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09:深谷



(写真は、”ミニ東京駅”のJR深谷駅)

深谷宿は、本陣1軒、脇本陣4軒、旅籠80軒と、中山道最大級の宿場町だったそうです。

これは、江戸から20里(80キロ)と、東海道だと小田原に相当し、当時の男性なら2泊目だったからだそうです。

足腰の弱っている現代人は、毎日40キロも歩き続けるなんて絶対に無理です!

・国済寺(こくさいじ)





 約8万坪の広大な寺で、深谷城主の上杉憲英が、1390年に創建しました。

この寒さの中、行けども行けどもトイレがありません。

トイレを借りようと、スーパーに飛び込みますが、ここのスーパーにはトイレがありません!

JR深谷駅が見えました!
駅のトイレに掛け込みます。


・JR深谷駅



 JR深谷駅は、写真の様に、東京駅と見間違えるくらいに立派な駅舎でした。!!

 これは、そのそも、深谷宿の名産が、瓦(かわら)であったことと関係するそうです。

 深谷付近の荒川や利根川の粘土質の土が瓦の製造に向いていたそうです。
 
 江戸時代の「明暦の大火」以降、深谷の瓦は江戸に運ばれ大人気だったそうです。

 そして、明治時代になると、その「瓦造り」も「煉瓦(レンガ)造り」に変わります。

 深谷出身の渋沢栄一は、日本の近代都市計画に、建築資材としてレンガは欠かせないと考え、深谷に日本煉瓦製造を設立。

これが、東京駅、日銀、迎賓館などに使用されたそうです。

 なるほど!

 そう言えば、深谷駅前に、下の写真の渋沢栄一像がありました。



 それで、JR深谷駅は、”ミニ東京駅”なんだ!



 駅の1階の深谷市観光協会の受付のお姉さんから中山道深谷宿の散歩マップを貰い、町中の散策に出掛けます。

・常夜灯



 深谷宿の東の入口にあります。


・深谷の町並み

 以下の写真は、街道沿いの古い建物です。












・飯島本陣跡



 写真の飯島印刷所の前に、飯島本陣跡の説明板がありました。



 飯島さんは子孫なんでしょうね。


・旧七ツ梅酒造



 1694年創業で、300年近く続いた酒造の跡地。

「七ツ梅」は当時の銘柄。


・常夜灯



 1840年建立の深谷宿の西の出口の常夜灯で、4メートルの高さがあり、中山道では最大級です。


・清心寺(せいしんじ)



街道沿いに、清心寺の表示があったので、街道を左折して、踏切を渡り、清心寺へ向かいます。



 清心寺の門の脇に、平清盛の弟の平忠度(ただのり)の墓がありました。



 平忠度は、源平の一の谷の合戦で、源氏の岡部六弥太に打ち取られますが、その死を憐れんだ岡部六弥太が、ここに葬ったのだそうです。




・芭蕉句碑

 ”原中や 物にもつかず なく雲雀”



(この辺りは、”岡部の原”と呼ばれた殺風景な野原
 だったそうです。

 ”何も無い原っぱの中で、自由に鳴いているヒバリ
  の声を聞くと、無心になれて良いな”
  という意味だそうです。)


・百庚申(ひゃくこうしん)



 坂の斜面に、たくさんの庚申塔が並んでいます。

 庚申とは、庚申の日には、夜通し眠らないで、猿田彦などを祀り、勤行をする信仰のことです。


・小山川



 小山川は、思ったよりも広い河川敷が広がっていました。

 江戸時代は、歩いて渡ったそうです。
 冷たそう・・・!

 滝岡橋を渡ります。

 この寒さの中、トイレが近くなり、もう、トイレが我慢出来ません・・・ 辺りに人影もないし・・・

 川原に降りて、橋の下で小用を足します・・

 ホッ・・・



(歯医者さんの門)


・富士山?



 街道の正面に、写真の様に、富士山?らしき山が見えます。でも、自宅の横浜からの富士山よりも、こちらの方が大きく見えるハズがないですよね。
 
 富士山でないとすれば、何なんでしょうか?


・深谷ネギ



 深谷は、肥沃な利根川と荒川沿いなので、甘くて美味しい深谷の長ネギが名産なのだそうです。

深谷宿から本庄宿までは、約11キロです。



08;熊谷へ

10:本庄へ

      
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