受難の日


「それじゃあ、早速ビッキーのところへ行ってみましょう」
「大丈夫なのか、本当に……」
不安に駆られつつ男たちが歩き出そうとした刹那、マイクロトフは見慣れた容貌の喪失に気付いた。
「ムクムク殿? ムクムク殿は何処に……?」
自失したような呟きに、一同ははたと周囲を見回す。しかし、華麗にして現在は獣の赤騎士団長の姿が視界に入らない。一斉に動揺が走る。
「かーっ、何処へ行っちまったんだ、あいつ!」
「飽きたんだな、要するに……」
「冗談ではない! 今の状態であちこちうろつかれては、カミューの誇りにかかわりますっ」
「そうですよね……どこかで大の字になって昼寝でもしていそうだし」
ウィンの懸念を想像してしまったのか、マイクロトフに抱かれた『カミュー』は悲痛な表情で唸った。
「と、ともかく探そう。手分けするんだ、あいつが妙なことをしでかす前に!」
フリックの掛け声に男たちは一斉に城のあちこちに散った。『ムクムク』が好みそうな高いところへ向ったマイクロトフの焦燥は並ではない。人間の身体に変化したことを忘れて、展望台から飛び降りられでもしたら、愛する者の肉体はどうなるのか。
きつく小脇に抱えられて目を回している恋人を救うために、マイクロトフはひた走った。やっと辿り着いた展望台に目指す優美な姿が見当たらなかったとき、彼はがっくりと腰を落としたまま長い時間立ち上がることも出来なかったのだった。

 

 

 

