受難の日


新同盟軍・本拠地内に設えられた小さな一室。
ここでは元マチルダ赤騎士団の副長職を預かる人物が山と積まれた書類の束と格闘していた。
普段なら、傍の机で上官が優雅につとめをこなすのを見守りつつ、自らに与えられた任を片付けるのが日課なのだが、本日、赤騎士団長カミューは体調不良のため部屋に引き篭もっている。
これを伝えに来たのが青騎士であったことも不思議だったし、見舞いに参上するのをきつく止められたのも不思議だった。顔を合わせることも出来ぬほど具合が悪いなら、それはそれで一大事だ。
マチルダを離反してカミューに従った騎士たちは、彼だけを心の拠り所としている。それはロックアックスに在った頃から変わらない事実だが、忠誠に背いて騎士団を去った今、以前にも増して彼らの傾倒は顕著なのだ。
ここでカミューに倒れられでもしたら、自分には騎士たちを支え切れない。副長は重い溜め息をついた。
そこへ信頼する第一部隊長がやって来た。
「ランド様……少々お耳に入れておきたいことが」
厳つい顔を常よりも暗くした男の声に、副長は眉を寄せる。
「カミュー様のことか」
赤騎士団において、騎士にこのような深刻な顔をさせる事情といったら一つである。机上から短く返した副長に第一隊長は頷いた。
「まず、お聞きしたいのですが……本日カミュー様は何処がお悪いのでしょうか」
「そこまでは聞いていない。ただ、体調が優れないと……」
「実は、部下が数人報告に参りまして」
そこで第一隊長は身を屈めて声を潜めた。
「カミュー様のご様子が少々……」
「何?」
副長はますます眉を顰めた。
「室外に出歩いておられるのか? 御身体は大丈夫なのだろうか……」
生真面目に案じて首を傾げていると、第一隊長は苦しげに後を続けた。
「数人の目撃証言によりますと、カミュー様はいたってお元気で……その上、妙に朗らかで弾んでおられたと」
「弾んで?」
「城内を……スキップしながら移動なさっておられたらしいのです」
「……………………」
カミューが赤騎士団長に就任したときより長く傍に付き従ってきた副長も、彼のスキップを見たことなどなかった。呆気に取られて一度はあんぐりと口を開いたが、すぐに思い直した。
「カ……カミュー様とてお若い青年、楽しいことがあればそのくらいは……」
────非常に変であるようには思うが。
しかし誠実に彼に味方した副長は、更なる申告を受ける。
「しかしながら、ランド様。そのスキップはまことに下手であり……報告によると、リズムもなってなければ、右手と右足が一緒に出ていたとの事。何事も器用にこなすカミュー様とは到底思えぬ動きに思えたとか」
「それは妙だな……いや、しかし……やはり体調が優れぬのでは?」
「血色は普段とお変わりなく、頬はばら色に輝き、瞳は澄み渡っておられ、唇は野の花のごとく淡く色づき、肌の艶もいつもながら見事ななめらかさであった……との報告もあります」
ううむ、と副長は唸った。確かにそれは恒常的な、健康状態の良いカミューのようだ。
「ご機嫌も上々で、にこやかに笑みを絶やさず……その上、魅惑的な流し目も健在であると」
そこまでくると、部下たちの視点にやや穏やかならぬものを感じる副長であるが、これは大目に見るしかないだろう。ともかく、カミューがいつも通りの優美で端麗な赤騎士団長であることは的確に伝わってくるのだから。
「ならば、体調が元に戻られて御気分が良いのであろう。まあ……今は差し迫った戦の気運もないことであるし、多少羽根を伸ばされて息抜きをされるのも良いことだ」
溜まった書類を見ぬ振りをして断言する副長は、実に忠節の固い男であった。
「しかし……気になるのはカミュー様のお言葉なのです」
「言葉……というと?」
そこで第一隊長は複雑な表情を見せた。
「部下たちが何を問い掛けても、お答えが……そのう……」
「何だ、はっきりしないか」
「ム、と……」
「ム?」
副長は身を乗り出して、聞き違えたのかと瞬く。
「何をお聞きしても、ム、としかご返答いただけないとの事なのです」
「ム…………」
今度こそ副長は腕を組んで考え込んだ。
「聡明にして深淵なるお考えを持たれるカミュー様のこと、それは如何なる意味であろうかと部下たちの間で論議が始まってしまいまして……収拾がつきませぬ。如何したものでしょう、ランド様」
「ム、…………か……」
副長は深々と思案に暮れた。
実に謎めいた言葉だ。
あるいはカミューと対を成す青騎士団長の返答であれば似合うような気がするが、柔和で穏やかなカミューの唇には相応しくない響きのように思える。
副長は机の引出しから辞書を取り出して、該当する文言を引いてみたが、敬愛する上官の思惑に当てはまりそうなものは見当たらない。
「ううむ……分からんな。それで、カミュー様は現在何処におられるのだ?」
「それが……夕方から行方不明でおられるようで……最後に中央棟の石板のあたりで……その、くるくると回っておられる御姿を目撃されたのが最後、行方を断たれております」
「何だと?!」
驚愕に辞書を取り落とし、副長は書類を散らしながら立ち上がった。
「それは由々しき事態ではないか! 我ら赤騎士団員、カミュー様の動向には常に意識を払わねばならぬと重々申し伝えてあろう、何故見失うようなことに……」
「は、はい。あまりにも楽しげに回っておられるのを見た者が、驚いて放心してしまったらしく……」
「いったい……どうなさったというのだ……? い、いや、それよりも、早く何処におられるのかお探しせねばならん」
副長が使命に燃えて唇を噛んだとき、ノックと共に年若い第十部隊長が入室してきた。
「ランド副長、ご報告です。先ほど、厩舎にて馬の交配が完了したとのこと」
「馬?」
「はい、朝から雄馬が発情していたようです。部下がカミュー団長から許可……らしきものを受けたので交配を行ったと」
「……そうか、ご苦労」
第十隊長が『らしきもの』と曖昧に濁したのは、問題の『ム』発言によるものなのだろう。そう察した副長は取り敢えず慰労した。
「ところで……おまえは現在カミュー様が何処におられるか知っているか?」
赤騎士団の中でもカミューの行動には格別意識を払っている若者に一縷の期待を込めて問うと、若き騎士隊長は不思議そうに微笑んだ。
「夕刻過ぎ、ウィン様の部屋に入られていくのを見ましたが」
期待通り、カミューの行方は知れた。ほっと安堵しつつ、副長と第一隊長は目を見合わせる。
「あの……どうかなさったんですか?」
二人のただならぬ様子を感じ取った若者が表情を固くした。そんな彼に副長は毅然と命じる。
「ミゲル……おまえに命ずる、これより直ちに全騎士隊長を招集せよ。中央会議に入る。議案はカミュー様のお言葉について、だ」
「カミュー団長のお言葉……?」
「うむ。それから……ローウェル、『ム』という一語に心当たりのあるものは申し出るよう、全騎士に伝えよ」
「ム……ですか?」
怪訝そうな顔を隠そうともせずに聞き返す第十隊長に副長は深く頷いた。
「そうだ。今後、我が赤騎士団において大きな意味合いを持つ単語やもしれぬ……」
難しい顔をして窓の外に視線を投げた副長に、第一・第十隊長の真剣な眼差しが注がれていた────

 


はい、隠しルートにようこそ(笑)
これは本筋に全然関係ない、
オリキャラだけによる
お遊びきわまりないページです。
最近、とみに変な人と成り果てている副長氏、
今回も変な人でしたv

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