近くの木へ飛び移って一呼吸すると、またそこで鳴き始めた。雨上がりの太陽が湿った地面をキラキラと照り返し、空へ帰ろうとする白い大気に蝉しぐれの熱が膨らみを与える。涼しくなったのは束の間、また何時もの蒸し暑さが戻ってきた。
―
リナちゃんの赤い靴、びしょ濡れだね。
軒先にあった水道の蛇口をひねると、勢い余ってはねた水がマホの長い髪に小さな真珠を作った。その中で輝く真夏の太陽は瞬く間に自らを消し去ってしまう。
マホは濯ぎ洗った靴をまだ陽が残っている軒下に干した。
雨宿りをしていたのか?近くにいたカナヘビが蝉の抜け殻がある山桃の根元へ一目散に走っていく。
花の香りがマホの汗ばんだ身体から仄かに香った。
―
リナちゃん、長いことうずくまっていたみたいだけれど、何か嫌なことでもあったのかな。それにしても身体冷たかったな。
マホはリナの手を取った時の感触が蘇って、自身のその掴んだ右手に視線をおとした。
「ニャン、ニャン」
茂みの奥から近づいてくる。
「茶虎ン、おいで。何処いってたの?」
しっぽを立てた若い虎猫がすり寄ってきた。
「濡れてない?何処かで雨宿りしてたの?」
「ニャン、ニャン」
おねだりなのか足にまとわりつく。
「ウフ、茶虎ンたら」
脇の下に手を回し抱き上げると力を抜いた猫の身体はダランと伸びた。頭におでこを擦り合わせたあと、優しく胸に包んだ。野良なのによく懐いていた。たまに貰えるお刺身に惚れていたのかも知れない。
地面に降ろしてもしつこくまとわりついてくる。ニャンニャンと媚びる鳴き声は、餌が貰えるまで治まりそうもなかった。
―
仕方ないなぁ〜。冷蔵庫に何かあったかな?
「茶虎ン。ちょっと待っててね」
冷蔵庫の扉を開けると顔がひんやりとして涼しい。竹輪を一本取り出して閉めてしまうには惜しい気がして手内輪で扇いだ。
―
ああ涼しい。気持ちいいな。リナちゃんと一緒に何飲もうかなぁ〜。シュワ〜っとサイダーにしようかしら?
それとも・・
扉を閉めながらちらっとオレンジジュースを見た。
「茶虎ン。茶虎ン」
竹輪をちぎって鼻につけるとニャンニャンという声はひときわ甲高くなった。
香詩宮の家は古く、祖父の代に立てられた和風建築なのだが、水回りだけは現代風に改築して便宜を図っていた。
台所に戻ったマホは手を洗いお茶の用意を始めた。リナをもてなすためにコップはおも弛みのある花柄に決めた。まったりとした姿に鮮やかな花びらがくっきりと透明な空間に浮かんでいる。それを色あせたコバルト色の布の上にゆっくりと載せると静かに微笑んだ。
―
コップとコースターは決まったけど、リナちゃんって何が好きなのかな?とりあえずお風呂上がりだから、これにサイダーをシュワ〜っとそそいで、レモンは?
あ、きらしてる。まあいいか。そのあと、水羊羹にしようかしら?
受け皿を取ろうと手を伸ばした食器戸棚のガラスに通りがかった母、沙織の姿が映った。
「あっ、おかあさん。ちょうど良かった。リナちゃん紹介するね」
「お友だち?」
―
マホが友だちを連れてくるなんて初めてね。どんな子かしら?
