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43:四日市


東海道を歩く(43:四日市宿)11km




(写真は「なが餅」)

翌朝、昨日の続きのJR朝日駅をスタートします。



朝明橋を渡って、近鉄とJRのガードをくぐり、富田一里塚跡の碑を過ぎて、住宅街の中を
歩いて行きます。



寒風の中、住宅街なので、行けども行けども、公衆トイレ、喫茶店、食堂などありません!

参ったな〜! 我慢できない・・・

すると、東海道400周年記念の立派な公園がありました!

期待して広い公園に入りますが、トイレはありません・・・

うそ〜っ!

東海道の記念公園をつくるなら、公園の隅にトイレくらい作るべきだよな、とブツブツ言いながら
歩いていると、道の右側の光明寺というお寺の門の奥に立派なトイレが!

光明寺に光明が・・・?!



有難い! 素直に仏様に感謝します!

先日、京都でたくさんのお寺にお参りしたので、早速に、ご利益があったみたいです・・・

いったん1号線と合流して、海蔵橋へ回って海蔵川を渡り、また旧東海道へ戻ります。




暫く歩いて、三滝川に架かる三滝橋を渡ると、左手に土蔵造りの次の写真の笹井屋本店が
ありました。





老舗「笹井屋」の四日市の名物「なが餅」を買います。

(7個入り630円)

冒頭の写真の様に、細長く薄いあんこを、軽く焼いた餅で、香ばしい甘さです。



大宰府の梅ケ枝に似た味ですが、あっさりした甘さで、いくらでも食べられます。

三滝橋を渡った辺りから、四日市宿が始まりますが、空襲で、宿場町の面影は何も残って
いません。

旧道沿いに、たまに古い商家があるくらいです。

この辺りが、四日市宿の中心だったそうです。

まもなく、四日市の繁華街に入り、繁華街の真ん中に写真の諏訪神社がありました。



諏訪神社は、宿場町時代から続いている神社で、この辺りが四日市宿の終わりだったそうです。



旧東海道は、昨晩泊まったビジネスホテルの近くを通って、近鉄・内部線と国道1号に沿う様に
西へ進みます。

暫くの間は、ひたすら住宅地を歩きますが、近くに公害病で有名な四日市の工場群が見え隠れ
します。


”工場萌え”の私は、工場見学の寄り道をしたい衝動にかられますが、グッと我慢して
歩き続けます。





更に3キロ程歩くと、上の写真の日永(ひなが)の追分がありました。

道が左右に別れる交差点の中央分離帯に鳥居が立っています。

写真の右の道が東海道で、写真の左の道が、伊勢神宮に向かう伊勢街道です。

弥次さん喜多さんは、この日永の追分から、東海道を進まずに、伊勢街道を伊勢神宮へ向かい、
伊勢神宮から奈良街道を経由して京へ向かいました。

従って、これ以降は「東海道中膝栗毛」のエピソードのご紹介はありませんので、悪しからず!

また、伊勢街道で、忘れてはならないのは、江戸時代の”お伊勢参りブーム”です。
日本人の全人口の2割が参加したというから驚きです!

江戸から伊勢へ向かうお伊勢参りの大集団は、写真のこの日永の追分の左の道を伊勢神宮に
向かった訳です!

12/23の「31:新居宿」で書いた「古着屋総兵衛 影始末:熱風」(佐伯泰英著)でも、集団での
伊勢参りをあおる黒幕を求めて、主人公の総兵衛は、”日永から分かれて、伊勢街道を
進みます。”

伊勢神宮への参拝に、数百万人が、東海道を行き交って、宿場の茶屋、旅籠が大賑わい
だったということですが、女・子供からお年寄りまで大勢が歩いたお伊勢参りの東海道の
その賑わいぶりは想像がつきません。

当時は、歩きが基本でしたが、疲れたら駕籠に乗ったそうです。

そうか〜!やはりね・・・

お年寄りは全行程を歩くのは無理だったでしょうね。

そう考えると、駕籠に乗らずに、全行程を歩く私は偉い!

近鉄・内部線の終点の内部駅を過ぎて、内部川を渡ると、間もなく、うつべ町かど博物館があり、
杖衝坂(つえつきざか)が始まります。

杖衝坂の地名の由来は、重傷を負った日本武尊(やまとたけるのみこと)が、杖をつきながら
必死で登った坂だからだそうです。

なお、三重県の名前は、この時の重傷で、日本武尊の足が三重に曲がってしまったことに
由来するそうです。

ひ〜ぇっ! それで三重県! 知らなかったな〜!



思ったより短い坂で、杖衝坂を登り切ると、やがて国道1号に合流し、農家と田畑の中を、
次の石薬師宿に向かいます。



四日市宿から石薬師宿まで約11キロです。


バスで行く東海道「第8回-4」(四日市〜石薬師宿)2012.11.4


・「43:四日市宿」


・笹井屋のなが餅



 四日市といえば、「笹井屋」の「なが餅」です。

関ヶ原の戦いののち、津36万石の城主となった藤堂高虎が、足軽時代に、空腹で一文無しだった
ため、出世払いで食べさせて貰ったのを恩に感じて、参勤交代の際に必ず立ち寄ったそうです。


前回は徒歩だったので、三滝橋の近くの笹井屋本店で買いましたが、今回はバス旅行なので、
次の写真の国道1号沿いの笹井屋支店で、冒頭の写真の「なが餅」を買います。

 (7個入り630円)



写真の様に、細長い楕円形で、厚みは薄いものの、中にちゃんとアンコが入っています。

軽く焼いてあり、大宰府の梅ケ枝に似て、焦げ目が香ばしいです。

・日永(ひなが)の追分



 写真は日永(ひなが)の追分で、右の道が東海道、左の道が、伊勢神宮に向かう伊勢街道です。


 写真の石碑は、「右 京大坂道」と刻まれています。

また、ここにの追分の道標の場所には湧水が湧いており、近くの人でしょうか、入れ替わり
立ち替わり、飲料水として汲みにきていました。

・杖衝坂(つえつきざか)



杖衝坂の地名の由来は、重傷を負った日本武尊(やまとたけるのみこと)が、杖をつきながら
必死で登った坂だからだそうです。


芭蕉は、江戸から故郷の伊賀へ帰る途中、馬で杖衝坂にさしかかりますが、急な坂道のため
落馬したそうです。


写真の芭蕉の碑に刻まれた句は、そのときに詠んだもので、芭蕉の句としては珍しく季語が無い
ことで知られています。



 ”徒歩(かち)ならば 杖つき坂を 落馬かな”



歩いて登ったならばこんな失敗はなかったのに、この坂をなまじ馬で登ったばかりに落馬した、
と反省の意味を込めて詠んたのだそうです。


・血塚社



杖衝坂は、思ったより短い坂で、杖衝坂を登り切ると、珍しい「血塚(ちづか)」の地名と、写真の
「血塚社(ちづかしゃ)」があり、境内には、小さな祠(ほこら)の後に石碑が建っています。

この場所は、日本武尊が坂で怪我をして、足から流れ出た血を止めた場所だそうです。



 杖衝坂は、思ったより短い坂で、杖衝坂を登り切ると、やがて国道1号に合流します。

42:桑名
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