宣教師魂

 

セバスチャン 西川 哲彌

「宣教師は、何もない所に教会を建て、人を集めて信仰を伝え、信徒を養成し、ある程度軌道に乗ったらさっと身を引いて、又新しい地へ向かい、何もない所に教会を建ててという役割の人である。
そこが、教会を作っていくのに困難な地であればあるほど、情熱を傾け不可能を可能にしてゆく、それが宣教師というもんです」と若い頃聴いたことがあります。
そうやって建てられた教会に派遣され、お年寄りから赤ちゃんまで集まり育った共同体を司牧してゆくのが教区司祭の役目とも聴いております。
それにしても、ルドールズ神父様の宣教師魂には恐れ入ります。
この教会を建てるために故国フランスに帰り、上野の話をし、小さいお金を沢山集めて来て下さいました。
その時の寄付者の名簿が祭壇の下に保存されています。
小さいお金に大きな意義があります。
神父様がフランスで、一人一人の信者さんに上野教会のことを語り、その愛の強さと深さに感動して、財布のひもをゆるめた信徒が眼に見えるようです。
おかげさまで私達はこの頑丈な建物を頂きました。
丈夫に出来ていると建築関係の方から聞いております。
次に神父様はイエス様の教えをわかりすく説明し、聖書を読みながら実践してゆくテキストを作って下さいました。
神様がどれ程私達を愛しておられるか、イエス様がどれだけわかりやすく神様の愛を説いて下さったかも伝わって来る内容です。
書かれて40年近くたってもまだまだその新鮮さが失われていません。
教えてやろうというものではなく、神父様の生き生きとした信仰がそのまま文字になっています。
そして人生の最後の力を全て出し切ったと思えるのが「聖書100週間」です。
アメリカのプロテスタントのある教派が、聖書を全部読もうという運動を起こして全国に展開し、日本にも来た運動です。
神父様は、カトリック教徒が聖書に疎いことをなんとかしたいと思っていらっしゃったようで、すぐさま呼びかけに応えて講座に参加されました。
しかしその運動が聖書を全部読むのでないことに驚かれ、それなら、ほんとに全て読む方法を考えられました。
そこでいろいろ試しているうちに生まれたのが「聖書100週間」だったのです。
今やこの運動は、教派を越え国境を越えて広まっています。
「みことばがこんなにすばらしく生きる力になるとは、やってみるまでわかりませんでした」という声を何度も聴きました。
一度ならず何度もやっていらっしゃる方もおられます。
なんといっても上野からこの 「100週」は生まれたのですから嬉しいことです。
神父様はいつも、どうしたら教会が盛んになるか、信徒が元気になるか、信仰の喜びを味わうことが出来るかを考え、祈っていらっしゃったと思います。
その身を全身全霊ささげて下さいました。
その原動力は愛です。
愛こそが神父様を片時もゆるがせにしないで、生きていらっしゃった力の源泉だったのです。
その愛は、今、私達に受け継がれています。
私達は宣教師魂の伝承者なのです。

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