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54-1:京都


東海道を歩く (54-1京都:三条大橋)




(写真は三条大橋)

やった!

やった!

やった!

三条大橋に到着!!

気が遠くなるくらいに長かった”東海道五十三次を歩く・完全踏破の一人旅”も、やっと終わり
です!!!

三条大橋に着くと、思わず、高山彦九郎銅像の前で、万歳三唱をしてしまいました!

(周りの人に聞こえない様に・・・)



江戸時代、庶民の女性が東海道を旅することは珍しくなかったそうです。

現代と同様に、江戸時代の女性もケチで?、

旅籠ではお金を使わず、お酒ものまなかったので

(お酒は現代は違う?、そうすると、ホテルでの金遣いも?)、

宿場町では敬遠されたそうです。

庶民の女性の旅の名目は、お伊勢参りでしたが、本音での目的は、食べ歩き、ショッピング、
寺社巡り等が満喫出来る京の都だったらしいです。

この京の都での寺社巡りは、参拝というより、門前町に並ぶお店や、茶屋や、見世物小屋などの
方が、お目当てだった様です。

現代と異なり、江戸時代の庶民の女性は、遠出の名目・機会がなく、恐らく、人生で一度だけの
刺激と解放感を求めたビッグイベントだったに違いありません。

三条大橋は、加茂川の度々の氾濫で、何度も架け替えられ、現在はコンクリート橋ですが、
写真の橋の木製の擬宝珠(ぎぼし)だけは、往時の面影を伝え豊臣秀吉のときのものだそうです。



橋を渡った西岸に、写真の弥次さん喜多さん像がありました。



弥次さん喜多さんは、四日市の日永の追分から、東海道を進まずに、伊勢街道を伊勢神宮へ
向かい、伊勢神宮から奈良街道を経由して京へ向かいました。

従って、四日市宿(2012.1.7)以降は、「東海道中膝栗毛」のエピソードのご紹介はありません
でしたが、悪しからず!

さあ、完全踏破の一人旅のフィナーレです!

一人で、完全踏破の祝杯をあげるために、先斗町を抜け、四条大橋を渡り、祇園へ向います。



祇園の通りに入ったところで、いきなり、若い京美人に声を掛けられました。

”お尋ね申します〜ぅ? ”

どうやら、私は、この辺りの、何処かのお宅の場所を聞かれているみたいです?

慌てて、”りょ、旅行者です!”

その若い女の人は、驚いた表情で、”まあ、失礼なことを〜!”

いや、驚いたのはこちらですが・・・

リュックをコインロッカーに預けて、手ぶらで祇園を歩いていたので、祇園の住人と
間違えられたのでしょうか?

写真の祇園の「美登幸(みとこう)」の二階の座敷にあがり、写真の祇園御膳(3,300円)と
熱燗(960円)を注文して、昼間から、一人で祝杯です!






祝杯を終わり、祇園をブラブラ歩いていると、急に、昔働いていた大坂の心斎橋の近くの支店へ
行ってみたくなりました。

京都から大阪へ向かい、地下鉄御堂筋線の心斎橋駅で降ります。

昔勤めていた支店の辺りに行ってみますが、再開発でしょうか、跡かたも無く、全く風景が
変わってしまっていました。

仕方なく、ついでに、道頓堀、千日前をブラブラします。







更に、天王寺へ行って、新世界をブラブラします。



コテコテの看板の串カツの店がずらりと並び、壮観です。どういう訳か、通天閣は長蛇の列
だったので、パスしました。



地下鉄で梅田に戻り、ガード下の立ち飲み屋で、懐かしい「とん平焼き」を注文して、生ビールを
飲みます。

(1,150円)

とん平焼きは、豚肉に溶き玉子を流し、ソースとマヨネーズをたっぷりかけた、こってりした
お好み焼きです。

懐かしい!旨い!

少し物足りないので、ガード下の立ち食い屋で、10個入りのたこ焼きを注文します。(530円)

東京のたこ焼きの倍くらいの大きさで、具も大きくジューシーで旨い!

でも、量が多くて、ガード下では食べきれません!

ほろ酔い気分で、新大阪のビジネスホテルへ向かいます。






バスで行く東海道「第9回-5」(大津〜三条大橋) 2012.12.10

1年間にわたるバス旅行も、2012.3.31に日本橋をスタートしてから、
いよいよゴールの三条大橋です。

三条大橋の下で、この旅行で初めて集合写真をとりました。

月1回のバス旅行で、すっかり親しくなったメンバーですが、いよいよお別れが
近づきいて来ました。

みなさんは、これから、同じ旅行社の(東海道53次の続きの)「東海道57次ツアー」や
「西国街道ツアー」の旅行を続けるそうです。



・三条大橋の刀傷

 三条大橋の欄干には、下の写真の様に、新撰組の刀傷が残っていました!

昔、大阪に住んでいたので、三条大橋は、これまでに何度も渡ったことがありましたが
”刀傷の話”は知りませんでした。



バス旅行は、三条大橋から先斗町を、ゾロゾロと四条河原町まで歩きます。
そして、折り返して今度は木屋町通りを三条大橋へ戻ります。

木屋町周辺には、坂本龍馬などの幕末の史跡が多いので、これらを見ながら
そぞろ歩きをしました。

以下その内容です。

・池田屋



 三条小橋近くの池田屋事件で有名な「池田屋」は現在は、写真の様に
 居酒屋チェーン「はなの舞」になっていました。



 ”池田屋事件”とは、旅籠「池田屋」で密議中の長州、土佐、肥後の尊王攘夷派
 約20名を、近藤勇率いる新撰組10名で襲撃し、多くの死傷者を出した事件です。
 
池田屋では、集結していた長州等の浪人達と新撰組が、2時間、切り合いをした
そうです。

 え〜!

2時間もの長い間切り合いをしていたの?

・本能寺



 織田信長が明智光秀により襲撃され、自刃したので有名な本能寺です。

 本能寺の変のあとの1589年、豊臣秀吉が、堀川(現在の堀川高校の場所)から、
 現在の場所に移転しました。
 
境内には、織田信長と、森欄丸などの側近達の供養塔があります。





・豊臣秀次終焉の地

 豊臣秀吉の息子の秀次は、謀反の疑いで高野山へ追放され自害します。
 
そして、秀次の一族の子女30余人が、ここで公開処刑されました。





  境内に処刑者の名簿がありますが、1歳、3歳、4歳、6歳、9歳、12歳・・・・

  可哀相〜・・・
 非道な秀吉!




・坂本龍馬住居跡

 坂本龍馬・お龍が結婚前に住んでいたところです。



・高台寺

 夜は、高台寺の逆さ紅葉を見に行きます。



・善峰寺(よしみねでら)


 翌朝、バス旅行は、最後に、善峰寺(よしみねでら)の遊龍松を見に行きます。



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