主の食卓の復活

 

ペトロ 晴佐久 昌英

新約聖書が伝えるイエスの復活の出来事を読んでいると、食事に関わる証言が目につきます。
福音書における復活の記事は、量としてはごく少ないにもかかわらず、その内の4か所が食事に関わる内容なのです。
「その後、11人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。
復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである」(マルコ16・14)
「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。
すると2人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」(ルカ24・30―31)
「彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、『ここに何か食べ物があるか』と言われた。
そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた」(ルカ24・41―43)
「(弟子たちが)陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。
イエスは、『さあ、来て、朝の食事をしなさい』と言われた。
イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた」(ヨハネ21・9、12a、13)
これらは、「復活」と「食事」との間に、深い関係があることを物語っています。
マルコ福音書は、復活のイエスが、弟子たちが一緒に食事をしているときに現れたと伝えています。
弟子たちがその時点では、イエスを見たという人々の証言を信じていなかったことは重要です。
すなわち、不信仰であっても、キリスト者たちは常に一緒にいなければならないということ、一緒に食事をするほどに親しい交わりを持ち続けなければならない、ということが強調されているのです。
そのような家族的な集いにこそイエスは現れて、その集いを養い育ててくださるからです。
ルカ福音書の、いわゆる「エマオの弟子」の記事には、明らかに「最後の晩餐」が反映しています。
イエスは殺される前夜、弟子たちと最後の食事をしたときに、パンを裂いて弟子たちに渡し、「これが、私の体だ。これからはいつの日も、みな一つになってこのパンを食べ、私と一つになって生きよ」と、遺言しました。
エマオに向かう二人は、イエスの復活など夢にも思っていませんでしたが、まさに食事のさなかに、これがあの遺言の食事であること、あのイエスが今ここで食事を共にしておられることに気づいたのでした。
ヨハネの福音書では、そのようなイエスとの一致の食事を、ほかならぬ、復活のイエスご自身が用意してくださっていることが語られています。
イエスの死後、失望して故郷に帰り、漁師の生活に戻っていた弟子たちでしたが、この食事によって、弟子たちはイエスとの一致の喜びを体験し、再び一致の共同体として出発することができました。
弟子たちは気づいていたはずです。
あの「最後の晩餐」は、共に食事をし続けるキリストの教会の誕生という意味では、「最初の晩餐」であったということを。
イエスはその活動の始めに、まず弟子たちを呼び集めて生活を共にし、さらにはイエスを囲む大勢の人々と、いつも一緒に食事をしていました。
弟子の実家で、大勢の徴税人や罪人たちと食事をしたこともありましたし、荒れ野で群衆に余るほどにパンを与えたこともありました。
貧しい人たちとの宴をよく開いていたためか、「大食漢で大酒飲みだ」とまで言われたこともあります。
イエスがそのように、いつも人々と食事を共にする姿こそは、神の国の目に見えるしるしであり、教会の原型に他なりません。
イエスの死後、絶望してバラバラになりかけていた弟子たちを、再び集め、再び共に食事をする共同体として復活させたのは、まさに復活の主です。
復活とは、イエスの復活であると同時に、弟子たちの共同体、すなわち主の食卓の復活でもありました。聖書の復活記事が今に伝えているのは、キリストの教会は、共に食事をし続けるという原点を、決して忘れてはならないということなのです。
教会は、ミサにおいて主の食卓を囲むのはもちろんのこと、現実の日々の生活においても、助け合い、分かち合い、できうる限り食事を共にして初めて、教会と呼べるのではないでしょうか。
「信者たちは、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた」(使徒言行録2・46―47)

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