「今お風呂はいってるから、でたらね。リナちゃん雨でずぶ濡れだったの」
「あっ、それで玄関に水たまりができてたのね」
―
リナちゃんって子、マホのよき友だちになってくれればいいのだけれど・・
マホが用意したお盆に目をおとして、沙織はこの年まで独り遊びしかしてこなかった娘のことを案じていた。
「何飲むの?かあさん今からお夕飯作るから食べてってもらってね。それから電話だけはちゃんとしといてよ。あちらのご両親が心配するといけないから」
「ねぇ、リナちゃん泊まってかないかな。明日、休みだし」
「それでもいいけど、リナちゃんさえ良ければね」
夏休み直前の週末に親しくなるということがマホの胸をいっそうわくわくさせた。
浴室からでるとリナは床に反射した自身の影をリズムよく踏んで近づいてきた。
「マホちゃん、お風呂ありがとう。気持ち良かった」
生まれて初めて友達ができた喜びがリナの声を明るくさせていた。失いかけていた何もかもが蘇ってくるような気がした。勇気が身体の芯から湧き上がってくるのを感じていた。
―
マホちゃんがいれば百人力だね。
屋根を支える黒光りのする太い柱にリナのシルエットが浮かび上がっている。薄暗い廊下なのに風呂上がりのリナの体温によってそこだけが仄かに明るい。汗が香るような熱のこもった身体であることを辺りに感じさせた。
「リナちゃん、わたしのおかあさん」
「初めまして、リナです。お風呂頂いちゃいました」
―
ああ、境内で何度か見かけたことがある、香詩宮によくお参りにきてる子ね。確かマホと同じクラスだったような気がするけど・・
授業参観の教室が頭をよぎった。その授業でとりわけ目立っていたわけでもないリナを沙織が意識していたのは、香詩宮の杜で偶然見かけた独りで過ごしているリナの様子に、年恰好もよく似ている独り遊びの好きな自分の娘をかさねていたからだった。
「いらっしゃい、リナちゃん。雨、大変だったみたいね」
―
マホちゃんの眼差しとそっくり。声もよく似てるなぁ。
「マホちゃんが助けてくれたの」
「マホはね、雨の日が好きなのよ。ちょっと変わってるけど雨の日に限ってお散歩するの。仲良くしてね」
「はい、こちらこそです」
―
どうりで会わなかったわけだよね。雨の日に香詩宮に来ることないもの。
「ぴったりだね、そのパジャマ」
「うん、ありがとう。マホちゃん」
リナは柱に映ったシルエットで確かめるような仕草をした。
「リナちゃん、のど渇いたでしょう」
サイダーをお盆に乗せたマホはリナを誘い部屋へ行こうとした。それに気づいた沙織が声をかけた。
「リナちゃん、マホのことよろしくね。今日は晩ご飯食べてってね。泊まってってもいいのよ」
「リナちゃん、そうしなよ。ね、泊まってって。はい、電話」
「嬉しいけど、リナ、友だちいなかったからお泊まり、初めてなの」
―
どうやら、この子も独り遊びのくちなのね。
「安心して、内のマホもそうだから、嬉しいのはいっしょなの。遠慮しなくていいのよ」
「もしもし荻野です」
「あ!ママ、今日マホちゃんちに泊めてもらうけど、いい?」
「いいけど、ご迷惑にならないかしら」
「あのね。お風呂頂いちゃったの。雨にうたれていたら紅い傘のマホちゃんが来て、助けてもらったの」
「リナ、ちゃんとお礼言った?ちょっとマホちゃんのおかあさんと電話かわってくれる」
「電話かわってって」
「もしもし。電話かわりました。マホの母です」
「すいません。内のリナがおじゃましちゃって。何かお風呂まで頂いたそうで、ありがとうございます」
「リナちゃん香詩宮で雨に降られちゃったみたいなの。ちょうど内のマホがそこを通りかかって、雨宿りにお誘いした次第です。二人とも嬉しそうで何か意気投合してるみたいですよ」
「そうですか。ご迷惑になりませんか?」
「あんなに嬉しそうなんですもの。ご安心くださいな。娘たちの笑顔を見るのは何よりもこちらの保養になります」
「本当に勇気づけてくださいますね。リナのことよろしくお願いします。今度、内にもマホちゃん遊びに来させてくださいね」
「ぜひ、お近づきになりたいです」
スポンと勢いよく栓が飛んだ。というより意図的にやったのだ。マホはこの音が聞きたくて、何時も栓抜きに勢いをつける。瓶の口から白い霧が立つ。グラスの中で小さな泡が弾ける。サイダーの香りが部屋いっぱいに広がった。
― 結構なお手前で。
マホはひとりうけしてクスッと笑ったあと急に真顔になり、抹茶を差し出すかのように厳かな仕草でリナを見つめた。
「どうぞ」
