受難の日


窓辺の壁には転がった赤騎士団長。中身は獣だが、恋人の身体に風邪を引かせてなるものかと上掛けで包んでやったマイクロトフは、ようやくほっと息をついた。
自室に戻れば、いつ騎士の来訪を受けるかわからない。指導者ウィンの厚情で彼の部屋を貸してもらい、今宵を過ごすことになったのだ。
不運な恋人たちをそっとしておこうという配慮か、朝から続いた騒動に疲れて、せめて自分のベッドで寝たいという欲求か、ビクトールらはそれぞれの部屋に戻っていた。部屋を明け渡したウィンはビクトールの部屋に潜り込むことにしたらしい。
こうして、ようやく落ち着きを取り戻したマイクロトフは、改めて傍らのむささびに目を落とした。普段、無駄に元気に城を飛び回っている姿ばかりを見てきたが、しょんぼりと椅子に腰掛けて俯いている様子は愛しい青年が悩む姿に思えてくるのが不思議だ。
彼は椅子の横に膝を折り、項垂れている『カミュー』の頭を優しく撫でた。人型の彼にこのような真似をすれば、『子供じゃない』と必死の拒絶に遭うのは目に見えていたが、どうやら今の彼は身も心も小動物と化しているのか、つぶらな瞳が見返すばかりであった。
「カミュー……疲れただろう? 身体の調子はどうだ?」
精一杯気持ちを押さえながら囁くと、小さなむささびはこっくりと頷きながら短く鳴いた。
「ム〜……」
「何か言いたいことはあるか? 何でも聞くぞ、ほら」
言いながら紙と筆を差し出すと、彼は筆を握り締めて文字を書き始めた。
『はやくもとにもどりたい』
「ああ……そうだろうな、分かるぞ。おれとて、早くおまえに元の姿に戻って欲しい」
同意しながらマイクロトフは微笑んだ。
「でないと、おまえにくちづけることも出来ない」
相手は動物、たとえ中身が恋人であっても生理的・道徳的に認めることは難しい。今日一日、むささびを抱いて過ごしたものの、さしものマイクロトフも現在の『カミュー』に欲望は感じない。ただ、切なげに見詰める大きな瞳に胸苦しさを覚えるばかりだ。
『やっぱりこのからだじゃそのきにならない?』
突然核心に迫られ、動揺する。
「いっ、いや……おれは……おれは心からおまえを愛している。しかし……おまえは不本意な状況に陥っているのだ、そこを忘れることは出来ない」
『むささびのわたしはあいせない?』
「愛しているとも! 愛しているが……そのう、やはり倫理的に問題があるのではないかと……」
『おとこどうしなのはもんだいないのか』
「うっ」
いやに突っ掛かる恋人に絶句してから、マイクロトフは気づいた。
『カミュー』は不安なのだ。
それはそうだろう、目が覚めたら獣の身体に変わっていて、話すことも出来なければ幼児みたいに稚拙な文字で意志を伝えることしか出来ない。
今の彼にはマイクロトフの深い愛しか縋るものがなく、夜毎交わされていた情熱的な接触を失ったことによって焦燥を募らせているのだ。だとしたら、ここはひとまず倫理を捨てて、彼の求める熱烈な触れ合いを与えるべきなのかもしれない────
悲壮な決意に身を固めたマイクロトフが、ぐいとむささびを向き直らせる。
これはカミューだ、愛しい赤騎士団長なのだ、多少口が小さくて毛だらけになのは気の所為だ、そう自らに言い聞かせながら唇を寄せたところで、悲鳴が上がる。
「ムムーーーーッ!!!!」
筆談は交わされなかったが、仰天してマイクロトフの額に手を突っ張り、嫌々と首を振っているむささびによって『何をする〜!』という言語が自動変換された。マイクロトフは慌てて身を退き、『カミュー』を見詰めた。
「な、何故だ? これを求めていたのではないのか……?」
すると『カミュー』はぜいぜいと喘ぎながら文字を書き殴った。
『そんなことはいっていない、たんにいけんをもとめただけだ。おまえはどうしてそうつっぱしるんだ、わたしはじゅうかんなんてごめんだ』
「も、もっともだ……すまなかった」
獣の手には持ち慣れない筆によって書かれた文字だったから衝撃は少なかったが、青年の流暢な文字で『獣姦』と書かれた場合を想像したマイクロトフは深々と頭を下げた。
『とはいえ、すこしうれしかった。おまえはいまのわたしでもかわらずおもってくれるんだね』
「カミュー……」
思いがけず洩れた甘い告白に感動して、彼はむささびの広い額に己の額を押し当てて微笑んだ。
「わかっているだろう? いつ、どこで、どんなふうに出会おうとも……おまえはおれのただ一人の相手だ。大切な存在だとも」
『ただし、にんげんのじょうたいであいたいな』
「そうだな……」
マイクロトフは立ち上がり、椅子の上の『カミュー』を抱き上げた。指導者のベッドを使うのは気が引けるので、そのまま窓辺で寝こけている『ムクムク』の隣に歩み寄って腰を下ろした。
大口を開けて寝息を立てている赤騎士団長の姿に苦笑して、跳ね飛ばされた上掛けを手繰り上げてやる。
『カミュー』は自らの肉体が受ける優しい行為に喜んで、ぎゅっとマイクロトフの上着にしがみついた。
「明日、無事に戻れるといいな……」
いや、戻ってもらわねば困る。心で付け加えて、マイクロトフはむささびを懐に包んだまま目を閉じた。
穏やかな月明りが眠る二人と一匹を照らしていた───

 


頼むよ、ビッキー。

 

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