『長期縦走原論』増補版2014のページ |
このページは、07年6月、私家版として出版した『長期縦走原論』の最終版を公開するため、08年6月24日開設したものです。 長期縦走を出来るだけ軽い荷物で、安全確実に行うための基本的装備、衣類、食料、生活方法について、自らの考えを述べただけのものという意味で、少々堅いのですが『長期縦走原論』と名付けました。 これは、数十回のノンデポ、ノンサポート、夏の南アルプス全山往復縦走、冬の南アルプス全山縦走の経験からまとめたものです。この程度の山行を繰り返し、やっとファッション性やスノビズムではなく、本気で実用性だけによる装備、衣類や食料の選択を何の先入観もなくする必要が出てきました。思いがけないトラブルで散々な目に会った経験を何度も重ねたからです。それで学んだことは、季節を問わず安全確実に3000m長期山行を行うための装備、衣類や食料の選択は、全て理にかなったもので、根本から総合的に考えなければならないということでした。 そこで、特に装備、衣類や食料についての基本的特性や考え方を出来るだけ論理的に説明しようとしました。一見取っつきにくそうに見えるかもしれませんが、一つ一つの言葉や概念を基礎から明確に定義し書いていますので、実際は中学理科レベルの明晰さと分かりやすさを持っていると思います。ですから、同様の装備、衣類や食料を使用する色々な野外活動を嗜好する方々にとっても、十分お役に立つ内容になっていると信じます。そして、多くの方々が様々な神話や商業主義から自由になって、より主体的に、気持ちよく長期山行やその他野外活動を楽しんでいただくための一助になればと希望します。 なお、09年4月『長期縦走原論』を校正して再び極少部数プリントしました。現在pdfファイルとして掲載しているものは校正版です。 本の装丁、イラストを含め全て自力で作った私家版ですから、初版は校正作業がなおざりになっていました。何しろ、読み直し始めると、すぐ校正という地道な作業ではなく内容自体に目が向いてしまい、どうしてもまともな修正作業が出来なかったのです。しかし、再プリントするに当たり、不十分ではありますが多少の校正作業を試みました。本文の一部では、段落の大きさ、頁構成を変えない範囲で、もしそのスペースが許すなら、より正確で分かりやすくするための加筆をしました。もちろん初版執筆後、変化したことは多々ありますが、それらの点には一切訂正を加えていません。 書籍の形ですから、pc上では大変読みにくいものになっているかも知れません。しかし、「しおり」を付けておきましたので、検索機能と併せてお使いになれば紙版とは違った便利さがありますので、是非ご利用下さい。 頁が大変多いので、まず『はじめに』『おわりに』を読んで頂き、この本の目的等を理解された上、興味がおありなら『目次』、『内容案内』を参考にして読んで頂ければと思います。 なお、本書の一部あるいは全ての無断複写(コピー)は、法律で定められた例外を除いて著作権の侵害になります。 (2009.4.20.記) 言うまでもなく、転載も法律で定められた例外を除いて著作権の侵害です。 (2011.6.30.記) やっと増補を書き上げました。本文の誤字脱字や間違いの訂正はこれからです。(2013.6.27.記) 増補を大幅に加筆修正しました。コラムも、ぼちぼち追加する予定です。(2014.5.27.記) 増補2014に加筆修正を加えました。(2014.10.1.記) 増補2014に少しの補遺を加え、印刷可にしました。(2015.6.30.記) 本文の誤字脱字を正すと共に、増補2014分を加筆修正しました。各項版、丸ごと版全てを入れ替え、これを機に印刷できるようにしました。本書はA5版ですから、A4で冊子印刷して頂けば紙版 (まだ残部があるとは情けない) と同様になります。増補には、これまでの修正の経緯が分かる草稿版 (修正の過程が分かるよう色づけした版) も添付します。なお、丸ごと版にはしおりを付けました。(2016.5.22.記) 久しぶりにコラムを追加し、一部誤記等を修正しました。(2018.5.30.記) ジオシティーズサービスが3月31日で廃止とのこと、転送設定しました。コラムの写真も一部修正しました。(2019.1.23.記) |
長期縦走原論 | 長期縦走は生活技術そのものですから、各項を越えて関連があります。そこで、一冊丸ごと版も載せておくことにしました。しおり付です。 |
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3.11FUKUSHIMA後の世界になって、そして当サイトの改訂追加に関する予定