グラスを含むと泡の甘い痛みがここちよく口いっぱいに広がっていく。のどで弾け冷たい。爽やかな流れが風よりも重く身体を通りぬけた。
「ありがとう。よく冷えてるね。おいしい」
リナの視線が部屋の壁づたいにゆっくりと回転してゆく。マホの本棚には画集が多いことに気づいた。その中に萩野閏のカタログがあった。リナはそれを抜き出しマホの膝の上に載せた。
「パパなの」
萩野閏といえば特殊な繊維にヘリウムガスを注入し、糸を空中に浮かすことで有名になった作家である。それを織り込んだ布は空飛ぶ絨毯のように見えた。傍を通った人が立てる空気の動きによって形がさまざまに変化した。
マホは両親に連れられ佐野市の三床山美術館で昨年の夏休みに見てきたのである。カタログはその時のものだった。
マホは慌ててそのカタログを持って夕飯の用意をしている沙織のところへ駆けていった。
「おかあさん。ねぇ、聞いて、聞いて。リナちゃんのおとうさん荻野閏さんなんだって。ほら去年の夏休みに美術館に行ったでしょ。このカタログ」
「ほんと、すてきね」
それだけ言うと慌ててリナのもとへ戻っていった。
「不思議なお部屋だったよ。照明に反射して輝く糸たちが霊的な感じで浮遊してるの。まるで生きてるみたいに私の気配を察してね」
「マホちゃん美術好きなの?」
「大好きよ。展覧会を観に行くのが趣味なの。彫刻とか絵画もいいけど、最近のジャンルを越えた新しい表現が特にね。ほら、このジャケットだって変わってるって思わない?」
お風呂から上がったら聴く予定だったセリパト・メサイの新曲「太陽の涙」をあらためて見せられた。
太陽に向かって突き立てられた無数の剣には仏様の名前が刻まれている。立体的な剣曼陀羅のように見える。
「聴いてみようね」
そう言ってCDをセットした。
小さな水滴の音が反響している。しだいにシンバルへと変わって音が大きくなっていく。波がうち寄せるように強弱が繰り返された後、コーランが流れた。ガラスが割れる音が混じりだし、電波ジャックされたかのようにリードギターとベースのデユィオに変わっていく。ドラムが入ると音響は最高潮に盛り上がりをみせ、ソプラノとバスのボイスが官能的に激しく対話してゆくなか、般若心経が雑音のように混じる。足音が走り出し、ピヤノが絡んでくる頃にはバラードになっていた。
「リナちゃん、何か嫌なことでもあったの?さっきさぁ、雨の中でずーっとうずくまってたみたいだけど」
マホはリナの悩みを自分のことのように思い親身になりたかった。話を聞いてあげることぐらいしかできないことは分かっていたのだけれど、それでも少しでも癒せたらいいのにと思っていた。
「リナね、この世界に何しに来たのか分からないの」
「えっ」
―
リナちゃんって生まれる前の記憶を思い出そうとしているのかしら?
まったく予想もしなかった言葉にマホの胸は重くなった。瞼を閉じて小さく息を吐くと、ゆっくり開いた瞳で心の底からリナを見つめた。
「リナちゃん、そんなこと考えてたの。雨の中で?」
「うん」
「あまり参考にならないかもしれないけれど、わたしね、雨が降ると誰かに呼ばれているような気がして出かけるの。雨の音がね、マホって、アッ、わたしを呼んでる。それで声のする方へ行ってみたくなるの。でもね、その声がどこから聞こえてくるのか分からないの。さまよっているうちに気がつくとね。杜のみんなとお話ししてたの。小さい頃からずーっとそうだったの。この世界に何しに来たのかは分からないけれど、何となくこの世界から呼び出されたような気がする」
―
この世界がマホちゃんを呼んだのか。リナも誰かに呼ばれたのかな?リナの場合はきっとパパとママだね。
思わずウフっと微笑んだリナは他の答えを探す気など起こらなかった。
―
パパとママはリナを呼び合うことで愛を育んだのかしら?ポ。ア~ン。リナは呼びだされてしまった。ウフッ。
自分のことが閏と栞を強く結びつけておくための絆ように思えた。呼び合うことが愛と深く関係しているのだと、リナはその時思った。同時に呼び合う声の秘密に触れたような気がした。声が生まれてきた訳が求愛にあるように思われたのだ。
― 世界からお呼びがかかるなんて・・
「マホちゃんってきっとこの世界から愛されてるんだね」
「わたしね、杜のみんなのことが大好きなの。すごく不思議なんだけどリナちゃん。杜をさまよっているとね。気になるところがあって自然に足が止まるの。目が合っちゃうから、あなたが呼んだの?って声をかけるの。マホだよ。あなたは?ってね。それで何となく名前を感じるから、その名前で呼ぶとね。それまでとは全く違ってそのものが迫ってくるの。樹や石とお話しするきっかけはね。名前を付けることからなの」
