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34:吉田


東海道を歩く (34:吉田宿)[豊橋市街] 10km




(写真は、豊橋かつカレーうどん)

二川宿を出てから、トラックの排気ガスに耐えながら、歩道が狭くて歩きにくい国道1号を、
約2時間、我慢して歩き、吉田宿に入ります。



吉田宿と言っても、ピンと来ないと思いますが、豊橋のことです。

吉田宿は、豊橋市の繁華街とほぼ重なります。

市の中心部を走る市電が懐かしいです。



お昼は、JR豊橋駅の近くで、豊橋名物の冒頭の写真の「豊橋かつカレーうどん」を食べます。

駅前には、カレーうどんの店が並んでいて迷いますが、玉川というお店に入ってみます。

汁がハネない様に、焼肉店の様な紙のエプロンを渡されます。

うどんを食べるのに、エプロンを渡されたのは初めてです。

自家製麺のうどんだそうで、味は濃いけど、甘すぎず辛過ぎずで、見かけによらず美味しいです。

食べ終わったかと思ったら、深い鉢の底には、ご飯が!ルーが残りがちなカレーうどんを
最後まで食べてもらうため、器の底には、ご飯があるらしいです。

う〜ん、雑炊みたいな味です。

うどんの一回だけで終わらないのが、名古屋的なのでしょうか。

食文化では、もう既に、名古屋圏に入ったみたいです。

吉田宿は、豊橋市街地に重なるため、下の写真の本陣跡などの碑はあるものの、
旧東海道の跡は何も残っていません。



繁華街の中心にある写真の吉田城へ向かいます。





再建された吉田城の櫓の中は、日曜祝日のみ公開されています。

一日違いで見学は出来ません!

残念!

でも、吉田城跡は、豊橋公園として整備されており、お城の堀、石垣などは、そのまま残っていて、
いつでも見学できます。



市の中心部に、テニスや野球なども出来る、この様な緑豊かで広大な憩いの公園があるというのは
素晴らしいです。

この日は、JR豊橋駅の近くに宿をとり、翌朝、7:30に宿を出て、市の西方の豊橋へ向かいます。



「豊川」に架かる市の名前の由来となった「豊橋」を渡ります。

この豊川には、江戸時代には港があり、このために、吉田宿は城下町・宿場町の他に、
港町の機能を持つ、一大商業都市として、大いに繁盛したそうです。

豊川は、水量が豊な大きな川です。

豊橋は、瀬田の唐橋(滋賀県大津)、矢作(やはぎ)橋(愛知県岡崎)と共に、東海道三大橋の
一つだそうです。

豊橋を渡ると、旧東海道は、国道1号にずっと平走していて、右手に、時々、国道1号の車の流れを
見ながら歩いてゆきます。

やがて、豊川放水路に架かる高橋を渡ります。

橋の前後には歩道がありますが、橋の上だけ全く歩道がありません!



どうすれば良いの?

仕方なく、車の切れ目を狙って、全力疾走で橋の上を走り抜けました。

はあ〜、はあ〜 (息切れが・・・)

知らない土地を歩いていると、時々、この様な訳のわからない目に会います。

地元の人はどこを歩けばよいのか知っているのでしょうけど・・・

次に、東三河環状線の道路を横断しますが、これまた、渡る道に中央分離帯があり、
横断出来ません!



これは一体何なの? 参ったな!

どうすれば道を横断出来るの?

途方に暮れていると、歩道の脇に、写真の「東海道ネットワークの会21」が貼り付けた
迂回路への誘導の矢印が!



こういうのがあると助かるな〜!

ネットワークの会さん、ありがとう!

更に、国道1号沿いの旧東海道を、1時間ほど歩くと、国府町に入りました。

御油宿に近づいた雰囲気があります。

吉田宿から御油宿まで約10キロです。




バスで行く東海道「第7回-2」(二川宿〜吉田宿) 2012.10.6


34:吉田宿」



上の浮世絵の写真の左手は、豊川に掛かる吉田橋で、右手は、吉田城の櫓です。

お城の櫓には、足場が組んであり、左官が壁塗りの作業をしてます。

そして、下の写真の左手が浮世絵の吉田城の櫓で、右手が豊川、右手中央の奥に
小さく見えるのがこの豊川に掛かる現在の吉田橋です。



吉田城は、池田輝政が整備した城で、現在は、豊橋公園として、写真の様に、櫓、堀、石垣、
土塁などが残っています。



吉田宿(豊橋市)の中心街の市電・札木駅の近くの鰻屋が、写真の本陣跡です。



お土産に、この本陣跡近くにある文政10年(1827年)創業のヤマサ本店のちくわ
(5本入:630円)を買います。

これは、吉田宿を流れる豊川に湊があり、ここで多くの海産物が取引されていた名残り
だそうです。



バス旅行は、この吉田(豊橋)で1泊します。