東海道を歩く (46:亀山宿) 8km
(写真は亀山城)
異常気象の大寒波も、ようやく去った様なので、東海道53次・完全踏破の旅を再開します。
前回の続きを歩くために、新幹線で名古屋まで行き、JR関西線に乗り換え井田川駅へ
向かいます。
JR新幹線・新横浜(7:52)→名古屋(9:30) →JR関西線・井田川(11:00)
次の写真は、JR関西線の電車の貨物室です。
吊皮に暖簾が下がっていて、多分、そこから先が貨物室なのでしょう。
貨物が多ければ、もっと前の方の吊皮に、暖簾が移動して来るんでしょうかね。
前回のウォーキング終了地点のJR井田川駅で降りて、次の亀山宿へ向かいます。
亀山宿は、安藤広重が描く、冠雪の鈴鹿山脈の「亀山 雪晴」でよく知られています。
広重の53次シリーズの中で、雪景色は、この亀山と蒲原だけで、亀山を「陽」として、
蒲原を「陰」として描き分けたそうです。
お年寄りと挨拶を交わしながら、旧東海道を進みます。この辺りも、道で行きかう人と
挨拶するのは常識みたいです。
旧東海道は、JR関西線と国道1号と並行に、田園地帯を進みます。
亀山バイパスをくぐると、写真の和田の道標がありました。
和田の道標を過ぎても、旧東海道の右折の表示がなかなか無く、どこまで歩いても
JR関西線沿いの道が続くので、分岐点をかなり過ぎて歩いてしまったことに気付きました。
スタートまもなく、早くも道に迷ってしまいました!
どこかで、表示を見落としたか、それとも表示が無いのか?
旧道らしき道を求めて、とぼとぼと道を戻ります・・・
戻る途中の道で、車の中で弁当を食べていたオジサンが、向こうから声を掛けてきました。
"この先は行き止まりだよ。 どこへ行くの?"
”旧東海道に出たいんですけど?”
向こうから声を掛けて心配してくれるなんて、田舎の人は親切!
おじさんから教わった通りの道を進むと、旧東海道に出ました!
旧東海道へ出られたのは良かったのですが、今度は、膝が痛くなってきました。
歩くたびに、痛みがひどくなるような気がします・・・
先日、ストレッチをしたときに、無理に膝の筋を伸ばしたのが良くなかったのでしょうか?
腰痛、筋肉痛、膝痛と、京都が近づくにつれて、足腰がボロボロになってきました・・・
仕方なく、JR亀山駅前の商店街の薬屋に飛び込んで、サロンパスと膝のサポーターを
買います。
”え〜っ!、膝の痛みを抱えて、 鈴鹿峠越えですか?”
と、薬屋の店主に心配そうに聞かれると、不安に・・・
"鈴鹿峠越えは、そんなに大変なんですか?"
”最近は、山賊が出ないみたいだから、 多分、大丈夫ではないかな〜。
” ご主人、冗談が上手い!
でも、インターネットには、鈴鹿峠の山道は、次の約27キロ先のJR貴生川駅まで、
一日1本のバス便しか無い、という書き込みもありましたし・・・
冗談でも、だんだん不安になってきます。
よし、明朝は、出来るだけ早く宿をスタートしよう。
旧東海道の宿場町の町並みには、連子格子の家が点在していて、「いづつや」「こまつや」等
の江戸時代の屋号が掲げてあります。
車が走っていなくて、落ち着いて散策出来るので素敵です。
写真の様に、旧東海道はカラーで舗装されていて、曲がりくねった道も間違えることが
ありません!
素敵なアイデアです!
やがて旧東海道の右手に、亀山城の石垣が少し見えました。
亀山宿は、亀山城の城下町です。
亀山城は、蝶が舞う姿にたとえて、粉蝶城(こちょうじょう)とも呼ばれ、南に鈴鹿川、
北に渓谷を擁する天然の要塞だったそうです。
現在は、石垣の上の多聞櫓(やぐら)とお堀が残っていますが、残念ながら、この目玉の
多聞櫓は、写真の通り工事中でした。
更に、宿場町を西へ進むと、復元された写真の侍屋敷があり、その隣では西の丸のお堀が、
写真の様に発掘中でした。
宿場を抜け、更に進むと、写真の巨大な大椋(おおむく)の樹の野村一里塚があります。
更に進むと、旧東海道の左手に、写真の布気皇舘大(ふけこうたちだい)神社がありました。
JR関西線と国道1号の下をくぐり、鈴鹿川と並行に歩きます。
JR関西線の踏切を渡ると、関宿の入口である「東追分」です。
亀山宿から関宿まで約8キロです。
バスで行く東海道「第9回-1」(庄野宿〜亀山宿) 2012.12.8
「46:亀山宿」
亀山城の櫓は、一人旅の時は工事中で、櫓は全く見えませんでしたが、バス旅行の際は、
修理がほぼ終了していて、写真の様に、その真新しい姿を現していました。
櫓の反対側は亀山中学になっています。
(亀山宿の町並み)
亀山宿の出口にある京口門跡は、広重の浮世絵が描かれた場所だそうです。
写真も浮世絵も、上の方にお城の石垣が見えます。
下の写真は、野村の一里塚です。
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