東海道を歩く (30-2:舞阪宿・浜名湖) 6km
(写真は弁天島の鳥居)
舞阪宿の脇本陣を出ると、直ぐに浜名湖です。
江戸時代は、この舞阪宿から次の新居宿へは、舟渡し
だったそうです。
現在は、舟渡しが無いので、船着き場跡から先の
旧東海道は途切れています。
従って、舞阪宿の船着き場跡から新居宿までは、
浜名湖を横切る国道1号の横の専用歩道橋を歩いて、
弁天島を経由して、新居宿へ向かいます。
「東海道中膝栗毛」には、舞阪宿から新居宿へ乗合い舟の
「今切(いまぎれ)の渡し」の話が出て来ます。
”蛇使い”の見世物をしているオヤジの蛇が、舟の中で
逃げ出してしまい、舟の中は大騒ぎとなります。
喜多さんは、脇差しを鞘ごと抜いて、その先で蛇の頭を
抑えると、蛇は脇差しにぐるぐると巻きついてきます。
喜多さんは、蛇を海へ放り投げようとして、手が滑り、
蛇と一緒に、脇差しも海へ投げ捨ててしまいます。
蛇は、海中に沈んでいきましたが、脇差しは、実は”竹光
(たけみつ)”だったので、ぷかぷか浮いて流れていきます。
すると、蛇を捨てられたオヤジは、腹いせに、
”わしは、この年になるが、脇差しが水に浮いて流れる
のは初めて見た。”とからかいます。
言われて頭に血がのぼった喜多さんが、オヤジに
つかみかかった時に、舟は新居宿の船着き場に着きます。
冒頭の写真は弁天島の沖の鳥居で、背景の高架の道路は、
国道1号の浜名バイパスです。
弁天島はリゾート的な観光地で、海岸にホテルのビル
が建ち並びますが、シーズンオフのせいか、人影は
あまりありません。
舞阪宿と次の新居宿の間の海を、今切(いまぎれ)と呼ぶ
そうです。
昔は、浜名湖は、海と切れた淡水湖でしたが、大地震と
大津波により、淡水湖と海がつながってしまい、その
つながった場所を今切(いまぎれ)と呼ぶ様になった
そうです。
陸続きが、切れてしまった江戸時代は、先程の舞阪宿の
北雁木の船着き場から、次の新居宿の船着き場(新居宿
の関所)まで、1里(約4キロ)を、舟で渡ったそうです。
渡し舟は、次の新居の関所の前に到着し、旅人は舟から
下りると、そのまま関所に入ったそうです。
舞阪宿から新居宿まで約6キロです。
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