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44:石薬師


海道を歩く (44:石薬師宿) 3km




(写真は石薬師寺)

寒風と、すぐ横を走り抜けるトラックの風圧に耐えながら、農家と田畑の中の国道1号を
かなりの距離を歩きます。

やがて右手に、石薬師宿の入口となる小道がありました。





そして、すぐに、石薬師宿の休息所があり、そのベンに腰掛けて、一休みします。

向いのベンチに、ウォーキングシューズの若いお兄さん
が座っていました。

てっきり、東海道53次のウォーキング仲間だと思って話掛けると、ウォーキングは嫌い、
とのこと・・・

えっ?嫌い?

でも、ウォーキングシューズがよく似合ってカッコイイですが?

えっ? ヒッチハイク?

そうですか、ヒッチハイクが趣趣味ですか?

えっ? ヒッチハイクは好きではない?

ど、どういうこと?

ヒッチハイクが好きという訳ではなく、名古屋から大坂まで帰るところなんだけど、電車賃が
もったいないから、ヒッチハイクをしながら帰る途中なんだとか・・・

今日は、大坂ナンバーのトラックが少ないので、苦戦していて、今、一休みしているところと
のこと。

ふ〜ん・・・

つい、自分の基準で世の中を見てしまいますが、人生いろいろ



石薬師宿は、もともとは、石薬師寺の門前町でした。

宿場町にへ、往時の面影を残す旧家が点在し、下の写真の小沢本陣跡もその1軒です。





静かな雰囲気の町並を歩いてゆくと、国道1号をまたぐ橋を渡るとすぐ右手に、冒頭の写真の
石薬師寺がありました。

広重も描いた石薬師寺は、弘法大師が薬師如来像を彫り、開眼供養したそうです。



旧東海道は、石薬師から古い町並みの坂を下って行きます。

すぐに、蒲川橋を渡り、一里塚を過ぎ、田んぼの中の小道を歩いてゆくと、いったん国道1号に
合流、庄野へと向かいます。





今回のウォーキングは、腰痛対策として、リュックを、極力軽くしました。

下着の着替えは持たずに、ホテルに到着したら、先ず下着を洗濯して、ホテルでは浴衣で
過ごします。

下着は、朝までには、完全に乾いています!

その他にも、iPad2のカバーは重たいので外す、ガイドブックも必要ページのみコピーする等、
荷物を最小限にする工夫をしました。

そのお陰で、リュックの重みの腰への負荷が減り、手ぶらで歩くのに近い感触になりました!

国道1号とJR線をくぐって、JR加佐登駅を過ぎたあたりで、国道1号から分岐して庄野宿に入る
旧東海道があります。

石薬師宿から庄野宿まで約3キロです。


バスで行く東海道「第8回-4」(四日市〜石薬師宿)2012.11.4

・「44:石薬師宿」

・石薬師寺

 石薬師寺は弘法大師が薬師如来を彫り開眼供養した寺です。

 残念ながら、この薬師如来像は秘仏で非公開ですが、寺の前にその仏像の説明板がありました。







・源範頼の社



石薬師寺の前の道を左へ少し進むと、源範頼(みなもとののりより)を祀った「御曹司社
(おんぞうししゃ)」があります。

御曹司社は、上の写真の石碑から読み取れる様に、正確には「蒲冠者範頼之社
(かばのかんじゃのりよりのやしろ)」と言うのだそうです。
 
源範頼は、源頼朝の弟で、武道、学問に優れていましたが、源義経と同じく、頼朝に謀反の疑いを
かけられ、誅殺されるという悲しい運命をたどります。
 
でも、歴史上は、義経の様に有名ではありません。可哀相!

・蒲桜

 御曹司社の南60mのところに、源範頼ゆかりの「蒲桜」(かばざくら)があります。

蒲桜は、1182年頃、源範頼が、平家追討のため、西へ向う途中、石薬師寺に戦勝を祈り、
鞭(むち)にしていた桜の枝を、地面に逆さに差したところ、それが芽をふいて育ったそうです。

 従って、この蒲桜は、桜の枝を地面に逆さに差した”逆さ桜”として有名だそうです。
 根元から枝分かれしている?奇妙な桜です!!
 
この桜は、ヤマザクラの一変種として、植物学上からも珍しいのだそうです。



・小澤本陣跡



 

 建物は明治に建て替えられたものだそうですが、写真の様に、表札も小澤さんです。



43:四日市
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