マホにとって名付けるということは、見つめ合ったそのものを感じることに他ならなかった。そのものが放っている命の光はマホの中で音の霊性に変わった。幾つかの音が心の声として響きを結んで行く。それはそのものの働きが身体の中に入ってくるように感じられた。
「未だ名前のなかった杜の精霊がマホちゃんを呼んだんだね」
名のないものが名を得ようとしてマホを頼りにしているのだとリナは思った。確かにそういう感受性をマホは具えていた。何かの眼差しを感じると自然に 名前が浮かんできた。言い当てた名前を呼んで微笑みを返した。その澄んだ笑顔が様々な霊性と響き合い、感じるという本能的な言葉で話をして過ごした。その逸話を育む仕草は、はたから見るとひとり芝居のように見えた。
マホが雨の日を選んだのはこのことを人に見られたくなかったのだ。他の人には見えない世界なのだということをマホは知っていたから。
「リナちゃん。人でないものと目が合っちゃうってことある?」
「気配を感じたりはするけど、目が合っちゃうってことはないみたい」
「やっぱり、わたしだけなんだ。変かなぁ?」
「エヘヘ。マホちゃんの変なとこが大好き。リナね。何度もここに来てるけれど、百日紅にあんな秘密があることも、あの石に亀石って名前があることも知らなかったの」
「百日紅の白い蛇も亀石も全部わたしが名付けたんだもの知らなくて当然だよ」
マホにとって名前はその言葉の起源でもあった。音が連続する響きあいのなかで意識と働きの関係は言葉の意味へと変わっていった。
名付けることでその名の通り働き出すことをマホは経験から知った。
名のないものに名を与えてきたことから、知らず知らずのうちに香詩宮の杜をマホの杜として育んでいた。マホが想像した内なる生活は現実として働き始め、もはやマホを呼んでいたのはマホが名付けた世界そのものだった。
「香詩宮の杜はマホちゃんの杜だね。響き合ってる」
「他にもいっぱいあるの」
マホの想像上の風景から吹いてくる風を感じてリナは心をときめかせた。
神秘の瞳たちが目を覚ましたマホの杜を実際にさまよい、リナはそこで過ごしてみたかった。
「教えてマホちゃん」
「香詩宮の杜のこと?」
「ねぇ今度案内して。リナもマホちゃんの杜のこともっと知るために紅い傘買うから」
紅い傘はマホの世界観を象徴するものとしてリナの心を虜にしていた。
― リナちゃん紅い傘、気に入ったみたいね。
「うん、いいよ。紅い傘、買いに行こうね。毎回ずぶ濡れじゃ困るもの」
笑った二人の顔がつぶれていた。
この出会いが思春期の感受性を加速させていく。好奇心が旺盛になった瞳たちは、心のずーっと奥の方に広がる混沌の森へと、何処までもわけ入っていけるようなそんな気がしていた。臆することなく本質に触れる予感のようなものにも敏感になった。
「わたし、この世界に何しに来たのかなんて考えたこともなかった」
― 命の意味か・・?
リナが雨にうたれていたのは、命の意味を問い始めたからなのだろうとマホは思った。
「マホちゃん、命に優劣があると思う?」
「ないんじゃないのかな。杜の命たちはそれぞれの働きを出し合って、自然に調和していくもの。響き合い、世界をみんなで作ってるの」
生命は在るがままの自身を現わして命長らえている。マホが杜での独り遊びで気づいたことだった。そして私たちもそうあるべきだとマホは思っていた。
― どうして格差が生まれてくるのかしら?
みんなで作っている社会なのに。独り占めが好きなのは分かるけど、そんなんじゃだめだよね。・・リナちゃんの悩みって意外といろんなことを考えさせるのね。
「ね、そうでしょう。パパも言ってたけど命に優劣はないって。働きの違いなんだって。リナね。だから、自身の働きに気づきたかったの」
― それって自分らしく生きようってことなのかなぁ? 本当にそんなこと思うんだー。さすがに表現者の娘さんだけのことはあるよね。
「リナちゃんって個性を大切にするように育てられてるのね」
「でもね、リナ自分のことがよく分からないの」
肝心の自分のことが分からないんではお話にならない。マホは自身にも問うてみた。
― わたしの働きって何かしら?
そして明確な答えを持っていないことに気づいた。もどかしさが身体の中で圧を持つ。
― リナちゃんもこんな感じなのかな?