3.11東日本大震災により、三陸海岸一帯全てに渡る広大な地域が壊滅的被害を受けました。さらに追い打ちをかけるように起きた東電福島同時多発原発事故により、この小さな国に、放射線量が高くて人が住むのに不適当な何百平方キロメートルもの地域が生まれ、その人災被害はまだ現在進行中です。3.11以前の一般人に対する年間被曝許容限度を適用すれば、500万人以上を強制避難させなければならないほど甚大な被害です。 今では3.11直後のゾクゾクした感覚にも慣れ、茹でカエル状態になってしまっています。アウシュビッツでさえ音楽会が開かれていた様に、人はどこまでも慣れるもののようです。しかし、これから何万年、少なくても数百年は厳重な管理が必要な放射能と付き合わざるを得ない現実の重さに心が沈みます。原発というパンドラの箱から放出され続ける放射性物質.。箱の中には、まだ膨大な量の放射性物質とたぶん「希望」が残っています。もちろん現在も、事故を起こした原子炉と使用済み燃料貯蔵プールの安定冷却はおろか、中にある放射性物質を閉じ込める目処さえ立たない状態が続いています。 有史以来、どんな天災でも数十年後にはほぼ回復され、大抵は元の場所で普通の生活が戻っていたのに対し、人類の知恵がもたらした核、原発事故により放出される放射性物質は少なくても何百年もの間、人が安全に住めない土地を作り出してしまいました。放射能に汚染された土地、海から得られた食料も全て汚染され、ヒトの体を蝕み続けます。もちろん、現在保管中の大量の高レベル放射性廃棄物も非常に発熱するため、100年くらいは冷却し続けないと容器が溶けて放射能が漏れてしまいます。その後、子々孫々、何万年後かに安全な放射線量になるまで隔離し続けなければなりません。自然に任せる(その物質の持っている固有の半減期により、放射線量が減るのを待つ)以外、放射能をなくする手立てはないからです。放射能は、まるでパンドラの箱から出たあらゆる災いや不幸や悪そのもの。早く箱のフタを閉めないと、希望まで出て行ってしまいます。 しかし、これだけ未曾有の大人災が起きたにも係わらず、まだ電気のために原発が必要と考えている日本人がいることには、怒りさえ起きません。余りの当事者意識のなさ、現実感の欠如に、命より経済活動を優先する思想が伺え情けない限りです。国旗国歌を守ることが愛国の証という考えを持つ人々と、全く同じ倒錯です。原発による発電コストが安いと言っても、そこには事故の場合の莫大な賠償金も、核廃棄物を何万年も隔離保管するための費用も殆ど含まれていないとは呆れるだけです。 10年10月、69年日本が西独に対し、核兵器開発を持ちかけていたとのNHKのスクープ報道がありました。日本の防衛のためいつでも直ちに核兵器を作る能力を持つために、核兵器に必須のプルトニウム確保のために原発を増やしてきたのでしょうが、その事故により緩慢で広範な核攻撃を受けたような事象を招いたのは、唯一の被爆国であるはずのこの国にとってなんと皮肉なことでしょうか。 「「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」(伊丹万作)、「問題は過去を克服することではなく」「心に刻むこと」とのヴァイツゼッカーの演説を思い出しました。 静岡県でも基準以上に汚染されたお茶が見つかっていますから、南アルプスにもホットスポットが出来ているに違いありません。しかし、日本で生きる限り否応なく3.11後の世界を生きるほかありません。それでもまだプレ・プレ・『風の谷のナウシカ』の世界です。悲しい時代が始まってしまいましたが、希望はまだ残っていると信じたいものです。 2011年の春には増補を加え、誤字、脱字、誤記を正したファイルに差し替えるつもりでしたが、日本開闢以来最大の危機の中、不謹慎な行為ではとそんな気分も失せてしまっていました。もちろん、現在でも根本的に新しいとか、画期的とかいうものはありません。ただ名称の変更と、多少のモデルチェンジが新しさを醸し出しているだけです。本の中で触れた様々な道具類の写真入りコラム作りも中断しています。 そこで今回は3.11後の原発ぶらぶら病の中、長期縦走とは直接の関係はないのですが、11年2月に発売された『ウルトラライトハイキング』という本について気づいたことを覚え書きとして書いてみました。(2011.6.30.記) 『長期縦走原論』と『ウルトラライトハイキング』の比較対照表(類似表現や言い回しの数々をご検証下さい) |