感謝と賛美の宴

 

ペトロ 晴佐久 昌英

ご復活おめでとうございます。
今年の聖週間はちょうど桜が満開の時期に重なり、自然界が復活祭の喜びにまさに花を添えてくれたようでした。
上野教会の前の通りの桜並木も受難の主日に一気に満開となり、眺めているうちに突然、「そうだ、お花見をしよう!」と思い立ちました。
どうせやるなら花見の総本山、天下の上野公園へ突撃ということで、学生たちに呼びかけて、「突然ですが明日午後3時から、上野公園でお花見しましょう。目印は風船でーす」とメールを回しました。
春休み中とはいえ、こんな急な企画に果たして何人集まるか、あまり期待はできませんでしたが、一応、当日は朝から、教会で手作りの花見弁当を準備しました。
から揚げにおいなりさん、ウインナーに、卵焼き。おりしも好天で気温も高く、絶好のお花見日和ということもあり、蓋を開けてみると12人も集まり、夜遅くまでワイワイと盛り上がって、なんとも幸いなお花見をすることができたのです。
お互いに初めましてという学生たちもいたので、「君たちは、こんな美しい満開の桜の木の下で初めて会った仲になるんだねー」と、申し上げました。
なんにしても、人が独りでいるのは良くありません。
私たちは、もっともっと出会うべきです。
上野公園でのお花見も、これでもう3年目ですが、今年は本当に外国人が多いのに驚かされました。
というか、驚いているのは彼らの方で、こんなに大勢の日本人が、老いも若きも桜の下で飲んだり食べたりして楽しんでいる様子に、目を丸くしながらカメラを向けていました。
日本人が本当に桜を愛していること、花の下での宴が大好きなんだということを、つくづくと知ったことでしょう。
お花見をしていると、開放感があると同時に一体感もあり、自然の中で一緒に食べたり飲んだりしていることが、とても本質的な喜びを秘めていることに気づかされます。
たぶん人類が何十万年もの間、自然の中で一緒に食べたり飲んだりしてきた、幸いな記憶がよみがえるからでしょう。
夜になって少し冷えて来た時に、ふと、聖ヨハネ・パウロ二世教皇が全世界の若者たちをお集めになったイベント、ワールドユースデイのときの野宿を思い出しました。
広大な野外の会場に前日から集まってきた若者たちは、野宿しながら翌朝のミサを待つのです。
その間、世界中の仲間たちと共に食べ、飲み、歌い、祈り、開放感と一体感を共にしたのでした。
そうして夜が明け、教皇ミサが始まったときの感動! お花見をしている人たちもまた、神さまに呼び集められた人たちなのでしょう。
出会えたこと、共に生きていることを喜び合う人たち。
ほろ酔い気分で、笑顔の仲間たちを見回しているうちに、なんだかみんな一つの宗教を信じていて、心を合わせて感謝と賛美の宴を捧げているような気持になりました。

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