「わたしだって自分のこと、よく分かんないよ」
「気づけると思う?マホちゃん」
「分かんない。でもどうしてそんなふうに考えるようになったの?」
「どうしてかな?みんなみたいにね。うまく関われないからなのかな?」
「お友だちができないってこと?」
「最初はね。休み時間に楽しそうに話してるクラスの子たちを見ていて、どうしたらあんな風になれるのかしら?なんて思ってみたりしてたの。でもね。話してることが聞こえてきてもそれほど興味わかなかったの。本当に関わりたいと思ってるのかなって。一人で居るの好きだし、リナって本当は誰とも関わりたくないのじゃないのかな。クラスの子と関わるより香詩宮の甘い風を感じたり、雨の匂いの中に隠れたりすることの方が落ち着くの。それでもね。何かみんなのためになりたいなって何処かで思ってる自分がいるの。リナにできることって何かあるのかな?リナの働きって何かしら?
本当は何がしたくてここにいるの? って胸の奥深くで何時も感じようとしてたの」
― リナちゃんっていい子なんだ。
「ウㇷ。リナちゃんのそういうところ、可愛い。リナちゃんてクラスで一人で居ることが多かったでしょう。わたしもそうだったから何時も気になってたの。わたしね。クラスの子と話すことが怖かったの。ラインとかやらないし、みんなの話題にまったくついていけないの。話し始めたらきっと浮いちゃうと思う。リナちゃんぐらいだよ。あんな話してもひかないのは」
「あのね。リナはマホちゃんの杜の話が大好きだよ。ウフ、香詩宮の申し子で、杜の語り部。そして何よりも今日のマホちゃんはリナの救世主だよ。今日は紅い傘の救世主が来たんだ。ウフフ。ほんとはちよっとびっくりしたの。マホちゃんの仕草の一つひとつが可愛くって、学校とまるで違うんだもの」
―
何故かしら。胸がどきどきする。
嬉しくて頬がポ〜っと紅くなったマホは何か素敵なことが始まる予感に耳朶が火照ってくる気がした。
―
今度、わたしの杜にリナちゃんを招待しようね。リナちゃんだったら大丈夫、見えるかも知れないし、みんなのこと分かってもらえたら、今よりもっと楽しくなるよ。きっと・・
「ひとの、人の友だちはリナちゃんが初めてなの。杜には、ね。いっぱいいるんだけどね。人じゃないの」
リナは棚の上にあるたくさんのカラスの羽に目がとまった。コップに活けてある漆黒のその羽たちには深い緑色の光沢があった。
―
なんて立派な羽かしら。リナも何枚か持ってるけどこっちの方がちょっと大きいかな・・
その隣には松ぼっくりやら栃のみ、椿やどんぐりなどの木の実が青みがかった透明な器に盛られている。赤白黄青緑紫橙色のハンカチを真四角にたたんだ上には、一見何処にでもあるような小石が置かれていた。杉の花や蓮のみ、よく分からない葉っぱのような骨までもあった。
これが杜からのプレゼントであることは言うまでもなかった。
リナもまた似たようなものを持っていた。
「人じゃないって?それじゃ妖精さんなんかもいたりして」
「元々、杜の樹や石に名前を付けたことによって生まれた友だちだからね。わたしの妄想かも知れないの。雨の杜の中にいるとね。色々な音が声のように聞こえてきて、雨の薄いところや濃いところが光や風の加減でね、揺らいで響き合い、命の気配のように感じられるの。「雨の御影様」なんて呼ぶとね、霊的な身体を持ったかのように雨が振る舞うから「こんにちは。またお会いしましたね」なんて話しかけるの」
「マホちゃん、怖くないの?」
「怖くないよ。不思議なこといっぱい起こるけど、杜は優しいから怖くないよ」
「リナもマホちゃんが来る前にね。受け止めてくれる?何って聞いてみたりしてたの」
「リナちゃんも、雨の中で杜とお話ししてたの?」
「うん。でも、マホちゃんみたいにリナ、具体的じゃないの。何かもっと漠然と杜全体と向き合っていたような気がする」
少し小首をかしげて言葉を詰まらせたリナは
「うんうーん。違うの?あれはリナ自身だったのかも知れない」
と言い直した。
「それで受け止めてくれたの?」
「雨、ちょっと痛かったけど、何にも言わずにただ髪を梳かし続けてくれたの。それに何よりも紅い傘の救世主、マホちゃんを連れてきてくれたよ」