さて、問題の赤騎士団長型『ムクムク』は、一同の予想通り真面目な討論に飽きていた。そろそろと後退り、少し距離を取ってから一気に駆け出した彼に注意を払うものはいなかった。
城の外は良い天気である。こんな日にむさ苦しい男たちと同行するのも気が重いし、何しろ初めて人間の身体に入るという特殊な体験をしているのだ、味わってみないという手はないだろう。
自分の姿をしたカミューに言われたように遊べなくなってしまうのは問題だが、仲間たちが彼の分まで真剣になっていることだし、どうやら解決策も決定したらしい。となれば、残り少ない時間は有意義に過ごそうと逃亡を計ったわけである。
実は彼は以前より、この赤騎士団長を好ましく思っていた。着ているものの色、柔らかな髪の色が好感度を上げるのに作用したのかもしれない。
とにかく、初めて見かけたときから他人のような気がせず、かといって堂々と近寄るには今ひとつ恥じらいが勝り、物陰からこっそりと赤騎士団長を鑑賞する毎日だったのだ。
常に優しげな微笑みを浮かべた唇、甘い声。
見ているだけで嬉しくなるのは、ひょっとしたら恋なのかとも考えた。これは種を超えた切ない一大浪漫の叙事詩……と酔いかけたところで、彼は重大な障害物に気づく。言わずとしれた青い敵である。
やたらでかくて近寄りたくないこちらの団長は、気になる団長とひどく親しかった。同じ国から手に手を取って逃げてきたらしい、と論じた仲間のメクメクの言は彼に衝撃を与えた。
しかもある日、彼はうっかり覗き見てしまったのだ。赤騎士団長が青騎士団長の腕で締め上げられ、あまつさえ口を押し付けられている光景を。
これは赤騎士団長の危機、とばかりに慌てて救出に向おうとしたが、ミクミクに止められた。『やーね、邪魔しちゃ駄目じゃない〜、あの二人は恋人同士なのよ、そんなことも分からないなんて駄目ねえ』────要約すると、そのような発言を受けて、彼は呆然とした。
やはり出会いが遅かった。
麗しい赤騎士団長は、ケダモノのような男の毒牙にかかっていたのだ。ふかふかの頭を掻き毟って慟哭したが、苛立たしい観察を続けているうちに諦めが心を満たした。
青い敵と一緒に居るとき、赤騎士団長はとても幸福そうに見える。人目を憚って(いるのかどうかは依然謎だが)密やかに見交わされる視線には、紛れもない信頼と愛情が浮かび、憎ったらしい青い男も鼻の下を伸ばして応えている。
ここは男の器が試されるところであろう。恋(かどうかも少し謎だが)する赤騎士団長の幸せこそを第一に考えて、潔く身を引く(別にアプローチしたわけでもないが)ことが、唯一の誠意だと彼は思った。
昨夜、彼の窓の下を通り掛かったのはほんの偶然なのである。しかし、開いた窓から揺れるカーテンに手招きされているような気がしてしまったのは恋心の為せるわざに違いない。
最初で最後、一度くらい赤騎士団長の柔らかそうな唇に口を押し当ててもいいだろう、そう考えて彼は侵入を果たしたのである。
ドキドキしながら近寄ったベッドで、意外にも布団を跳ね飛ばして寝ている青年のあられもない寝姿に見入り、ちょこんと横に這い寄ったところでしなやかな腕に抱き締められた。
これは何事、と焦ったものの、どうやら赤騎士団長は何かを抱いて眠る癖があるらしく、彼を胸に納めた状態で安らいだ寝息を零していた。
甘い吐息はほんの少しだけワインの香りの混じったお菓子の匂い。先日ハイ・ヨーのレストランで行われた料理勝負の審査員に呼ばれた際に食してから好きになった『プリン』という食べ物のようだった。
美味しい匂いを放つ唇に何とか接近しようともがいたが、あまりしっかりと抱かれていたので移動することが出来なかった。だがまあ、これも悪くないと思ったところで睡魔に襲われたのだ。
もともとむささびは夜行性の生き物であるが、彼らの種族は一応モンスターとして分類されているため、日中よく遊び、夜は健康的に眠るという習性がある。かくして、目覚めたときには赤騎士団長の身体に入ってしまっていたわけである。
今までの状況からいくと、どうやら同じ夢を見たのが原因らしい。彼は甘い匂いに誘われたのか、いっぱいのプリンを食べる夢を見たのだが、赤騎士団長も同様の夢の中を漂っていたようだ。意外と愛らしい一面を窺わせる事件原因である。
しかし、これは正直、胸弾む事態であった。
気になって仕方なかった相手の肉体と入れ替わる。撫でようが擦ろうが思いのまま────本来の性格からはかなりかけ離れてしまった邪な妄想に浸ったものの、これにも青い障害が立ちはだかった。
初っ端から片時も離れず、不埒な行為は許すまじといった形相で付き従う青騎士団長。おまけに本当の身体の方をしっかと握られてしまっていては、楽しさ半減である。
確かに中身は貴様の好きな奴かもしれないが、その身体はボクのものなんだから、気安く触るなバカー!!という魂の叫びは、残念ながら通訳してもらえなかった。
気に食わないことは気に食わないが、よもやむささびの身体の赤騎士団長に悪さをするほどの度胸はなかろうといった判断で、こうして仲間たちから逃げてきたのだった。
彼は城のあちこちですれ違う騎士から不思議そうな視線を何度も送られた。多分、この時間帯には赤騎士団長は仕事をしているのだろう。そう思い当たると、楽しいけれど、やっぱり早いところ元の身体に戻った方がいいかもしれないと思えた。
「カミュー様、如何なさいました……? つとめの方は宜しいのですか?」
「カミュー様、先日指示をいただきました案件ですが……無事手配は済みましたので、ご安心ください」
「カミュー様、厩舎で馬が発情しております! どう処置すべきでしょうか、繁殖を望まれますか?」
「カミュー様、ハイ・ヨー殿のプリンのレシピを入手して参りました! 調理の任に当たらせていただいても構いませんでしょうか」
ほんの五十歩ほど歩いただけで、彼はたちまち苦難に陥った。
さすがにここでムム語を使えば奇異の目で見られるだろう。親愛なる赤騎士団長が言語障害に陥ったと噂になるのは気の毒だ。そんな至って良心的な思考から、彼は手短に、差し障りなく相手を交わそうと務めた。
「ムッ!」
「それは如何なる思し召しでしょうか、カミュー様?」
あくまでも食い下がる敵には、必殺の流し目を見舞い、相手が動揺している間に急いで逃げた。完璧である。
彼は庭を探索し続け、やがて本当の仲間たちを見つけた。楽しげに遊び回っているマクマクらに声を掛けようと近づいたが、彼らが人間と化したリーダーを見分けられよう筈もない。
一斉に鳴き声を上げて逃げ去ってしまった仲間たちに、初めて寂しさを覚えた。
何とか彼らを捕まえて会話することは可能かもしれない。だが、この身体では一緒になってあたりを飛び回ったり、協力攻撃で城を守ったりすることは出来ないのだ。
赤騎士団長につとめがあるように、自分にも果たさねばならない責任がある。己の在るべき世界、緑茂る木立の中を悠然と飛び交いながら遊ぶ────それこそが使命であり、生きる道なのだ。
そこまで考えた彼は、くるりと踵を返した。再度、男たちと合流すべく道を急ぐ。
その足取りがあまり巧みでないスキップになってしまっていることに気付かず、城の庭をはしゃいで急ぐ赤騎士団長の姿は、住民たちの不可思議として噂されることとなった。

 


一人と一匹の愛の世界を覗こう

 

仲間たちの語らいを覗こう

 

 

騎士団員の困惑ぶりも覗くか……

 

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